2 はじまりの血
「ガキ」
結ばれている長い黒髪に、金色の目が特徴的な男。
男は、小さな家の中にある血溜まりに躊躇いなく足を踏み入れ、血溜まりの匂いの中で座り込む一人の少年に声をかけていた。
「率直に聞いてやる。ここで死にてェか? 生きてェか?」
「────」
「生きた所で幸せになる確証なんざァねェし、寧ろ待っているのは、血溜まりの中で苦しむ生き地獄かもしれねェ。が、死ぬのも楽じゃねェ。だから、テメェ自身が決めんだよ」
男から発せられた、温かみのない淡々とした声にも動じず、ただその場で少年は黙りこくっている。
男は気怠げに、緩慢な動作で一歩少年へと接近した後。髪を掴みあげて、無理やり視線を男と合わせるように仕向けた。
「死にてェか? 生きてェか?」
「……ねえさんがいない、このせかいで。いきたくない」
髪を掴み上げられた痛みで表情を僅かに歪めながら、少年は男から目を逸らす。
少年は掠れた声で、半ば独り言として。男からの質問に対する答えを、その口から生み出した。
「でも……しにたく、も。ない」
「あっそ」
男が少年の髪から手を離す。勢いよく地面に身体の重心を戻された少年は、地面にあらかじめあった血溜まりが跳ね上がったことで、顔に血飛沫が付着した。少年は反射的に顔に付着した血を手で拭う。
血腥さに眉を顰める少年には目もくれず、男は背を向けて一定の足音を響かせた。
「ま、ガキにちゃァ及第点の答えってとこだわ。死にたくなけりゃ、俺についてこい」
*****
「ソイツ何ですか? というか血腥いんですが、近寄んな」
黒髪と緑色の目が特徴的な青少年が、冷たく探る目つきで、血の匂いを漂わせる男と少年を射抜いた。
男は背後にいる少年を一瞥した後、平然と肩をすくめる。
「拾った」
「は?」
「拾った」
「聞こえなかったわけじゃないんですよ。何言ってんだって意味です」
青少年は男の背後にいる少年を、無礼にも人差し指で指す。長く深くため息を吐いた後、語気を強めて男に詰め寄った。
「どんな契約を交わしたのかもわからない。幼少期にどの他種族から、どんな恐怖を根深く植え付けられて、いつ裏切るかもわからない『マールム』を? そんな簡単に、拾った? ふざけてんですか?」
『マールム』とは。人間の領土外で生まれ、領土外で育った人間のことを示す隠語。
領土外で生まれ育った人間というのは、人間の領土内で生きていけない訳アリの人間──身も蓋もなく言えば、犯罪者など──が領土外で子供を産み、他種族と何らかの契約を交わすことで、何とか生き永らえてきた人間のことである。
その契約というのは、大抵の場合生贄の献上やら末裔諸共一族隷属化など、控えめに言って碌なものではない。
差別対象になるには十分すぎる背景を持っているため、一部の人間しか知らないマールムという隠語を使われるのだ。
ただし、この青少年の場合は。便宜上マールムという隠語を使っているだけで、決して気遣っているというわけではないのだが。
「ふざけてねェよ。それに、どの他種族と関わってたかは検討つくだろォが。鳥人族か魚人族かのどっちかだ」
「そこまでわかっていらっしゃるなら、捨て置いた方が良いこともわかってますよね。ここは鳥人族と魚人族の領土の狭間にある、湖近くの村。あの、鳥人族と魚人族の、領土の狭間、なんですよ」
「あァ」
山や川、海等の天然資源を大切にする民族柄であることと、領土が隣同士であるが故に、年がら年中衝突する──仲が悪いことで有名な、鳥人族と魚人族。
どんな経緯があったとしても、鳥人族と魚人族双方関わって良いことはない。余計な戦に巻き込まれるだけ。どんな種族にも知れ渡っている、種族に関しての常識だった。
「狭間にある村の人間……どちらかの種族と契約済みの人間『マールム』を救出するようであれば。鳥人族だか魚人族だかは知りませんが、間違いなくどちらかには喧嘩を売る羽目になる。たった一人の為に、何人死傷者を出すおつもりですか?」
男は青少年の言葉に反論せず、ただ静かに首を振る。
「それに関しちゃ問題ねェな。"元"契約相手の興味がそそられるのは、ここにある湖やら建築物程度なもんだろォからよ」
「……元?」
「この村では、一名の代表者が契約を交わして平和を保ってたらしいんだが。契約相手はその代表者──つまり、村の人間に裏切られたらしい。村の人間を契約不履行で、軒並み殺してやがる。この村はもはや残骸。ヤツらにとっては、ただの血溜まりも同然さ」
「それはそれで問題ですがね。恨みを買ってる人間をこっちに引き入れるってんでしょう?」
「たった一匹子ネズミを逃したって、気付きやしねェさ。契約者本人であるなら契約の繋がりで気付かれちまう。が、コイツは村に住んでただけのガキだ。どうせ弱小種族の人間如きの顔なんざァ、いちいち覚えてねェよ」
吐き捨てるようにして男は説得の言葉を吐いた。青少年はその説得に対し、沈黙による了解を返す。
見渡す限り瓦礫で飾り付けられている、崩壊しきった村の中を調査している仲間達に、男は声を張る。
