四十九杯目:「サッカー馬鹿だからに決まってるじゃん」
ザワ……ザワ……と、周囲を取り巻く観客や生徒たちの間に波紋のような動揺が広がっていく。
そりゃそうだ。
白昼堂々、この学園の絶対権力者である生徒会長の額に、女子生徒が全力のデコピンを叩き込んだのだから。
事情を知らない一般の通行人にしてみれば、ただならぬ修羅場を目撃してしまったと動揺するのも無理はない。
「おおー! やるじゃん、すごいすごい!」
「花野先輩ッ!? 全く良くないですよ! 感心してる場合じゃないですって!」
「えー? だってすごく面白いじゃん」
ダメだ。
頼りになる先輩かと思いきや、この人も一ノ瀬たちと同系統の『面白ければすべて良し』で動く質の悪いタイプの人間だった。
「つっ……痛ってぇー! いきなり急に何をするんだ、佐伯莉愛……!」
「当たり前でしょ!? 日頃の行いと理不尽な仕掛けに対する当然の報い!」
赤くなったデコピンの痕を隠すように、あの冷静沈着な会長が珍しく頭を押さえて悶絶している。
それとは対照的に、佐伯はフンと胸を張り、腕を組んで勝利の息を吐き出していた。
あの如月会長に対してこれほどの惨劇を引き起こしておきながら無傷でいられるのは、全校生徒の中でも花野先輩と、目の前にいるこの狂犬・佐伯莉愛くらいのものだろう。
「あのー……佐伯さん? 如月会長は一体何を……」
俺は冷や汗を拭いながら、恐る恐る隣の佐伯に理由を尋ねてみた。
しかし、返ってきたのは――
「し……白河には関係ない! とにかく全部このクソ会長が悪いんだから!」
関係ないって……。
なら、どうして俺と目を合わせた瞬間に、そんな風に気まずそうに顔を赤らめて下を向くんだ?
何か俺に知られたくないような事情でも隠しているというのだろうか。
「それにしてもすごいね。あの雅貴相手にここまでの惨事を引き起こせるなんて」
「……貴方、誰?」
佐伯さん!?
一応その人は会長と同等に権力を持ってる、学園トップクラスのVIPですよ!?
「あーごめんごめん! 私、生徒会副会長の花野舞って言います。以後お見知り置きをね」
「……あんたもあの『仕掛け』に関わってますか?」
「ん? その話なんだけど……実は私、よく分かってなくて。一体何に対して……えーっと、莉愛ちゃんはそんなに怒ってるの?」
花野先輩のその言葉が、演技ではなく純粋な本心であることを俺は心から祈った。
もしかすると全てを把握した上で狸寝入りを決め込んでいる可能性すらある。
生徒会の頂点に君臨する人間なのだから、それくらいのタヌキであっても不思議ではないのが恐ろしいところだ。
それと佐伯。
さっきから敬語とタメ口がぐちゃぐちゃに混ざって情緒が大変なことになっているぞ。
「関わっていないなら別に良いです。……それからうち、仲良い人以外から『莉愛』って下の名前で呼ばれるの嫌いなので、やめて貰えますか?」
「えっ! ごめんごめん! 嫌だったんだね、莉愛ちゃん♪」
——お……女って、心の底から怖ぇーーーッ!
笑顔の裏で繰り広げられるマウントの取り合いとバチバチ感!
男同士の殴り合いとは違うベクトルで血生臭すぎる!
