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「クラスのギャル、放課後は喫茶店で不器用マスターやってます。」  作者: 路地裏の猫


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8/12

七杯目:『琥珀は必ずしも琥珀とは限らない。しっかりと確認して初めて琥珀と判断できる』

「……ううっ。……ひっ、ぐすんっ」


「なぁ。いい加減、泣き止んでくれ。もう閉店作業に入りたいんだが」


 彼女が泣き出してから、はや三十分。  

 一軍ギャルの面影はもはや微塵もない。


「だっでぇ……あんなこと言われたの……はじめてでぇ……うれしくてぇ……!」


 彼女はぐずぐずと鼻を鳴らしながら、カウンターに置かれたティッシュを贅沢に使い、涙と鼻水を交互に拭い取っている。

 まあ、確かにあのソルト・ホットミルクを出していたなら、感謝の言葉なんて縁遠かったに違いない。

 彼女いわく、開店当初に来ていた客は、誰一人として再訪していないらしい。  

 きっと、面と向かって「ありがとう」なんて言われたのは、人生で初めての経験だったのだろう。

 それも、全く自信のなかったカフェラテを「おいしい」と肯定される。

 その震えるような喜びは、俺にだって少しは共感できる。

 今日の昼休みのやり取りもそうだが、自分が真心込めて作ったものを、ちゃんと評価してもらえるというのは格別に気分が良い。それでいて、何より、救われる。


「……まー……よかったな。褒めてもらえて」


「……うん……ぐすっ」


「……見てても完璧だったぞ。一ノ瀬のカフェラテ」


「……うん……あでぃがど……っ」


 言葉をかけるたびに、また涙腺が緩むらしい。  

 一軍女子の面影も、お嬢様のような気性もどこへやら。

 今はただ、鼻を赤くして震えている迷子のような少女がそこにいた。


「……まだ泣き止まないのか?」


「ごべん……あとじょっどだげ……」


 俺は腰に手を当てて、どうしたものかと天井を仰いだ。  


 ……困ったな。  


 今後、同じようにお客さんが褒めてくれるたびに、彼女はこうして三十分も泣き続けるつもりだろうか。  

 正直、少しだけ「めんどくさいな」という感情が胸を掠めたが、それ以上に、この奇妙な達成感を壊したくない自分もいた。

 俺は「あとちょっと」を待つ間、所在なさを紛らわせるように、次の仕事を探し始めた。


「うーん。ま、掃除でもするか」


 給料をもらうことが確定している以上、それ相応の対価はたらきは示さなければならない。  

 自分で言うのもなんだが、俺もまた彼女と同じか、あるいはそれ以上に律儀な性分なのだ。

 俺は掃除すべき場所を探して、再びカウンターの奥へと向かった。


「……うわっ、汚っ!」


 目に入ってきたのは、一ノ瀬がカフェラテを作る際に散々散らかしたキッチンの成れの果てだった。  

 出しっぱなしのケトル。ぶちまけられたコーヒーの粉。こびりついたミルクの鍋に、転がった温度計。……挙げればきりがない。


「……はぁ」


 思わず深いため息が漏れる。だが、今は「暇だからやるか」というマインドで自分を納得させ、片付けを開始した。

 湿ったコーヒーのカスをゴミ箱へ落とし、汚れた道具を一つずつ丁寧に洗っていく。  鍋、温度計、ケトル、その他諸々。  

 一通り洗い終えたところで、次は床に目をやった。

 よく見ると、牛乳や飛び散ったであろうお湯の跡が所々に点在している。


「なぁ一ノ瀬。床を拭くものはどこにあるんだ?」


 俺はキッチンから、いまだにテーブルへと突っ伏している彼女に問いかけた。


「…………」


 彼女からの返事はない。  

 ただ、力なく。返ってきたのは、黙ってカウンターの下を指さす彼女の真っ白な手だけだった。


「……『下』って言ったって、いったいどこだよ……」


 俺は腰をかがめ、手近な引き出しを片っ端から開けていく。  

 一段目。中には包丁やお玉といった、一応は「料理に使われるはずの道具」が並んでいた。


「……なぁ、下ってどの下なんだ?」


「……」


 またしても返答はなし。

 代わりに応えてくれたのは、次は「右」を指し示す彼女の真っ白な手だった。