「『白夜』第二部隊、撤退だ。鳥人族と魚人族の力関係は十分に確かめた。もう必要ねェ」
組織『白夜』の隊員達は男の声に応じて、調査を直ちに取り止めた。
*****
「知ってるとは思うが、人間の領土に入る為には『大結界』を越えにゃァならん。俺の手を離すなよ、ガキ」
少年の虚ろな目を見つめながら、男は馬車の中で少年と渋々手を繋いだ。
「……はい」
「俺個人としては、ガキとお手手繋ぐなんざァすぐさま辞退してやりたかったところだがな」
外部からの侵入を防いで人間の領土を守る、特殊な魔力で構築された『大結界』。
通常、『大結界』を越えるためには『大結界』と同質の魔力を体内に取り込み、拒絶反応を防がなくてはならない。
だが、その特殊な魔力は『白夜』の隊員にしか与えられないものであることと、その特殊な魔力はとある魔道具からしか得られないこと。それらの事情を加味して、『大結界』をマールムが越えるには、魔力を取り込み済みの『白夜』の隊員の手を物理的に拝借しなければならない。
手を繋ぐことで、『大結界』からの拒絶反応を防ぐ、致し方ない処置だった。
「──着いたぞ」
大結界を越え、見えるのは人間の領土内のあちらこちらに点在する、白夜の仮拠点。
男が調査から帰還した旨を仮拠点の門番役に伝えると、馬車を引き入れる為にすぐさま門が開かれる。
「ここの仮拠点で一旦、第一部隊副隊長に連絡しねェとな」
「いや、その前にまずはレイトパイセン……じゃない、第二部隊隊長からでは?」
「あァー……そうだったわ。メイズ、連絡頼んだ」
「嫌ですよ、職務放棄やめてください。あんた、そんなんでも第二部隊副隊長でしょう? アンズ副・隊・長」
「げェ……」
青少年──メイズは、嘲笑を混えながら男──アンズを指差す。アンズは舌を出して呻吟の声を上げた。
アンズは少年と繋いでいた手を離して俯いた後、後頭部を掻いた。
「俺はレイトとレオンが苦手なんだよ。ああいう連中と話してっと、調子狂う」
「知ってます」
「クソったれ」
アンズがメイズに対して睥睨するが、メイズは知らぬ存ぜぬを押し通し、涼しい顔のまま居座った。アンズは暫くの間メイズの顔に視線を注いでいたが、「チッ」と諦めの舌打ちをしてその場を決着させる。
馬車が一度大きく揺れる。メイズとアンズがつっつき合うだけの、意味のない揶揄いの雰囲気は霧散した。
「降りろ、ガキ」
「……はい」
仮拠点の前で馬車が停められて、馬車の中から次々と人が降り立つ。
少年はアンズに背中を強引に押されて、仮拠点の両開き扉の前へと進み出た。メイズが慣れた手つきで両開き扉を開く。
「ただいま、帰還いたしました」
「あら」
金髪と緑色の目が特徴的な女性が、メイズの声と扉の開かれる音に反応して振り向いた。
メイズ達の顔を順番に確認して、少年の仄暗い目と視線が交錯した時には目を丸くした。が、それも僅かな時間で消し去り、ゆっくりと微笑んだ。
「おかえりなさい」
「ん? あぁ、はい?」
「……あァ?」
女性の顔を見た途端、メイズとアンズが顔を見合わせる。
「珍しいですね。リルさんが此処にいるのは。本拠地付近から離れるなんて、滅多にないでしょう」
「──まあ、ちょっとね」
メイズが首を傾げながら疑問を口にすると、リルは声を落とした。
アンズはリルの声色に合わせて、自然と背筋を伸ばす。
「こっちの方で目撃情報があったのよ。暴走した『ツインレイ』のね」
「なるほど。……と、なりますと」
「となると、あと誰か一人か二人かは本拠地から連れてきたな。リルには殆ど戦闘能力ねェだろ。──テメェと、あと誰が居んだ?」
「ロルフくん」
メイズが髪を手で力強く掴み、唸る。アンズは額に手を当てて、天を仰いでいた。
リルは二人の反応を見て苦笑し、再び少年の方へと視線を動かす。リルは少年の仄暗い瞳を、正面から受け止めた。
「なんとなく察していたけれど、アナタ達のその反応で確信したわ。その子、『マールム』なのね」
「よッッりにもよって、このタイミングで、ロルフと鉢合わせんのかよォ……」
「ロルフさんか。此処で会えるのは、頼もしいんだか頼もしくないんだか、わかりませんね。間違いなく荒れるのはわかりますが。……ああ、胃痛胃痛、帰りたい」
「でしょうね」
リルは阿鼻叫喚と言わんばかりの二人を差し置いて、少年の元へと歩みを進める。
リルは少年の目の前に、右手を差し出した。
「ああ、ごめんなさい。自己紹介が遅れたわね。初めまして、私の名前はリル。よろしくね。……アナタ達も、きちんと自己紹介してあげた?」
「いや全く」
「全然です」
「……あー、うん。はなから期待してなかったから安心して。あっちの怖い黒髪金眼の男がアンズさん、あっちの鼻につく黒髪緑眼の青少年がメイズくんよ。──さて、アナタのお名前は?」
背後で紹介文に対する抗議をし始めた二人を、リルは聞こえていないかのように無視をした。リルは変わらず右手で握手を求めつつ、少年に名前を聞く。
少年は一斉に注目が集まったのを感じ、幾度か口を開いたり閉じたりして躊躇いを見せる。が、一度瞑目した後に淡々と告げた。
「僕の名前は、ルカ」




