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第4話 期間限定の恋人

 嫌な静寂が落ちる。

 黒瀧さんは、きょとんとした表情で俺を見ながら、何度も瞬きを繰り返していた。

 そうしていると、俺は全身から嫌な汗が噴き出てくる。


 衝動的とはいえ、俺は何を聞いているんだ。

 と言うか、何を言おうとしていたんだ。

 急に冷静になって体温が急激に下がってくると、黒瀧さんは不思議そうにこう答えた。


「いや、ないけど……」

「で、ですよね!? なに言ってるんだろう俺、あはは!」


 俺は挙動不審になりながら鞄を抱える。

 視線は右往左往して、もう黒瀧さんの顔をまともに見ることが出来ない。

 そんな俺に対して、黒瀧さんの不思議そうな声が続けて耳に届く。


「そう言う香坂くんは、男と付き合ったこと、あるの?」

「ないです!!」

「そうなんだ。じゃあどうして…――」


 黒瀧さんがそう言いかけたとき、会議室から出てこない俺たちを気にしたのか、スタッフの一人が「移動しますよ」と声を掛けに戻ってくる。

 俺はその声を助け舟にして、慌てて黒瀧さんの横を通り抜けるのだった。





 懇親会の会場は、広い座敷の居酒屋だった。

 俺は隅っこの席で、ハイボールを一気に半分ほど飲み干しながら、膝を抱えて蹲る。


 変なことを、言ってしまった。絶対に不審に思われたはずだ。

 焦りすぎたのだ。どうしても、このままではいけないと思ってしまった。

 ルカという役をもっと理解するためには、ルカの気持ちを理解出来るようにならなくてはいけない。


 ルカを理解するということはつまり、男を好きになることを理解するということだ。

 自分のために、相手が死を選ぶことを喜べるくらい、愛する気持ちを理解しなくてはいけない。


 でも、俺はそもそも彼女だってまともに出来たことがなかった。

 高校生くらいの頃、周りが彼女を作っているから。という理由で女の子と付き合ったことはあるけれど、結局数ヶ月で別れたし、彼女とは手を繋いだことしかない。


 そういう意味では、俺はまだ恋をしたことがなかった。

 だから尚更、ルカの気持ちが理解できないのかも知れない。情熱的な恋をしている、ルカのことが。


 とは言え俺は、黒瀧さんに対して、いったい何を言おうとしていたのだろう。


「鳴海、飲み過ぎじゃないか?」


 蹲っている俺の隣に座っていたユウキさんが、呆れたように俺に声を掛けてくる。

 俺はハッとして顔を上げると、少し熱くなっている顔を向けて慌てて否定した。


「そ、そんなことないです! まだまだいけます!」

「いや、もう飲むなって言ってるの。随分落ち込んでるけど、どうした?」


 ユウキさんは、相変わらず面倒見が良い。

 同じ事務所の先輩として、落ち込んでいる俺のことを気にかけてくれているようだ。


 俺は抱えた両膝の上に顎を置きながら、深くため息をつく。

 そして正直に思っていることを口にした。


「俺、皆さんに比べて未熟すぎて。足引っ張らないか不安になりました」

「なんだそんなことか。初めてメインやるんだから、そんなもんだろ。まだ稽古も時間あるし、焦らなくて大丈夫だよ」


 優しい言葉を掛けてくれるユウキさんに対して、俺は一度だけ頷いた。

 焦らなくても大丈夫。本当にそうなのだろうか。

 キャラの感情を育てたり、気持ちを演技に乗せるのは、俺にはまだ難しく感じる。きっとみんな以上に時間が掛かる。


 すると、宴会の中心にいた翔さんが「席替えしよう!」と提案していた。

 続けて「俺の隣に来たい人!」と募集を初めている。

 その募集に、ユウキさんは真っ先に手を挙げていた。


「はい! 俺行きます!」

「お、ブルスカのメインカップリングじゃん」

「じゃあ黒瀧くんは香坂くんの隣だな」


 スタッフたちの言葉に、俺は思わず顔を上げる。

 黒瀧さんの隣に座るのが気まずすぎて、わざわざこんな端っこの席を陣取っていると言うのに。

 そんな俺の気も知らず、ユウキさんは自分のグラスを持ちながら、励ますように俺の頭に一度だけ手を置いて行ってしまう。


 薄情者を見送ると、周りから言われるがままに黒瀧さんが俺の隣へ座った。

 ユウキさんよりも、ずっと圧迫感を感じる。それほど体格が良いのだと簡単に理解できた。


 黒瀧さんは俺の顔を見ると、ふっと微笑む。

 そして自分の持っているグラスを、俺の頬に押し付けながらこう言った。


「顔真っ赤だな。もう酔ってるのか?」

「俺の顔はグラスじゃないです。乾杯ならこっちでして下さい」


 そう言いながら、俺は自分のジョッキを掲げて見せた。

 黒瀧さんは、やれやれと肩を竦めながら、俺のジョッキと自分のグラスを合わせてくれる。

 どうやら黒瀧さんのグラスの中身は、烏龍茶のようだ。


 お酒、飲まない人なのか。

 そんな人間観察をしながら、俺は先ほどの自分の失言へ話題が向かないように、どうにか別の話題を探しながらこう言った。


「俺のこと、知ってたんですか? その、5月に会ったとき」

「いや、悪いけど知らなかったよ。ただ暫くして、この舞台の相手役がきまったって連絡が来てさ。知らない名前だったから顔写真検索したら、あの時の親切な道案内の人だったわけ」

