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7.情報屋は床屋のマスター

 

 翌日、探偵と待ち合わせをし、仕事が始まった。

 俺は探偵の分もコンビニでコピーした書類を肩掛けのバックから取り出し、ほらよと手渡した。


「何これ?」


「昨日の書類だよ。佐々木が作ってきた、横沢恵子についての」


「ああ、あれか」

 

 探偵はつまらなそうに書類を捲り、「んー」と呟いた。


「で、どうする? これから」


「これからねぇ。どーしよっか?」


「とりあえず、見に行ってみるか?」


「何を?」


「何をって、もちろんこの横沢恵子って女をだろ」

 

 今日は都合の良いことに土曜日。

 佐々木が作ってきた書類のスケジュールによれば、午後三時から都内の料理教室に通っているはずだ。


 急げばまだ間に合う。

 近くの駅から山手線に乗って三十分程。

 ちょうど教室に入るところを押さえられるはずだ。


「行こうぜ」

 

 駅に向かって歩き出し、


「そういえば、こういった依頼って初めてじゃないんだろ? 浮気調査ってやつ。どうなのよ? 

 やっぱり浮気してるもんなの? 疑って調査依頼してくるくらいなんだからさ」


 ……返事なし。


「聞いてんのかよ?」

 

 振り返るが、背後にいたのは黒いキャップをかぶった中学生くらいの男の子で、驚いたように目を丸くする。

 

 探偵は俺についてきていなかった。

 それどころか、俺とは逆方向に向かって歩いている。

 赤いチェックシャツの後姿が、どんどん遠ざかっていった。


「なんだよ、あいつ」

 

 ため息をついて小走りに探偵を追いかけた。


「おい」

 

 信号待ちでやっと追いつき、探偵の肩を後ろから掴んだ。


「何?」


「どこに行くんだよ。駅はそっちじゃないぞ」


「駅? 駅なんて行かないよ。行ってどうするのさ」


「会いに行かないのか? 横沢恵子に」


「会ってどうするの? 聞くのかい? あなたは浮気をしてますかって」

 

 信号が青に変わって、周りの人がいっせいに歩き出す。

 探偵も足を進めた。


「なら、どこに行くわけ? 俺達はこれからさ」


「そうだねぇ。とりあえず、ついてきてよ。いいとこに連れて行ってあげるから」


 

 そして到着したのは、裏路地にある小さな床屋。

 赤と青と白の帯がグルグルと螺旋状に巻き上がっている棒は、古びて埃が溜まっている。


「来たよー」

 

 軽い口調で言いながら、探偵は曇りガラスのドアを開け、店内に入っていった。


 床屋なんてずいぶん久しぶり。

 小学生の時以来だ。

 整髪料の独特な香りが少し懐かしい。


「あれ、いないのかなー」

 

 きょろきょろと店内を見回し、探偵は誰もいないフロアーの三個ある理容椅子の真ん中に腰掛けた。


「ほら、カズ君もここ座りなよ」

 

 左側の椅子を指差し、早く早くと子供のように急かす。

 

 硬い革の感触がした。

 ごつごつしていて座りづらい。


 そう感じたのも一瞬で、何度か腰の位置をずらして調節すると、すぐに身体に馴染んだ。

 

 店の奥にある扉が開いて、のっそりと男が現れた。


「ああ、君か」

 

 四十代くらいの顎髭を生やした男が、感情のこもらない声で言った。


「マスター、久しぶりだね」

 

 探偵は年齢差を感じさせないような馴れ馴れしい口調で、男に笑顔を見せる。

 

 それに対して男は、どこかそっけない態度。

 鏡の下にある引き出しから青いクロスを取り出すと、探偵に手馴れた動作で巻きつけた。


「今日は、どうする?」

 

 フロアーの壁際に片付けられていたワゴンを面倒そうに引きずってきて、男が鏡越しに尋ねた。

 そこで初めて俺に気がついたかのように横を向き、


「彼は? 友達かい?」


「違うよ。カズ君はね、ボクの弟子一号」


「そうかい」

 

 男は俺から関心をなくしたようだ。

 再び鏡越しに探偵と向かい合う。


「で、今日は?」


「今日はねー。毛先を0,1mm切ってください」


「0,1mmね」

 

 0,1mmって、どうやって切るんだよ。

 なんて突っ込みを入れることもなく、床屋の男は無言で探偵の髪の毛を濡らし切り始めた。 

 

 シャキシャキシャキ、とこぎみいい音が店内に響く。

 俺は手持ちぶたさに、切るというよりは削り取られていく探偵の黒髪を眺めた。


「ちょっとね、お願いがあって」

 

 唐突に探偵が話し始めた。


「簡単なことなんだけどさ」

 

 カットクロスの上に溜まり始めた黒髪のカスを、指先で摘んでは落とす。

 

 男は何も答えない。

 ただひたすらに探偵の髪の毛を引き出しては、チャキンと鋏を閉じる。


 十分程して、クロスを首から剥ぎ取るように外し、バサンと勢いよく宙で払った。


 鏡の下に備え付けられていたボックスを開き、中からシャワー台を出した。


 シャワーから出るお湯が、白い湯気を煙のように立ち上らせる。


 豪快にシャンプーを泡立て、リンスを流しタオルを巻いて髭を剃った。


 俺はその間、革張りの椅子の上で、この時間が浮気調査のどんな役にたつのかを考えた。


 そして、すぐに考えることを放棄した。


 この探偵には彼なりのやり方があるのではないか。

 無理やり自分を納得させた。

 弟子一号として。

 

 髭剃り後のローションを塗られ、ドライヤーで髪の毛を乾かされ、この店に入ってきた時とどこが変わったのかわからないまま探偵が四千円支払うところを見守った。

 

 昨日俺が渡した五千円が、こんなところで消えていく。 

 そんな悲しみがないわけではなかったが、床屋の男がこの三十分間職人として寡黙に行った仕事ぶりを見てきた身としては、四千円という金額は妥当だと思われた。

 

 探偵と男は、小声で何やら話し合っている。

 探偵の手から、書類の束が手渡された。

 佐々木から渡されていた、横沢恵子の写真数枚とともに。




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