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「クラスのギャル、放課後は喫茶店で不器用マスターやってます。」  作者: 路地裏の猫


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二十二杯目:白河の過去①

 俺たち三年生にとっては、これが正真正銘、最後になる夏の大会だ。


 刻一刻と迫り来る本番を前に、血管を駆け巡るような緊張と、内側からせり上がってくる高揚感。

 湿り気を帯びたシーツの上で寝返りを打つが、意識は冴え渡り、まぶたの裏には明日のトラックの光景が鮮明に焼き付いて離れない。

 子供の頃、修学旅行の前夜にどうしても眠れなかった、あの落ち着かない焦燥感に似ている。


 こういう眠れぬ夜、俺が決まってとる行動がある。

 キッチンに立ち、一杯のコーヒーを淹れることだ。

 世間一般の常識に照らせば、それは間違いなく「愚行」の類だろう。

 カフェインが中枢神経を刺激し、眠気を遠ざけるというのは抗いようのない科学的事実だ。


 だが、今の俺に求めているのは科学的な正解ではない。

 これは俺にとっての、一種の聖域――プラシーボ効果というやつだ。

 風邪を引いていないのに、病だと思い込むだけで実際に熱が上がるように。

 人間の思い込みという能力は、時に理屈を超えた作用を身体にもたらす。


 一言で言うなら、それは「静寂の儀式」だ。

 温かい液体が喉を通り、胃に落ちていく過程で、ささくれ立った神経がゆっくりと解きほぐされていく。

 ならコーヒーでなくてもいいだろう、と人は言うかもしれない。

 実際、過去にココアで代用した夜もあった。


 けれど、結果は芳しくなかった。

 なぜか俺の精神は、あのコーヒー特有の苦味と香りにしか、絶対的な安心感を抱けないようだった。


 重い体を起こし、暗がりに沈んだキッチンへと向かう。

 共働きの両親はまだ仕事から戻っておらず、広い家には俺一人しかいない。

 この、耳が痛くなるほどの静けさには、もうとうの昔に慣れてしまった。

 学校から帰ってきて、誰もいない空間に向かって「ただいま」と呟いても、返ってくるのは冷たい空気の反響だけ。

 それが俺の日常であり、当たり前の風景だ。

 だから今更、寂しさなどという感傷に浸るつもりはない。

 

 むしろ、この孤独という名の余白があるからこそ、俺は陸上という研ぎ澄まされた世界に全身全霊を捧げられているのかもしれない。


 日頃、無意識のうちに蓄積された微かなストレスを、爆発的な推進力へと変換し、トラックの上に叩きつける。

 走ることは、俺にとっての呼吸であり、唯一の生きがいだった。


 棚から取り出したコーヒーフィルターをセットし、ケトルでお湯を沸かす。

 ボコボコと水が踊る音だけが響くこの待ち時間も、嫌いじゃない。

 スマホを見るでもなく、ただ思考を止めて待つ。

 退屈なようでいて、その実、精神を研磨しているような不思議な時間。

 言葉で言い表すのは難しいが、その空白が心地よかった。

 お湯が沸騰を知らせると、細い注ぎ口から慎重に湯を落とす。

 円を描くように二周、三周。

 コーヒーの粉がふっくらと膨らみ、一滴、また一滴と琥珀色の液体が滴り落ちるたび、香ばしくもどこか切ない匂いが部屋の隅々にまで充満していく。

 

 完成した漆黒のコーヒーを、陶器のマグカップ越しに両手で包み込む。

 立ち上る白い湯気に優しく息を吹きかけ、少しずつ温度を逃がす。

 ゆらゆらと揺れる煙の向こうで、また芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。

 一口、ゆっくりと含めば、鋭い苦味が舌の上で踊り、その直後に柔らかく深い風味が鼻へと抜けていく。

 重層的なその味わいが、荒ぶっていた心臓の鼓動を一定の律動へと整えてくれる。

 

