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第17話 蒼と紅の恋

 初日が幕を開けると、SNSを中心にブルスカの舞台の評判が広がっていた。

 十年ほど前に発売された小説だけあって、まだ原作を読んだことのない若い世代が興味を持ってくれたのか、平日のチケットも 徐々に売れ始める。


 ――残り30回。


 急遽アフタートークの開催が決まり、俺たちは公演の後の短い時間、この舞台のことについて観客の前で話をした。

 各々好きなシーンや、好きな曲、好きなセリフの話で盛り上がっていたら、あっという間に時間は過ぎてしまった。


 ――残り20回。


 残りの東京公演のチケットが、完売になったとスタッフから聞いた。

 申し訳程度に作っていた、ほとんど発信していない俺のSNSアカウントのフォロワー数が、いつの間にか四桁を超えていた。

 原作も、重版が決まったらしい。

 東京公演の千秋楽で、生まれて初めて大入袋をもらえて、ちょっと嬉しかった。


 ――残り10回。


 地方は、三都市を巡る。

 愛知、福岡、そして大阪だ。

 現地では、スタッフが手配してくれたホテルに泊まる。もちろん、個室だった。

 それでもみんなで、翔さんの部屋で遅い時間までトランプをして遊んだのは、修学旅行みたいで楽しかった。


 ――残り3回。


 最後の地は、大阪。

 ここで大千穐楽を迎える。

 東京公演の評判のおかげか、大阪公演もチケットは完売していた。


 ――残り2回。


 最終日の前日、みんなでお好み焼きを食べに行った。

 翔さんと暁さんは、どちらが上手く作れるか勝負していたけれど、どちらも下手くそだった。

 結局俺の作ったお好み焼きが一番綺麗に出来て、俺が優勝した。

 その様子を撮った写真を、翔さんがSNSに投稿すると、すごい沢山の反響をもらえた。

 みんな、俺たちが仲良くしていると喜んでくれるし、この舞台が終わることを寂しがっている。

 でも、断言する。この舞台が終わらないで欲しいと、一番願っているのは……俺だ。


 ――残り1回。


 今日が、大千穐楽。

 この一回を演じ切れば、この舞台は本当に、幕を下ろすことになる。









 あっという間だった。

 37回も同じ舞台に立つなんて、途方も無いことだと思っていたのに。

 一瞬だった。初日が、昨日のことのように感じる。


 むしろ、稽古の時間のほうが圧倒的に記憶に残っていた。

 本番の記憶は、なんだか少し朧気だ。

 俺は毎公演、必死に生きて、必死に愛して、そして最後は悲しみの中幕を閉じる。

 それなのに、また次の日――下手をしたら数時間後に、また同じ壮絶な人生が始まるのは、ちょっとしんどい日もあった。


 でも、楽しい。

 俺は舞台に立っている間の方が、確実に楽しんでいたと思う。


 俺が鏡の前でメイクを整えていると、後ろに大きな人影が立つのがわかった。

 もう慣れたその姿に、いまさら惚けることもない。

 俺は後ろを振り返って、暁さんを見上げながら、笑った。


「千秋楽、よろしくお願いします」

「よろしく、鳴海。緊張してる?」

「いいえ、いつも通りです」


 俺は、舞台上でほとんど緊張しなかった。

 それは簡単な理屈で、ルカは緊張しないから。


 俺が緊張を感じるのは、強いて言うならフィンを誘惑するシーンと、ヴァルドを誘惑するシーン。

 きっとルカも緊張するだろうから、俺も緊張する。

 舞台なのだから、誘惑が成功することも失敗することも決まっているのに、俺は何度やっても緊張していた。



 あれから、暁さんとは普通に接することが出来ている――と、思う。

 今まで通り、舞台の上では恋人で、舞台を降りても契約上の恋人。

 ――そんな歪な関係も、今日で終わるのだ。


 今日の昼公演の後、打ち上げがある。

 それが終わった後は自由解散なので、そのまま大阪に一泊する人もいるだろう。

 でも俺は、新幹線のチケットをとっていた。

 逃げるように、早くこの場所から帰ろうと思っている。



 今日が、最後。

 舞台の幕が上がり、暁さんが、ユウキさんが、霞鳥さんが、翔さんが。舞台に立つ。

 俺だけ、登場するのが少し遅いため、舞台袖からみんなの演技を見ていた。


 一つのシーンが終わるたびに、少しずつ寂しさを感じる。

 このシーンを見ることは、もう二度とない。

 どんどんシーンが、セリフが、歌が終わっていく。


 それはまるで、俺の胸の中で、何かがボロボロと崩れていくように感じた。

 全てが終わってしまったら、消えて無くなってしまうように思う。




