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第2話 迷子の男

「本当ですか!?」


 マネージャーから電話で聞いた報告に、俺は思わず嬉しくなって大声を上げる。

 5月上旬。まだ肌寒さも残る初夏の青空の中に、俺の声は吸い込まれていった。

 スマホを握る手が、興奮で震える。マネージャーから聞かされたのは、来年1月に上演される舞台のオーディションに、合格したという報せだった。


 大学生の頃、スカウトでこの業界に入り、大学を卒業した後も楽しみながら『俳優』という職業を続けてきたけれど、25歳にもなるとふと考えてしまう。

 本当に、俺はこのままこの仕事を続けて良いのだろうか、と。


 同級生たちは会社に勤めて、どんどん社会人になっている。

 その中で俺は、友人たちと比べると、まるで時間が止まっているように感じる瞬間があった。

 俳優として俺が成長していれば、そう感じることはなかったのかも知れない。

 けれど俺はまだ、ドラマや舞台で名前のない端役ばかりを演じ、名前のあるメインキャストを演じたことは一度もなかったのだ。


 と、言うのにも理由がある。


 事務所が俺に勧めてくれるのは、10代の少年の役や、可愛い男の子の役ばかりだ。

 俺の身長が162cmしかないのと、昔から年相応に見えないほどの童顔なので、事務所が俺に求めるキャラクター像は理解できる。


 それでも俺が目指すのは、渋くてカッコいい俳優だ。


 事務所の勧めてくる役が、今の俺の年齢だからこそ出来る役だとわかってしまい、そんな仕事ばかりを受けたくない。という無駄なプライドが、俺から事務所の用意した仕事を遠ざけていた。