「明日は、勝つ」


 暗いリビングで、誰に聞かせるでもなく決意を言葉にする。

 その一言を飲み干すように、俺は再びベッドに横たわった。

 内側からじわりと温まった身体は、ようやく重力を受け入れ、俺を深い深い眠りの淵へと誘い始めた。



―――――――――――――――――――――――



「続きまして。男子千五百メートル。出場選手は、指定の位置に集合してください」


 巨大なスピーカーから放たれた無機質なアナウンスが、熱を孕んだ大会会場の隅々にまで響き渡る。


 刻一刻と迫る出番に備え、鋭い眼光でスパイクの紐を締め直す者。

 アスファルトを叩く硬い音を響かせ、最終的なアップに汗を流す者。

 スタンドから声を枯らし、仲間の背中に祈りを届ける応援団。

 緊張を紛らわせるように、あえて他愛のない雑談に興じる者たち。


 置かれた状況や種目は違えど、ここに集った全員が「陸上」という名の、たった一瞬の真実に全てを懸けるためにこの聖地へと足を踏み入れている。


 その厳かな事実に胸を躍らせ、高鳴る心臓の鼓動を勝利へのリズムへと変換しながら、俺は立ち尽くすチームメイトたちを鼓舞するように声を張り上げた。


「いいか、今日、俺たちは遊びに来たんじゃない。勝ちにきたんだ。あの吐き気がするほど辛い夏の練習を、誰よりも泥臭く乗り越えてきたのは俺たちだ。俺たちなら、絶対に勝てる! さあ、アップに行くぞ!」


 各々の覚悟を象徴する、学校名が刻まれた薄いユニフォームに身を包んだ俺たちは、まるで戦地へ向かう兵士のような統率取れた足取りで、アップエリアへと移動を開始した。



「まずは全身の筋肉を呼び起こせ! 体温を上げて柔軟性を確保しとけよ! ただし、エネルギーを使い果たすな、やりすぎは厳禁だ!」


 顧問の鋭い掛け声が号令となり、各々がルーティン通りのアップを開始する。

 陸上という競技は、実に多種多様で奥が深い。

 コンマ一秒の爆発力に懸ける短距離、己の限界を削りながら走り抜ける長距離、そして鋼のような肉体で遠空へと鉄塊を放るハンマー投げ。

 当然、それぞれの種目が要求する筋肉や感覚は異なり、最適化された準備もまた千差万別だ。

 

 俺の専門は短距離。

 まずは肺に新鮮な空気を取り込むように、軽いジョグから始動する。

 眠気を残した細胞一つひとつを揺り動かし、爆発的な出力を可能にする「戦闘モード」へと肉体を再構築していくのが目的だ。


 陽炎の揺らめく練習場を、二、三周ほどゆっくりとしたペースで走る。

 周囲を見渡せば、筋肉の鎧を纏った投擲選手も、肢体の長い跳躍選手も、皆一様にこの基礎的な動作から始めている。

 この競技場に立つ者にとって、静から動へと肉体を滑らかに接続させるこの時間は、何物にも代えがたい神聖な儀式なのだ。


 だから、俺は一歩たりとも手を抜かない。

 タータンを蹴る感触、足首の硬さ、膝の沈み込み。そのすべてを確かめるこの瞬間から、すでに勝負は始まっている。

 ゴールラインを駆け抜けるその時まで、俺の集中が途切れることはない。

 

「昨日のあの漫画の展開、見た? マジで熱かったよな」


 前を走る他校の連中から、緊張感の欠片もない呑気な会話が風に乗って聞こえてきた。

 正直、俺にはありえないことだった。

 人生を懸けた決戦の地で、どう考えたらそんな弛んだ余裕が生まれるのか。

 今日まで積み上げてきた血の滲むような練習を、一瞬の油断で無駄にするつもりなのだろうか。

 それとも、自分たちの限界を悟り、最初から勝利を諦めているのか。

 