「な、なるほど……」

「そっちは、俺のこと何も調べなかったの? 相手役なのに?」


 そう言われてしまうと、俺は言葉に詰まる。

 正直に言うと、相手役がどんな役者なのか、そこまで興味が無かったのかも知れない。

 いや、自分のことで精一杯だったと言うのが正しいだろうか。


 いま思えば、失礼な話だと思う。

 そもそも黒瀧さんは主演をやるような、人気で実力もある役者だ。

 同じ業界にいながら、名前も顔も知らないなんて、本当に可愛くない後輩だと思う。


 俺は自分のダメさに落ち込みながら、言葉を選んでそれに答えた。


「どんな人が相手でも、やるしかないと思ってたので」

「うん、それは正解」


 俺の返事に、黒瀧さんは特に責めることもない。

 呆れられているだけかも知れないけれど、それを表に出さないのは、やはり優しい人だと思った。


 一息つくように、俺はジョッキに口をつける。

 すると黒瀧さんは、まるで世間話のようにこう続けた。


「でさ、さっきの『男と付き合ったことあるか』って話の続きだけど…――」

「ッ!?」


 俺は、思わず咽せそうになりながらどうにかジョッキから口を離す。

 上手く話を逸らせたと思ったのに、簡単に話を戻されてしまった。


 もう忘れてくれ。そう思いながらも、言い出したのは俺なので、しっかりと向き合うしかない。

 俺は一度だけ深呼吸して、どうにか気持ちを落ち着かせてから、黒瀧さんへ顔を向けた。


「あの、本当に変なことを聞いてすみませんでした。もう忘れて下さい」

「俺がもしも、『あるよ』って言ったら、どうするつもりだったの?」


 一番恐れていた質問に、俺はウッと言葉に詰まる。しかし、当然の疑問だろう。

 俺自身、整理しきれていない。けれど黙り込むわけにもいかないので、自分の思考を整理しながら、しどろもどろに言葉を紡ぐ。


「俺、分からなくて……男を好きになる気持ち。ルカとヴァルドが何を考えているのか、全然共感できなくて。だから、俺も……」

「男を好きになれば、気持ちが分かるようになるかも知れないって、思った?」


 言葉にされると、なんとも浅ましくて、俺は羞恥で顔が熱くなる。

 流石に安直すぎる考え方だろう。それに、黒瀧さんを巻き込もうとしてしまったことが申し訳ない。


 今度こそ黙ってしまった俺の隣で、黒瀧さんは顎に手を添えて考えている。

 まるで真剣に悩んでいるように見えて、俺はそわそわした。

 もっと軽く笑って受け流してほしい。


 しかし黒瀧さんは茶化すこともなく、真剣な声色でこう続ける。


「自分が演じる役を理解するために、近い境遇に自分自身を置くのは良い方法だと思うよ」

「あ、あのそんなに真剣に捉えないでください! 男を好きになろうって、本気で思ったわけじゃなくてその、えっと……そう! そういう振りです!」

「振り?」

「だから、演技の一環と言うか。本当に恋をする必要はなくて、恋をしていると思わせるような説得力が欲しいんです!」


 必死に訴えかける俺を、黒瀧さんはじっと見つめてくる。

 何かを探ろうとしているような、考え込んでいるような視線に、俺は段々居心地が悪くなってきた。


 すると、周りが一斉にどっと笑い声を上げる。

 誰かが面白いことでも言ったのだろうか。俺は周囲の会話なんて、全然聞いていなかった。

 いまは二人きりではない。それを改めて思い出すと、俺はこんな話をしていること自体が恥ずかしく思えてくる。


 不意に、黒瀧さんは座敷から立ち上がった。

 そして座っている俺の腕を取って立たせると、自分の胸ポケットからタバコの箱を見せながらこう尋ねる。


「吸う?」

