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「クラスのギャル、放課後は喫茶店で不器用マスターやってます。」  作者: 路地裏の猫


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5/12

四杯目:「……重役出勤だな、一ノ瀬さん」

 私立星城海原せいじょううなばら学園。

 お世辞にも都会とは言えない、地方の静かな街にある私立高校。

 

 けれど、悪いところじゃない。  教室からは少し遠くに海が望め、窓を開ければ、わずかな潮の香りが風に乗って運ばれてくる。


 俺の家からは少し距離があるが、それなりの進学実績もあり、何よりオープンキャンパスで一目惚れしたこの景色が忘れられずに入学を決めた。


 ――懐かしいな、あの時もこんな匂いがした。


 朝日はすでに昇りきり、校庭からはサッカー部のランニング中の掛け声が響いてくる。  時計の針は、まだ七時を回ったばかり。この学園の始業時間は八時半だ。


 ……はて。

 

 なぜ俺は、一時間以上も前に、誰もいない教室に座っているのだろう。

早起きが趣味なわけでも、サッカー部の朝練を眺めるのが日課なわけでもない。  

 原因は、昨日の放課後にさかのぼる。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――




「……今日はありがとね。白河」


 自分で淹れた「至高の一杯」を慈しむように飲みながら、彼女が呟いた。


「ああ、いいよ。コーヒーの淹れ方くらいなら」


 俺は彼女が散々にかき乱したキッチンを片付けながら答える。

 散乱した粉、飛び散った水滴、出しっぱなしのミルク――。


「……っておい! なんで俺が片付けてんだよ!」


「びっ……くりしたぁ! 急に大声出さないでよ、心臓に悪いじゃん」


「一ノ瀬さんが汚したんだから、一ノ瀬さんが片付けるのが筋だろ!」


「……いやー、まあ。何となく察してると思うけどさ……。私、掃除も絶望的に苦手なんだよね」


 彼女はテヘッと言わんばかりに、自分の頭を軽く叩いて舌を出した。

 

 ……まあ、大体予想はついていた。


 ただのコーヒーを淹れるのにここまで手こずる人間が、掃除だけはプロ級です、なんて異能的とも呼べる設定が通るはずもない。


「てことで、後片付けもお願いしちゃっていい? 頼んだよ、白河!」


 もはや俺が掃除をすることが、宇宙の摂理であるかのように会話を進める彼女。  

 そう、これが彼女の「素」なのだろう。

 学校では一軍の輪の中心にいて、男女問わず惹きつける。この圧倒的なペースに、誰もがいつの間にか巻き込まれてしまうのだ。


 だが、俺は騙されない。  

 この掃除が終われば、明日からは元の「ただのクラスメイト」に戻るんだ。

 今日半日付き合って確信した。彼女とは根本的に合わない。


 そんな決意を胸に、俺は手際よく道具を定位置へと戻していく。


「……はい、終わり。一ノ瀬さん、片付いたぞ」


「あー。あふぃがほー……」


 振り返ると、彼女はメニューの試作らしいパンを口いっぱいに頬張っていた。「ありがとう」という言葉が、炭水化物の壁に阻まれて原型を留めていない。


 ……。  


 ツッコミを入れる気力すら失せた俺は、早々に撤退を決意した。


「……じゃあ、俺はもう帰るから。さようなら」


 これ以上、新たな展開に巻き込まれないよう、足早に出口へ向かう。


「ふぁ、ふぁって!」


 聞いたこともない謎の言語に、俺は思わず足を止めた。


「……えっと。まだ何か?」


 彼女は口内のパンを必死に飲み込み、大きく息を吐いてから言った。


「あ、明日! ちょっと早めに学校来て!」


 予想だにしない要求に、思考がフリーズする。


「それは……どういった意図のご発言でしょうか?」


「いいから! そのまんまの意味!」


 冗談じゃない。

 俺の家は学園から一時間半もかかるんだ。

 八時半始業なら、七時には家を出るのが日常。それ以上早く来いだと?


