四十四杯目:「嬢って! そこは姫でしょ?」
初めに。
更新が遅くなってしまいすみません。
リアルの仕事が忙しく、更新が遅れました。
更新したい欲はすごくあるのですが、体が追い付きませんでした。
話の展開等は頭の中にありますが、書く時間がないです。。。
本当に申し訳ございません。
これからもマイペースに書いていきますのでどうかお手柔らかにお願いしますm(__)m
長くなり申し訳ございません。
そんなことどうでもいいから早く書け! 読ませろ! となる気持ちすごく理解できます!
お待たせいたしました。
それでは本編へどうぞ↓
「流石だな大河!」
百メートル走という花形競技にて圧倒的な実力差を見せつけ、大活躍をした山波。
涼しい顔で、しかし堂々たるオーラを纏って待機場所へと戻ってきた彼の背中を、神崎がバシンッと威勢よく叩き、我が事のように大声で褒め称える。
他の生徒たちが皆「本当に人間か?」というような呆気にとられた表情をしている中、このクラスで一人だけ、神崎だけが最初から山波のぶっちぎり一位を微塵も疑わずに信じ抜いていた。
親友に向けるその信頼の目は、夏の太陽の下で誰よりも鮮やかに輝いている。
「あんなのもはや宝の持ち腐れじゃん」
神崎の熱狂とは対照的に、佐伯は小さくため息をつきながら、どこか呆れたような声で呟いた。
佐伯の言っていることもよく分かる。
これほどの常識外れな運動能力を持って生まれておきながら、山波自身は特定の部活に所属したり、これと言った一つのスポーツに本気で打ち込んでいるわけではないのだ。
もし、山波が何か一つの競技に死ぬ気でのめり込み、その才能を極限まで研ぎ澄ましていたら一体どれほどの高みへ登り詰めていたのだろう。
そう考えると、ストイックにバスケに打ち込んでいる佐伯のように、「勿体無い」と悔しがる気持ちも痛いほどよく分かる。
実際に目の前で彼の圧倒的な走りを見せつけられて——いや、彼が凄い奴だということは頭では知っていたが、いざ再びトップスピードの彼を目の当たりにすると、神様の不公平な采配を改めて痛感せざるを得なかった。
「ギリギリだったけどな!」
佐伯の辛辣な評価など気にする様子もなく、山波は白い歯を見せてワッハッハと快活に笑いながら先程のレースの感想を口にした。
神から与えられたあのチート級の運動能力に加えて、この男は嫌味のない『謙虚さ』まで持ち合わせているのだ。
普段は教室で騒いでいる馬鹿そうで常に元気なこの男だが、こう見えて実はとてもできた人間なのである。
そもそも普段の様子がザ・陽キャというだけであって、勉学自体は普通に、いやむしろかなり出来る部類に入る。
曲がりなりにも進学校であるこの学園に入学し、授業についていくことができている時点で、彼の頭脳はこの世の高校生の平均よりは確実に上なのだ。
天は彼に二物も三物も与えている。
——と、そこでふと疑問が頭をよぎったが、ではあの致命的に勉強ができない一ノ瀬はなぜこの学園に入学出来たのだろうか。
まさか面接官の目をその愛嬌だけで誤魔化したのだろうか。
今度問い詰めてみよう。
「どこがギリギリだよ! あんな決めポーズまでしちゃってさ」
神崎と山波のやかましいやり取りを、少し離れたパイプ椅子に深々と座って眺めていた九条が、呆れたような、しかし楽しそうな声で的確なツッコミを入れた。
それを聞いた山波は、ゴール直後のあの完璧な主人公ムーブを思い出したのか、急に少し恥ずかしそうな顔をして照れ隠しのようにガシガシと後頭部を掻いた。
「次って誰が何の競技に出るの?」
山波の凱旋の熱気が少し落ち着いたところで、宮本が頭の上にふわふわとした疑問符を浮かべるように首を傾げて尋ねた。
「えーっと、確か……」
宮本の問いに、クラスのまとめ役である水野が手元に持っていた分厚い体育祭の予定表をペラペラと捲る。
「次は借り物競争かな?」
活字を追っていた水野の口から出たのは、体育祭のド定番競技だった。
借り物競争。
