彼女達は、それぞれに、もがく。
「え、ええと、あの、その……?」
完全に予想外なニコールの言葉に、リズナは困惑し、硬直してしまった。
彼女が占い師チェステから聞いていた筋書きとまるで違う、と。
リズナがこうして踊り場から見下ろせば、無礼だとニコールが激高して頬を叩くと聞いていたというのに、実際に起こったのはその真逆。
「ああ、言葉も失う程に緊張されていただなんて。
ごめんなさいサーシャさん、こちらの方を休憩室にお連れしてもよろしくて?」
「えっ!? あ、ええと、はい、まだ時間はございますから、少し外すくらいなら問題はないかと思われます!」
ニコールが傍に居た侍女へと声をかければ、弾かれたようにびくっと侍女は身体を震わせ。
それから居住まいを正して表情をきりっとしたものに改める。
「……え?」
その様子に、リズナは小さく驚きの吐息を零した。
彼女の目には、まるで急に侍女、サーシャが出てきたように見えたのだ。
しかしそんなはずはない、と否定出来るだけの理性と思考力もリズナにはあった。
まず物理的にありえない。……彼女はワン・チャンヤンもベルも知らないのだから、そう考えるのは自然なこと。
仮に出来たとして、リズナの知る彼女にはそんな身体能力はないはずだ。
「あ、あの、もしやラスカルテ子爵令嬢様……?」
「……はい。ご無沙汰しております、サイダウンテン伯爵令嬢様」
侍女という立場からだろうか、リズナが知るサーシャよりも幾分か硬い受け答え。
恭しく頭を下げられ、今更ながらにリズナは思い至る。
あくまでもここは王宮内の大階段。いうまでもなく公の場。
気付いて視線を巡らせれば、どこか焦りの滲む表情で周囲をきょろきょろと見回している令嬢が数人。
そして、そうでない令嬢達から向けられているのは、好奇の視線。
彼女とてそれなりに社交界を経験してきた身、自分が今、どんな状況、立場にいるのか、嫌でも理解できてしまう。
注目を集めている。
悪い意味で。
では、ここから起こるのは。
そこまでリズナの思考が動いた瞬間だった。
「それではサイダウンテン伯爵令嬢様、こちらにて我が主ニコール・フォン・プランテッド様とご歓談いただけますでしょうか?」
柔らかでありながら、有無を言わせない声音が響く。
それは、サーシャのもの。
リズナが知る声。リズナが知らない声音。
誰も彼もに文句を言わせない強さを持った誘いに、リズナが拒否をすることなど出来はしない。
ましてや、周囲で見ているだけの令嬢達など。
この場で唯一サーシャを遮ることが出来る存在、彼女の主たるニコールを見やれば、それはもう満面の笑み。
リズナには、わかる。
周囲の顔色を伺いながら生きてきた彼女には。
この笑みに、裏はない。
間違いなく彼女は。
ニコール・フォン・プランテッド侯爵令嬢は。
リズナがこの場から避難することをよしとしている。むしろ望んでいる、と。
そう、わかってしまった。
まして、彼女を案内しようとしているのが、知己であるサーシャ。いや、この場はラスカルテ子爵令嬢と考えるべきだろう。
じわじわと、リズナの頭が本来の回転を取り戻し始める。
何かがおかしい。
いや、何もかもがおかしかった。
どこから、何がおかしかったのか?
それを整理する時間を与えてもらえそうなのだと理解すれば、最早彼女に抵抗する理由などなかった。
リズナを案内しながら、サーシャは首から下、ドレスの中で盛大に冷や汗を流していた。
『な、なんとか、なったぁ……や、なんとかなりそう、か?』
などと考えられるあたり、冷静さも失ってはいないようだが。
まだ、完全になんとかなったわけではない。
しかし、最悪の事態は避けられた。
ニコールが小説のような悪役令嬢となる展開は。
自分の意思で言葉を発することが出来なかった、あの1分にも満たなかった時間。
それでいて、今までの全てがご破算になりかねなかった展開。
なんとかしたくても口も喉も身体も動かないという絶望に身も心も震えていたというのに。
なんとか、なった。
正確に言えば、なんとかなりそうだ。
幸いにして、と言いたくなる展開に、サーシャの膝は安堵で崩れ落ちそうになっているのだが、なんとか踏ん張ってもいる。
まだだ。
まだ、終わりではない。
むしろ、これからだ。
そう理解しているサーシャは、侍女として求められる所作を保ちながら、ニコールとリズナを案内していく。
いつものように視線をそれとなく配りながら、先だって歩く。
そのことを自覚した瞬間、違和感を覚えた。
つい先ほどまで、こんな風に周囲を見ることが出来ていただろうか? と。
そのことに考えが至った瞬間、全身がずぶ濡れになったような錯覚を覚えるほどの冷や汗が溢れる。
前世の記憶がある彼女ですら気づかない程の自然さで、強制力が発揮されようとしていた。
その可能性に、今理解が追い付いたからだ。
そして、恐らくそれは間違いではない。
声を上げたくても上げられなかった、ただその一つだけで、十分な証左だとサーシャには認識されてしまったのだから。
ここまで思考を巡らせたのは、ほんの数秒のこと。
気づいたサーシャが次に考えたのは。
『汗の染み抜きとかどうしたらいいのかな。その前にロバートさんに土下座?」
だった。
サーシャが身にまとうのは、侍女としてニコールに付き従う子爵令嬢に相応なドレス。
侍女とはいえ侯爵令嬢のお付きとあって、当然それなりの代物。
本来ならば一度着ただけで下々に下げ渡されるほどのものなのだが、前世が庶民なサーシャの思考にはそんな選択肢が浮かんではこない。
そんな庶民的悩みに思考のリソースを食われているというのに、サーシャの所作、表情に隙はない。
完璧に侍女としての務めを果たし。
「それではサイダウンテン伯爵令嬢様、どうぞこちらへ。
失礼ながら申し上げますが、相当に緊張されていらっしゃるようですから、お茶などお持ちさせていただきましょう」
と、主であるニコールの意向を確認することなく非公式な茶話会の場を設けてしまう。
いうまでもなく、ニコールの意に反した動きではなかったらしくご機嫌なご様子なわけなのだが。
わかってはいたが、その表情を確認できて、内心でサーシャは安堵の溜息を零しつつ。
「それではお茶の準備をしてまいりますので……」
何とか乗り切った。
そんな感慨を覚えつつ、一息つきたいという願望を裏に持ちながら一旦退出しようとしたサーシャへと、縋るような視線が向けられる。
半ば予期はしていたが、その視線の主は、リズナ。
少し考えればわかること、この敵中としか言えない場に一人残されては、不安に苛まれることだろう。
そして、残念なことに。
サーシャは、そんな視線を振り切れるほど自己中ではなかった。
「訂正いたします。お茶の準備をさせていただきますので、どうぞサイダウンテン伯爵令嬢様、ニコール様とご歓談いただけましたら」
サーシャの部下とも言えるメイド達へと指示を出した後、発言を訂正し。
リズナへと、安心させるために微笑みを向けた。