「そのまんまの意味って言ったって、そんな急に――」


「七時くらいに! じゃ、店閉めるから。また明日ね、白河!」


 俺の説得を物理的に遮るように、彼女は俺の背中を強引に押し、店の外へと放り出した。  

 カチリ、と背後で無情にも鍵が閉まる音が響く。


「いや……まだ行くなんて言ってないんだけど……」


 夜の静まり返った路地裏。

 嵐が過ぎ去った後のような虚脱感の中、俺は独り言をこぼしながら、重い足取りで駅へと向かった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――




「……いや、なんで俺は律儀に従ってんだよ。っていうか、呼び出した本人が遅刻ってどういうことだ」


 誰もいない教室に、俺の虚しい独り言が響く。


 一体、用事ってなんなんだ。こんな朝早くに。  

 まさか「昨日のことをバラしたら消す」という口封じの脅迫か? 

 それとも、今日からパシリにされる宣告か、あるいはストレス解消のサンドバッグ……。

 いや、待てよ。昨日のあの状況。放課後の喫茶店で、二人きり。  

 ……まさか、告白。……なんてことは、天地がひっくり返っても――。


「ないないない。ありえない」


「ごめん! お待たせ。何か言った?」


 駆け巡る妄想を断ち切るように、教室の扉が勢いよく開いた。


「……重役出勤だな、一ノ瀬さん」


「あはは、ごめーん! ちょっと家でバタバタしちゃってさ。もしかして……結構、待った?」


 そう言って笑う彼女は、ネイビーのブレザーと純白のシャツに身を包んでいた。

 星城海原学園の端正な制服を、彼女流に少し着崩してはいるが、それが逆に琥珀色の長い髪をより鮮やかに引き立てている。    

 彼女は乱れた息を整えながら、パンパンと制服に付いた見えない埃を払い、透き通った瞳で俺を覗き込んできた。


「……そんなに待ってない。それで? 呼び出した用件は何ですか、一ノ瀬さん」


「あ、そうだった! はいこれ、昨日の分」


 彼女は俺ににじり寄ると、少し角の折れた茶封筒を目の前に差し出してきた。

 誰もいない早朝の教室。朝日に照らされた封筒には、どこか不穏な気配が漂っている。


「……何これ。果たし状?」


「はたしじょう? 何それ、古っ! 違う違う。お金だよ」


「……お金? なんで」

 

 理解の処理が追いつかない。  

 なぜ彼女は、始業までまだ一時間以上もあるこの時間に、わざわざ俺を呼び出して現金を渡そうとしているんだ? もしかして、昨日無理やり掃除させたことに対する口止め料か?


「給料だよ、給料! 昨日いろいろ教えてくれたじゃん。……あ、バイト代って言ったほうがいいかな?」


「きゅう……りょう。給料。……え、なんで?」


 給料。言わずとしれた、労働の対価として支払われるべき報酬。  

 単語の意味は知っている。漢字も書ける。だが、その概念が自分に向けられているという事実が、どうしても脳内の思考と噛み合わなかった。


「なんでって……。そりゃあ、あんたのおかげでコーヒー淹れられるようになったし、掃除までさせちゃったからさ」


 彼女は少しだけ照れくさそうに、けれど真剣な瞳で俺を見つめていた。


「……俺、働いてないぞ?」


「働いてくれたようなもんじゃん! 大革命だよ、大革命! だって、泥水がコーヒーに変わったんだから!」


 彼女の語彙力の欠如には一旦目を瞑るとして……。


 世の中の粉骨砕身働いている皆さん、本当に申し訳ありません。

 どうやら俺、コーヒーを三周ほどお湯で回しただけで、賃金が発生してしまったようです。


「……いや。流石に受け取れない。こんなことで金をもらったら、全国の労働者から袋叩きにされる。俺の倫理観が許さないんだ」


「なに難しいこと言ってんの? いいから受け取って。はい!」


 彼女は俺の抵抗を無視し、強引に俺の手のひらをこじ開けて、茶封筒を押し付けてきた。

 無事に給料(?)を完遂した彼女は、まるで大仕事を終えた子供のように、満足げにニコニコと笑っている。


「きちんと頑張った分は、しっかり褒めてあげないとね!」


 上機嫌に胸を張る彼女を前に、俺は言葉を失った。  

 