「……はぁ。日葵は一体どうやってこんな恐ろしい生徒会で正気を保って生きてるの?」
佐伯は深々と溜め息を吐き、心底あきれたように呟いた。
全くもって同感だ。
あの水野日葵がこんな化け物たちの巣窟でどのように日々を過ごしているのか、気になって夜も眠れなくなりそうだ。
「とにかく! あんた! 今日のことは絶対に許さないから!」
「何も君に許してもらうつもりなど毛頭ない。そもそも私は規則に則ったまでで、何一つ悪い事はしていないからな」
「あーもう! いい!? 秋の文化祭、首を洗って覚えておきなさい! この体育祭も、次の文化祭も、あんたら生徒会に絶対勝ってみせるんだから!」
額を膨らませて押さえる如月会長に対し、凛とした姿勢でビシッと指を突きつけ、堂々と勝利宣言を叩きつける佐伯の姿は、不覚にも少しだけカッコよく見えてしまった。
「その言葉、本当に実現することを私も楽しみにさせてもらうよ」
「……し、失礼しましたッ!」
これ以上の大惨事になる前に、俺は逃げるように「失礼しました!」と二人に頭を下げると、未だに怒り冷めやらぬ佐伯の手首を強引に引っ張ってその場を後にした。
遠ざかっていく俺たちの背後から、如月会長のどこか愉悦を孕んだ声が、風に乗って静かに追いかけてきた。
――――――――――――――――――――――――
「白河! 莉愛! 遅い!」
グラウンドの熱気が少し落ち着きを見せ始めた午後。
日差しを遮る下で、一ノ瀬琥珀は両頬をぷくっとこれでもかというほど膨らませていた。
俺と佐伯は、その可愛らしくもどこか圧のある姿に思わず身をすくめながら頭を下げる。
あの後、大急ぎで賑わう模擬店街を駆けずり回り、なんとか人数分の昼食をかき集めて戻ってきたのだ。
しかし、空腹を抱えて待ちぼうけをくらわされていた当人からすれば、長い時間待たされたことに対する怒りは収まらないらしい。
楽しみにしていた分だけ、我がクラスのギャル姫のご立腹度は深刻だった。
「ご乱心なさらないで!」
「ご乱心?」
「いえ、冗談です。すみませんでした」
難解な単語を使ったところで怒りの火に油を注ぐだけだった。
きょとんと首をかしげる一ノ瀬の澄んだ瞳に気圧され、俺は即座に撤回してひたすら平身低頭の姿勢をとる。
……おい、周りでニヤニヤしながら高物見物を決め込んでいる奴ら!
笑ってないで誰かこの暴走気味のギャル姫を止めてくれ!
「どうせ莉愛が何か買って二人で食べてたでしょ! ずるいよ!」
「ッ!」
す……鋭い。
心臓が一瞬跳ね上がった。
いつもは天然な一ノ瀬だが、幼馴染である佐伯の行動パターンに関しては驚異的な勘を発揮する。
佐伯が一ノ瀬のことを熟知しているのなら、その逆もまた然りというわけだ。
食に厳しい。
だが、ここで素直に認めてしまえばギャル姫のご乱心モードは最高潮に達する。
なんとしてもここはシラを切り通さねば——
「いえ。その様な事は決して……。なぁ佐伯」
俺は必死の思いで、隣に立つ佐伯へと視線を送った。
頼むから口裏を合わせてくれ、とアイコンタクトで切実に訴えかける。
「琥珀。ごめん……」
「え?」
おい……おいおい……おいおいおい!
まさかお前!
裏切るつもりか!?
親友なら分かるはずだろ!?
一ノ瀬琥珀という人間がどれだけ食に対して厳しい情熱を持っているか!
「会長と会って……。それから色々あってデコピンしたら遅くなっちゃった」
『……デコピン?』
グラウンドから聞こえる喧騒を背景に、一瞬だけ時間が止まった。
生徒会長、色々、そしてデコピン。
情報量の過多と、何処かで見たような既視感のある展開に、その場にいた全員の頭の上にクエスチョンマークが浮かび、まったく同じ言葉を反復していた。
「ま! いいじゃん琥珀。ちゃんと二人は俺達の分まで買ってきてくれたんだし」
爽やかな笑顔で助け船を出したのは神崎だった。
おい神崎!
何で今頃になって庇うんだよ!
絶対デコピンという謎すぎるワードが生み出した妙な空気をリセットしたいだけだろ!
「うんうん。白河君も佐伯さんも’何もしてなかった’って言ってるんだから大丈夫だよ」
ふんわりとした笑みを浮かべながら九条もフォローに入る。
助かるけど、九条ももっと早く言ってくれよ!
俺の胃の残りHPはすでにギリギリだったんだぞ!