グラウンドを走るついでに、コースの途中に置かれた箱から一枚の紙を引いて、そこに書かれたお題の『モノ』や『人』を観客席や他の生徒から借りてゴールするアレだ。
一体誰が最初に考えた競技なのか、純粋な走力以外の運要素やコミュニケーション能力が絡みすぎて、陸上競技としては無駄が多すぎる。
まぁ、ハプニングが起きやすくエンタメ性は非常に優れていて、走らされている競技者も、それを見ている観客側も盛り上がって楽しめるから、お祭り騒ぎとしてはいい競技だと思うが。
「誰が出るのー?」
競技名を答えてくれた水野に対し、宮本が間髪入れずに出場者をさらに聞き返す。
「うち」
宮本の声に応えるように、俺のすぐ近くで右手がちょこんと静かに挙がった。
声の主は、佐伯だった。
……正直、かなり意外だ。
普段は群れることを嫌い、他人のドタバタ劇には冷めた視線を送るサバサバした性格の佐伯が、まさかあんな運要素と恥ずかしさが同居するようなバラエティ色の強い競争に出るとは。
現に、静かに手を挙げている佐伯の顔はスンッとした無表情で、微塵も気合いやヤル気を感じさせない。
「莉愛が出るの!?」
俺が驚くのも無理はない。
何しろ、彼女と最も一緒にいる時間が長い大親友である一ノ瀬すら知らなかったらしく、目を丸くして大声を上げているのだ。
それほどまでに、佐伯と借り物競争という組み合わせはミスマッチで意外なのだ。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「知らないよ! だって、クラスで種目決める時莉愛手挙げてなかったじゃん!」
俺達が彼女の出場を知らなかった決定的な理由。
それはとても単純な話で、一ヶ月ほど前のホームルームで行われた、この体育祭の種目に出場する生徒決めの際、佐伯は誰がどう見ても一切手を挙げていなかったからだ。
あの時は例の一ノ瀬のリレー問題でクラス中が揉めていたため、俺自身の記憶が色々とすっ飛んで忘れている可能性も微レ存(微粒子レベルで存在)だと思っていたため、てっきり俺だけが聞き逃していたのかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
「あー、あの後借り物出る子が変わって欲しいって言ってきて」
「おっけーしたの!?」
意外にも、いつもはぽわぽわとしている宮本が、佐伯のあっさりとした答えに食い気味に食いついた。
いつもフワフワとマイペースな宮本が、前のめりになってこんなに驚いている姿は初めて見た気がする。
「え? うん。別にいいかなって。それに去年は楽そうだったし今年も楽かなって思って」
宮本の予想外に大きなリアクションに驚いて一瞬思考が止まっていたが、よく考えれば佐伯のその行動もめちゃくちゃ意外だった。
彼女が、クラスメイトの個人的な泣き言や面倒な頼みをホイホイとすんなり受け付けるタイプだったとは。
そういう困っている人を助けるような役割は、お人好しな一ノ瀬や、クラスの委員長気質である水野が率先してやりそうなイメージだが、一見すると冷たく見えがちな佐伯が他人の頼みをすんなり聞くというのは、俺の中で彼女のキャラクター像が少しだけアップデートされる出来事だった。
「意外だな」
心の中でひっそりと思っていたはずの素直な感想が、思わず口からポロリとこぼれ落ちていた。
「何? 白河はうちがクラスメイトの頼みを聞かない薄情な人間って思ってた?」
その俺の短い呟きを聞き逃さなかった佐伯は、細めた目をスッとこちらに向け、わざと意地悪な、棘を含んだ言い方で絡んできた。
薄い唇の端に浮かんだからかい半分の笑み。完全に俺をオモチャにして遊ぼうとしている顔だ。
「いやっ! 違っ!」
俺は慌てて顔の前で両手をワイパーのように激しく振り、全力で否定する。
決して薄情だと思っていたわけではない。
ただ、彼女の持つ一匹狼的な気高さというか、面倒事をスマートに躱す器用なイメージと、「借り物競争」という泥臭い競技があまりにも結びつかなかっただけなのだ。
