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12|光の適性者の誕生

12|光の適性者の誕生


 イリシアの言葉が落ちたあとも、玉座の間はしばらく静まり返っていた。


 歪み。

 その呼び名を与えられた瞬間、深碧の社で見た亀裂や黒い霧が、ただの悪夢ではなく、世界が向き合うべき現実へ変わった気がした。


 僕は赤い絨毯の上で、自分の呼吸だけを意識していた。

 胸の奥ではまだ、あの蒼い熱の名残が微かに揺れている。けれど、それをどう扱えばいいのか、どう考えればいいのかは、少しもわからなかった。


 イリシアは玉座に腰掛けたまま、静かに言葉を継いだ。


深碧(しんぺき)(やしろ)で起きた現象が、予言と結びつく以上、見過ごすことはできません。黒い霧は命を奪い、死した肉体すら歪ませた。そして、あなたの蒼い光がそれを退けた」


 その視線が、まっすぐ僕へ向く。


「フィオル・ストラティ。あなたは、自分の力をどう感じましたか」


 不意にそう問われて、僕は言葉に詰まった。


「……どう、というと」


「恐ろしくはありませんでしたか」


 その問いは、責めるものではなかった。確かめるための、まっすぐな問いだった。僕は少しだけ視線を落とす。


「……怖かったです。でも――」


 そう言ってから、自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。


「何が起きてるのか全然わからなかったし、自分が何をしているのかも、途中まではよくわかりませんでした。頭の中へ言葉が落ちてきて、それに縋るしかなくて……」


 そこで、喉が小さく鳴る。


「でも、止めなきゃって思いました。あの黒い霧を、僕が……」


 最後までは言えなかった。深碧の社で倒れていた人たちの顔が、一瞬だけ脳裏を過ったからだ。


 イリシアは黙って聞いていた。

 そして、短く頷く。


「ストラティ」


 声は静かだった。


「力というものは、持った瞬間に使いこなせるものではありません。まして、あなたのように突然目覚めたのなら、なおさらです」


 玉座の脇に控えていた年嵩の文官の一人が、慎重に言葉を差し挟む。


「しかし、陛下……。深碧の社での一件だけで断定するのは、いささか早計では」


「承知しています」


 イリシアは、視線を外さないまま答えた。


「ですが、古代文字の解読、黒への顕著な抑止、そして蒼い光の発現。ここまで材料が揃っている以上、仮説を避ける理由はありません」


 その言葉で、玉座の間の空気がまた少し張る。


 僕は嫌な予感がした。

 いや、予感というより、昨日からずっと同じところへ向かっていた話が、ようやく口にされるのを待っているだけなのだとわかっていた。


 イリシアは、はっきりと告げた。


「フィオル・ストラティ。あなたは“加護なし”ではなかったのです」


 胸の奥が強く鳴った。


「あなたが宿していたのは、五理の外にある力――光でしょう。あなたは、光の適性者なのです」


 その一言で、時間が止まったように感じた。

  

 闇 世を覆ふ時

 我らが母 蒼き光を生む

 その蒼光を纏ひし者は

 調律へ導く――道標


 禁書に書かれていた言葉が、いま目の前の現実とひとつに繋がる。


「僕が……光の、適性者……」


 自分の口からこぼれた声が、ひどく頼りなく響いた。


 イリシアは頷いた。


「確かに断定には、まだ早いかもしれません。少なくともあなたの力が火・水・風・雷・土、そのいずれにも収まりきらないことは明らかです」


 年嵩の文官が、小さく息を呑む気配がした。

 左右に控える大臣たちも、“加護なしの少年”を見る目ではない。そのことが、僕にはむしろ怖かった。


「でも……」


 気づけば、僕は声にしていた。


「そんなの、僕には……」


 受け止めきれない。

 そう言いたかったのだと思う。


 今まで、自分は何も持たない人間だった。戦場へ出ることも許されず、役割を探して書庫を彷徨っていた。それがたった一瞬で、五理の外にある力を持つかもしれないと言われても、すぐに頷けるはずがなかった。