「あ、俺タバコは吸わな…――」

「じゃあ一緒に行こうか」


 俺の返事にお構いなく、黒瀧さんは俺の腕を引いて盛り上がっている宴会場から出ようとする。

 そんな俺たちに、霞鳥さんが不思議そうに声を投げた。


「あれタッキー、タバコ? 俺も行く!」

「悪い、後にして」


 申し訳なさそうに黒瀧さんはそう言って、霞鳥さんへ笑顔を向ける。

 すると、霞鳥さんは何かを察したように、「オッケー」とだけ答えて手を振っていた。


 俺は、訳もわからないまま黒瀧さんについていく。

 お店の外にある喫煙スペースは、他のお客さんも数人談笑していた。

 その集団から少し距離をとったところで、電子タバコをつけながら、黒瀧さんは先ほどの話を続けるようにこう言った。


「役者って、色んなタイプの人がいるんだよ。素の自分まで、役に引きずられる人。例えば普段は明るい性格の役者でも、暗い性格の役を演じている期間は、ちょっと無愛想になったりする」

「へえ……」

「他にも、演技の時だけ役を自分に降ろして、素の自分を役と切り離せるタイプ。素の自分は一切見せずに、常に演技で固めているタイプもいる」


 そう言いながら、黒瀧さんは煙を吹かした。

 その姿があまりにも絵になっていて、俺もタバコを吸おうかなと、頭の片隅で考えてしまうほどだ。

 黒瀧さんは、目の前の俺をじっと見つめて、不敵に笑いながらこう言った。


「香坂くんは、どんなタイプの役者だろうね?」

「俺ですか!? いや、全然わからないです、まだ……」

「それなら、役を理解するために恋をしようと思うのは、危険かも知れないよ」


 俺は、説教をされた気がして、しょんぼりと項垂れた。

 黒瀧さんの言う通りだ。初のメインキャストの舞台なのだから、変な役作りはしない方がいいかも知れない。

 この舞台は、まず自分がどんな風に役作りを進めるべきなのか、研究として扱うのが妥当だろう。


 でも、それだときっと、中途半端になってしまう。


 俺はまだ、次があるかもわからない。

 関係者がこの舞台を見にきて、俺の演技を見て、この程度かと思われたくない。

 一度だけかも知れないから、全力で最高の演技をしたい。


 そのためには、なりふり構っていられないのだ。


 俺は、じっと黒瀧さんを見つめ返す。

 そして自分の思った事を、正直に口にした。


「黒瀧さんは、素の自分は見せないタイプですか?」

「……え?」

「だから俺に対しても、みんなに対しても、優しく笑ってくれるんですか?」


 黒瀧さんは、タバコを持つ手を下げて、俺を見つめる。

 その目は、あまり優しくない。

 俺は少し酔っているせいか、怖いもの知らずに言葉を続けた。


「だって黒瀧さん、演技をしている翔さんを見ている時、すごく目が冷たかったから」

「……へえ?」

「本当は、翔さんのこと……嫌い、なんですか?」


 俺がそう言うと、黒瀧さんは黙って俺を見つめている。

 しかし突然、まるでスイッチが入ったように笑い出した。

 楽しそうに、けれどどこか渇いた笑い声は、酔っ払いたちの笑い声に紛れていく。


 一頻り笑うと、黒瀧さんはタバコに口をつける。

 そして煙を吹きながら、冷たい目をして笑った。


「困ったな。それ、ソウちゃんしか知らないんだけど」

「……っ。」

「ああ、そうだよ。わかるだろ、目障りなんだ……俺にとって。一時期はどんな舞台でも、俺に主演のオファーが来た。でも、あいつが頭角を表してから、いまは主演争いだ。あいつがデカい舞台の主演をやっている裏で、俺が他の舞台の主演をやる。それか今回みたいに、あいつが主演で俺はアイツと敵対するヴィラン役だ」