「……はいはい。右の引き出しですね……っと、あった」


 言われた通り隣の引き出しを引くと、予備のふきんが重なっていた。  

 俺はその中の一枚を水で濡らし、床に散った水滴を拭き取る。

 一滴も残さない。これもまた、給料を貰うプロとしての意地だ。

 拭き終えたふきんを洗い、それらしいフックへと掛ける。  

 一通りの片付けが終わり、再び所在なさが顔を出した。  


 ……まあ、今後ここで働くなら、どこに何があるかくらいは把握しておくべきだろう。

 俺は「道具の確認」という名目で、カウンター内の棚を順にチェックし始めた。  

 一箇所ずつ引き出しを開けていくと、そこには意外にも、整理された器具たちが収められていた。


「……道具だけは、しっかり揃ってるんだな」


 形から入るタイプなのか。  

 整然と並ぶ調理器具たちを見ていると、彼女の性格ついて、少しだけ考えさせられるものがあった。


 さて、最後はこの引き出しだ。  

 俺はルーチンワークを締めくくるつもりで、一番奥にある引き出しを引いた。

 だが、そこには調理器具も予備の備品も一切なかった。


 入っていたのは――。


「……なんだ、これ?」


 四角い板状の物体だった。  


 材質は木製。縁には丁寧に色が塗られており、背面には何かに立てかけるためのストッパーがついている。


「……写真立て、か」


 俺はこの板の正体を知っていた。デスクや棚に飾る、ありふれたフォトフレームだ。  

 何の気なしに、その裏側から表面へと視線を移した。


「……女の子と、お婆さん?」


 色褪せ始めた写真の中には、一軒家の前で肩を並べる二人の姿があった。

 まだ幼さの残る中学生くらいの少女と、七十歳前後と思われる穏やかな表情のお婆さん。  


 この少女の面影は、もしかして——。


「ごめん白河、もう大丈夫。……お待たせ」


「っ……!」


 背後からかけられた声に、心臓が跳ねた。  

 俺はなぜか、反射的にその写真を元の場所へと押し込み、引き出しを閉めていた。


「……どうかした?」


 顔を上げた一ノ瀬は、泣き腫らした目で不思議そうにこちらを覗き込んでいる。


「……い、いや! 今ちょうど、掃除が終わったところだ!」


 思わず、見え透いた嘘を吐いた。  

 自分でも理由はわからない。ただ、今この瞬間の彼女には——。  


 一ノ瀬琥珀という一人の少女には、これを見てしまったことを知られてはいけない。俺の本能が、そう強く警鐘を鳴らしていた。


「そっか! ありがと白河! やっぱり優しいね、白河は!」


 目を赤く腫らしながらも、一ノ瀬は掃除を終えた俺に満面の笑みを向けた。  

 隠し事をしたままの俺に、真っ直ぐな感謝をぶつけてくる彼女。


 その純粋さに向けられた「優しい」という言葉が、不意に罪悪感となって胸の奥をチリつかせた。


「……給料をもらっている以上、仕事はする。それが対価だからな」


 俺はあえて、自分を納得させるような冷めた理屈を口にした。


「りちぎ、ってやつだね!」


 ふふっ、と。  さっきまでの号泣が嘘のように、彼女は柔らかく微笑んだ。


「お前が言うな」


 俺も、思わず小さく笑みが漏れた。  

 自分のズボラさで張り紙を飛ばし、メニューも把握せず、客が来れば泣き崩れるような「店長」から「律儀」なんて言葉が出てくるとは。


 一ノ瀬は俺の言葉の意味が分からなかったようで、頭の上に『?』を浮かべるように不思議そうに首を傾げている。    




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





「違うって! だからなんで、紅茶を淹れるのにティーバッグをわざわざ開封するんだよ!」


「だって、これは紅茶でしょ? コーヒーと違って丁寧に一個ずつ小分けになってるんだから、『中身を出して使え』ってことじゃん」


 さっきまでの、あの写真は一体何だったのか。  

 センチメンタルな感傷に浸っていた時間を返してほしい。

 俺は今、彼女独自の「逆ノーベル賞」にノミネートされそうな斜め上の理論に、激しい頭痛を覚えていた。


「なんだよその理論……。いいか? 何度も言うが、これはこのまま使うんだ。この不織布の網は、いわばコーヒーフィルターの役割を兼ねてるんだよ!」