「佐伯は普段嬢って感じだからな! 白河も驚いたんだろ! なっ白河!」
必死に否定する俺の肩に、横からガシッと重たい手が置かれた。
振り返ると、先ほどのレースの興奮も冷めやらぬ山波が、白い歯を輝かせながらとんでもない事を言い出した。
彼としては俺をフォローしたつもりなのだろうが、言葉のチョイスが壊滅的すぎる。
俺は彼に同意を求められたことに対し、先程よりもさらに高速で首を横に振り、残像が見えるほどの勢いで全力否定する。
やめろ、俺を巻き込むな。
「嬢って! そこは姫でしょ?」
案の定、ピクリと眉をひきつらせた佐伯が、山波の無神経な言葉にすかさず鋭いツッコミを入れた。
……いや、問題はそこではないと思うが。
『嬢(キャバクラ的な意味)』と言われたことに対する怒りではなく、『姫』と呼ばれなかったことに対する訂正。
てか、自認は姫系なんだな佐伯って。
普段のそのサバサバしたウルフカットの見た目と中身のギャップに、俺は心の中でそっとツッコミを入れた。
「ねぇ? ジョウって何?」
そして、この危うい空気にトドメを刺すように、無知なる破壊神・一ノ瀬が純真無垢な瞳をパチパチと瞬かせながら首を傾げた。
お願いだから、これ以上この場に混乱を招かないでくれ一ノ瀬。
ここで誰かが馬鹿正直に『嬢』の正確な意味を教えようものなら、話がさらにごちゃごちゃになって大惨事になってしまう。
俺は祈るような気持ちで周囲に視線を送った。
「借り物競争ってどんなお題なんだろうね」
一ノ瀬の投下した爆弾が爆発して完全な混乱を招きかけたその絶妙なタイミングで、パイプ椅子に座っていた九条が唐突に、しかし極めて自然なトーンで新たな疑問を投げかけ、見事に話題をすり替えてくれた。
ナイスフォローだ九条。
彼が口にした疑問。
去年の体育祭の記憶を呼び起こしてみると、確か借り物競争のお題はごく一般的な、簡単なものばかりだったはずだ。
『メガネをかけている人』とか、『赤いタオル』とか、『好きな食べ物』とか。
そんな感じの、観客席を少し探せば比較的手に入りやすい、ほのぼのとしたものだった記憶がある。
「そりゃー食いもんとかだろ?」
いつまで俺の肩にこの汗ばんだ重たい手を乗せておくつもりなのだろうか。
物理的な暑苦しさを感じながら鬱陶しく思っていると、山波が極めて凡庸で能天気な予想を口にした。
「まぁ普通はねー……」
山波の意見に対し、予定表から顔を上げた水野が、何か重たい含みを込めた言い方で濁した。
普段はハキハキと喋る水野が、なぜあんな気まずそうな、どこか遠くを見るような目をしているのか。
理由は単純だ。
彼女は経験しているからだ。
嫌というほど知っているのだ。
クラスの代表として、普段から面倒な生徒会や会議やら何やらで、学園の中枢のドロドロとした部分を色々と見てきたからこその、背筋が凍るような含み。
そう——。
「……水野。競技の内容って生徒会長が決めてるのか?」
その水野の様子を見て、俺の脳裏に一つの最悪の可能性が閃いた。
そうだ、水野だけではない。
俺も知っているのだ。
あの生徒会長の、常人には到底理解できない予測不能な思考回路を。
思いつきで周囲を地獄に突き落とす、考えられない破天荒な行動を。
実際に身をもって体験し、甚大な被害を受けた覚えがあるからだ。
文化委員会議。
あの密室にいた人間は全員、あの『如月』という男の底知れない深淵と狂気を覗き見たはずだ。
そう。
それはつまり——この借り物競争のお題が、ただの『普通のもの』で済むはずがないという残酷な事実。
「待って待って待って! 日葵! お願い! 嘘って言って!」
その事実に気付いた瞬間、先ほどまでの余裕ぶった無表情は完全に消え去り、サーッと血の気を引かせた真っ青な顔で激しい焦りを見せる佐伯。
彼女がここまで取り乱すのも無理はない。
佐伯もまた、俺や水野と同じくあの会議室という地獄にいた人間なのだ。
あのふざけた会長の恐ろしさを骨の髄まで知っている人間なのだ。
