23 紅い紅い狂気
「はっ!」
女の魚人族が意識を取り戻し、周囲を見渡す。周囲には見慣れたものばかりが揃っていて、小屋の中に居るのだということがすぐさま認識できた。
命に代えてでも守り抜くと決めていた子供の身命のことも、揃えられている見慣れたものの中に含まれていて。女は安堵の一息を吐き、痛む鳩尾を片手で押さえる傍ら、子供の元へと駆け寄った。
子供を慈愛の籠った瞳で見下ろした後。女は、この場で唯一見慣れていないものに視線を送る。
「おう、起きたか。いやぁよかったよかった、予想より長く眠るもんだから。力加減ミスったのかとヒヤヒヤ冷や汗ヒヤシンスもんだったぜ」
この場で唯一、女が見慣れていなかったものは。勝手に空きスペースを見つけて勝手に座っている、独特な雰囲気を纏った長躯の男の存在。それだけである。
「その、紅くてトゲトゲな蔓って、噂の流行り病? オレさん、流行り病の調査に来た手合いなんだけどさぁ。高熱があって、咳が出て、倦怠感があって、寝込んでて……みてぇな、典型文オンパレード、デデーン! な症状しか知らねぇのよ。詳しく教えてくんね?」
「────」
「睨むなよ、怖ぇな。害意はねぇっつってんだろ。……あったら、とっくに殺してるぜ? 一応言っとくが、そんくらいの実力はあるんでな」
ジークは両手を掲げて降参のポーズをとっているが、口調は態度とは裏腹に、たった一つだけの事実を伝える冷徹さを帯びている。
女の魚人族はある程度場数を踏んできた以上、殺気にも最後通牒にも非常に敏感だった。固唾を呑みこんで、ジークの機嫌を万が一にも刺激しないよう、沈黙をそのまま貫いた──わけではなかった。
「……調査」
「ん?」
「貴様、調査と言ったな。一体、何処から遣わされた者だ? 返答次第で対応を考え直す」
「あー」
ジークは返答に窮して、緊張で強張っている女の顔つきから思わず目を逸らす。
物事を有利に進めたいのであれば、信頼を得るのは前提条件。そして、高い低い関係なく、身分を示すのは信頼を得るための必須事項だ。
しかし──、
「どうした。答えられないか」
「んや、違くて。信じてもらえんのかなって」
──何も考えずに、素性を明かして大丈夫なんだろうか。
女の魚人族は、一体どのような返答を望んでいるのか。それに関しては、ジークの中で確信に近い推測があった。
女の魚人族が望んでいるであろう返答の選択肢は二つ。『妖精族』から遣わされた者、もしくは鬼人族の『酒呑童子』から遣わされた者、というものだ。
『妖精族』から遣わされた者と伝えれば。治療の技術開発に役立つ、何らかの証拠品を持ち帰るよう指示されていると考えることだろう。
『妖精族』が治療法開発に本格的な動きを見せ始めた、良い兆候と捉えるに違いない。
『酒呑童子』から遣わされた者と伝えれば。『鬼血の神変奇特酒』──酒の力で殺害される予定だった酒呑童子が、酒の力に適応してしまったが故に。死するどころか血液そのものが、病を癒す薬と化した副産物──を与えてもらえるのかどうかの、交渉の切り口を贈られたと考えることだろう。
妖精族相手とは事情が異なるため、都合よく情報を取り入れ、つつがなく来訪した使者に多少の不信感は覚えるだろうが。己の子供や己の種族が陥っている危機を鑑みれば、そんなことは些細なことだ。疑念を取っ払ってでも、助けを乞いたいに違いない。
──はて、どう名乗るのが正解か。
身分を偽るのはリスクが大きい。それは確かだ。
しかし、きっかけが妖精族のティーナからだとはいえど、身分を素直に名乗ってしまえば。実質、妖精族の影響を受けただけの、人族から遣わされた者だと落胆されるのは目に見えている。