「全然違うじゃん! 三角形じゃないし!」


 驚いたことに、例え話すら通じないらしい。  

 一応説明しておくと、俺たちは今、アイスティー作りの特訓中だ。

 デジャブ。

 コーヒーを教えた時と全く同じ絶望感を、俺は今、再体験している。


「……正確には『扇型』な。そんなことはどうでもいい、とにかくティーバッグは開けない! いいな!?」


「おうぎがた……?」


 しまった。  一ノ瀬の思考回路が、聞き慣れない単語にロックされたのが分かった。


「……いい。今のは忘れてくれ。ほら、もう一回。最初からやってみろ」


「……おうぎがた……。あ、ごめん。また開けちゃった」


「俺が悪かったから、頼むから集中してくれぇぇぇーーーっ!!」


 俺の、血を吐くような懇願が店内に響き渡る。  

 一度気になったことは忘れられず、一つのことにしか意識を割けない彼女に対して、不用意に知らない言葉を投げた俺が完全に悪かった。  


 いや、普通は高校生にもなれば「扇型」くらい知っているはずなのだが……一ノ瀬琥珀という生き物の前では、一般常識など何の意味も持たなかった。


「ティーバッグをカップにそのまま入れて、お湯をかけるだけでいいの?」


 もはや、義務教育の敗北を感じざるを得ない。  

 小学生でも知っているであろう知識に、一ノ瀬は世紀の大発見でもしたかのような顔で実行に移す。


「……なんだぁ! めっちゃ簡単じゃん! 早く教えてよ白河!」


「……何度も言ったし、目の前で実際に手本を見せただろ……」


 俺はあまりの徒労感に、膝から崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。

 どっと押し寄せた疲れが、重力となって肩にのしかかる。  


 一方で、彼女はカップの中で紅茶の茶葉がゆっくりと、琥珀色のグラデーションを描いていく様子を、子供のようにワクワクした瞳で見守っていた。


「どう? もういいかな?」


「……あぁ。そろそろいいだろ。ティーバッグを取り出して、お好みで砂糖を入れたら完成だ」


 重い腰を上げてカップを覗き込み、指示を出す。


「やったぁー。できた! 私、天才かもしれない!」


 ……冗談はそのポンコツぶりだけにしてくれ。


「はいはい。天才ですねー」


 俺の返答は、自分でも驚くほどの棒読みだった。

 だが、彼女はそんな俺の冷ややかな反応など気にも留めない。


「どれどれお味はー……ん、おいしーー!」


 彼女の屈託のない声が店内に響く。  

 驚かされ、振り回され、険しい道のりに頭を抱え、ほとほと疲れ果てる。


 ……けれど。  


 この、世界で一番幸せそうに「おいしい」と笑う顔を見ていると、溜まっていた疲れが、ほんの少しだけ溶けていくような気がした。


 その後も、いくつかのメニューの特訓を重ねた。  


 ……すまない。結果については、あえて語らない。


 君たちの想像通りだ、とだけ言っておこう。

 幾多の(主に精神的な)死線を越えた末、外はいつの間にか完全な夜のとばりに包まれていた。


「あれ? もうこんな時間じゃんっ! そろそろお店、閉めないと!」


 窓の外の暗さにようやく気づいた一ノ瀬は、せっせと外の看板を回収し、入り口の鍵を閉めた。  

 俺は、押し寄せる怒涛の疲労感に抗えず、店内の椅子に深く座り込む。


「じゃーん! これはなんでしょう!」


 放心状態の俺の前に、茶色の封筒を握りしめた一ノ瀬がどーんと立ちはだかった。  

 その封筒には見覚えがある。今朝、彼女が俺を釣るために提示した「給料」だ。


「……給料、だろ」


「つまんなーい。もっと『わぁーっ!』とか喜んでよー」


 不満げに口を尖らせていじける彼女。だが、残念ながら今の俺には、彼女に合わせたリアクションを取れるだけの生命力が残っていなかった。

 申し訳ないとは、一ミリも思わない。


「はい、これ! 今日の分!」


 突き出された封筒を、俺は重い腕を上げて受け取った。


「……なぁ。こんなことを聞くのは野暮だが、いくら入れたんだ?」


 本来、給料を受け取ったその場で中身を検めるのは失礼にあたる、という認識が一般的だ。だが、最近ではむしろ「間違いがないかその場で確認すべき」という合理的な考えも増えてきている。  