 そう言いながら、黒瀧さんは再びタバコに口をつけた。

 彼の口から出てくる言葉は、演技ではないとわかる。心の底から生まれてくる言葉ばかりだ。

 だって今まで俺に向けてくれた優しい言葉も、表情も、全部演技だったから――わかる。


 これが、この人の素の表情なのだと。


 俺は、黒瀧さんから目が離せなかった。

 優しくない、冷たい。でも、怖いとは感じない。

 触れてはいけない場所に触れた気がしたのに、引き返す気はなかった。

 むしろ、ようやくこの人の本当の顔が見られたことに、どこか嬉しさがある。


 黒瀧さんはまた煙を吹かすと、止まらなくなったように言葉を続けた。


「それでいて、あの性格だろ。わかるか? アイツは正に、役と自分を切り離すタイプだ。どんな役を演じていようと、いつだってあの能天気さなんだ。ムカつくだろ、こっちがどれだけ嫉妬して、負けたくないと思っていても、馬鹿らしいだろ。アイツはそんなこと、一切考えてない」

「……黒瀧さん」

「お前だって、俺より翔の方が好きなんだろ? すぐに懐いて、アイツに尻尾を振るようになるさ。そうに決まってる」


 俺は、この人が抱えている綺麗じゃない感情を浴びて、少しだけ手が震えていた。

 その震えを止めるように、自分の手を握りしめる。

 そして、11月の寒さを忘れるくらい高揚した顔を黒瀧さんへ真っ直ぐ向けたまま、俺は笑顔で口を開いた。


「俺が、演技のために恋をしたいと思った相手は、黒瀧さんです。だから、あのとき男を好きになったことがあるか、聞いたんです」

「……?」

「だって、常に演技で固めている黒瀧さんなら、俺の事を『演技で』愛してくれると思ったから!」


 俺の言葉に、黒瀧さんは「は……?」と言いながら訝しげに眉を寄せている。

 俺はまだ興奮していた。だって、俺の思った通りだったから。

 この人ならきっと、俺の『恋人』になってくれる。


 手の震えは、まだ止まらない。

 でもこの震えは恐怖ではない、興奮だ。


 俺は一歩、黒瀧さんへ歩み寄った。

 そして、必死に言葉を続ける。


「お願いします、この舞台が終わるまでの間で良いんです! 俺のこと、愛してる演技をして下さい! 舞台上だけじゃなくて、普段から!」

「……はあ?」

「お礼はなんでもします! あ、そんなにお金は無いんですけど……でもお願いします! 俺、完璧にルカを演じたい、理解したい。愛される気持ちも、愛する気持ちも身をもって感じてみたい! 演技に説得力を持たせたいんです、黒瀧さんみたいに!」


 俺はきっと、目をキラキラ輝かせていたと思う。

 だって、黒瀧さんは凄い人だ。とても演技が上手い人だ。この人が俺を愛する演技をしてくれたら、きっと俺もルカの気持ちが少しはわかるかも知れない。


 お酒の力も借りて、俺は会議室で言えなかった言葉を全部、黒瀧さんへぶつけていた。

 一方で、黒瀧さんは俺を呆然と見つめていた。

 引かれてしまっただろうか。何を言っているのだろうと、嫌われたかも知れない。


 そうして俺が少しずつ後悔し始めたところで、黒瀧さんも感情を整理し終えたのか、手に持った電子タバコで俺を指し示しながらこう言った。


「つまり、俺に期間限定の恋人になれって言うのか?」

「こ、恋人!? まあでも、そっか……そうですね!」

「じゃあ俺からの、交換条件。この舞台の間、翔よりも俺を優先しろ。どんな場面でも、絶対にアイツじゃなくて俺を支持しろ。出来るか?」

「え、そんなことで良いなら、出来ます!」


 もっととんでもない交換条件が飛び出してくると思ったので、俺は拍子抜けしてしまう。

 そんなに、黒瀧さんにとって翔さんは、恐ろしい対象なのだろうか。

 自分の仲間を増やしたいのであれば、俺はいくらでも黒瀧さん派閥へ入ろう。


 すると黒瀧さんは、俺の返事に満足してくれたらしい。

 吸っていたタバコを灰皿へ捨てながら、意地悪な顔で笑って言った。




「それじゃあ、契約成立だ。これからたっぷり愛してやるからな、『鳴海』」




 名前を呼ばれて、俺は思わずドキッと心臓が跳ねる。

 そうか、でもそうだ。恋人を演じるなら、よそよそしい苗字呼びなんておかしいだろう。


 すると黒瀧さんは、自分の事を指差している。

 俺にも呼ぶように求められていると理解して、俺は覚悟を決めながら口を開いた。



「はい。短い間ですがよろしくお願いします。『暁』……さん」

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