 どちらにしても、俺の流儀とは相容れない。

 努力は裏切らない。

 正しく積み上げた時間は必ず報われる。

 その言葉だけを唯一の救いとして、俺は今日までやってきた。

 文字通り死ぬ気で自分を追い込み、肺が焼けるような苦しみに耐え抜いてきた。

 暗闇の中で、何度心が折れそうになったか。

 拭いきれない不安に、何度挫けそうになったか。

 あまりの過酷さに、何度すべてを投げ出して辞めてしまおうと思ったか。

 それほどまで、なりふり構わず剥き出しの魂で向き合ってきたのが、この陸上競技だ。

 ここで無様に負けるわけにはいかない。

 

 勝つんだ。

 俺個人ではなく、この最高で最悪なチームで。

 そして、その先の全国という高みへ。


「よし! ジョグ終了だ。次はそれぞれ流しでキレを確認しよう。短距離は俺のところに集合。長距離は斎藤の指示に従え。フィールド種目は監督のところだ。さぁ、最後の一秒まで気を引き締めていこう!」


 俺の号令とともに、色とりどりのユニフォームを着た部員たちが、それぞれの専門エリアへと散っていく。

 砂埃が舞うグラウンドの一角に、俺を中心とした短距離組の精鋭が集結した。

 

「よし、短距離! 今日まで吐くほど走ってきたよな。そのすべての答えを、今からトラックに刻んでこい。今日、俺たちは最高の結果を出す! さぁ、最後の大会を始めよう!」


 俺の剥き出しの鼓舞を受け、全員が腹の底から絞り出したような「はい!」という力強い返声を、青く澄み渡る夏の空へと突き刺した。


 練習と言っても、重ねて言うが今は本番直前の極限状態だ。  

 ここで全力を出し切るような愚は冒さない。  

 出力の目安は七割程度。

 筋肉に刺激を入れ、神経の伝達速度を確認する作業に留める。  

 無意味な疲労を蓄積させるのも論外だが、何より恐ろしいのは、たった一度の「出しすぎ」が招く不慮の負傷だ。

 今の俺たちにとって、怪我は敗北よりも残酷な終止符を意味する。


「リレー組、バトンパスの最終確認をするぞ」


 リレーという競技において、走力という個の力は確かに重要だ。

 しかし、それ以上に勝敗を左右するのは、一本のアルミの棒をいかに淀みなく、そして丁寧に次へと託せるかという「技術」にある。  

 かつて世界を驚かせた日本代表の快進撃を支えたのは、個々の走力を凌駕する、世界一と称されたバトンパスの精度だった。  

 連携という不確定要素を、徹底的な反復によって「絶対的な武器」へと昇華させる。

 その一瞬の受け渡しに、数秒のタイムを縮める魔法が隠されているのだ。  


「順にやっていこう。実際の距離を意識して、それぞれ配置についてくれ」    


 四継――四百メートルリレー。  

 バトンパスが行われるのは三箇所。

 そのうち第一から第二、そして第三から第四への受け渡しは、遠心力が牙を剥くカーブ区間で行われる。  

 

