17 嵐の前の静けさ
服を着替えた■■■の母と女児は、夕食前に一階の応接間で■■■とソラに対面した。
ソラは母の背後へ隠れる女児を、好奇の視線を隠そうともせずに送る。ソラの隣に並ぶ■■■は、関心なさげに母の顔だけを見つめていた。
『お母様? えーっと、そちらの方は?』
ソラは溢れる好奇心を堪えきれず、母が話を切り出す前から質問をする。母の背後に回り込み、女児の顔を遠慮なく覗き込んだために、女児が怯えて更に縮こまった。
母がソラをやんわりと引き剥がして、目尻を吊り上げながら『失礼でしょう?』と小声で叱る。ソラは身体を一度震わせて、小声で謝った。■■■の隣へと戻って、肩を落とす。
母はため息を吐きつつも、ソラの好奇心を見兼ねてすぐさま本題へと移った。
『■■■、ソラ。よく聞いてちょうだいね。少しの間、この子を預かることになったの』
■■■とソラは顔を見合わせる。■■■もソラも特に嫌な顔一つせず、母の方に向き直って首肯した。
ソラは、女児に対する好奇心や単純な善意から。■■■は、女児が居ようが居まいが無関心を貫き、特別扱いはしないという、一種の誠意や複雑な気遣いから。形は違えど、それぞれの受容の証を与えた首肯だった。
『ええ、わかりました! お母様』
『わかり──た。お母様』
■■■とソラの返答を聞いて、母は心の底から嬉しそうに微笑む。
隠れて怯えている女児を落ち着かせるために、頭をさりげなく撫でながら。母は二人に手慣れている軽口を叩いた。
女児を特別扱いして、二人を軽視しているわけではないと、母は言いたげだった。
『ありがとう。少しの間だけど、きちんと仲良くしてね。喧嘩はダメよ』
『大丈夫ですよ、お母様。オレは……まあ、ともかく。■■■がそんなことする訳ないですし』
『そこはソラもそんなことしないって、きちんと言って欲しいんだけどなぁ?』
『あ、あはは。大丈夫です、好物さえ取られなければ。そう簡単に怒ったりしませんから』
母とソラが莞爾として笑い、■■■もつられて笑って。
ソラは母の背後にいる女児に頭を下げて、敬意を持った礼儀正しさを示してから、右手で握手をねだった。
『よろしく! 仲良くしよーな!』
女児は母に優しく背中を押され、躊躇いながらもその手を握り返した。
手を握り返された時に、ソラが眉を下げ、微かに哀愁漂う目つきになった。が、すぐさま笑顔に戻して、大仰に明るく振る舞った。
『へー、手ぇ小さいんだな! 握手がしやすくて、皆と仲良くなれそうだ! ……もしかして、お前んとこの人族って、皆手ぇ小さいのかな?』
女児は少し顔を伏せてから熟考し、首を傾げた。
ソラは痩せ細った手がよく見える女児の仕草一つ一つを、大切そうに目を細めて見守る。首を傾げられたら、小さな笑い声で飾りつけた。
『そーか、わかんないか! うん、よくよく考えたら、オレも家系とか民族の特徴云々は、よくわかんねーわ!』
『悪い悪い』と笑いながら、ソラは■■■に視線を送る。
■■■の顔と女児の顔を見比べた後、最後に母の顔を見る。ソラは盛大に腹の虫を鳴らして、
『夕食の席どーする?』
*****
『オレの隣を選んでくれたの、鼻が高いよなぁ』
『いつまでそんなこ──言ってい─つもりなんだ』
『だってー、嬉しいじゃんー?』
夕食を終えた二人は自由時間となり、■■■の自室で神経衰弱をして遊んでいた。ソラは女児も誘ってみたものの、この場には来なかったため、■■■とソラがトランプと睨めっこする普段通りの光景が広がっている。
■■■の記憶力とソラの記憶力は五分五分で、現状はソラの方が勝っているものの、差を鑑みればすぐさま逆転も夢ではない。
■■■は必死に配置の記憶を掘り返す。
『……あれってさー、他種族にやられたことなのかな? それとも、人間にやられたこと?』
■■■が二組取ってターンを終わらせ、ソラのターンが回ってきた時。前触れなく、ソラが声を落として呟いた。
『何が』
