第七話 真実
「母さん……?」
その人物は、蒼にとって見慣れたはずの存在だった。
だが――
「ずいぶん……やつれている……」
確かに知っている顔。
それなのに、どこか違う。
蒼の知らない時間が、そこには刻まれていた。
「何が……あったんだよ……」
戸惑う蒼に、クロが静かに言葉を落とす。
「お前が原因ではないのか?」
「俺が……?」
「親とは、そういうものだろう」
「そう……なのか……?」
一瞬、納得しかける。
だが、すぐに違和感が残った。
「でも……俺の名前を呼んでいたぞ」
「見ろ」
クロの言葉に、蒼は再び水面へと視線を戻す。
そこでは――
母親が、ベッドの横に腰を下ろしていた。
そして、静かに手を伸ばす。
眠る人物の手を、そっと握った。
――その瞬間。
「な、何だ……これは……?」
蒼の手に、温もりが伝わってきた。
確かな感触。
優しく、包み込むようなぬくもり。
母親は、静かに語りかける。
「蒼。今日も天気がいいわよ」
窓の外に目を向ける。
差し込む光が、ベッドを照らす。
それまで影に隠れていた顔が――
はっきりと、浮かび上がる。
「あれは……俺……?」
「なるほどな」
クロが、静かに言う。
「お前は……生きていたのか」
「……え?」
「生きた人間の魂だからこそ、余命力が漏れ続ける特異体質だったのだろう。ようやく、お前の謎が解けたな」
「俺は……生きている……?」
蒼は、水面を見つめる。
そこに映る、自分。
ベッドの上で眠り続ける――もう一人の自分。
そして。
母親に握られている、その手。
――温もりが、消えない。
確かにここにある。
この感触は、嘘ではない。
魂楽界にいる自分と、現世にいる自分が――
確かに、繋がっている証。
「……俺は……」
言葉が続かない。
ただ一つ、確かなことがあった。
この温もりは――
“生きている証”だった。
(生きている……俺が?)
蒼は、水面に映る“自分”を見つめていた。
ベッドの上で、静かに眠り続ける自分。
現実とは思えない光景。
だが――
先ほど感じた温もりが、それを否定させない。
――コツッ、コツッ、コツッ……
再び、足音が響く。
――カラカラカラ……
扉が開く音。
病室の中に、もう一人の人物が入ってきた。
「母さん。そろそろ行こう」
「……父さん……?」
蒼の父親だった。
静かに、だが確かな存在感でそこに立っている。
父親は多くを語らない。
ただ――
まっすぐに、ベッドの上の蒼を見つめていた。
その目には、迷いはない。
希望を捨てていない、強い眼差し。
「蒼……また来るわね……」
母親が、名残惜しそうに手を離す。
その瞬間――
魂楽界にいる蒼の手から、温もりが消えた。
「母さん……」
ぽつり、と呟く。
失われた感触に、胸の奥が締め付けられる。
――カラカラカラ……
扉が閉まる。
病室には、静寂が戻った。
一人、取り残された蒼。
「……ん?」
そのとき。
魂が、揺らいだ。
水面の中の蒼――
その瞼が、ゆっくりと開く。
だが、身体は動かない。
顔も、指一本動かせない。
ただ――
視線だけが、窓の光へと向けられる。
(……そうか)
蒼は気付く。
(現世の俺が目を覚ます時……魂が揺らぐのか……)
やがて。
その瞼は、再び閉じられた。
揺らぎも、静かに収まっていく。
「……クロ」
蒼は、ゆっくりと口を開いた。
「俺は生きている……けど、何で魂楽界にいるんだ?」
「お前の魂が、この世界へ来た。それ以上は分からん」
「俺は……死んでいない。でも、生きてもいない……」
言葉を噛みしめる。
「だから、魂だけが……ここにいるのか……」
「魂楽界の全ては、我々神の使者でも把握しているわけではない」
クロの声は、いつも通り冷静だった。
「……俺は、現世に戻るのか?」
「それも分からん」
「……そうか」
短く息を吐く。
視線を、再び水面へと落とす。
だが――
もう、そこに答えはなかった。
(生きていて嬉しい……?両親に辛い想いをさせている事を……知らずに過ごしていたのに……?)
(紗羅を助けられず俺だけ……生きている……?)
(このまま生き続けたら、俺は……?母さんは……?父さんは……?……紗羅とミチルは……?)
(…………死んだら…………?)