「早く食べよ?冷めると美味しく無くなるよ琥珀」
トレイの上のポテトを眺めながら、宮本が淡々と促す。
相変わらずドライな物言いだが、彼の言う通りだ。
紙袋からは焼き立てのタレの香ばしい匂いが漂っている。
せっかく買ってきたご馳走が冷めてしまうこと——それは俺たちは勿論、食いしん坊の一ノ瀬が一番許せない事だった。
「それは駄目!食べよう!」
「冷める」という一言で、一ノ瀬の不機嫌メーターは一瞬で吹き飛んだ。
現金なものである。
彼女の号令を合図に、皆が一斉にパイプ椅子を引き寄せて座り、俺と佐伯が買い込んできたパックや袋をワクワクした様子で物色し始めた。
「今俺達は何点だ?」
焼きそばを口に運びながら、神崎が思い出したように呟いた。
この体育祭はそれぞれの種目の順位によって細かくポイントが割り振られる仕組みだ。
このポイントを最も多く獲得したクラスが総合優勝を掴み取る。
極めてシンプルだからこそ、どのクラスも本気になれる分かりやすいルールだった。
神崎の問いに応じるように、俺たちは眩しい秋空の下、グラウンドの中央にそびえ立つ巨大な電光掲示板へと視線を向けた。
日光を受けて鮮やかに発光するディスプレイの左側には、学年ごとのリアルタイムな順位。
そして右側には、俺たち二年四組が全員で目指している目標——総合順位の数字が刻み込まれていた。
「僕達は……百十二点だね」
手元の集計表と掲示板を交互に見比べながら、九条が少しだけ声を落として呟いた。
九条の言う通り、電光掲示板に刻まれた俺たちの得点は「百十二点」。
二年学年内では堂々の一位だが、全校の総合順位に目を向けると五位という位置につけていた。
とはいえ、午前中の前半戦が終了した段階としては、決して悪くない数字だ。
むしろ大健闘と言ってもいい。
午後からの後半戦には、配点の高い花形競技が数多く控えている。
まだまだ総合優勝の栄冠は、どのクラスの頭上にも輝くチャンスが残されていた。
「やっぱり強いね如月会長のクラスは」
九条がぽつりと漏らした言葉に、俺は疑問を覚えて隣に目を向けた。
「なぁ水野。会長って何組何だ?」
学校の絶対的象徴である生徒会長だが、そういえば肝心の所属クラスまでは把握していなかった。
俺の問いかけに、水野は買ってきたジュースのストローに口をつけながら淡々と答える。
「会長は一組。だから今総合一位の所だね」
その答えを聞いた瞬間、俺と佐伯は思わず同時に顔をしかめていた。
やはり、一筋縄ではいかない。
あの圧倒的なカリスマ性と完璧さを誇る人が率いるクラスなのだ。
頂点に君臨しているのは当然と言えば当然であり、必然と言えばあまりにも必然すぎる結果だった。
「ちゃんと強いのムカつく」
竹串に残った最後の肉を噛みちぎりながら、佐伯がボソッと悔しそうに吐き捨てた。
口元についたタレを拭う様子からも、隠しきれない苛立ちが伝わってくる。
「俺達結構良い順位取ってたよな」
「蓮の言う通り悪くは無かったね。でも……」
「……会長のクラスの方が強い」
神崎の強気な発言も、九条の客観的な分析も、最後は重い現実に押し潰されていく。
俺たちの間だけではない。
先ほどまでの賑やかさが嘘のように、全体にどんよりとした空気と疲労感が広がっていた。
如月会長という壁の厚さは、誰もが痛感している。
突出したリーダーシップ、ずば抜けた運動能力、そして隙のない頭脳。
その全てにおいて、俺たち二年四組は一歩も二歩も及んでいない。
秋の爽やかな風すらどこか冷たく感じられるほど、重苦しい静寂が場を支配しかけた——ただ一人、あの少女を除いて。
「でもさでもさ! 最後に勝てば良くない?」
一ノ瀬は、どんな状況でも眩しいほどのポジティブさを失わない。
その根拠のない楽観主義は、時に事態を予想外の方向へ転がすこともあるが、今この瞬間のように最高の発奮材料となることの方が多い。