それに何より、佐伯はあの日、あの場で、こともあろうにあの会長に向かって真正面から啖呵を切った人間なのだ。
いうならば、絶対権力者に自ら喧嘩を売ったも同然。
そんな男が全権を握って作成したお題を引かされるかもしれないとなれば、顔面蒼白になるのも無理はない。
完全に個人的な報復をされていてもおかしくないのだから。
「嘘……って言いたいけど、残念ながら想像通りなの。今回は全部会長がルールやら規定やら何から何まで決めちゃった」
全てを悟った様な、まるでこの世の無常を達観した仏のような顔をした水野は、静かに目を伏せ、哀れな佐伯の未来に祈りを捧げた。
どうか少しでも、まともで簡単で、優しく取り組みやすい普通の問題を引けるように。
ただただ、アーメンと祈った。
「辞める! 辞める! 辞退する!」
さっきまでの気だるげな「嬢」もとい「姫」の面影はどこへやら、スーパーの床で転げ回る駄々っ子のように両腕をブンブンと振り回し、本気のパニック状態で辞退を宣言する佐伯。
確かに、あの会長の用意したお題に挑むリスクを考えれば、辞退という選択肢は大いにありだ。
——出場するのが、自分自身ならば、の話だが。
思い出して欲しい。
この体育祭における、俺たちの至上命題を。
俺たち二年四組の目標は、クラスの意地とプライドを賭けた『総合優勝』だ。
生半可なやり方じゃ勝てない。
全ての競技で、一人ひとりが限界以上の好成績を取る必要がある。
それは当然、このふざけた借り物競争でも同じことだ。
一点でも、二点でも多く泥臭く点をもぎ取る。
それが目標到達への絶対的な必須事項だ。
それに、佐伯は女子の中でもトップクラスに足が速い。
日々のバスケ部の厳しい練習で鍛え上げられたその脚力をもってすれば、お題にもよるが、運良くマシなお題を引き当てさえすれば一位を取るのは容易なはずなのだ。
つまり、クラスの勝利という大局的な視点から見れば——。
「我々とて辛い。だが、必要な犠牲だ。異論はないな皆の者」
突然、声を一段階低く落とし、まるで世界を裏から牛耳る秘密結社のボスの様な重々しい声を出す神崎。
口元を覆い、非情な決断を下す冷酷な司令官を見事に演じ切っている。
「あぁ。せめて彼女が、価値のある勝ちを手に入れる事を祈ろう」
その神崎の小芝居に、九条がコホンと軽く咳払いをし、インテリ眼鏡キャラのような芝居がかった口調で続く。
ゼーレだのゼータだの、昔見た深夜アニメの組織名が何だったか忘れたが、まさにあの手の「大義のために仲間を切り捨てる黒幕会議」にしか聞こえない。
「佐伯莉愛に人類の未来を任せよう……的な?」
二人の謎のノリに便乗し、一ノ瀬も顔の前で手を組み、わざとらしく声を低くしてそれっぽいセリフを口にしたが、最後は自分の演技に笑いを堪えきれなくなったのか「アハハッ」といつも通りの元気に笑い崩れた。
「琥珀! 変わって! お願い!」
「どーしよっかなー?」
迫り来る会長の魔の手から逃れるため、プライドを投げ捨てて親友に必死にすがりつく佐伯と、ここぞとばかりに立場を逆転させ、意地悪な笑みを浮かべてそれを分かってて揶揄う一ノ瀬。
いつもなら一ノ瀬が泣きつき、佐伯が呆れながら助けるという構図が完全に真逆になっている。
その珍しすぎるイレギュラーな光景が、不謹慎ながら何処か面白く、俺は腹の底から湧き上がる笑いを噛み殺しながら、いよいよ始まる狂気の借り物競争に向けて静かにトラックへと視線を向けた。
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「結局諦めて行ったな」
最後の最後まで、悪あがきのように必死な形相で身代わりを探していた佐伯だったが、事の顛末とあの会長の恐ろしさを共有しているクラスの皆が、自ら進んで地獄の釜の蓋を開けに行くような真似をするはずもない。