『暴力を振るわれた跡も、骨ばった手のことも。全部のことだよ』
『さあな。どち──もあり得る話、としか言いようがないが。『白夜』の隊員で──お母様が連れてきた人間である以上。何らかの形で、他種族に関わった人間であるこ─は確かだな』
『だよなぁ……他種族って、オレが思ってるより優しくないのかも。色々聞きたいと思ってたんだけどなー』
『お母様から聞き出せばい──ろう』
■■■のそっけない言葉に、ソラは情熱を声色に込めて答えた。
『あのなー、お母様が持ってる情報は偏ってんだよ。戦うばっかで、住んでる人が持ってる情報とはだいぶ違うと思うんだわ』
『その持論でいく─ならば、あの少女に訊くのも間違いではないだろうか。お母様が向か──場所に居た人間なのだから、お母様と同様に偏っ─いる可能性が高い』
『いやいや、住んではいたんだろ? 善い奴と話したことはあるかもしれないじゃんか。……まあ、あの子から聞き出すのは、無理そうだけどさー』
ソラは一組も取れずにターンを終えて、■■■にターンを譲る。
■■■が一組取ったことで、ソラの枚数を抜く。が、ソラの意識は神経衰弱の勝ち負けにはなく、悔しがる様子を見せることはない。
■■■もソラの様子を見て諦め、真剣勝負はまた今度に持ち越すことにした。
『下手な詮索は止すといい。き─と、お互いに辛くな──けだ』
『ほいほい。わーってますよ』
『本当にわか─ているのか?』
■■■はトランプを片付けて、ソラに部屋へ戻るよう促した。
ソラは■■■の不器用な気遣いに応えて、『じゃあな』と挨拶をした後に廊下へ足を運ぶ。
■■■の自室へ繋がる扉の前で、ソラは意味なく天を仰ぎ、埃一つない天井をぼんやりと見つめた。
『……詮索すんなっつったってなぁ。一人で抱え込ませて辛い思いさせるくらいなら、話はできる限り聞いてやりたいだろ。そりゃ、無理に聞き出しちゃダメだけどさー』
ソラは■■■の淡々とした対応に釈然としない感情を抱きつつ、■■■の自室の隣にある、ソラ自身の自室の扉を開けようとした。が、ソラは踏み止まる。
扉にかけていた手を下ろして、奥にある母の自室を横目で見た。少しの間、扉を凝視して──、
『行ったら、流石に怖がられるよなぁ。刺激しちまうような真似はやめとくか』
ソラは首を振って、母の自室から目を逸らした。と同時に、扉の開く音が母の自室方面から聞こえて、ソラは音がした方向に関心を寄せる。無意識のうちに、耳をそばだてた。
足音が母の落ち着き払ったものではなく、むしろ不安の滲む後ずさった足音であったために、ソラは誰の足音であるかを察した。
思わず、ソラは瞠目したまま勢いよく首を動かす。『ひぇ』と、震えた声が廊下に響いた。
『怖がらせるつもりはなかったんだけどな……』
『ぃ、いえ。視界に、入ってしまい、こちらこそすみません』
『? 視界に入って何が悪いんだ?』
『あ、ぇ、わ、ぁ……』
『あ、あー。今の発言はデリカシーなかったな。悪い、忘れてくれ』
女児の暴力を振るわれた痕跡を知っている以上、ソラは良い悪いの感覚がお互いに違うことは察していた。が、純粋に疑問に思ったことを、特に考えもせず即座に口に出してしまった。
価値観の違いで喧嘩するならまだしも、一方的に傷つけて終わるのは大問題。それに今のは、暴力を振っていた人間だか他種族だかに、視界に入るなといつも言われていたことを思い出したが故の発言だろう。
ソラは心の繊細な部分を踏み荒らしたことに謝罪する。
『ぃ、いえ。おきに、お気になさらず。も、やらなきゃならないのれ』
呂律もまともに回らない緊張の中、女児はせわしく手を意味もなく振り回して、廊下を駆け出した。
ソラはその背中を見届けてから、首を傾げる。
『やらなきゃって、何を?』
*****
朝食の時間を終えて、勉強の時間も終えたソラは。スーパーウルトラ速攻全力ダッシュで部屋を飛び出し、扉をノック、ノック、ノック、ノック。■■■を大声で呼びつけた。