どんな暗雲をも吹き飛ばす天真爛漫な笑顔。
それは間違いなく彼女の持つ最大の武器であり、天性の才能だった。彼女の一言が投じられた瞬間、俺達に漂っていた重苦しい空気が、まるで魔法のように一気に浄化されていく。
「珍しく良い事言うな琥珀」
「蓮くん? それはどう言う意味?」
「明日は吹雪だな」
「ちょっと白河!?」
俺の軽口に目を丸くして抗議する一ノ瀬の姿に、それまで息をひそめていた周りの奴らからどっと大きな笑い声が弾けた。
沈んでいたクラスの空気が一気に跳ね上がり、全員の胸の中に「絶対に総合優勝を掴み取る」という強い熱量と願いが、再び燃え上がっていく。
——とは言ったものの……。
残されたチャンスの少なさを考えると、決して楽観視はできない。
「後はサッカーとリレー……だね」
九条がポツリと呟いた言葉に、みんなが静かに頷いた。
クラスの士気は間違いなく最高潮に達している。
一致団結した絆の強さもある。
だが、追撃のために残された競技はたったの二つ。
総合逆転を果たし、あの会長のクラスを叩き潰すためには、どちらの種目でも「一位」を勝ち取ることしか道は残されていなかった。
「ねぇ。何で午後は二つだけなの?」
首を少し傾げながら、一ノ瀬が素朴な疑問を投げかける。
秋の心地よい風が、彼女の少し乱れた髪を優しく揺らしていた。
「どっちも時間がかかるからだよ琥珀」
「なるほど!」
佐伯の身も蓋もないが的確な回答に、一ノ瀬はポンと手を叩いて一人で納得していた。
佐伯の見解通り、サッカーとリレーはいずれも大幅に時間を食う大型種目だ。
サッカーはトーナメント形式で二チームずつ対戦を重ね、リレーは予選と決勝による勝ち上がり方式をとる。
特にサッカーは、いくら省スペースのミニコートに区切って並行して行うとはいえ、グラウンドの面積や審判の配置を考慮すれば一度に進行できるのは精々三試合が限界だ。
これだけで午後の大半のスケジュールが埋まってしまうため、他の競技を挟む余裕など物理的に残されていなかった。
「でもどうするんだろうね」
「どうした九条」
額の汗を小さく拭いながら、九条が少し困惑したような表情で疑問を口にした。
「全部で十八クラス。二チームずつ試合をする。そうすると九試合になるでしょ? 勝ちで上がるのなら九チーム残る」
九条が指摘したいのは、トーナメントの組み方における計算上の不整合——つまり「チーム数が奇数で余ってしまう」という構造的な問題だ。
全校で全十八クラス。
ストレートな勝ち抜き戦を行うなら、一回戦を終えた段階で勝者は九クラスとなる。
当たり前だが、奇数だ。
だが、九条は単純なトーナメント形式しか頭にないらしい。
俺は先日、菊池に勧められて……いや、半ば強制的に深夜まで観させられたワールドカップの記憶を脳裏に呼び起こしていた。
世界の強豪たちが凌ぎを削るあの大会の方式——そう、グループリーグ戦を取り入れれば、端数の問題は何とかなるのではないか。
「グループ戦だと行けるんじゃないか?」
「……。いや、無理だよ」
「え?」
「グループに分けたとしよう。四は無理だから三チーム事に。六でも良い。最終的には一チーム余る」
俺の自信満々な提案に対し、九条はあらかじめ計算していたかのように即座に首を振った。
仮にグループリーグ戦で予選を行い、それぞれの組の一位が決勝トーナメントに勝ち上がるとしよう。
全十八クラスを四チームごとのグループに分けるのは割り切れないため不可能。
ならば三チームずつ六つのグループに分けた場合、各組のトップ六チームが残る。
そこからさらに二チームずつで対戦を行えば、勝ち残るのは三チーム。
……やはり、ここで再び奇数の壁にぶつかる。
最初から六チームずつ三つのグループに分けたとしても結果は同じだ。
最後には必ず、一チームだけが対戦相手を失って宙に浮いてしまう。