 その時、隣でユースルフィアが一歩前へ出た。


「陛下」


 落ち着いた声だった。


「……フィオルは……深碧の社で起きたことを受け止めるだけでも、いっぱいいっぱいだと思います」


 その言葉には、庇うというより、支えるための強さがあった。


「力の名が何であれ、すぐに背負わせすぎるのは……あんまりです……」


 イリシアはその言葉を否定しなかった。

 しばらくユースルフィアを見てから、静かに頷く。


「レイヴン。あなたの言うことは、もっともです」


 その返答に、少しだけ空気が緩む。


「だからこそ、ストラティを守る必要があるのです」


 次に落ちたその言葉で、広間の空気はまた別の緊張を帯びた。


「深碧の社の一件は、すでに神殿の生存者たちの証言によって広がり始めています。蒼い光を放つ少年――その噂は、遅かれ早かれ国の外へも届くでしょう」


 イリシアの声は低かった。


「サンクレアの内にも外にも、あなたの力を希望と見る者が現れます。同時に、脅威と見る者も……。奪おうとする者が出ないとは言い切れません」


 ぞくりとした。


 そこまで言われて、ようやく自分の立っている場所が変わってしまったのだと実感する。

 加護なしとして軽んじられていた頃とは別の意味で、もう目立たずにいることはできない。


 ユースルフィアの手が、隣でわずかに握られる気配がした。


「ですから……」


 イリシアは、広間の奥の扉へ視線を向けた。


「入りなさい」


 その言葉とほとんど同時に、扉の向こうで気配が動いた。重い扉が、静かに開く。


 玉座の間へ入ってきた人物を見た瞬間、僕は息を呑んだ。白と青の甲冑。肩から背へ流れる外套。腰には二振りの刀。栗色の髪を高く結い上げ、足音は驚くほど静かだった。女の人だった。


 けれど、その立ち姿には、ただそこにいるだけで場の空気を変えてしまうような鋭さがあった。彼女は玉座の前まで進むと、迷いのない動作で片膝をついた。


「カリナ・ロズウインド」


 澄んだ声が、広間へ落ちる。


「王命により、ここへ」


 その名を聞いた瞬間、左右の大臣たちのあいだに小さなざわめきが走った。

 ざわめきの理由は十分に伝わった。なぜなら、サンクレアに騎士は残っていないはず。それなのに、女王の呼びかけで現れた彼女は、誰がどうみても騎士そのものだったからだ。


 イリシアは、カリナへ視線を向けたまま告げる。


「カリナ・ロズウインド。本日より、あなたをフィオル・ストラティの護衛を任じます」


 僕は思わず目を見開いた。護衛。その言葉の重みが、遅れて胸へ落ちてくる。


 昨日までの僕には必要のなかったものだ。守られる理由などないと思っていた。それが今は、国の判断として与えられる。


 カリナは顔を上げた。

 その視線はまっすぐで、少しも揺れない。


「承知しました」


 短い返答だった。


「この身をもって、フィオル・ストラティをお守りします。騎士の剣は忠誠の印。この命尽きるまで……」


 その声音には、余計な熱がなかった。けれど、その分だけ本気だとわかる声だった。


 ユースルフィアが、隣でごく小さく息を吐いた。反対するつもりはない。ただ、事態が思っていた以上の速さで進んでいることを、たぶん僕と同じように受け止めているのだろう。


 僕は、どう返事をすればいいのかわからなかった。


 ありがとうございます、と言うべきなのか。そんな大げさなことじゃない、と否定するべきなのか。

 どちらも違う気がして、結局何も言えないまま、ただカリナの顔を見ることしかできなかった。


 その時、カリナの目が僕へ向いた。


 鋭そうに見えたのに、不思議と威圧感はなかった。風が通り抜けるみたいに、まっすぐで、余計なものがない眼差しだ。


「……急なことで、戸惑うのも無理はない」


 玉座の前に膝をついたまま、カリナは静かに言った。


「だが、少なくとも今は、お前を一人にはしないさ。決してな」


 その一言が、思ったより深く胸へ落ちた。


 一人にはしない。

 その言葉の意味を、僕はまだうまく受け止めきれない。けれど、拒む気にもなれなかった。

 それとともに、懐かしさを感じるこの女騎士は一体何者なのか……。


 玉座の間の空気は、もう完全に変わっていた。


 深碧の社で起きたことは、ただの惨劇では終わらなかった。道標の書の予言も、歪みも、僕の蒼い光も、すべてが次の段階へ進もうとしている。


 イリシアは、僕たち全員を見渡して言った。


「会議の準備をしましょう。三十分後に、また集ってください」


 その声音には、もう迷いがなかった。


 僕は小さく息を吸い、自分の指先を見下ろした。

 まだ何もわからない。怖さだって消えていない。けれど、“加護なし”と呼ばれていた頃には、もう戻れないのだとだけははっきりしていた。


 深碧の社で目を覚ました蒼い光は、僕の知らない未来まで連れていこうとしている。


 そして、その最初の一歩は、もう始まっていた。

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