表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

第八話 現世

 三人の間に流れる重い沈黙。

 それを断ち切るように、蒼が口を開いた。

「紗羅、ミチル。地底湖に行ってみる気はあるか?」

「私たちが……?」

 紗羅が少し驚いたように聞き返す。

「クロは隠す気がないみたいだからな。存在が広まれば、しばらくは混むだろうし、試すのも大変になる」

「ミチルも出来るの?」

「何が見えるかは……俺にも分からない」

 蒼の答えは曖昧だった。

 だが――

「ミチルは、ママを見れるかもしれないわね」

「ママ……?」

 紗羅の言葉に、ミチルは首を傾げる。

「そうだな……」

 蒼は小さく頷くが、その表情はどこか複雑だった。

(どんな母親かも分からない……)

(下手に期待させたら……ミチルを傷つけるかもしれない……)

「無理する必要はないぞ。余命力も使うしな」

 そう付け加える蒼。

 だが、紗羅は静かに言った。

「私は……パパが見られるかもしれないなら、見たいわね」

 その言葉には、迷いがなかった。

「紗羅が行くなら……私も行く」

 ミチルも小さく頷く。

「分かった。じゃあ……明日、行くか」

「いいわよ」

「うん」

 三人の意志は、そこで一つにまとまった。

 明日――

 地底湖へ。

 それぞれの“現世”と向き合うために。

 その夜、三人は静かに眠りについた。

 ・・・

 ・・・

 ・・・

「蒼……」

(……んっ……この声は……)

 耳元で確かに聞こえる声。

「数値は安定してきているって、先生が言っていたわ……」

(母さん……)

 懐かしく、温かい声。

「蒼……目を開けて……」

 パチッ――

 蒼は目を開けた。

 だが――

 そこに広がっていたのは、見慣れた自分の部屋の天井だった。

「……現世の……夢?」

 身体を起こし、周囲を見渡す。

 母親の姿は、どこにもない。

「声が……近くで聞こえていた……」

 これまでとは違う。

 今までは“遠く”だった。

 だが今回は――

 まるで、すぐそばで語りかけられているような感覚。

「揺らぎが……増えてる……」

 胸の奥に手を当てる。

「……声も……近くなってる……」

 現実と夢。

 その境界が、曖昧になっていく。

 そして――

 蒼の中で、確実に“何か”が変わり始めていた。


 三人は準備を整え、地底湖へと向かっていた。

 道中、クロとシロが合流する。

「紗羅とミチル。お前たちは、地底湖で何を見ることになるんだろうな」

 クロが興味深そうに言う。

「魂食はいないが……何があるか分からん。警戒は怠るな」

 シロは冷静に言い、周囲へ意識を巡らせていた。

 クロは情報収集。

 シロは護衛。

 そして蒼、紗羅、ミチル。

 五人は、そのまま地下へと降りていく。

(……朝のあれは……)