生徒会と体育祭実行委員会は、一体どのようなトーナメント表を組んでいるというのだ。
「シード?」
「どうやって決めるのかは分からないけど、水野さんの言う通りシードにするしかないだろうね。三年生を優先するかどうか分からないけど」
「んなもん公平じゃねぇじゃねぇか!」
ポツリと呟いた水野の言葉に、九条が深く頷いた。
どのような抽選基準や優遇措置が取られるかは不明だが、水野の言う通り、特定のクラスにシード権を与えて二回戦から出場させるしか算術的な解決策はない。
例えば、高校最後の体育祭となる三年生を優先してシード枠に置く、といった配慮がなされる可能性も十分に考えられた。
その推測を聞いた瞬間、山波がバンと己の膝を叩いて立ち上がった。
山波はいつだって、熱すぎるほどの正義感を持っている男だ。
体育祭という誰もが熱狂する舞台において、出場するすべてのクラスには等しく公平な条件とチャンスが与えられるべきだと信じて疑わないのだろう。
その熱い主張には俺も同感だった。
公平であってこその勝負だ。
しかし、今年で最後となる三年生たちに最高の結果を残させてやりたいという運営側の意図も一概に否定はできない。
それぞれの立場と思惑が交錯し、小さな沈黙が流れた。
「……うちはそんな事するとは思わない」
「佐伯?」
「あのクソ会長……三年を優先するとかしたら今度は本気で殴る」
不満の空気に包まれる中、静かな、しかし確固たる意志の籠もった声が落ちた。
いつもは冷めた態度をとることが多い佐伯にしては珍しく、力強い言葉だった。
生徒会長という絶対的な存在に対して強い反発心を抱きつつも、どこかでその圧倒的な公正さと美学を信頼している——宿敵として認め合っているからこそ出てくる言葉だった。
もしあの生徒会長が安易な贔屓や不公平な優遇などを行えば、それこそ彼女の矜持が許さないのだろう。
「水野。会長はそういうタイプなのか?」
生徒会の内部事情を最もよく知る人物へ、俺は確認するように視線を向けた。
この集団の中で、あの絶対的な権力者である如月会長と最も多く言葉を交わし、近くで接しているのは間違いなく水野だ。
爆発寸前の佐伯の平和と、ひいては俺たちのクラスの安寧を守るため、俺は教えを乞うように尋ねた。
「うーん。しないかな。あの人は全員平等、公平をモットーに生きてる」
水野は顎に指をあて、過去の会長の言動を思い返すように少しだけ視線を上へと泳がせたあと、きっぱりと言い切った。
「だってよ。佐伯」
俺は胸を撫で下ろし、安堵の息を吐きながら隣の佐伯へ視線を送る。
良かった。
これでひとまず、佐伯が会長に突撃して殴りかかり、即停学処分になるという最悪の未来は回避できそうだ。
当の佐伯は納得がいったのか、あるいは素直に頷くのが気恥ずかしいのか、「フン」と小さく鼻息を鳴らすと、プイッとそっぽを向いてしまった。
「でもよー。実際どうやって——」
神崎が腕を組み、眉間にシワを寄せながら疑問を口にしかけた、まさにその時だった。
ザーッという微かなノイズと共に、校内放送のスピーカーからハッキリとしたアナウンスが響き渡った。
「午後に行うサッカーについて説明があります。クラスの代表者は一階第三会議室までお越しください」
まるで俺たちの議論を見透かしていたかのようなタイミングの良さだ。
競技運営の効率性と段取りの早さには毎回毎回、頭が下がるというか、出来過ぎていて感心してしまう。
「代表者って言われてるよ?」
焼きそばパンを口一杯に頬張った一ノ瀬が、リスのように膨らんだ両頬を動かしながら言った。
どれだけ食い意地が張っていても、校内アナウンスの重要な連絡だけは聞き逃さなかったらしい。
ハフハフと熱そうに吐息を漏らしながら俺たちを見上げてくる。
「で? 誰が代表なんだ? やっぱり神崎か?」
