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「クラスのギャル、放課後は喫茶店で不器用マスターやってます。」  作者: 路地裏の猫


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3/16

二杯目:「コーヒーはコーヒーフィルターに通して飲むんだよ」

「はいこれ。コーヒー」


 差し出されたのは、『ブレンド』と素っ気なく書かれた銀色の袋。  

 ……えっと。なんで俺、今キッチンカウンターの中に立ってるんだ?


「一ノ瀬さん。本当にやるのか? 俺、素人だぞ」


「やるに決まってるでしょ! あんなに大見得切ったんだから、当然おいしく淹れられるんでしょ! ほら、さっさとやって!」


 これだ。この陽キャ特有の理不尽な無茶振りと、有無を言わせぬ勢い。  猫を被るのをやめた彼女は、間違いなくいつもの「一ノ瀬」だった。


「……分かったよ。やればいいんだろ」


 腑に落ちない思いを抱えつつ、俺はカウンターに置かれたドリッパーを手に取る。  フィルターをセットし、銀色の袋からコーヒー粉を二匙。さらさらと、焦茶色の粒が重なっていく。

 ――ケトルの湯が沸くのを待つ間、この上なく気まずい沈黙が流れた。  チラリと横を見れば、彼女は腕を組み、不て腐れた様子で俺の手元を監視している。その視線は、もはや客を見るものではなく、生意気な後輩を品定めする先輩のそれだった。

 やがて、シュンシュンと湯気が上がり、ケトルが沸騰を告げる。  俺はポットを手に取り、かつて祖母が淹れてくれた時の記憶を辿った。

 まずは、全体を湿らせるように軽く一周。  ふわりと膨らむ粉の香りに意識を集中し、数滴がサーバーに落ちるのを待ってから、本注ぎに入る。二周、三周。円を描くように、慎重に、かつ一定の細さでお湯を落としていく。  琥珀色の滴が、ゆっくりと、けれど確かなリズムでカップを満たしていった。


「……できました。一ノ瀬さん」


差し出されたカップを、彼女はひったくるように受け取る。


「……ふん! 淹れるだけなら誰だってできんのよ、誰だって。大事なのは、味!」


 彼女は熟練の鑑定士のような手つきで、カップを顔に近づけた。立ち上る香りを、これ見よがしに深く吸い込む。

 正直、不安しかない。  特別なことをしたわけじゃない。文字通り「普通」に淹れただけだ。  もし期待外れだったらどうしよう。「不味いわよ!」とコーヒーをぶっかけられる未来まで想像してしまい、俺は思わず身を固くした。

 彼女の、淡いピンクのグロスが乗った唇が、カップの縁に触れる。  

 

 ……ごくり。  

 

 彼女の喉が、小さく鳴るのが見えた。


「……。」


「ど、どうかな……?」


「…………おいしい」


 蚊の鳴くような、けれど静かな店内に確かに響いた一言。  地獄からの生還。九死に一生を得るとはまさにこのことだ。

 俺は、いつの間にか止まっていた呼吸を深く吐き出し、そっと胸をなでおろした。


「なんで……? どうやってこんなに美味しく淹れられるのよ。何が違うの? ねえ、なんで!?」


 刹那、彼女がぐいっと距離を詰めてきた。  長い睫毛が触れそうなほどの至近距離。陽キャ特有のパーソナルスペースの狭さに、心臓が跳ねる。さっきまでの般若はどこへやら、今の彼女は純粋な疑問をぶつける無邪気な子供のようだった。


「ちょ、一ノ瀬さん! 近い、近いから!」


「いいから教えてよ! 私が淹れても、あんな泥水みたいな味にならない! どうしてよ!」


「……えっと。普通に淹れただけだよ。本当に、ごく一般的な手順で……」


「私も普通に淹れたわよ! 普通に!」


 ――おかしい。  この店には、俺と同じ豆があり、同じ器具がある。それでここまで「毒」と「琥珀」の差が出るのは、もはや怪奇現象だ。  原因を特定するには、実行環境を再現してもらうのが一番早い。


「一ノ瀬さん。……一回、俺の前で淹れてみてくれないか?」


「……いいけど」


 彼女はぽつりと呟くと、俺が淹れたコーヒーを一滴残さず飲み干し、キッチンへと向かった。  まずはドリッパーを用意し、フィルターを手に取り……。


「……って、ちょっと待て一ノ瀬さん! 何してんだ!?」


「なによ。見てわかるでしょ、コーヒーを淹れる準備をしてるんじゃない」


「わかんない、一ミリもわかんないよ! さっき俺が淹れるの見てたよな!?」


 彼女は、フィルターをドリッパーにセットすることなく、あろうことかその「紙の袋」の中に直接、紙のフィルターを突っ込んだ。  そして、マグカップの中に直接、フィルターを巧みに使い山盛りのコーヒー粉をぶち込む。


「……いや、何がどう見えたらそうなるんだよ」


 もはや絶句するしかない。彼女の脳内にある『コーヒーの淹れ方』というプログラムは、根本からバグっている。  だが、俺の困惑などどこ吹く風。マイペースすぎる彼女は、粉がパンパンに入ったカップを手に取ると、事も無げに言った。


「で、ここにお湯をなみなみ注いで……。」


 ドヤ顔でケトルを傾けようとする彼女。

 それ、コーヒーじゃなくて、ただのコーヒーの粉をお湯に溶かしてるだけだから!! コーヒーの粉は砂糖みたいに溶けないから!!


「違う違う違う! 一ノ瀬さん、ストップ! コーヒーの粉はコップに直接ぶち込まない!」


「なんでよ!? コップに入れないと飲めないじゃない、意味不明なんだけど!」


 俺は本日何度目かわからない頭痛に襲われ、天を仰いだ。  落ち着け。深呼吸だ。ここで脳の回路を焼き切ったら負けだ。はい、吸ってー、吐い――。


「ねえ、聞いてんの!? 粉とお湯が合体してこそのコーヒーでしょ!」


 深呼吸の静寂すら許さない、彼女のマシンガン。  俺は覚悟を決め、彼女にとって――いや、この国の喫茶店店長全員にとって、天変地異に等しい事実を告げた。


「……一ノ瀬さん。よく聞いてくれ。コーヒーの粉っていうのは、フィルターを『通して』、エキスだけを抽出するものなんだよ。粉ごと飲むもんじゃないんだ」


「………………は?」


 彼女は口をぽかんと開けたまま、完全にフリーズした。  

 まるで、地球は平らだと信じていた人間が、初めて地動説を聞かされた時のような顔だ。

 直後。彼女の指先から、熱湯を湛えたケトルが重力に従って滑り落ちた。


「あ、あっぶな――」


『あっづぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!』


 誰もいない静かな店内に、二人の悲鳴が共鳴した。

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