もしそうなれば、情報の詳細を抜かりなく教えてくれるだろうか。ただでさえ警戒心の強い、眼前の女が。
「……何処からだと思うよ?」
「正直、見当もつかない。我々魚人族に喜んで手を貸すものは、咄嗟に思い付かないんだ」
「だっはっは、だろうねぇ。オレさんも進んでここを訪れたわけじゃねぇしよ」
ジークは口八丁に相手からの疑問をやり過ごし、判断するまでの迷いを誤魔化した。やがて、一つの大きな決断を下す。
注目と、劇を視聴した直後かのような、感嘆にも近しい感情を相手から得られることを願って。一拍会話に間を空けてから、ジークは鷹揚に答えを口にした。
「──龍人族」
「は?」
「龍人族から遣わされた者。それが、オレさんの正体だよ」
大法螺吹きである。それも、場合によっては信用を地の底に落とす、致命的な大言である。
しかし、大法螺吹きではあっても、勝算が全くない向こう見ずの大法螺吹きではない。上位種族『龍人族』の名を借りても、信用してもらえるだけの交渉材料を、ジークは持ち合わせているのだ。
「貴様、頭を打っているのか? それとも真剣に話す気がないのか? 下賤者め、殺すぞ」
「いやいや、本当だっての。一々殺意高ぇぜ」
言葉の応酬を笑い混じりにこなすジークに、女は思いつく限りの正論を振りかざす。
正論を振りかざすその姿には、期待や不安、落胆などの様々な感情が入り混じっており、複雑な心境が窺える。
自身の子供と一種族を治療できる見込みがあるのであれば、誰相手であろうと信じたいのは山々なのだろうが。道化を相手に、そう易々と信用は寄せられないのだろう。
「龍人族が我々魚人族のために動くはずがなかろう。嘘を吐くにしても、もう少しマシなつき方があったはずだ。切り捨てるぞ、頓馬未満、唐変木未満、」
「別に、魚人族のためだけに来てやってるわけじゃねぇぜ。調査内容は龍人族にとっても、有益な物になるだろうしよ」
「雑輩未満、駄犬未満、蚕蛾未満」
「罵倒のオンパレード一旦やめい。わかったわかった、ステイステイ。そこまで疑うんなら仕方ない。見せてやるよ、動かぬ証拠ってヤツを」
「えーっと」とぼやきながら、ジークは長袖を捲る。露出した腕には、大小が統一されていることで、光沢がより一層目を引く鱗が生えていた。
鱗は魚人族にも生えている物であるため、他種族関連の話に疎い人族の誰かでは、一眼見ただけではわからないと言うだろうが。逆説的に言えば、疎い者でもない限り一眼見ればわかる鱗だ。
「──ッ」
それも、勘違いされる原因だった魚人族本人が、鱗を見極めるともなれば。その鱗が一体何を意味するのか、過敏に反応してもおかしくはない。
女の魚人族は、息を呑んでその場に硬直する。
「特別サービスだぜ? 普段、他人にはあんま見せねぇもんなんだ。……揃いも揃って、御神木かってレベルで拝むし、頭下げるしで、好きじゃねぇからさ」
「龍人族の、鱗……」
「そそ。流石に説明は不要だよな? 魚人族サン」
「まさか、本当に?」
「これ見て信じてもらえねぇんなら、まさしくお手上げよ。どうしようもねぇな」
ジークは舌を出して肩をすくめる。
ジークの実際の立場としては、龍人族ではなく龍人族と人族の混血だし、龍人族の領土から追い出された身だしで。龍人族としての矜持だとか権力だとか、そんなものは一切存在していないのだが。当然口には出さない。
女の魚人族は数秒間考え込む素ぶりを見せるが、考え込んでいる間の瞳には疑念は殆ど含まれていなかった。主に困惑が胸中を占めているらしい。
女の魚人族は、考え込む素ぶりを解いた後。小さく呟いた。
「龍人族をもてなすことなく帰すのも問題、か」
「どうよ、教えてくれるのか? 教えてくれないのか? 未知の病の詳細」