 視界が揺れ、重力が外側へと逃げていく中での受け渡しは、直線のそれとは難易度が天と地ほども違う。  

 体は斜めに傾ぎ、足首にかかる負荷も、体重の掛け方も刻一刻と変化する。  

 走ることに割く意識が分散しがちなこの難所で、いかにミスをゼロに抑えるか。  

 だからこそ、俺はこの過酷な第一走者を担当している。  

 爆発的なスタートダッシュと、カーブの真っ只中での精緻なバトンパス。  

 アンカーへと繋ぐメンバーたちが、一分一秒でも長く直線での加速に集中できるように。


 陽炎の立つトラックに、それぞれの走者が静かに配置についたのを確認する。

 俺は天に向けて右手を高く掲げ、メンバーに無言の合図を送った。


 クラウチングスタート。  

 軽くジャンプをして、脚のバネに生命を吹き込む。  

 スターティングブロックの金属質な冷たさを感じながら、慎重に足をセットする。  

 手前の足の土台から、自分の足で三歩分。

 ミリ単位の狂いも許さない位置に、指先を地面へと置く。  

 一度、体を大きく左右に揺らして余計な強張りを逃がした。  

 肺に深く空気を溜め、一気に全身の筋肉を鋼のように固定する。  

 腰を静かに浮かし、爆発の瞬間を待つ。  

 心の中で響かせた号令とともに、溜め込まれたエネルギーが右足へと集約され、弾かれたように前へと振り出された。


 飛び出した瞬間、視界は地面のタータンだけを捉える。

 最初は上体を低く保ち、地面を抉るようなパワーで強烈に加速する。  

 肺に食い込む風を切り裂きながら、段階的に上体を起こし、重心を理想の高さへと移行させる。

 姿勢は天に向かって一本の芯が通ったように、まっすぐ、美しく。  

 腕は太鼓を叩くような力強さで大きく振り、膝は高く、ストライドは広く。  

 一歩、また一歩。

 鋭利なスパイクのピンが確実にトラックを捉え、爆発的な推進力を生み出していく。


 いい感覚だ。  

 地面からの反発を掌で受け止めるかのように正確に感じ取れている。

 肉体は羽のように軽く、それでいて鋼のような芯がある。    

 俺はさらにギアを上げる。  

 コーナーへ差し掛かっても、スピードの目盛りを下げることはしない。

 遠心力に抗うように上体を内側へと傾け、逃げようとする慣性を力でねじ伏せる。  

 減速など、今の俺の辞書にはない。    


 目前に迫る、第一の関門。バトンパス。  

 この一瞬のために、俺たちはどれほどの汗を流しただろうか。  

 何度も、吐き気がするほど練習した。  

 何度も、暗闇のグラウンドで手を伸ばし続けた。    


 二走の背中が近づく。

 彼が、俺の歩数に合わせて合図を送った。  

 リードを取る。

 静から動へと一気に加速する、死の淵の合図だ。  


 リード走者は全力で未来を掴みに行く。

 だから、渡す側の俺もその背中に死に物狂いで食らいつく。  

 俺が注視するのは、ただ一つ。

 差し出される、二走の左手。  

 それ以外、余計な情報は網膜から排し、ただ走ることの根源に集中する。    

 細胞レベルで、俺たちのタイミングは一致していた。  

 練習で擦り切れるほど繰り返した記憶が、肉体を自動操縦で動かしていく。    

 脳内のイメージをなぞるように、一点の狂いもなくアルミの感触を託す。  

 パシン、という乾いた、けれど重厚な破裂音が鳴り響き、バトンは次なる走者の掌へと吸い込まれていった。    



 完璧だ。  

 震えるほどに、完璧だった。  

 一切の澱みがない、精錬された機能美。  


 タイムのロスは、理論上の最小値に収まっている。  

 これなら――これなら、誰も俺たちの背中を捉えることはできない。


 大仕事を終えた俺は、肩で息をしながら、光の中を駆けていく残りのメンバーたちの背中を遠くから観察する。  


「ああ。……完璧だ」


 俺の独善的な練習に、誰一人脱落することなくついてきてくれた彼らだ。  

 その努力の結晶が、この流麗なパスに結実している。    

 俺は胸の奥を占める確かな安心感に包まれながら、静かに、そして誇らしげにスタート位置へと歩みを進めた。



―――――――――――――――――――――――――



「続きまして、男子四百メートルリレー、決勝。出場選手は指定の位置に集合してください」


 場内スピーカーから放たれた無機質な、けれど逃れようのない重圧を伴ったアナウンスが、真夏のスタジアムに響き渡る。  


 いよいよだ。


 俺は重い肺から熱を吐き出し、準備を開始する。  

 肌に張り付いていたジャージを脱ぎ捨てると、灼熱の陽光が剥き出しの肩をジリジリと焼き、それさえも闘争心を煽るスパイスに変わる。

 勝負の相棒であるスパイクの紐を、指先の感覚がなくなるほど強く、固く締め直した。


 俺は散らばっていたメンバーを呼び寄せ、このチームのキャプテンとしての、そして共に泥を啜ってきた仲間としての、最後の仕事をこなす。


「いいか、ここまで来たんだ。何度も、何度も、倒れるまで練習してきた。そのすべては、この一分にも満たない瞬間のためにある。だから俺たちは今日――勝つ! 他の誰でもない、俺たちが絶対に勝つ! 行くぞ!」