 ……褒める、か。  


 その言葉に含まれた真っ直ぐな好意に、俺の理屈っぽい反論は、音を立てて崩れ去った。


「……そこまで言うなら、いただきます」


 俺は不服そうに、けれど心なしか軽くなった手つきで軽く会釈し、受け取った封筒を鞄の奥へと収めた。


「一ノ瀬さん。お金を渡すためだけに呼び出したの?」


「うん。そだよー」


 あっけらかんとした肯定に、俺は天を仰いだ。

 返してほしい、俺の貴重な睡眠時間を。  

 いや、たったあれだけの作業を高く評価し、わざわざ「給料」として形にしてくれたことには感謝している。感謝はしているが、これだけは言わせてくれ。


「……喫茶店で渡してくれればよかっただろ。わざわざ学校で、しかもこんな時間に呼び出さなくても」


「だって、忘れないうちに復習したかったんだもん。コーヒーの淹れ方」


 マイペースという言葉は、きっとこの人のためにあるんだろう。  

 俺はがっくりと肩を落とし、全身の力が抜けていくのを感じた。


「……喫茶店で初めて会った時の、あの店員さんはどこへ行ったんだよ。でも、だったらもっと普通の時間に呼び出せばよかっただろ。わざわざ七時になんてしなくても……」


「だめ! それは絶対無理。だからこの時間にしたんだからっ」


 子供のように「フンス!」と鼻を鳴らして言い切る彼女に、俺は眉をひそめた。


「ダメって、なんでだよ。この学校、別にバイト禁止じゃないだろ」


 私立星城海原学園は、校風が割と自由なことで知られている。バイトはもちろん、スマホの持ち込みだって自由だ。彼女が何をそんなに頑なに「校則」を気にしているのか、理解に苦しむ。

ということは、ルールではない、別の「問題」があるということだ。


「……みんなには言いたくないの! 私が店長やってるなんてこと」


 一ノ瀬さんは、いたずらが見つかった子供のような、それでいてひどく切実な瞳で俺を見た。  


 ――訳ありだ。  


 直感が、これ以上踏み込むのは危険だとアラートを鳴らしている。  

 これ以上深く聞くのは、地雷を踏み抜くような気がする。  

 他人の事情に土足で踏み込むほどお節介な性格じゃないし、過去に痛い思いもした。

 俺はそれ以上問い詰めるのをやめて、静かに視線を窓の外の海へと逃がした。


「分かった。このことは、誰にも言わないよ」


 俺の言葉に、彼女は心底ホッとしたように表情を緩めた。


「うん! ありがと! ……あ、それでね。もう一つ、お願いがあるんだけど」


 話の切り替え速度の速さはさておき、俺の脳内には「嫌な予感」の警告アラートが真っ赤に点滅し始めた。


「コーヒー以外にも、いろいろ淹れ方教えてくれないかな? カフェラテとか、キャラメルマキアートとかさ!」


 予感的中だ。やっと一つ問題を片付けたと思ったら、さらに面倒な課題を山積みで突きつけられた気分だった。 素人の俺に、そんな専門的なものまで求めるとは……。この店長、俺のことを何でもやってくれるどっかの万事屋か何かと勘違いしているんじゃないだろうか。


 反論しようと口を開きかけたその時。  校庭から、「次、行っくぞーー!」というサッカー部の威勢のいい掛け声が響いてきた。

 それはまるで、俺の穏やかだった日常が終わり、新しい「放課後」という試合が強制的に始まった合図のように聞こえた。


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