 蒼の脳裏には、今朝の出来事が残っていた。

「蒼。どうしたのよ? 今日は朝からずっと変だけど……」

「そーちゃん……お腹いたいの?」

 二人が心配そうに覗き込む。

「ふぅ……」

 蒼は小さく息を吐き、意を決して口を開いた。

「現世との距離が……近くなっている気がするんだ」

「それって、まさか……?」

「そーちゃん……?」

 二人の表情に、不安が広がる。

「悩んだところで……どうしようもないのにな……」

 自嘲気味に呟きながらも、蒼は顔を上げる。

「行こう。地底湖へ」

 迷いを振り切るように、一歩を踏み出した。

 ロープを使い、洞窟の底へと降りていく。

 紗羅とミチルは順番に、蒼に抱えられながら慎重に降下する。

 シロは上で待機し、万が一に備えていた。

 やがて――

 地底へと辿り着く。

 そこからさらに進み、地底湖を目指す。

「つめた〜い」

 ミチルが肩をすくめる。

「確かに……空気が冷えてきたわね」

「もうすぐだ」

 蒼が前を見据える。

 ピチャンッ……

 ピチャンッ……

 水滴の音が、静寂の中に響く。

 やがて――

 光に照らされ、湖面が揺らめいた。

「あそこかしら?」

 紗羅の声。

 そして――

 地底湖が、その姿を現した。

「わぁ……」

 初めて目にする光景に、ミチルは言葉を失う。

 静かで、神秘的な空間。

 湖面は、ただの水ではなかった。

 蒼の余命力に反応し、ゆっくりと景色を変えていく。

「これが……下界だ」

 クロが湖面を指す。

「日本……」

 紗羅が呟く。

 蒼がゆっくりと手をかざし、余命力を集める。

 そして――

 湖へと触れた。

 波紋が広がる。

 映し出される、新たな光景。

 そこにあったのは――

 病室。

 ベッドに横たわる、一人の人物。

「この人が……蒼?」

 紗羅が息を呑む。

「そうだ」

 蒼は静かに頷く。

「そーちゃん……?」

 ミチルの声が震える。

 そこにいたのは――

 痩せ細り、眠り続ける少年。

 だが、その面影は確かに――

 今、ここにいる蒼そのものだった。


「これが、俺の現世の映像だ」

 蒼は静かに言った。

「俺は現世で生きていたから……病室しか見れないみたいだけどな」

 そう言って、紗羅とミチルへ視線を向ける。

「私が……試してみていいかしら?」

 紗羅が一歩、前へ出た。

「あぁ。余命力は少しでいいぞ」

「分かったわ……」

 紗羅はゆっくりと目を閉じ、意識を集中させる。

 手のひらに、わずかな光が宿る。

 それを――

 そっと湖面へと触れさせた。

 ピチャンッ……

 小さな波紋が広がる。

 やがて湖面に映し出されたのは、とある部屋だった。

「ここは……?」

 蒼が問いかける。

 紗羅は、息を呑んだ。

「……パパの部屋……ね」

 そこには高級そうな机があり、その上には二つの写真立てが置かれていた。

「紗羅と……紗彩さんか……」

 蒼が小さく呟く。

「パパ……」

 その時――

 ガチャッ

 扉が開く音。

 一人の人物が部屋へと入ってきた。

 そのまま椅子に腰掛ける。

「ふぅ……」

 深く息を吐き、目を閉じる。

 しばらく静止した後――

 ゆっくりと目を開け、写真立てへと視線を向けた。

 紗羅は、その姿から目を離せなかった。

「パパ……私も……ママも……元気よ」

 届かないと分かっていても、言葉がこぼれる。

「パパ……相変わらず……仕事ばっかりみたいね……」

 その声は、少しだけ震えていた。

 次の瞬間――

 紗羅の瞳に、涙が溜まる。

「ごめんね……側にいてあげられなくて……」

 ぽろり、と涙がこぼれ落ちる。

 ピチャンッ……

 湖面に落ちた雫が、波紋を広げた。

 その波に飲み込まれるように、映像は揺らぎ――

 やがて消えた。

 残ったのは、ただ静かな水面だけ。

「……パパ……」

 紗羅は、その場に立ち尽くしたまま動かなかった。

 消えてしまった景色を、いつまでも見つめ続けていた。


 ミチルは、紗羅と湖面を静かに見つめていた。

 現世のことが分からないミチルでも、紗羅の感情だけははっきりと伝わってくる。

(パパと……お別れ、したくなかったんだ……)

 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。

 そして――

 先ほど見た、蒼の映像を思い出す。

(そーちゃんも……お別れしたくない人が……いるのかな……)

 少しだけ、間を置いて。

(でも……私も……そーちゃんとは、お別れしたくないよ……)

 言葉には出来ない想いが、ミチルの中で溢れ出していた。

「ミチル?……やってみるか?」

「そーちゃん……」

 ミチルは顔を上げる。

 現世の記憶はない。

 この魂楽界こそが、ミチルのすべてだった。

 それでも――

 二人の気持ちを、少しでも知りたい。

 その想いが、背中を押した。

「やるよ……私も」

「そうか……。余命力は少しでいいからな……」

「うん……」

 ミチルの手のひらに、やわらかな光が灯る。

 暖かく、小さな光。

 湖面へ届くように――

 蒼が後ろから、そっとミチルを支える。

 そして。

 指先が、水面に触れた。

 ピチャンッ……

 波紋が広がり、景色が変わる。

「…………」

 ミチルは、ただ見つめる。

「どこかの部屋……だな?」

 蒼が静かに言う。

 そこは、静かな室内。

 小さな仏壇が置かれていた。

 その前には――

 二枚の紙。

「……名前? 男の子と女の子の……」

 蒼が目を細める。

「……葵斗と……葵」

 その言葉に、わずかな沈黙が流れる。

(男の子でも女の子でもいいように……二つ……考えていたのか……?)

 やがて――

 部屋に、二人の男女が入ってくる。

 まだ若い。

 静かに仏壇の前へ座り――

 チーン……

 澄んだ音が響く。

 二人は手を合わせ、目を閉じた。

「行ってくるよ」

「行ってくるわね」

 短い言葉。

 それだけを残して、二人は立ち上がり――

 部屋を後にした。

「あの人たちが……ミチルの両親……?」

 蒼がそっと言う。

「私の……パパと……ママ……?」

 ミチルは小さくつぶやいた。

「きっと、そうね……優しそうだったもの」

 紗羅が静かに頷く。

「パパ……ママ……」

 ミチルは、目を離せなかった。

 初めて見る、自分に繋がる人たち。

 その姿を、必死に焼き付けるように――

 しかし。

 ピチャンッ……

 落ちた雫が、波紋を広げる。

 景色はゆっくりと揺らぎ――

 やがて消えていった。

 残ったのは、静かな水面だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