22 運命的出会いは、曲がり角で食パン咥えた女とごっつんこ、ではなかった。
「一ヶ月で証明できるかどうかって、今考えると結構微妙なラインだよなぁ」
ルカは階段で地下から一階へ上がり、本拠地内の廊下でため息を吐く。
相変わらず、似合わない上に着慣れない隊員服を身に纏い、憂いの感情をぽつぽつと雨粒の如く溢した。
「以前と比べたら仕事も回ってくるし、それなりに身を守れてると思うし。一般人が使用する通常魔法くらいには、すぐ反応できるようになったんだけど……」
ルカがお試しの一ヶ月間を終えるまでという条件で、ロルフは謹慎処分を言い渡された。重ねて、レイトも本拠地から居なくなり、必然的に解決しなくてはならない仕事量が増加。
レオンがルカに仕事を回すよう指示をとり行うようになって、漸く念願の領土内治安維持依頼を引き受けられるようになった。
幾つか依頼をこなしたルカ自身、治安維持依頼に関しては、上手にこなせている自負を持てるほどになってきている。実際、ルカに直接仕事を頼むようになった隊員も、チラホラ散見できるようになった。
──なった、のは良いが。
安心はできない。なんなら、寧ろ感情の天秤は更に不安の方へと大きく傾いている。なんせ、こなせている分よりもやらかした分の比率の方が重いと、骨身に染みて理解しつつある。
依頼をこなす数に比例して、ルカはどれだけ調査任務遂行の邪魔をしていたかを実感していくのだ。
隊員達が最低限知っておくべき基礎の立ち回りを、ルカは訓練や依頼の最中で十分に思い知らされた。
その中でも突出して素晴らしいのは、報連相の鮮やかな手並みだ。戦闘中の報告に、無駄口と言えるものが一切存在しない。常に冷静で、常に優先すべきものを理解している。
知識や経験が増えれば増えるほど、過去の恥を抉られる。報告下手なルカの傷口に、逐一塩を塗られるのだ。
「怖い、どう判断されるのかが怖すぎる。過去を振り返れば振り返るほど、足を引っ張ってることしかわからないのが怖い……」
ルカの恐怖心には目もくれず、時は無情にも流れて行く。
いや、無情ではないのかもしれない。立ち止まれたら立ち止まれたで、ルカには足を進められる自信がない。
ある意味、ルカにとって何よりもの慈悲ですらある──、
「うわっ」
「だーれだ」
ネガティブな思考に耽っていたルカの視界が、前触れなく塞がれて暗闇に包まれる。
背後にいる人の気配、ルカに向けて放たれた一言で、何が起こっているのかを完全に理解した。理解すると同時に、誰がルカの視界を塞いだのかの心当たりが、即座に一人思い浮かぶ。
「ユーティットさんですよね」
「正解、大正解さ。君も徐々に、この自己のことがわかってきたようだね。少しだけ胸が熱くなってしまうよ」
「いやだって、これ五回目ですし」
──なんでこの人、こんな登場の仕方しかできないんだ。
ルカが背後を振り返り、嫣然と微笑むユーティットに呆れの視線を与える。
ルカが領土内の治安維持依頼を引き受けるようになってから、お互い接点を作りやすくなった。接点を作りやすくなってから、関わりを積極的に持とうと動き回っているユーティットのおかげで。ルカはユーティットのこの登場の仕方を、四回も経験済みなのである。
気づかない方がおかしな話だろう。
「ご縁がある、良い数字だね。君とこの自己はどうやら、運命すら靡く赤い糸で繋がれているらしい」
「あなたの方から、一方的に、運命の糸を手繰り寄せてるの間違いでしょう。少なくとも、僕は運命の糸を認知した覚えはないんですが」