 30代や40代になっても俳優を続けていくなら、『かわいい男の子』の役に囚われたくはなかった。


 それに俺みたいな無名の役者は、出始めた頃に演じた役でイメージが固定されてしまい易い。

 だからどうしても、事務所の勧めてくれる仕事を受けたくなくて、端役ばかりやっていたらいつの間にかデビューして5年だ。

 すると今度は、メインキャストを経験したことがないという事実に、焦り始める。


 同期でデビューした役者は、もう定期的にメインで舞台に立っていた。

 大学の同期は、会社で後輩たちに仕事を教える立場になっている。

 そんな焦りから、俺はなんでも良いからメインキャストをやりたいと、マネージャーに泣きついていた。

 情けなくて涙が出る。でももう、なりふり構っていられない。


 そしてマネージャーから勧められるままに受けたオーディションは、年明け早々に幕を開ける、新作のミュージカルだ。

 『ブルー・アンド・スカーレット』という、小説が原作のミュージカルで、内容は所謂ボーイズラブである。

 ファンタジー世界を舞台に繰り広げる、男たちの愛と戦争と悲劇の物語。

 BLなんて、俺が最も忌避するジャンルだったけれど、いまさら贅沢を言っていられなかった。


 合格するかも分からないのだから、取り敢えず受けるだけ受けてみよう。

 そんな気持ちで受けた役は、メインキャスト5人の中でも一番出番が少ない、魔性の男の役だ。

 年齢的にも、実力的にもこの役が最適だと理解しながらも、俺は自分とかけ離れた性格とキャラクターのオーディションに、全く手応えを感じていなかった。


 だからこそ、マネージャーから合格を告げられると、俺は高らかに叫んだのだった。


 初めての、名前があるメインキャスト。きっと端役と比べて圧倒的に台詞も多いし、たしかソロ曲もあったはずだ。

 歌だけは昔から得意で、レッスンも真面目に続けていて良かったと、本当に涙が込み上げてくる。

 これは俺――香坂鳴海(こうさか なるみ)にとってある種、俳優人生の新たな幕開けになるのだ。


 そう思うと同時に、俺はもう一つの現実と向き合うことになる。

 この舞台は、ボーイズラブだ。

 その現実と向き合った瞬間、俺のテンションはガクッと下がった。


 本当に、俺に上手く出来るのだろうか。初めてのメインキャストでやるような役だったのだろうか。

 この舞台で俺を知ってくれた人はみんな、きっと俺のことを『BL俳優』だとイメージを持つのだろう。

 それは、俺の目指したい俳優像とは大きくかけ離れている。


 でも、やるしかない。なりふり構っていられない。


 俺はマネージャーと一言二言交わして電話を切ると、大きく息を吐き出した。

 まだ少し、興奮で手が震えている。

 俺にとっては大きな仕事だ。まだ初夏だけど、今から冬へ想いを馳せる。稽古が始まるのは11月。そして本番は1月だ。


 それまでに、精一杯準備をしなくては。まずは原作をしっかり読み込もう。

 俺は止まっていた足を動かして、本屋を目指した。BL小説を買うことに抵抗はあるけれど、今は無人レジも多い。

 自分の出番のシーンへ付箋を貼ったり、書き込んだりしたいから、電子よりも紙で欲しかった。




 ――ふと、前に向けて歩き出した俺の視界に、気になるものが映る。




 随分、背の高い男性だ。

 サングラスで顔はよく見えないけれど、着ている服や溢れ出るオーラから、同業者の空気を感じる。

 俺自身は、所謂芸能人オーラなんてものはないけれど、この業界にいると他の人のオーラはなんとなくわかるようになってしまった。


 そんなことよりも、俺が気になったのはその人が手に持っている物だ。

 片手で抱えた紙袋は、某ドーナツ屋の紙袋で、その袋には溢れんばかりのドーナツが入っているのが見える。

 あんな大量のドーナツを、いったいどうするのだろう。


 そして男は、反対側の手に持っているスマホを、じっと見つめていた。

 時折、スマホを横にしてみたり、自分自身の体の方向を変えてみたりしているが、そのまま一周回っているのを見ると、俺はすぐに察しがつく。


 道に、迷っているのだろうか。

 俺は少し周囲を見渡してみると、遠巻きに見ながらコソコソと話している女の子たちが目に入る。しかし、男性に声をかける様子はない。

 他にもすれ違う人が何人か迷子の男性を二度見しているが、声を掛ける人はいないようだ。


 それなら、俺が声を掛けてみよう。

 普段ならこんな行動滅多にしないけれど、何故なら今日の俺は気分が良い。

 困っている男性に近付くと、俺は下から覗き込むように声をかけた。


「お兄さん、もしかして道に迷ってますか?」


 近くで見ると、その人は本当に背が高かった。俺より、軽く20cmは高いと思う。

 声を掛けた俺の方を見ると、サングラスの奥で両目をぱちぱちと瞬いているのが分かる。

 すると彼は少し挙動不審になりながら、視線をさまよわせて、小さな声でこう答えた。


「い、いえ。お構いなく……」

「えー、迷子ですよね? 俺、いま時間あるんで案内しますよ。何処行きたいんですか?」


 そう言いながら、俺は男のスマホを覗き込んだ。

 すると案の定、スマホの中の地図アプリは、最近できた新しい劇場へのルートを指し示している。

 やっぱり演劇の関係者だ。俺はニヤッと笑うと、劇場のある方角を指差しながら男を見上げた。


「その劇場ならあっちです。ちょっとだけ歩くんですけど、地下を通ると近道なんで、ついてきて下さい」

「えっと、いや……その…」

「遠慮しないで! 遅刻したら大変ですよ!」


 随分人見知りしているらしい。大柄な男が、小さな声で遠慮している様子は、少し可愛らしく思えた。

 それでも俺は、堂々と先を歩き出す。すると迷子の男も諦めたように、俺の後に続いてくれた。

 劇場まで、10分ほどで着くだろう。俺は歩きながら世間話でもしようと、隣の男に声を掛けた。


「お兄さん、役者さんでしょ?」

「……」

「あ、俺はファンとかじゃないですよ。同業者です、俺のことは知らないと思うけど」


 俺がそう言うと、大きな男は俺の方へ顔を向けた。サングラスをしているので表情までは見えないけれど、きっと俺の顔を確認したのだろう。

 無名の俺のことなんて、きっと知らないと思う。でも俺は少しハイになっていて、いらないことまでペラペラと口にしていた。


「実は来年上演されるミュージカルでメインキャストに決まったんです! あ、まだ情報解禁前だから言えないんですけど、なんと初めてのメインキャストなんですよ〜!」

