三杯目:「……もう一回、教えて」
「ちょっと! 火傷したらどうするのよ、バカ!」
「俺のせいかよ!? 一ノ瀬さんが急に手を離すからだろ!」
床に散らばった熱湯を避けるように足をバタつかせながら、俺たちはキッチンペーパーで床を拭う。
彼女は、濡れたエプロンを気にすることもなく食い下がってきた。
「っていうか、フィルターを通すってどういうことよ!? コーヒーの粉って、お湯で溶かすんじゃないの!?」
「そのまんまの意味だよ! さっきの俺の手元、どこを見てたんだよ……」
溜息をつきながら手を動かしていると、不意に隣で作業していた彼女の手が止まった。
「……もう一回、教えて」
蚊の鳴くような、小さな呟き。
そこには先ほどまでの意地っ張りなギャルの姿はなく、自分の無知への罪悪感に肩を揺らす、一人の少女がいた。
「……分かったよ。でも、今のままじゃ店は閉めたほうがいい。このクオリティでお客さんを通すのは、流石に不誠実だ」
「……分かったわよ」
彼女は力なく答えると、てくてくと入り口へ向かった。
……少し言い過ぎただろうか。しょんぼりと丸まった背中を見送ると、なんだか俺のほうが悪いことをしたような気分になる。あとで謝っておこう。学校で一軍女子に目をつけられるのは、平凡には荷が重すぎる。
それにしても。なぜ彼女は、この「実力」で店長なんてやっているんだろう。
自分で建てたのか? いや、そもそも資金は? そんな疑問が渦巻いていると、彼女が戻ってきた。
「お店、閉めてきたから! ……だから、お、教えて! お願い、白河!」
目の前でギュッと両手を合わせ、必死に頭を下げる彼女。
クラスの頂点に君臨する彼女に、まさか名前を覚えられていたなんて。その事実に少しだけ胸を熱くしながら、俺は覚悟を決めた。
「……素人だけど。それでも良ければ」
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「そうそう。いい感じ。あとはゆっくり一周して……完成だ」
「……できたぁっ!」
格闘すること、約二時間。
失敗した数は数知れず。無駄にした豆と、嘆きと、やり直し。
ようやく完成した「一ノ瀬琥珀・至極の一杯」が、カップの中で琥珀色の湯気を立てていた。
「飲んでみたら?」
俺の言葉に、彼女は恐る恐る、聖杯でも扱うような手つきでカップを口元へ運ぶ。
……ごくり。
「……っ、おい、しい。おいしい! 白河、美味しいよこれ!」
瞬間、彼女の瞳にパッと光が宿った。
頭の上にピンと耳が立ち、見えない尻尾がちぎれんばかりに振られているような錯覚に陥る。
「できた! 本当にコーヒーができた! やったぁぁ!」
「……よかったな。喜んでく……れ、て……?」
「ほら! 白河も飲んでみて! すっっっごく美味しいから!」
興奮のあまり、彼女は距離感を完全に見失っていた。
自分の口をつけたカップを、そのまま俺の唇に押し付けてくる。
「ちょ、いや、俺はいいよ!」
「なんでよ! アンタが教えてくれたんでしょ、飲んでよ!」
「いや、だって今のっ……ご、ごくっ……」
強引な勢いに負け、俺の喉を液体が通り過ぎる。
「…………美味しい」
「でしょ!? んふふ、ありがと!」
そう言って、太陽が弾けるようにニコッと笑った彼女。
学校では決して見せない、年相応の、それでいて破壊力抜群の笑顔に――。
俺の心臓は、熱湯を浴びた時よりも熱く、跳ね上がった。
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