「おや、情熱的な戯曲をお望みなのかい? いいね。静かな日常から見出す愛を描いた、心に染み渡る民譚も好きなんだけどね。変則的な恋に惑わされる冒険譚も、心に痛々しい爪痕を残すと共に、憧憬が自然と頭に刻みこまれる感覚があって、非常に好ましいと思うな。独特な世界観で惑わされれば惑わされるほど、爪痕の痛みも増すけれど、憧憬もまた強く刻まれていくんだ。身を焦がすという言葉がこの世には存在するが、焦がすという表現に拘る理由も、漠然と理解できてしまうね。恋を炎症と捉えるもよし、眩い太陽の光、灯火として捉えるもよし。解釈は人の頭の数だけあって良い、そんな風にね。ああ、勿論、この自己が先ほど捻出した例だって、この自己の一つの解釈であって、拘る必要性はない。寧ろ多岐に渡る解釈に対して、一つに拘泥するというのは野暮というものだろう? いや、その倒錯的な拘りこそが人の愚かしさそのものであり、理性を持つ生物であるが故の、唯一無二な魅力でもあるのだろうと、」
「ずっとこんな調子なんだよな、この人。……ビックリするくらい話が通じない」
ルカは、ユーティットの長々しい演説を聞き流す。レオンに余った依頼があるかどうかを聞きに行こうと、ユーティットから焦点を外した。
現在レオンは個室にいるのか、いなかったら何処に居そうか、何処にもいなかったら誰を頼ろうかと考えを巡らす。
「おっと、熱くなりすぎてしまったね。退屈な思いをさせてしまったかな。悪いね、小さな紳士さん」
「むぐ。……いや、小さくないです。訂正求めます」
居住まいを正して、謝罪らしき言葉を吐いたユーティットに、ルカは頬を膨らませて抗議する。
抗議をしたその直後に、ユーティットの都合の良いように意識を引き付けられたような気がして、ルカの気分が更に下振れる。ルカは目尻を吊り上げるが、それも「ふふ」と軽く受け流されて、ますます不満を募らせることとなった。
今度はユーティットではなく、ルカがぶつぶつと言葉を並べる番だった。
「小さくないし……周りがデカいだけですって……むがが」
「はてさて。君の言葉を遮ることになってしまって、重ねてお詫びをするけれど。実はね、君へ早急に問わなくてはならないことがあるんだ」
「じゃあなんで暢気にお話してたんですか!?」
「この自己の最たる悪癖だよ。痛いところを突かれてしまったね」
飄々とした態度を崩す兆しの一つすら見せないまま、ユーティットは微笑み続けた。ユーティットの調子にペースを崩され続けたルカは、怒りを示しても時間の無駄遣いであると察し、不満を一息に変換して呑み込む。
「はぁ、うぅ、あー。……はい、もう、なんですか? 大したことじゃなかったら、許しませんよ」
「拗ねる姿も素敵だね。耳を傾けてくれる姿勢に関しても、感謝してもしきれないな」
「……む?」
自信に満ちた声色から一転して、迷いを滲ませたユーティットの声色に、ただごとではないとルカは判断する。言葉を重ねる速度を緩めて、ルカは沈黙の中首を傾げた。
ユーティットが肩を竦めて、地下を指差す。
「鱗が特徴的な、長躯の男──ジークさんを知らないかな? 彼が長期間、それも道案内の手助けも借りずに外へ出かけるのは、非常に珍しくてね。目撃情報が欲しいんだよ」
*****
「おーっす。いやぁ、いつの時代も変わんねぇもんだと思い込んでたけどよ。結構印象変わるもんなんだな。戦しか頭にない、魚人族の領土でも」
──魚を食えば頭がよくなる、なんて言い出したのは、誰からだったのだろう。
四六時中争っても文句一つ溢さない、頭がイカれている連中、魚人族を見ていたら。「そんなことあってたまるか」と、洟も引っ掛けずに笑い飛ばしてやりたかったところだが。
現代の魚人族を覗いてみると、ちょっとだけ擁護、信じてやりたくなる。
「同族食って頭良くなりましたよ、とかいうブラックジョークかまされたら、どうしてやろうかな。流行り病蔓延したの自業自得じゃねぇかっつって突き返すか?」
──まさかとは思うが、本当に共食いを始めたりしていないだろうな。
くだらない思考に支配されつつあるジークは、鳥人族の領土の様相とは大きく異なる──所々に屹立する岩石と、底深い水堀に囲まれた、魚人族の領土前で。眠気を誘う欠伸を片手間に、右足を地面へとめり込ませて、大きく、力強く、踏み込んだ。
