第1話 これは演技
「この身が滅びても構わない。君を失うくらいなら、王である意味などない」
その台詞と共に、赤い衣装に身を包んだ男は、俺の目の前で剣を捨てた。
まだ仮衣装なので、細部まで整っていない。それでもこの人が着ると、まるで本物の王様のようだ。
軽い金属が、床の上で跳ねる音。俺はその音を冷静に聞きながら、目の前の男を見つめることしかできない。
俺を見つめる瞳はどこまでも熱を帯びていて、身体の芯から焼き尽くそうとしてくるようだ。
その瞳から、目が離せなかった。
見つめられるだけで、俺の身体は熱くなる。
ずっとその瞳を見ていたくて、目が離せなくなる。
こんなに愛情の籠もった瞳で見つめられたことなんて、今までの人生で一度もなかった。
ハッとすると、俺は自分のセリフを言おうと、口を開く。
けれど、まるで焼き尽くされたように喉が掠れていて、声が出ない。
俺は言わなくてはいけない。『俺』のために、自分の全てを差し出そうとしている、目の前の男に。
『俺』の返事を。用意された台詞を。
そう。俺の返事は、「うれしい」だ。何故なら俺は、彼の愛を手に入れて、満足そうに微笑む魔性の男だ。そういう役だ。
そのはずなのに、俺の口から上手く言葉が出てこない。
「…――はい、ちょっと休憩しようか」
演出家の声で俺はようやく、無意識に詰めていた息を吐き出した。
とんでもなく狭くなっていた視野が広がって、俺たちの周りで仕事をしていた、大勢のスタッフや共演者たちも各々動き出すのが視界に入る。
そうだ、ここは稽古場だ。
戦場でもなければ、ファンタジー世界の中でもない。
俺は目眩を感じて、片手で頭を抱えると、少しだけよろけてしまう。急に現実に引き戻されたような気分だ。
それに、台詞が飛ぶことなんて一度もなかったのに。こんなミスをしてしまい迷惑を掛けたことが、悔しかった。
――いや違う。次の台詞は分かっていたのに、俺は言えなかったのだ。
目の前の男が自分を選んで、自ら犠牲になることを、肯定できなかった。
これは、ただの演技のはずなのに。
「ナルくん、大丈夫そう?」
そう優しく声をかけてくれる主演の翔さんに、俺はどうにか引き攣った笑顔をむけて頷いて見せる。
気を取り直すと、もう一度視線を目の前の男へ戻した。
彼は、演出家からカットが入ったにも関わらず、変わらない表情で俺を見つめている。
俺より20cm以上高い身長。数々の舞台で主演を演じるほどの実力と人気を併せ持つ、トップ俳優。
俺が、こうなりたいと憧れる、全ての理想を詰め込んだような人。
そんな人に、こんな熱い瞳で見つめられると、演技と現実の境目が、わからなくなりそうだ。
「黒瀧くん、序盤よりずいぶん感情が乗ってきたね」
少し離れたところから、演出家が演出助手と話している声が聞こえてくる。
ほら、貴方がそんな目で見つめてくるから、やっぱり周りが変に思ってるじゃないですか。
俺は精一杯、目の前の男を――黒瀧暁を睨み返した。
そうして俺がようやく反応を返すので、暁さんはどうやら満足したのか、優しく笑う。
彼の演技と素の境目が曖昧で、まるで地続きのようで、俺は混乱した。
どこまでがこの人の演技で、どこからが素の感情なのか、分からない。
こんなはずじゃなかった。
俺が大きく息を吐くと、演出家の「いけそう?」という声が聞こえてくる。
一度眼を閉じて、もう一度眼を開き、俺は気合いを入れ直すと大きな声で返事をした。
「いきます!」
また、周囲の音が静まり返る。スタッフも、共演者も、誰もが俺たちを見ている。
俺は大きく息を吸って、精一杯妖艶に微笑むと、甘さを乗せた声色で台詞を続けた。
「うれしい。僕のために、あなたは全てを捨ててくれるんだね。国も、地位も、自分の命でさえも。でもそれで本当に、後悔しない?」
俺の台詞に、目の前に立つ暁さんは、ふっと微笑む。
そしてどこまでも愛おしそうに、俺を見つめた。
その視線を浴びると、俺の心臓はギュッと鷲掴みにされる。
違う。これは、演技だ。
「君を失う方が、俺はきっと後悔する」
知っている台詞のはずなのに、手が震える。体温が上がる。
まずい、本当に現実と演技の境目が、わからなくなってくる。
こんなはずじゃ、なかったのに。
――だって俺は、ほんの数ヶ月前まで。この人の名前すら、知らなかったのだから。




