十六杯目:山波大河の場合
「山波、助かったよ! 明日大会なんだけど、練習相手がいなくて困ってたんだ。お前のおかげでいい結果が残せそうだよ」
夕日が長く差し込む体育館。
バッシュが床を噛むキュッという鋭い音。
女子バスケ部の威勢のいい掛け声。
ボールが重く跳ねる音。
俺は、バドミントン部の大会前練習に付き合っていた。
子供の頃から、とにかく体を動かすのが好きだった。
公園を全力で走り回ったり、近所の奴らとサッカーに明け暮れたり。
そんな毎日を過ごしていたおかげか、いつの間にか運動神経は人より良くなっていた。 気づけば、あちこちの部活から練習相手や助っ人として頼られるようになって。
体を動かしながら、誰かの力になれる。
俺は、そんな「人助け」が嫌いじゃない。
「いやいや! 俺なんかで良ければ、いくらでも先輩に力を貸しますよ! 大会、頑張ってくださいね!」
汗で額に張り付いた髪を、無造作にかき上げる。
「本当に助かったよ、ありがとな。……次は野球部の助っ人に行くんだろ?」
バドミントンの次は、野球部でバッティングピッチャーの代役を務める約束がある。
本職のピッチャーは別メニューで調整するため、打撃練習用に投げてほしいという依頼だった。
「はい! では、失礼します!」
俺は先輩に威勢よくお辞儀をして、体育館を後にした。
火照った体に風が心地いい。
猛烈に喉が渇いたので、体育館横の自販機へと向かった。
「えーっと……水、水、と」
小銭を入れて、青いボタンを探す。
だが、俺が指を伸ばすより一瞬早く、何者かの指がボタンを弾いた。
ピッと電子音が鳴り、ガタンッ、と重たい音が落ちる。
「おい! 誰だよ、勝手に押したのは!」
慌てて横を向くと、そこにはタオルで首筋の汗を拭いながら、涼しい顔で立っている佐伯がいた。
「なんだ、佐伯か……じゃなくて! 勝手に選ぶなよ!」
佐伯は「心外だ」と言いたげに首を少し傾げ、飲み物の取り出し口を指さした。
「あれ? 水でしょ? 山波が探してたの」
言われて自販機の底を覗き込む。
そこには、俺がまさに買おうとしていた「天然水」のペットボトルが、誇らしげに転がっていた。
「あ、あぁ。代わりに押してくれてたのか。ありがとな」
俺は腰をかがめ、取り出し口から水を引き抜きながら礼を言った。
「『水、水』って独り言が聞こえたから。……今日も助っ人?」
佐伯が自販機に小銭を滑り込ませる。
「あぁ、頼まれちゃってな。バドミントン部が明日大会らしくて、その対戦相手役。さっきまで一暴れしてきたところだ」
「へぇ。相変わらずだね」
ガタン、と音を立てて出てきたスポーツドリンクを、佐伯は器用に開けて飲み始める。
「佐伯こそ練習いいのか? 女子バスケ部はもう再開してるだろ」
「休憩中。……君が体育館を出ていくのが見えたから、なんとなく」
佐伯はペットボトルの蓋を閉め、タオルを首にかけ直す。
「バスケ部も大会近いだろ。今年はどうなんだ? 勝てそうか?」
「まぁね。私がいるし、今年の一年生は粒揃いだから。なんとかなるよ」
さらりと言ってのけるが、相当な自信だ。
実際、佐伯が入部してからのバスケ部は見違えるように強くなった。
校門には「バスケ部全国大会出場」ののぼりが誇らしげに揺れている。
「そうか、頼もしいな。……そういえば、クラスの文化祭の方はどうなってるんだ?」
ふと思い出した疑問をぶつけてみる。
「……なにも。まだ何も決まってないよ。体育祭の練習もあるし、それに...…白河も休んでるから」
白河はここ三日、風邪で欠席している。
体調管理は大事だが、人間だ、倒れることくらいあるだろう。
「大丈夫なのかな、あいつ。……話し合い、進まないだろ?」
「神崎のコネがあるし、あとは内容だけ。どうせ琥珀あたりが突拍子もない案を出して、誰かがそれを形にするでしょ」
案外、適当なのが佐伯らしい。
だが、彼女はいつだって、その「適当さ」の裏で確実に結果を出してくる。
「じゃ、練習戻るから。山波もあんまり張り切りすぎて、明日の体育祭練習に響かせないようにね」
「おう。頑張れよ、佐伯」
佐伯は一度も振り返ることなく、ひらひらと手を振って、再び熱気の籠もった体育館へと消えていった。
「あ、俺も急がねぇと! もういい時間だ!」
野球部との約束の時刻が迫っていることに気づき、俺は飲みかけのペットボトルを握りしめたまま、夕闇の迫るグラウンドへと走り出した。
体育祭に、文化祭。
欲張りだと言われるかもしれないが、俺はどっちも「一位」を獲りたいと思っている。 一位という場所は、特別だ。
二位や三位という惜しい席からは、決して、逆立ちしたって見ることのできない景色が、そこには確かに存在するから。
中学の頃、俺は水泳に全てを捧げていた。
きっかけは単純で、テレビで見た世界大会の熱気に、ただ中てられただけだった。
けれど、一度のめり込めば一直線なのが俺の性分だ。
血の滲むような、文字通り塩素の混じった水を吐き捨てるような毎日を積み重ね、ついには全国大会という、かつて夢見た舞台まで辿り着いた。
……でも、そこで俺は一番にはなれなかった。
結果は四位。
あと一歩、指先が届かなかった表彰台。
コーチには毎日怒鳴られ、「お前ならもっと行ける」「お前なら、もっと高いところへ行けるはずだ」と過剰なほどの期待を背負わされた。
それが、堪らなく嬉しかったんだ。
誰かが俺を信じてくれている。
全力の応援を背負っている。
だからこそ、勝ちたかった。
独り占めしたいんじゃない。
俺を信じてくれた人たちと一緒に、あの景色を見たかった。
見せてあげたかったんだ。
あの表彰台の一番高い場所から見える、遮るもののない、突き抜けるような青い景色を。
水泳を引退し、高校に入ってからの俺は、いつしか便利屋のようにあちこちの部活から助っ人を頼まれるようになった。
助っ人として役割を全うすると、みんなが満面の笑顔で、最高の感謝をくれる。
「山波のおかげで勝てたよ」「お前がいてくれて本当に助かった」。
その言葉の一つ一つが、水泳のあの日、あと少しのところで届かなかった空白を、少しずつ埋めてくれるような気がしていた。
誰かに必要とされる。
その期待に応える。
だから、俺は今日も自分の限界なんて考えずに、誰かのために全力で身体を動かす。
「お願いします! 遅れました!」
カクテル光線が灯り始めたグラウンドに、勢いよく足を踏み入れる。
「山波! 待ってたぜ、今日も頼むぞ! お前の球、生きた教材なんだよ!」
泥にまみれた野球部の連中の、野太い歓声が響く。
俺は大きく息を吸い込み、肺いっぱいに夜の空気を取り込むと、真っ新なマウンドへと迷いなく駆け出した。
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