純粋な身体能力のみの跳躍で、軽々と水の障害を乗り越え、点在する岩石の上へと乗り込む。
「おうおう、すげぇ見渡しいいぜ。……ま、実際、水堀を乗り越えようとする余所者、主に鳥人族を監視する用の物見ヤグラなんだろうし。見渡し良くて、当然なのかもしれんが」
わざとらしく水堀付近に沿うようにして点在する岩石は、空を飛んで乗り越えようとする不届き者を、魔法で撃ち落とすための物なのだろう。現在は人っ子一人見当たらないが、病の危機に陥る前は、常に見張りがいたと考えていい。
背の高い岩石の他に、加工された背の低い岩石が複数個設置されているのは、高い岩石に登るためとしか考えられない形状になっている。ジークほどの身体能力を持っていなくとも登れるよう、粗雑ではあるものの、小さな螺旋階段状になっている一部分が垣間見えるのだ。
野生的すぎる用途と貶すべきか、恐るべき執念と褒め称えるべきか。ジーク個人としては、その狡猾さは嫌いではないのだが。そこまで頭が回るのなら、まず見境なく戦を仕掛ける、手癖の悪さを改善しておけよとも思う。
世界の嫌われ者になればなるほど、ありとあらゆる方面で不利になる。不利になればなるほど、戦はやめられなくなる。コンゴルド効果云々、敵の敵は味方云々。
とどのつまり、戦をして色々と儲かるのは己ではなく、蚊帳の外である他人なのだ。少し考えれば、わかるだろうに。
「こんなんだから、他種族のことなんざぁ考えるだけ無駄なんだよ。救えねぇもん、こいつら。自分んとこだけで手一杯なんだぜ?」
ジークは乾いた笑みを浮かべながら、ティーナの顔を幻視する。「なんですって!?」と、普段通りにぷりぷり怒っているティーナが容易に想像できた。
他種族関連の真剣な話であるため、もしかしたら、もっと怖い顔と言葉で憤怒を露わにするのかもしれないが。少なくとも、ジークの頭に思い浮かんだティーナの顔は、そんな感じだった。
「──さーて、何処をどう調査してやろうか。なんせ、他種族の領土に来んの久しぶりすぎて、ちっとばかし接し方というか。調査の基本のきとやらを、忘れちまったよ」
ガシガシと後頭部を掻きながら、ジークは魚人族が居そうな家か、それに近しい建築物を探す。
ジークの異常なまでの身体能力の高さは、腕力や脚力だけに限った話ではない。視力も同様に高く、高所から見下ろすだけでも相当な範囲を見張れる。
ジークは現在地から数キロメートル離れた一つの小屋を発見し、ニヤリと口角を上げた。
「みっけ。良いぜ、順調順調」
ジークは岩石の上から、湿った苔やきのこが群生する地帯にある、木々の中へと飛び降りる。川や湖を躱し、跳躍を繰り返しに繰り返して、小屋へあっという間に辿り着いた。この間、たったの数分である。
ジークは寂れた小屋の周囲をぐるりと回り、魚人族の気配がするかどうかを確かめた。主に聴覚と嗅覚を働かせていたら、ジークの嗅覚にひっかかる違和感がある。
あきらかに自然から発せられる匂いではない。動物の、それも嗅いだことのある匂いがした。
「ん、するっちゃするな? 薄いけど、魚人族の匂いだ。自然の匂いが邪魔して、バカみてぇにわかりづらい……いや、それだけじゃねぇな? なんだ、この匂い」
ジークは眉を顰める。
自然の匂いだけがジークの嗅覚を紛らわせていたのかと考えていたのだが、どうやら違うらしいと匂いの記憶を掘り返した。
自然の匂いと、魚人族の匂いと、それを誤魔化す何かの匂いが混じり合って。それぞれの判別が難しい、複雑怪奇な匂いへと変貌している。
問題は、魚人族の匂いを誤魔化す匂いの正体が、一体何なのかだが──、