「こちらに選択権などないと、わかりきっている上で言っているだろう。はしたない」
「龍人族を相手にするにしちゃあ、とんでもねぇ態度だな、アンタ……」
ジークの交渉が功を奏し、女の魚人族は警戒を解く。一度咳払いをして、この場には相応しくない腑抜けた空気を吹き飛ばした。
ジークが心中で拳を握りしめて達成感を噛み締めている内に、女の魚人族はぽつぽつと事情を語り始める。ジークは喜んで聞き手に回った。
「──未知の病についてだが。生憎、こちらもわかりやすく纏めてやれるほどの情報量を持ち合わせていない。よって、とりあえず、いきさつをゆっくり語らせてもらう」
「おう」
「最初、私の子供が発症していた症状は軽かった。それこそ、ここに隔離される程度で済まされるレベルの軽症でな。貴様が知っていた範囲の症状と、なんら変わりがなかったのだ。……貴様が『あれ』を知らないのも、無理はない」
棘を持つ紅い蔓が全身に巻き付いており、蝕まれている子供を、女の魚人族は濁った眼で一瞥する。
『あれ』というのは、異様な雰囲気を纏っている、棘を持った紅い蔓のことを指しているのだと、視線で物語っていた。
「ん? その口ぶりだと……『あれ』はいつから発現したもんなんだ?」
「ここ最近になってから、だ。本当に前触れもなく、急に発現。症状も、これまでとは比べものにならないくらいに、酷くなった」
「それはアンタんとこだけの話か?」
「いいや、違う。皆一斉にだ。『妖精族』に紅い蔓のことを報告しそびれたのも、突然一斉に引き起こったが故だからな」
「となると、本当に最近の話なんだな」
「ああ」
──きな臭いな。
ジークは詳しい情報を持ち合わせているわけでもないし、実際に目にした訳でもないが。『白夜』の本拠地内で、不気味な『紅い花』とやらが話題に上がっていたことは耳にしている。
このタイミングで『紅い蔓』の話題が持ち上がったのは、果たして偶然なのだろうか。『紅い花』と話を結びつけて考えてしまうのは、例え根拠に欠ける偏見気質であったとしても、むべなるかなといった案件だ。
「紅い蔓に触ったことはあんのか?」
「直接触れたことはない。何が起こるかわかっていない以上、食糧調達や小屋の維持等の看病を任されている立場である私が、無闇にリスクをとることはできないからな。……ちなみに、武器で切り落としても、再び体内や切り口から生成されて無意味である、とだけ事前に伝えておこう」
「切り落としたんだな、槍で。どの口が『何が起こるかわからないから』なんて言ってんだよ」
自身の子供が被害にあっているとはいえ、槍で切り落とすとは。未知の病相手に肝っ玉が据わりすぎている。
ジークは苦笑を滲ませながら立ち上がり、静かな寝息を立てて眠っている子供を見下ろした。女の魚人族はジークの一挙手一投足を見逃すまいと、ジークの背後にくっついて観察を続けている。
「決して、起こすような真似はするなよ。……ただでさえ、苦しい思いをさせているのだから。せめて、苦しい思いをさせる時間は減らしたい」
「はいよ」
女の魚人族が交渉相手として相応しくなかった場合、ジークは病に罹っている子供を容赦なく起こす予定だった点。そもそも、ジークと大騒ぎを起こしておいて、今更何を言っているんだという点に関しては、沈黙を貫いておいた。
ジークは子供と、子供を蝕む紅い蔓そのものに、直接手を伸ばす。
「ッ、何を」
「起こしはしねぇから、問題ねぇだろ?」
蔓を直接触るのには当然リスクが伴うが、直接触れた方が確実に、且つ手っ取り早く仕組みを読めるのだ。触れてみるだけの価値はあると、ジークは判断した。
仕組みがわかれば必ず治せる、という世界でもないが、わかるとわからないでは大きく事態は異なるだろう。