俺の頭に真っ先に浮かんだのは、運動神経抜群でクラスのムードメーカーでもある神崎の顔だった。
「俺!? なんで!」
心底心当たりがないといった様子で、神崎が自分の胸を指さして叫ぶ。
「サッカー馬鹿だからに決まってるじゃん」
佐伯が呆れたように鼻で笑いながら、間髪容れずに即答した。
「馬鹿は酷いだろ莉愛!」
抗議の声をあげる神崎だが、周りの反応は冷ややかだ。
「馬鹿」というストレートな言葉は確かに言い過ぎかもしれない——いや、普段のサッカーに対する並々ならぬ情熱と直情的な性格を考えれば、佐伯の言う通り「サッカー馬鹿」という称号はこれ以上ないほどお似合いかもしれない。
もちろん、呆れ半分、信頼半分の良い意味で、だが。
「大体リーダーなんて似合わねぇよ! 莉愛で良いじゃねえか!」
「誰がどう見てもリーダーは神崎でしょ。うちは絶対嫌」
「嫌なものを人に押し付けるな!」
テンポの良すぎる漫才のようなやり取りを聞きながら、俺は実際に誰が会議室へ行くべきなのかを思考していた。
仮に、ただのルール共有や注意事項の説明のためだけに集められるのであれば、正直誰が行っても大差はない。
話を聞いて戻ってきた後で、出場選手たちに伝達すれば済む話だ。
しかし、問題は別の可能性だ。
もしも奇数チームによるシード権やトーナメント枠を決定するために、何か特別な選定や対決をさせられるとしたらどうだ?
俺の予想では、その「何か」とは間違いなくサッカーに関わる実技や競技知識の競い合いだ。
ならば、我がクラスで最もサッカーに熟練している神崎を送り込むのが最も理にかなっている。
……まあ、純粋な知恵比べや交渉力勝負になった場合は話が別だが。
「やっぱり蓮が行こう」
「怜まで!」
「僕も行く」
「え?」
神崎の情けない叫びを余所に、九条がすっと立ち上がった。
確かに、九条が同行してくれるならこれほど心強いことはない。
学年トップクラスの頭脳に加えて、彼自身もサッカーのプレースタイルは一級品だ。
文武両道を体現する九条と、野性の感を持つ神崎のコンビが揃えば百人力と言える。
しかし——
「一人じゃなふへいいの?」
そう。
一ノ瀬の言う通り、根本的な人数の問題があった。
アナウンスでは「クラスの代表者」と単数形で呼ばれていたはずだ。
そこが少し引っかかる。
……で、一ノ瀬はいつまで口の中に食べ物を詰め込んだまま喋っているんだ。
ほっぺたがパンパンで言葉が原型をとどめていないぞ。
「アナウンスでは人数の指定が無かったからね。何人でも良いと思うよ。何なら皆で行く?」
九条は整った顔立ちにニコッと爽やかな笑みを浮かべて言った。
「うちはいいや」
「私もふぁす!(パス)」
女子組の即答ぶりに、九条は苦笑いを漏らした。
「知ってた。でも君は来てもらうよ?」
ポンと横にいた九条の細い手が俺の肩を叩く。
「……は?」
思いも寄らない指名に、俺の思考が一瞬フリーズする。
「三人で行こう」
「おいおい! 何でだよ! 二人でいいだろ!てか山波連れてけよ!」
運動能力抜群の神崎と、頭脳明晰な九条の二人で十分すぎるだろう。
巻き込まれ事故もいいところだ。
俺は必死で周囲を見回し、都合のいい身代わりを探して山波の名を挙げた。
「大河? 大河ならほら。寝ちゃってるよ」
九条がすっと指差す方向を見ると、観客席に深く腰掛け、気持ちよさそうに口を開けてスースーと寝息を立てている山波の姿があった。
午前中の競技で全力を出し切り、完全にエネルギー切れを起こしているらしい。
まったく役に立たない。
「てことで白河君行こうか」
「勘弁して下さーーい!」
九条と神崎の両脇からがっちりと腕を掴まれ、逃げ場を失った俺の情けない叫びが暑さの残る秋空に虚しく響く。
半ば無理矢理引きずられながら、俺は神崎、九条と共に熱気に満ちた観客席を後にした。