誰一人として彼女と目を合わせようとせず、皆が一斉に空の雲行きを気にし始めるという見事な連携プレイを見せつけられ、ついに観念した佐伯は、死刑宣告でも受けたかのように深く背中を丸め、スピーカーから流れる無慈悲な集合アナウンスに従って、重い足取りでトラックへと向かっていった。
普段の堂々とした立ち振る舞いからは想像もつかないその哀愁漂う後ろ姿に、俺は思わず同情の言葉をこぼした。
「どんなお題なのかな?」
そんな俺の感傷など知る由もなく、これから前代未聞の酷い目にあう可能性がある親友の姿を想像して、悪魔のようにニヤニヤが止まらない一ノ瀬。
彼女の整った可愛らしい顔面には、心配の色など一ミリたりとも存在せず、純度百パーセントの好奇心と娯楽を求める期待感だけが張り付いている。
……それでもお前は本当に親友か? と、その輝くような笑顔に思い切り突っ込みたくなる。
この無邪気な残酷さこそが一ノ瀬の恐ろしいところだ。
「会長だから予想できないよ」
一ノ瀬の期待に満ちた声に、そう言いながら呆れたように首を傾げたのは水野だった。
水野の言う通り、あの生徒会長が普通の神経でプログラムを組んでいるとは到底思えない。
彼ならば、ただのモノを探させるようなありきたりで退屈な問題を出さない方が、むしろ異常事態でおかしいと言える。
グラウンドの真ん中で普通の高校生が頭を抱えてフリーズするような、物質ではなく『愛』や『絶望』といった実体のない概念の問題とかを平気な顔で出してきそうで、想像するだけで背筋が寒くなる。
「さぁ! 続いての競技は借り物競争ォー! 先程までの数々のデットヒート! 今回も競争なので容易に想像できます! 名勝負を期待しましょう!」
そんな俺達の不安をよそに、黒沢のテンションは留まるところを知らない。
プロ顔負けの過剰な持ち上げと煽りにより、ただのバラエティ競技であるはずの借り物競争に対し、会場全体が地鳴りのように沸き上がる。
可哀想に。
これからその熱狂の渦の中心で、晒し者にされるかもしれない佐伯。
佐伯、頼むから心が折れないように強く生きろよ。
佐伯は日々の厳しいバスケ部の練習で、肉体だけでなく精神も十分に鍛えられている……はずだ。
たぶん。
いや、あの会長の精神攻撃の前では物理的な筋肉など何の役にも立たないかもしれないが。
「実際問題どういうのが出るんだろうな」
熱気に包まれるグラウンドをフェンス越しに眺めながら、神崎が純粋な疑問を口にした。
「んー相場だと道具とか、食べ物とかじゃない?」
神崎の質問に、隣で腕を組んでいた九条が極めて論理的かつ常識的な推測で答える。
メガネ、帽子、ジャージ。
あるいはパンやジュース。
確かに、一般的な体育祭の相場を考えればそれが妥当な線だろう。
「そんなのつまんないよ!」
「つまんないって言ってもそういうもんだろ琥珀」
「違うよー! なんかこう? なんて言うんだろ?」
九条の出した真っ当な答えに対し、一ノ瀬は両手をバタバタと振って「わかってない!」とばかりに猛抗議した。
エンタメ性を最優先する彼女にとって、普通のモノ探しなど退屈でしかないのだ。
神崎が現実的な言葉でなだめようとするが、一ノ瀬は納得せず、自分の頭の中にある『面白いお題』のイメージをなんとか言語化しようと、うーんと唸りながら言葉を探している。
「好きな人ーとか?」
「そう! 面白いお題!」
一ノ瀬の言葉にできないもどかしい何かを、隣にいた水野がズバリと、そしてあっけらかんと的中させた。
水野から飛び出したそのキラーフレーズに、一ノ瀬は「それ!」とばかりに目を輝かせて強く同意する。
確かに『好きな人』というのは、昔から漫画やアニメで描かれる借り物競争ならではの、最も場が盛り上がる王道にしてお決まりの鉄板お題だ。
だが、現実にそんなお題が本当に出るのだろうか。
まさか俺たちは二次元のラブコメの世界に生きているわけじゃあるまいし、教育機関の行事でそんな露骨なプライバシーの侵害みたいな紙が入っているはずが……いや、あの会長ならやりかねないな。
仮に出たとして、だ。
そもそも、あの佐伯に『好きな人』なんているのか?