「問題がない、とは口が裂けても言えないのだが……」
「あぁ、いや正直。こなせないわけじゃないけど、こういう問題は嬢ちゃんに丸投げしちまいたいってのが本音だし。些細な問題なら、なくはないけどな」
「そういう問題なのか?」
ティーナばかりが目立ってはいるが、ジークも魔法の仕組みについて理解できないわけではない。仕組みを分析してあれこれ考えるのは、何も『妖精族』だけの十八番ではないのだから。
『龍人族』は魂──生命の核について熟知した、現状発見されている種族の中で最も古くから存在する、最も謎が多い大いなる長命種族である。
魂について、何処まで熟知しているのかは明らかにされていない。だが、生命の上っ面を蝕む病についてなど、特に問題視するほどの危険ではないと考えられている以上。この世で最も真理に近づいた種族であることに、違いはない。
ジークには人族の血が混ざっているとはいえど、その真理とやらに最も近づき、病を問題視すらしない龍人族の血が混ざっている。
万が一感染することにはなっても、龍人族の血を死まで追い詰める病など、そう簡単に存在していいものではない。死することなく多少苦しむ程度で調査が進むのであれば、合理的判断としてジークならそちらを選ぶ。
ただし、ティーナとルネアにも感染させるわけにはいかないので、何処に隔離されるのかだけが面倒であり、心配な部分だが。
そう思考を巡らせながら、ジークは躊躇いなく子供と『紅い蔓』に触れた──、
「ッず、ぁあぁァあアアあ!? ぐ、ぅ……ッぶ、」
触れた、直後に。ジークは脳を揺らす、激しい吐き気に襲われる。咄嗟に手を離し、その場に脱力して座り込んだ。
「大丈夫か!? 大丈夫ではないか、すまない、」
「ぶ、ぁ。ぇぶ……き、きにすんな。苦しんでんのは、ただ、オレさんが、おぇえゔ……強すぎるせい、で……拒絶反応、起こしッぅ、ぶ、てるだけ……免疫の過剰反応、が……近い、ッ、」
女の魚人族は片膝を地面につけて、その場に座り込んでから何度もえずくジークの背を、渋々といった形でさする。
独り言にも近しい言葉遣いで、女の魚人族は顔色の悪いジークに呼びかけた。
「チッ、止めるべきだったか……?」
「そう悔やむなよ。ぅ、づ……はぁ、オレさんの蛮勇、オレさんの吐き気は決して、無駄なもんじゃなかったぜ。大体、わかった」
額に滲む脂汗を袖で拭って、ジークは子供を蝕む紅い蔓を指差す。
「紅い蔓が魔力を現在進行形で、ずーっと、ひたすらに徴収し続けてんのと。子供の魂が、何かに直接干渉された痕跡がある。表皮を撫でられた程度じゃない、手ぇつっこまれて無理やりつねられた感じでな」
「……え? い、いや、ちょっと待て! 魂に、直接干渉だと? そんな馬鹿げた芸当、できるはずが、」
「ああ。『世界三大禁忌』にバチバチひっかかるぜ。できていいはずが、ねぇんだがなぁ」
ジークは両手を後ろについて、天を仰ぐ。
『世界三大禁忌』に踏み込んでもなお、無事生き残った事例というのは現状報告されていない。良くて死、悪くて意思がなく、廃人にすら当てはまらない、人の形を保てずにいる肉塊と化す。そんな碌でもない話しか耳に入ってこない。
当然といえば、当然だ。『世界三大禁忌』を犯すということは、神格の道への第一歩であり、世界からの祝福を賜う儀式なのだ。所詮現世に生きる身が、世界からの祝福などという代物を、器に収めて耐えられるわけがない。
耐えられるわけが、ない。耐えてしまえば、それはもはや。──何と名付けるべき『モノ』なのだ?
『関わるのは早い段階が良いに決まっておりますわ』
──今回ばかりは、本当にその通りだったのかもしれない。
「……あれ、思ってたよりヤバくね?」