傍から見ていた使用人達は苦笑しながらも、ソラの様子を受け入れて掃除を続けた。
『■■■! ■■ー■!! 今日は! 非常に! とんでもなく凄くとっても良い天気ィ!! 庭で虫取りして遊ぼうぜ!! 一緒に、あでッ』
『そんなに大声を出されなく─も、聞こえている。鬱陶しい』
■■■がノックと大声への仕返しに、扉を一気に開け放った。扉にソラが激突し、ソラは痛む額を両手でおさえた。涙目で訴える。
『ひでー!? なんで扉前にいるってわかってて、んなことすんだ!』
『それでは何故、人が迷惑を被ると知っ──ながら、お前は部屋の前で騒音を立てる?』
『早く遊びたいから。かまって欲しいから』
『幼児か』
『失礼な。ちゃんと理由を持って、ちゃんとわかりやすい動作で意思疎通ができる分。幼児よか上だろーよ』
ソラの何処かズレた回答に、■■■はため息を吐いてから、奥にある母の自室を一瞥する。■■■は指を差した。
■■■が何を言わんとしているのか、ソラは勘鋭く察していた。が、あえて察しの悪さを帯びさせた、純粋無垢な目で誤魔化して、■■■が言葉にするまで沈黙を貫いた。
会話に間を空けられたことで、■■■は無言で伝えることを諦める。口を開いた。
『彼女は呼ばなくていいのか』
『ん? んー……虫大丈夫なのか、わからないんだよなぁ。ちっと聞いてみる? なんなら、虫取りじゃなくてもいいから、とりあえず外誘ってみようかな?』
『好きにすれば─い』
『へーい』
ソラは軽い足取りで廊下を歩き、母の自室の扉をノックする。
中からくぐもった母親の声が『はーい』と返事し、扉を開ける。
『あら。まだ外へ行っていなかったのね?』
『あの子とも一緒に遊びたいなぁと思いまして! オレと遊んでくれる人の数は、多い方が助かりますし!』
『なるほどね。──どうかしら?』
ベッドの上に座って俯く女児に、母は肩を叩く。女児は視線を一度母の顔に向けたが、母の背後に見えたソラの顔を認知した途端に、再び顔を伏せる。
女児は音を発さず、口を無意味に動かした後。時間をかけて頷いた。
『行き、ます』
『そう。いってらっしゃい』
女児はベッドから立ち上がり、常時下向きで目を合わさないまま、ソラとその背後にいた■■■に合流する。
扉を閉める前に母が手を振って、『いってらっしゃい』と三人に伝えた。ソラと■■■は『行ってきます』と言葉で応え、女児は無言で頭を下げて応える。
母に見送られた三人は廊下を歩き、二階から一階へ降りる階段を目指した。
『虫取り用のカゴとか網とか、持ってくるのなかなか面倒だよなー』
ソラは■■■に話しかけるフリをして、女児の様子を窺う。
虫取りと聞いて女児の顔が青ざめていたり、面倒と聞いて安堵するような顔をしていたら。ソラは女児に気を遣わせることなく、虫取りを辞退しておこうと思っていたのだが──、
『……虫取り、は。網がなくとも、できますよ』
『そうなの? オレはまだまだ未熟だな。虫取り用の網がないと、まともに戦えねーのよ』
予想とは裏腹に、女児が虫取りを肯定する方面で食いついたので、ソラは虫取り用の道具を取りに行くことを決意する。
階段を降りて一階、外へと繋がる玄関に辿り着き、■■■は両開き扉を開ける。
外へ出たソラが、ありとあらゆる道具が収納された、屋敷とはまた別の倉庫を指差す。
『あそこに虫取り用の道具がある、んだけど。……えーと、■■■。前回倉庫の何処に置いたっけ?』
『扉を開けて一番左の、一番奥に─る棚の何処かだろうな』
『おっけおっけ。二人は待ってていいよ、オレが取ってくるから』
真っ先に倉庫を目指したソラが、一番に中へ入る。中途半端に開けられた扉から顔を出して、伝えておくべきことを二人に教えてから、ソラは性急な足音を立てて倉庫の奥へ入り込んだ。
何かが転がる音、何かが倒れる音。様々な衝突音を奏でながらも、ソラは虫取り道具を探し始める。