 魂を揺さぶるような最後の鼓舞。

 それを受けた彼らの瞳には、恐怖を塗りつぶすほどの狂信的なまでの意志が宿っていた。言葉は必要ない。

 頷き一つを残し、三人の戦友たちはそれぞれの待つ区間へと、蜃気楼の中を散っていく。


「……よし」


 一人残されたスタート地点。

 俺は軽くまぶたを閉じ、深淵のような集中へと潜る。  

 脳内で、超高速のシミュレーションが繰り返される。  

 『位置について』の静寂。

 爆発的なセット。

 鼓膜を震わせる銃声。

 そして、腕が千切れんばかりの加速から、二走の手へと命を託すバトンパス。  

 無駄な思考を削ぎ落とし、ただ勝つための数式だけを神経に叩き込む。

 それ以外、この世界には必要ない。


「第一走者は、それぞれのスタート位置についてください」


 スターターの合図に従い、俺は指定されたレーンへと足を踏み入れる。  

 リレーの特性上、レーンは八まで存在し、外周に近づくほどスタート位置は遥か先へと押し出される。

 この歪な視界の差が、トラック一周が同じ距離であることの証明であり、残酷なまでの孤独を際立たせる。    


 俺は、先ほど確信した最高の感覚を指先から手繰り寄せた。  

 軽くジャンプし、脚のバネに酸素を送り込む。  

 ブロックから三歩の距離を測り、指先を繊細に、けれど力強く地面へ置く。  

 一度大きく体を左右に揺らして余計な虚飾を捨て去り、呼吸を止め、彫像のようにピタッと静止した。


 後は、運命の合図を待つだけだ。  

 その響き一つで、積み上げた三年間が始まり、そして、終わりを迎える。  

 確信がある。

 最初に、あの眩いチェッカーフラッグのテープを切るのは、俺たちだ。


「オン・ユア・マーク」


 熱を帯びた大地を、スパイクのピンが、足裏が、貪欲に捉える。  


 あとは待つだけ。

 静止した肉体の内側で、マグマのような力が今か今かと噴出を待ち構えている。

 それだけだ。


 スタジアムを埋め尽くしていた人の視線が、針の山となって刺さる。

 けれど、不思議と周囲の喧騒は遠のき、世界から音が消えた。  

 ただ、走ること。

 それだけが純化され、意識のすべてを支配するこの神聖な空白の時間を、俺は愛していた。


「セット」


 腰を、限界まで高く浮かす。  

 指先に体重のすべてが乗り、腕が小刻みに震えるが、俺は極限まで精神を脱力させていた。  

 落ち着け。

 ただ、凪いだ水面のように落ち着くために。


――バンッ!


 暴力的なまでの銃声が空気を震わせた瞬間、俺の右足は、自らの意志を超える速度で前へと踏み出していた。  

 勝利という、ただ一点の光を目掛けて、真っ直ぐに。


――バンッ、バンッ!!
















































 脳を突き刺すような、二度目の銃声。  


 ……そんなことは、あり得ない。  

 血の滲む努力を重ね、完璧に整えたこの瞬間に、あり得るはずがない。  

 二度目の乾いた音は、残酷なイレギュラーを告げていた。  


 何が起きた?


 この加速を止めるなと、脳が悲鳴を上げる。

 だが、鳴り止まない銃声の余韻が、俺の足を鉛のように重く変えた。    


 ――それは、フライングを告げる処刑の合図。    

 弾かれたように振り返り、震える視線で足元を凝視する。  

 そこには、俺のレーン番号の目の前に、血のように鮮やかな、そして底知れぬ絶望の色をした赤いカードが、無情にも掲げられていた。


「過去は変えられない」


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