「わかんねぇな。嗅いだことがねぇ、気がする。強すぎる匂いが結合して、ワケわかんねぇんじゃなくて。魚人族の匂いを薄めつつ、綺麗に一体化してて、嗅ぎ分けるどころじゃねぇっつーか。一回嗅いでみただけじゃ、体臭の個人差程度に感じちまう。……まあまあ、こういうのは大抵見た方が早いだろ、多分」
寂れた小屋の中に居る、妙な匂いがした魚人族と対面しようと、ジークは入り口に向かって踏み出したが。慌ただしい足音と、強烈な魚人族の匂いが迫ってくることに気がつき、足を動かすのを一歩だけで留めた。
逃走、身を隠すことも頭をよぎったが、交渉の余地を自ら潰す可能性がある選択は、無闇に取れなかった。その上、目的は魚人族の情報収集であることに変わりはない以上、相手を避けてしまうというのは迂遠すぎる。
逃走も隠れるのも使命に背く形になる。よろしくない、という判断が即座に下された。
小屋に駆けつけた女の魚人族が、ジークの姿を認識した途端に眦を決する。
「貴様ぁ!! 私、私の、この世でたった一人だけの! 我が子に! 何をしようとした!?」
「おーい、おいおい。いや、ちょい待てって。誤解だぜ。中に居たの子供か、匂い薄すぎてオレさん知らんかったし、そもそも戦いたかったわけじゃねぇぜ? ちっとばかし話し合いというか観察をだな、」
「黙れ!!」
女の魚人族は鉄製の槍を構えて、ジークの首目掛けて刺突する。ジークは首に急接近した槍を手掴みし、児戯に付き合っているかのような、諭す口調と眼差しで応対した。
敵対の意思すら持つことができない、まるでお話にならない。そんな屈辱を肌で感じ取り、重ねて女の魚人族の逆鱗に触れた。
「話聞けって」
「ふざけるな!! 我が子の命を狙い、ましてや戦士の誇りを貶す、貴様の、貴様如きの話なんぞ! 聞いてたまるか!!」
「いや確かに、戦士なんて嫌いだけどよ。今はそういう話じゃねぇだろって、心の底から伝えてやりたいんだが」
「死ね! あの子の、見舞いの手土産にしてやる!!」
「あぁうん、わかりやすく聞く気ねぇな。こりゃあ、仕方ねぇや」
ジークは相手の様子を見て、これは致し方なしとため息を吐く。手掴みしていた槍をへし折り、刃先を無力化させてからの足払い。
戦闘を流れ作業の一環として即座に消化するジークに、女の魚人族が唖然としながら、「あ」と一息にも近しい言葉を溢す。女の魚人族は体勢を崩し、倒れ込んだ衝撃に従って、槍の残骸を手放すことになり、
「悪りぃけど、寝ててくれな」
何が起こったのかと考えて、呆然とする間も与えられないまま、
「あぶッ、ァ」
鳩尾に拳、致命的な一撃がもろに入れられた。女の魚人族は白目を剥いて、意識を失う。
ジークは意識を失って脱力している、筋肉質な女の魚人族の身体を背負った。地面に放置するわけにはいかない、などという大義名分を手に入れたジークは、小屋の中にズカズカと、遠慮の欠片も無く踏み入る。
物音から察するに、子供が起きているとは考えづらい。が、もし起きていた場合には、「お母さん倒れてましたよ」という、最高に白々しくて非常に助かる口実を、存分に使わせていただこうと考えていたのだが──、
「っと、」
やはりと言うべきか、そんな腹黒い発言は発さずに済むらしい。ただ、状況は予想の斜め上を突っ切っている。想定外も甚だしい。
小屋の中に踏み入ったことで、女が必死に守っていた子供が陥っている状況を目にする。ジークは困惑を通り越して、感嘆とすら言える一声を落とした。
「──わーお、マジか。アンタのお子さん、どうなってんの?」
薄い布団の上に、最低限の呼吸のみを繰り返す、顔色が悪い子供が眠っていた。
別に体調を崩している事実に関しては、女の「見舞い」という言い回しで、察しがついていたために驚かなかった。ジークが驚いていた事実というのは──、
「こんなん、話に聞いてねぇんだけども」
紅い紅い、棘を持つ蔓に身体を蝕まれている。異様としか言いようがない身体、そのものにだった。