……。
ま、いるわけない。
あの孤高のウルフカット娘が、誰かに顔を赤らめて恋心を抱いている姿など、天地がひっくり返っても想像できない。
だが——もし、万が一。
もし仮にそんな存在が『いた』としたら、逆にめちゃくちゃ気になる。
他人に興味がなさそうで、隙を見せないあの佐伯莉愛が、一体どこの誰の事を男として気になっているというのだろうか。
やはり、彼女と同じようにバスケに打ち込む、高身長でストイックにスポーツができる様な人だろうか。
それとも、運動バカを嫌って、九条のように同じくらいの学力があって知的な会話ができる人だろうか。
あるいは、全く予想だにしない意外なタイプの男だったりするのだろうか……。
駄目だ。
一度気になり始めると、パズルのピースを埋めたくなるように、どうしようもなくどんどん気になってくる。
さっきまで同情していたはずの俺の心は、いつの間にか完全に野次馬のそれへと切り替わっていた。
如月会長。
あんたの狂気に満ちた采配を、今だけは信じている。
どうか、最高に『いいお題』を頼みます。
「莉愛って恋バナ全然してくれないもん! 私が話しかけてもいつの間にか私ばっかり話してるし!」
ぷくーっと、いかにも不満げに頬を膨らませた一ノ瀬が、両手を腰に当てて抗議の声を上げた。
恋バナ。
恋愛話。
それは女子高生にとって、休み時間や放課後のカフェで繰り広げられる最も重要で神聖なコミュニケーションツールの一つだ。
だが、確かにあのサバサバした一匹狼気質の佐伯は、そういう他人の色恋沙汰や自分の恋愛観についてキャーキャー騒ぐようなことには一ミリも興味がなさそうだ。
むしろ「時間の無駄」とか言って一刀両断しそうなイメージすらある。
あと、一ノ瀬よ。
お前が「いつの間にか私ばっかり話してる」と文句を言っているが、それは恋バナに限ったことではなく、いつもの日常茶飯事だぞ。
お前のトークは常に自分の興味のあることばかりで一方通行、まるでブレーキの壊れた機関車のように喋り続けているのだから、聞き手に回る佐伯のせいではないと思う。
「そうそう。莉愛ちゃんは興味なさそうにしてねー!」
一ノ瀬の抗議に、宮本も同意するようにコクコクと頷きながら追従する。
……それにしても。
それからお前ら、そう言う生々しい女子特有の内輪話は、あまり俺たち男子の目の前で大っぴらにしない方がいいと思うぞ?