「来年……。そっか、それはおめでとう」

「ありがとうございます! お兄さんも、結構メインとかやってるんですか?」


 俺の質問に、男はまた黙ってしまった。と言うよりも、困らせてしまったらしい。

 なんと答えたら良いのかわからない様子だったので、俺は慌てて言葉を続けた。


「すみません! 言い辛かったら大丈夫です!」

「……いや。俺はまあ、それなりにメインもやってるかな」

「やっぱり!? 良いなあ。お兄さん背が高いし、声も低くてめっちゃカッコいいです。俺もお兄さんみたいな役者になりたいんですよね、憧れます!」

「……きみ、あんまり同業者に興味ないタイプでしょ」

「え、わかります……? 実は俺、同じ事務所の仲が良い役者のことしか、あんまり分かってなくて」


 俺は正直にそう言いながら、バツが悪くて頭を掻いた。

 元々この業界が好きで――憧れて入った人とは違い、俺はスカウトだった分あまり界隈に詳しくない。

 共演した人のことは知っているけれど、それ以外の役者のことはよく知らなかった。


 すると迷子の男は、俺を見てどこか楽しそうに笑う。

 そして、まるで子供が悪戯を打ち明けるように、無邪気に言った。


「俺も、あんまり同業者には興味ないタイプ」

「そうなんですね! でも分かる〜、ちょっと面倒くさいですよね、役者って」

「うん。正直なに考えてるのか分からないし、一回共演したくらいじゃ心開けないよな」

「へー、俺はまだ舞台経験2回くらいだから、その感覚あんまり分からないですね」

「君は、共演した先輩から可愛がられそう」


 その言葉に、俺はうっと言葉に詰まった。

 言い当てられたようで、少し悔しい。確かに俺は今までの舞台現場で、先輩たちから可愛がられている自覚はある。

 でも、初対面の人に見抜かれるなんて。

 そう思っていると、男は少しだけサングラスをずらして、俺の顔を見ながらこう言った。



「俺も、既にかわいいと思ってるし」



 サングラスで隠されていた男の顔は、想像していたよりもずっと美形だった。

 切れ長の瞳は完璧な比率で、力強い眉は美しい流線を描いている。

 俳優特有の目力を感じる視線で見つめられると、俺は少しだけ体温が上がった。


 舞台上の俳優と目が合ったファンは、きっとこんな気持ちになるのだろう。

 こんなに整った顔の人が、自分を見た。その事実に少なからず感動を覚える。

 だから俺は男の顔に気を取られていて、彼がなんと言っていたのかはあまり聞いていなかった。


 そんな話をしていると、いつの間にか劇場に到着している。

 男は再びサングラスを掛け直すと、手に持っていた袋から一つドーナツを取り出して、俺に差し出してくれる。


「道案内ありがとう。これ、お礼にどうぞ」

「良いんですか。えっと、どうしてそんなに大量のドーナツを? 差し入れですか?」

「いや、全部自分用だ。今日、長くなる予定だから、栄養補給に買っておいた」

「はあ……。ありがとうございます」


 俺は甘いものがあまり得意ではないけれど、ドーナツ一個くらいなら美味しく食べられるだろう。

 自分用だと言うのなら、俺は遠慮なくドーナツを受け取ると、男は満足そうに笑ってひらりと手を振りながらこう言った。


「それじゃあ、来年の舞台頑張ってね」

「あ、はい! 頑張ります!」


 そう言い残して、男は劇場の裏口を目指して行ってしまう。

 劇場の前は閑散としていて、ポスターも貼られていない。道に迷っていたし、今日は劇場入り初日だったのだろうか。


 そんなことを思いながら、俺はドーナツを齧って再び本屋を目指す。

 人助けをした後は、気分がいい。

 それに自分の理想とするような俳優に応援してもらって、モチベも上がった。BL舞台だとしても、とにかく全力で頑張ろう。


 そうして俺は、名も知らぬ俳優との出会いを、記憶の片隅へと追いやってしまう。

 ――まさかほんの数ヶ月後、彼と再会することになるとは、この時は夢にも思っていなかった。





 あれから数ヶ月が経ち、11月。

 『ブルー・アンド・スカーレット』――通称ブルスカの顔合わせは、思ったよりもあっという間にやってきた。

 俺は待ち合わせていた先輩の顔を見つけると、嬉しくなって大きく手を振る。

 短髪に、スクエア型のメガネがよく似合う爽やかな顔で、ユウキさんは俺の方へ駆け寄ってくれた。


「おお、鳴海。待たせたか?」

「俺もいま来たところです」


 ブルスカのメインキャストが全員決まり、その中に(つじ)ユウキの名前を見つけて、俺は飛び上がるほど喜んだ。

 ユウキさんは、俺の事務所の先輩で、一度だけ舞台で共演したこともある。

 共演したとき、俺はアンサンブルの一人で、ユウキさんはメインキャストの一人だった。にも関わらず、同じ事務所のよしみで俺のことをとても可愛がってくれた優しい先輩だ。


 そんな人と、次は互いにメインキャストとして共演が出来る。

 しかも今回俺たちは兄弟役だ。とは言え、敵同士になり殺し合う役となるはずだが、それでもユウキさんが俺の兄になるのは嬉しかった。


 他のキャストについては、正直よく分かっていない。マネージャーから、全員名のある有名俳優だと教えてもらったけれど、知れば知るほど緊張しそうなので、あまり情報を入れないようにしてきた。

 知らぬが仏。その精神で立ち向かうと決めている。


 そうして俺とユウキさんは、顔合わせの会場である、稽古場までやってきた。

 今日は簡単な台本の読み合わせだけの予定だが、俺は既に緊張している。本当に、ユウキさんがいてくれて良かった。


 会議室の前で俺が深呼吸している間に、ユウキさんは軽くノックをした後、声を掛けながら会議室のドアを開けている。

 すると中には、メインキャストの内の二人が、既に椅子に座っていた。

 俺はユウキさんに続いて会議室の中へ入ると、挨拶をしようと口を開く。

 ――けれど俺は、その口を開けたまま固まった。



 見覚えのある、人がいる。



 切れ長の瞳は完璧な比率で、力強い眉は美しい流線を描いている。

 俳優特有の目力を感じる視線で見つめられると、俺は少しだけ体温が上がった。

 一度見ただけだ。それでも、忘れるはずがない。


「あのときは、道案内ありがとう。また会えたね、香坂鳴海くん」


 その男は、真っ直ぐ俺を見つめながら、その顔と体格に似合わない無邪気な顔で、俺にそう声を掛けるのだった。

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