 ましてや、雇い主が一ノ瀬琥珀の場合はその必要性が跳ね上がる。  


 かつて、とある偉人が言ったとか言わないとかいう言葉に、『琥珀は必ずしも琥珀とは限らない。しっかりと確認して初めて琥珀と判断できる』というのがある。


 ……いや、そんな言葉はないが、今の俺にはそれくらいの警戒心が必要だった。


「一万円だよ!」


「そうか……。…………いや! 多い! 多いって!」


 給料一万円。今日働いたのは、ざっと四時間。  

 時給に換算すれば二千五百円だ。


 多すぎる。どんなブラック……いや「プラチナ」バイトだよ。  

 深夜の過酷な労働環境だって、これほどの高条件は滅多にお目にかかれないぞ。


「……? 多いかな?」


「多いに決まってるだろ。他のバイトの平均時給を知ってるか? 高くたって千五百円とかそこらだぞ」


「でも、いっぱい教えてくれたし、掃除もしてくれたし、接客もしてくれたし……」


 彼女は世間を知らなすぎる。  

 どこのどいつが、ただの高校生バイトに時給二千五百円も払うというのか。  

 掃除も接客も、業務の基本中の基本だ。


 ……まあ、彼女への「指導」に関しては、精神的苦痛を伴うイレギュラーな業務だったと言えなくもないが、それでも限度というものがある。


「……よし。これはいったん返す。明日また二人で決めよう。お金のことは、一ノ瀬には任せられない」


「……私、役立たず……?」


 しまった。口が滑った。  


 『任せられない』は、今の繊細な彼女には少しばかり言葉が強すぎた。

 ほら、見る見るうちに瞳が潤んで、今にも二次災害(号泣)が発生しそうだ。


「ごめん。言い方を間違えた。……一ノ瀬一人に、全部背負わせるわけにはいかないだろ。こういうのは、二人で相談して分担しようってことだ」


「そういうことなら、しょうがないね! わかった!」


 さっきまでの絶望が嘘のように、彼女はパッと表情を明るくした。  

 この瞬間ほど、彼女の思考回路が単純だったことに救われたことはないだろう。


「じゃあ、今日は解散か」


 俺は借りていたエプロンを脱ぎ、星城海原高校の制服へと着替えた。  

 鏡に映る自分は、数時間前よりも少しだけくたびれているように見えたが、不思議と悪い気分ではなかった。


「ありがとー! また明日ね、白河!」


 扉のところまでわざわざ見送りに来た彼女に、俺は「あぁ、また明日」と短く返し、店を後にした。


 カランカラン、と。  背後でベルが鳴り、静かな夜の空気が俺を包む。


 『また明日、会う』


 昨日までの俺なら、想像すらできなかった非日常。  

 けれど、駅へと続く夜道を歩く俺の心に、その言葉は驚くほど自然に、違和感なく溶け込んでいた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 喫茶店を後にした帰り道、夜風が火照った頭を冷やしてくれるはずだった。