蒼の気持ちが追いついていなかった。
(……現世の俺は……生きることも…………死ぬことも選べない……)
「……地上へ戻ろう」
「いいのか?」
「……いいんだ。ここにいても……今の俺には、何も出来ない」
「そうだな」
静かに頷くクロ。
(死んだと思っていたからかな……真実を知って……でも何も出来なくて……今も頭がぐじゃっぐじゃだけど、先に進める……)
(現世にいた時の俺だって……簡単には諦めなかったはずだ……。そうだろ?俺が半分くらい苦しみを受け止めてやるよ。だから…………)
蒼は最後に一度だけ、水面を見た。
そこに映る、自分。
目を背けたくなる現実。
そして――
確かに感じた、温もり。
それを胸に刻みながら。
蒼とクロは、ゆっくりと地上へと戻っていった。
途中でシロと合流し、一行は中央街へと戻っていった。
城門の前で、シロが足を止める。
「俺はここまでだ。後は任せた」
「あぁ、ありがとう」
短いやり取りを交わし、シロとは別れる。
蒼とクロは、そのまま管制樹へと向かった。
巨大な樹の前に立ち、蒼はふと口を開く。
「クロ。地底湖のことはどうするんだ?」
「どうする、とは?」
「秘密にするのかってことだよ」
少しの間を置いて――
クロはあっさりと答えた。
「その必要はないだろう。行きたいやつは行けばいい」
「……クロらしい判断だけどな」
肩をすくめる蒼。
だが、すぐに表情を引き締める。
「混乱するぞ。それに危険だ」
現世の様子が見える場所。
それだけで、多くの魂が興味を持つ。
さらに、そこへ至る道は――
城壁の外、地下洞窟、そして縦穴。
危険しかない。
「それでも知りたいなら、リスクを負うのは当然だろう」
クロは淡々と続ける。
「我々神の使者は、余命力の使い方に制限はかけていない。好きに使い、好きに生きればいい」
「……無駄に消える魂も出るかもしれないぞ」
「それも個人の自由だ」
迷いのない言葉だった。
「お前だって、この地底湖のことを隠されていたら、納得しないだろう?」
「それは……」
蒼は言葉を詰まらせる。
確かに、その通りだった。
「神の使者は導くが、縛りはしない。生活の術を教え、働く場所を与え、街を守る……だが、どう生きるかは本人の自由だ」
クロは羽を軽く広げる。
「この世界で生きる以上、知る権利はある。隠し事はしない……まぁ、言い忘れはあるがな」
「まったく、クロらしいな」
「だろ?」
思わず、蒼は小さく笑った。
時に冷たくも感じる判断。
感情が薄いように見える振る舞い。
だが、その根底には――
この世界で生きる魂への、確かな考えがある。
(ちゃんと考えてるんだよな……)
蒼はそう感じていた。
「それなら――」
蒼は一歩、前に出る。
「先に紗羅とミチルを優先させてくれ。あいつらが行きたいって言ったら、連れていきたい」
「それくらいなら問題ない」
クロはあっさりと了承した。
「助かる」
短く礼を言い、蒼はその場を後にする。
向かう先は――家。
伝えるべきことが、増えた。
そして――
守りたいものも、はっきりしてきていた。
家へと向かう道すがら、蒼は静かに思考を巡らせていた。
(現世の俺が……意識を取り戻したら……?)
(現世の俺が……死んだら……?)
(父さんと母さんは……?)
(紗羅とミチルは……?)
次々と浮かぶ問い。
答えは、どれ一つとして見つからない。
蒼は足を止め、空を見上げた。
「ふぅ……」
小さく息を吐く。
「悩んでたって、俺が決められることでもないか……」
そして、ぽつりと呟く。
「真実を、そのまま伝えるしかないよな……」
やがて家に着き、蒼はすべてを話した。
地底湖のこと。
現世の自分のこと。
そして――自分が“生きている”という事実。
「生きていた……?」
紗羅の声が震える。
「良かった……良かったじゃない……!」
そのまま、涙が溢れた。
ずっと抱えていた想いが、崩れるように流れ出す。
蒼は知っていた。
紗羅が、自分の死の原因を背負い続けていたことを。
だからこそ――
その涙の意味も、痛いほど分かっていた。
「そーちゃん」
ミチルが、首を傾げながら問いかける。
「生きてるの、嬉しい?」
「……」
蒼は、すぐには答えられなかった。
「蒼は……嬉しくないの……?」
「……分からないんだ」
正直な言葉だった。
「寝たきりだから?」
「……」
「寝たきりのまま生きていくのが……辛いから?」
「……違う」
紗羅の問いに、蒼は首を横に振る。
少しの沈黙の後――
ゆっくりと口を開いた。
「こっちにも……居場所が出来たから……」
視線を上げる。
そこには、紗羅とミチルがいる。
「……」
二人も、黙って蒼を見つめていた。
「ただ……」
蒼は言葉を続ける。
「ここに残るか、現世に戻るか……自分の意思で決められないってことだ」
「現世に戻ったら……」
紗羅の声が小さくなる。
「消えちゃうわよね……?」
「そーちゃん、消えちゃうの?やだよ!」
ミチルがすぐに声を上げる。
不安を隠せない表情。
「ミチル……」
蒼は優しく呼びかける。
「俺が現世に戻ったら……紗羅とミチル、二人で生活することになる」
「うぅ〜……やだよ~……」
ミチルは今にも泣き出しそうだった。
「ミチル……」
蒼は言葉を探す。
だが――
かける言葉が見つからなかった。
それぞれの想いが、静かに交差する。
誰も、すぐには答えを出せないまま――
ただ、その場に立ち尽くしていた。