いくら仲の良いクラスメイトとはいえ、男子というのはそういう「女子の恋バナ」という未知の領域に触れると、どう反応していいか分からず無性に居心地が悪くなる生き物なのだ。
現に、俺の隣にいる神崎の顔とか見てみろ。
普段は陽気で誰とでも屈託なく話すあの神崎でさえ、今は空の雲の形をやたらと熱心に観察するフリをして、完全に視線を泳がせて気まずそうにしているじゃないか。
俺だって、どこを見て立っていればいいのか分からない。
「さぁ! お待たせいたしました! 選手入場です!」
そんな俺たち男子の居た堪れない気まずい空気を、物理的な大音量で強引に払拭するかのように、スピーカーから黒沢のテンションの高いアナウンスがスタジアム全体に響き渡った。
助かった。
心の中で黒沢に深く感謝する。
実況の声とともに、グラウンドの入場門から、これから地獄の借り物競争に出場する各クラスの生徒たちが、パラパラとトラックへと入場してくる。
その中には当然、まるでドナドナと売られていく仔牛のように、完全に生気を失い、この世の終わりみたいな顔をして俯きながら歩く佐伯の姿もあった。
「なんか少なくない?」
その入場してくる生徒たちの列をぼんやりと眺めていた宮本が、ポツリと素朴な疑問を上げた。
「少ない?」
俺は思わず聞き返した。
少ないとは、一体何のことなのか。
観客の歓声のことか?
いや、ボルテージは最高潮だ。
「出る人。二十人いなくない?」
「ん?」
どうやら宮本は、トラックに入場してきた生徒の『数』の話をしていたようだ。
言われてみれば確かに、グラウンドの中央に集まりつつある集団は、陸上競技の出場者グループとしては妙にこぢんまりとしている。
俺は宮本に言われて、改めて生徒の人数を指差し確認しながら数え始めた。
一、二、三......。
「十八人だよ?」
目を細めて人数を数え終えるか終えないかのタイミングで、俺の耳に真横から水野の冷静な声が聞こえてきた。
まるで最初からその人数になることを完璧に知っていたかのように、一片の迷いもないきっぱりとした声で。
「十八って......一クラス一人か!?」
俺の脳内で瞬時に計算式が組み上がる。
この学園は一学年につき六クラスで構成されている。
それが一から三年生までの三学年あるため、全校で合計十八クラスだ。
そして今、グラウンドに立っている生徒の数がピッタリ十八人。
つまり、これは予選や組み分けの第一グループなどではなく、全校の『各クラスからたった一人だけ』が、この場に代表として引きずり出されているということになる。
「待て待て。レースは何回あるんだ?」
「それは知ら......」
「今年の借り物競争は一味違います! 各クラスの代表一人だけが出場し、レースは何回も行いません! 一レースのみ! 十八人で競います!」
俺の至極真っ当な疑問と水野の返答を遮るように、ご丁寧に最高のタイミングで黒沢の種目ルールの説明がスピーカーから叩きつけられた。
一レースのみ。
十八人で、一斉に競う。
——馬鹿か。
そんなことしたら、グラウンドがぐちゃぐちゃのパニック状態になるに決まっているだろ。
ただ走るだけの純粋な徒競走だとしても、十八人が一つのトラックで一斉にスタートすれば、インコースの奪い合いでごたつくのは容易に想像がつく。
そこに『借り物』という予測不能なイレギュラー要素が加わるんだぞ?
目当てのモノを持っていそうな観客席に向かって十八人が一斉に殺到し、お題の被りだって確実に出る。
ターゲットを巡って奪い合いの喧嘩になるかもしれないし、時間がかかってグダグダの泥沼化するリスクだって計り知れない。
あの生徒会長は、一体何を考えてこんな暴動一歩手前のルールを承認したんだ……。
「なるほどね」
俺がその狂気のルールの全貌を想像して戦慄していると、隣で腕を組み、静かにグラウンドを見つめていた九条が、ふと顎に手を当てて呟いた。
全てを悟り、何か極めて厄介な裏の意図に気がついたかのように深く頷く九条。
その知的な響きを持ったただならぬ一言に、俺を含めたその場にいる全員の顔が、バサッと一斉に彼の方へと向いた。
改めてになりますが、この作品を楽しみに待ってくださる皆様。
いつも本当にありがとうございます!!!!!