 だが、思考のループは止まらない。

 あの引き出しの奥に眠っていた、一枚の写真。

 柔和な笑みを浮かべるお婆さんと、その隣ではじけるような笑顔でピースサインを作る少女。

 どこかで見たような、けれど決定的に何かが違う面影。

 普通に考えれば、あれは一ノ瀬琥珀本人だろう。髪の色こそ今の派手な色とは違うが、あの瞳の形には見覚えがある。

 だが、考えれば考えるほど、違和感という名の棘が胸に刺さる。

 なぜ、あの写真は隠されていたのか。 思い出なら飾ればいい。

 隠すにしても、まるでついさっきまで触れていたかのように、あのフレームには埃ひとつ積もっていなかった。

 そして、あのお婆さんは誰なのか。 親族か、恩人か、それとも——この店の「本当の店主」だった人なのか。


「あの写真、一体……うわっ!」


 思考の迷宮に潜り込んでいたせいで、周囲への警戒が完全に疎かになっていた。

 曲がり角から不意に現れた人影に、心臓が跳ね上がる。

 避ける間もなく、俺は見事な無様に尻もちをついた。


「……白河か。そんなところに座って、何をしてるんだ?」


 聞き覚えのある、低くて冷ややかな声。 アスファルトに手をついたまま、俺はゆっくりと顔を上げる。


「……佐伯?」


 俺の前に立っていたのは、クラスの一軍グループに属するクール女子、佐伯莉愛だった。  着崩した制服の胸元、片手で無造作に持った鞄。鋭い三白眼が、地面に転がった俺を冷ややかな温度で射抜いている。


「何やってんの、あんた」


「さ、佐伯こそ……こんなところで何を!」


 不意打ちの遭遇に、声が裏返る。  

 動揺を隠せない俺に対し、佐伯は面倒くさそうに前髪を払った。


「……うち? うちは部活終わりの帰り道だけど」


 帰り道?  ここは学校からそれなりに距離があるはずだ。

 どちらかと言えば、学校よりも俺の家の方が近い。


「帰り道って……家、この近くなのか?」


「……」


 佐伯は一拍、短いため息をつくような間を置いてから、小さく頷いた。  

 驚いた。クラスでは常に一ノ瀬の隣にいるイメージが強かったが、まさか佐伯の家がこの近くだったとは。知る由もなかった。


「……で? 白河はここで何してるわけ?」


「お、俺? 俺は……」


 危うい。


 今日あったことをそのまま口にしそうになって、背筋に冷たいものが走った。  

 一ノ瀬との約束——彼女が喫茶店を経営していることは、絶対に他言無用の秘匿事項だ。俺は喉元まで出かかった言葉を必死に飲み込み、脳細胞をフル回転させて代わりの言い訳を捻り出す。


「喫茶店で勉強してたんだよ。最近、静かな店を探すのにハマっててさ」


 嘘は言っていない。……少なくとも、後半の「ハマっている」という部分に関しては、今日一日の特訓を通じて(半ば強制的に)事実になったと言える。


「……ふーん。こんな学校から離れた場所で?」


 その視線が、射抜くように俺を捉えた。  

 鋭い。

 流石は学年上位の成績を維持し続けるクール才女、佐伯莉愛。

 彼女の勘の良さを甘く見ていた。


「学校近くの店は、もう行き飽きてさ。心機一転、少し遠出してみたんだ。家もこっちの方向だしな」


「……ふん。まあ、どうでもいいけど。……で? いつまでそこに座ってるつもり?」


「あ」


 あまりの緊張に、尻もちをついたまま会話を続けていたことを完全に失念していた。  

 情けなさと恥ずかしさが一気に込み上げ、俺は慌てて立ち上がると、制服のズボンについた砂利を乱暴に払い落とした。

 佐伯はそれ以上追及するつもりはないのか、興味なさげに前を向いて歩き出す。俺は逃げるように、その細い背中に続く形で歩調を合わせた。


「……」


「……」


 佐伯が前を歩き、俺がその後ろを付いていく。  

 夜の静寂しじまに、二人の足音だけが規則正しく重なっていた。


「……」


「……」


「……ねぇ。なんで後ろなの?」


 前を歩いていた佐伯が、苛立ったように急に足を止めて振り返った。


「え? えぇーっと……」


「帰り道一緒なんだから、横歩けばよくない? 背後霊みたいで落ち着かないんだけど」


 星空が照らす、穏やかな海の横道。  

 淡い月光を背負った彼女は、至極真っ当な、けれど俺にとっては難易度の高い疑念を向けてくる。


「……わかったよ」


 俺は渋々、彼女の隣へと歩を進めた。  

 早足で追いつき、肩を並べて再び歩き出す。


「……」


「……」


 き、気まずい……。死ぬほど気まずい。

 ただでさえ、今日までまともに会話をしたこともないクラスメイト。

 しかも相手は、クラスのピラミッドの頂点に君臨する女子だ。  

 挙句の果てには、無様に尻もちをついた現場まで押さえられている。  


 この極限状態を「気まずい」という三文字以外で、一体どう表現しろと言うのだ。


「……白河。あんた、いつもあの時間に学校に来てるわけ?」


 沈黙を切り裂くように、彼女が問いかけてきた。  

 きっと佐伯のことだ。気まずさなんて微塵も感じておらず、ただふと浮かんだ疑問を口にしただけなのだろう。


「いや、今日はたまたま早く来ただけだよ。偶然、ホントに偶然だ」


「……そう」


 なんだ、その含みのある「そう」は!  