閉め切られていない扉の隙間から聞こえる物音に、■■■は心配を覚えた。手伝った方が良いかという思考が■■■の頭の中によぎるが、女児とソラの二人を天秤にかけ、非常に辛辣な基準に沿ってみると。ポンコツ女児を一人で置いていくよりかは、まだこのままポンコツソラを信用した方がマシだと踏んだ。
大人しく外に取り残された■■■と女児は、お互い気軽に話せるような性格でも、気軽でなくとも話せるような、親しい間柄でもない。
そのため■■■は少しの間、ソラがいる空間では味わえない、現状維持の沈黙を謳歌しようとしていたのだが──、
『む、虫取り。お好き……なのです、か?』
『……それは、俺に対する質問という解釈であっているのか?』
『は、はい』
■■■は思わず、質問の対象が誰であるかを聞き返した。
女児の言葉選びを鑑みれば、質問内容の対象者はソラではなく、■■■だと察せられそうなものではあったが。まさか、わざわざ沈黙を破られて話しかけられた挙句、ソラを介さずに■■■自身に興味を示すとは、一寸も考えていなかったのだ。■■■の第一の対応が疑問視であったのも、さもありなんといったところ。
『特別、好きでも嫌いでもない。身体を動かすのは嫌いではないが、虫が好きというわけではないからな』
『そう、ですか』
『虫取りは網がなくともできると、そう言っていたが。そこまで豪語するということは、随分と手慣れているようだな。蚕糸業関係者か、愛好家か何かか?』
『趣味、です。愛好家なんて、名乗れるほどに、熟達はし、していませんが』
思いの外自身についての受け答えができる女児に、■■■は驚く。
同時に、ここまで理性を保っているにも関わらず、トラウマを抱えた状態で何故急速に距離を縮めにきたのか。この会話中にも、精神的負荷はどの程度までかかっているのか。■■■の中で次々と疑問が湧き出てくる。
それを直截に聞き出すのは、向こう見ずすぎる行動であるかと躊躇われた。が、最終的に答えるか否かを定める権利は、女児が所持する権利であり、疑問をこの場に露出させておくことを優先すべきだと結論づける。■■■は言葉を喉元までせり上げた。
『…………』
倉庫からの物音が止んだ。■■■は、喉元までせり上げた言葉を飲み込む。
『お待たせーっと』
倉庫からソラが退出し、外にいた二人と合流する。
■■■と女児の顔を見比べて、ソラが首を傾げる。
『楽しくお話できなかったのか? そりゃー残念』
『入れ知恵したのか』
『え、何を? いつ、何処で?』
女児に■■■と話すよう、ソラが事前に入れ知恵したのかと訝しむ。が、■■■はすぐさま首を振って、その可能性を考慮の中から排除、霧散させた。
ソラの言う通り、入れ知恵できるタイミングが見当たらない。そもそも、ソラが何とか入れ知恵できたとて、女児が指示に従う意味が皆無だ。
従う意味があったとしたら、■■■には到底理解の及ばない範疇に、女児の想いは至っていることになる。考えるだけ無駄だと、割り切ることにした。
『まあ、いい。虫取り用の道具は取り出せたのか』
『おうよ、ばっちし!』
ソラは二人分の虫取り用道具を、自慢げに頭上へ掲げる。■■■、女児の二人に、虫取り用の道具をそれぞれ引き渡した。
二人分の道具を手放したことで、ソラは完全な手ぶらになる。
『? お前はどうするつもりだ?』
『素手! 挑戦してみようと思って!』
周囲にいる人間の感情を削ぐような、能天気な笑顔でソラは答えた。
『……そうか。未知の毛虫、蜘蛛、蟻には接触を図るなよ。素手での接触は、あくまで知識の中にあるものまでに留めておけ』
『ほーい』
『それと。虫に直接触れた手で、俺には決して触れるな』
『へーい』
■■■はソラを諦めさせることを諦めて、気の乗らない虫取りに興じることにした。
蛇足にはなるが、虫取りで一番数を取れたのも、虫取りで一番大きい虫を取れたのも、明らかに一番気味が悪い毛虫に手を出したのも、女児だった。