 ま、まさか疑っているのか? 一ノ瀬との関係を。

 マズい、秘密が漏れる前にどうにか軌道修正しないと!


「いやー、そしたら一ノ瀬がいてさ! びっくりしたよ、あまりのタイミングに運命かと思っちゃったね!」


「……?」


 あれ?  しまった、しくじった。墓穴を掘ったか?  

 必死に誤魔化そうとして余計に怪しいテンションになってしまった俺を、佐伯は不思議そうに見つめている。

 やってしまった、と内心で頭を抱えていたその時――。


「……ふっ。ははっ!」


 彼女が笑った。  

 いつもの冷徹なクール女子の仮面が剥がれ落ちたような、驚くほど無防備で、可愛らしい笑い声だった。


「な、何がおかしいんだよ」


「白河って、変で面白いやつなんだね」


 どこかの誰かにも似たようなことを言われた気がする。

 彼女はまだ、愉快そうに肩を揺らしている。


「もっと、こう……堅苦しくてつまんないやつかと思ってた。ごめん」


「いや、それは褒め言葉として受け取っていいのか?」


 褒められたのか、単に呆れられたのか判別がつかない。  

 俺は困惑しながらも、笑う彼女を隣に、時折車が追い越していく海沿いの道を歩き続けた。

 やがて分かれ道に差し掛かったところで、彼女が足を止めた。


「じゃ、うちはこっちだから。また明日」


 佐伯は一度だけ振り返り、夜の海風に髪をなびかせた。


「今日は白河のことを、少しだけ知れてよかったよ」


 そう呟く彼女は、またしてもいたずらっぽく少しだけ笑って、夜の闇へと消えていった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ようやく訪れた、一人の時間。  

 風呂を済ませ、手早く自炊した飯で腹を満たした俺は、吸い込まれるようにベッドへと倒れ込んだ。


「にしても……昨日今日と、いろいろありすぎだろ」


 天井を見上げながら、独り言が漏れる。  


 本当に怒涛の二日間だった。この四十八時間足らずで、俺の平穏だった学校生活は音を立てて激変した。

 偶然立ち寄った喫茶店で、偶然クラスの一軍ギャル——一ノ瀬琥珀——に出会い、彼女がその店の店長であることを知った。  秘密を守れと言われ、挙句の果てには店で働いてほしいと頼み込まれた。……いや、あれは「スカウト」という名の拉致に近かったかもしれない。  いざ働いてみれば、案の定の過酷な労働。いや、作業そのものより、彼女への指導という精神的摩耗が激しすぎた。

 さらに帰り道では、もう一人の一軍女子、佐伯莉愛に尻もちをついた無様な姿を見られる始末だ。


 そして――あの、引き出しの奥に隠されていた写真。


 黒髪の少女と、穏やかなお婆さんの笑顔。  一ノ瀬琥珀という少女の「光」と、 その裏に隠された「影」の断片に触れてしまったような、言いようのないざわつきが胸に残っている。


「……ま、考えても仕方がねぇか」


 脳を休めようとする本能が、思考を強制終了させる。  

 蓄積された疲労が心地よい重みとなって全身を包み込み、俺は吸い込まれるように深い眠りへと落ちていった。

はじめましての方ははじめまして。路地裏の猫です。

いつもなら『いいね&コメントしていただけると喜びます』とありきたりな文をあとがきに残すのですが今回ばかりはできません。


個人的に今回の回は結構な伏線回となっています。


ここからがこの物語がようやく動き出すようなそんな回となっております。

いうならこれまでの話はエピローグといったところでしょう(ならエピローグに書けやというツッコみはすみません回れ右でお願いします)。


彼女の秘密はいったい何なのか。

ぜひ考えながら楽しんでご覧ください。


では、私は路地裏に帰ろうと思います。

これからも不器用な彼女たちの喫茶店を応援してあげてください。

よろしくお願いいたします。

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