 やがて、ルカとヴァルドの初めて出会うシーンが始まった。

 ノアと喧嘩をしたルカは、国を飛び出して国境付近へ辿り着く。

 そこで、身分を偽って敵国へ亡命しようとしたルカは、ヴァルドに捕まるのだ。


 (ルカ)は、ヴァルドの目の前に突き出されて、冷たい目で見下ろされる。

 そういえば、暁さんとの顔合わせ初日のときも、この人はこんな冷たい目をしていた。

 翔さんのことを嫌う、冷たい瞳。その目に気づいたとき、俺はこの人なら――と、そう思ったのだ。


 俺は立ち上がると、感情を、意識全てを、この人へ注ぎ込む。


 指先で肩に触れてから、ゆっくりと撫でるように手のひらで腕に触れる。

 誘惑するように。


 すぐ胸元へ顔を寄せると、大きく目を開いて上目遣いに見上げる。

 俺から目を離せなくさせるように。


 そして、吐息を含んだ甘い声を意識した。

 耳から脳へ、直接揺さぶりをかけるために。


「お願い、僕を助けて。『カルナージュ』へ行きたいんだ、貴方の役に立つよ。約束する」


 (ルカ)の言葉を聞いてもヴァルドの表情は、最初は動かない。

 それでも構わず、(ルカ)は腕を伸ばして、ヴァルドの頬へ触れる。


 もっとだ、まだ足りない。

 この人の興味を――『欲』を引き出すためには、もっと誘惑しなくてはいけない。


 (ルカ)は自分の方へヴァルドの顔を引き寄せながら、目を細めて笑った。

 艶やかに。妖艶に。

 (ルカ)はトドメを刺すように、甘えたような声でこう囁いた。


「貴方のためなら、なんでもする」


 ヴァルドはじっと、(ルカ)を見つめていた。

 そして数秒の後、ヴァルドはまるで雪が溶けるように、ゆっくりと笑った。


 冷たい壁が溶けるように。

 春の日差しが、差し込むように。


 満足そうに、彼の頬に触れていた(ルカ)の手を握る。

 その手を引いて自分の方へ抱き寄せながら、ヴァルドは冷たく言い放った。


「なんでも……か、いいだろう。ようこそ、カルナージュへ」




 ルカは、我儘だった。

 そして傲慢で、強欲だった。


 ヴァルドと初めて夜を共にした後は、彼の愛人のように傍若無人な振る舞いを見せる。

 捕虜の身分でありながら、高級な料理以外は口にしたくないと言う。

 美しい宝石や、珍しい物をなんでも欲しがった。


 それらが自分に与えられないと、ヴァルドに対して怒りを向ける。

 「僕のことを愛していないのか!?」と、ヴァルドを叱った。

 そんなルカに対して、ヴァルドはただ優しく微笑み、全てを彼の思い通りしてやる。


 ディーンがそんなルカの目に余る言動をヴァルドに咎めても、しかしヴァルドは楽しそうに笑うだけだ。

 その笑顔を見てしまうと、ディーンは何も言えなくなる。ヴァルドに笑顔を取り戻したのは、自分ではなくルカなのだから。

 ルカが美しいから。可愛いから。そしてヴァルドには力があるから、ヴァルドにとってルカの我儘は全てが愛らしく見える。


 ディーンも、そしてヴァルド自身も、どうせいつかルカに飽きるだろうから、それまでの暇つぶしだろうと思っていた。

 しかし、ヴァルドとルカの関係が決定的な変化を見せるのは、フィンが敵国に加勢したことによって、戦争の形勢が大きく逆転された頃だった。


 怒りと焦りで荒れるヴァルドは、ディーンを含む全ての臣下を遠ざける。

 誰もがヴァルドを恐れて、彼に近づこうとしなかった。

 しかしルカは、そんなヴァルドの側に、一人で向かう。


 怒るヴァルドは、ルカすらも傷つけようとした。

 しかしルカは、それでも恐れずにヴァルドを抱きしめる。

 そしてヴァルドは、初めて自分の弱さを口にした。


 ――自分だけの、特別な愛が欲しい。

 それは、ヴァルドとルカが見つけた、初めての共通点。

 そして二人は、互いの欲しい物を分け合った。




 ヴァルドは、(ルカ)に口付けようとして、一瞬戸惑う。

 二人は何度もキスをしているのに、このキスは、今までと違った。

 ここでキスをすれば、もう引き返せなくなることが分かっている。


 (ルカ)を、永遠に手放せなくなることが、分かっている。

 だから、ヴァルドは一瞬躊躇う。

 けれど(ルカ)は、焦ったく思いながら、自らヴァルドへ口付けた。


 (ルカ)の口付けに、ヴァルドも不安をかき消すような、激しく求めるキスを返す。

 これが、二人の『終わりの始まり』になるのだ。




 形勢は依然として蒼の国が有利。既に、喉元に剣を突きつけられているような状況だ。

 紅の国が生き残る方法は、ただ一つ。

 それは、蒼の国の王子であるルカを蒼の国へ返還し、命乞いをすること。

 しかしそんなことをすれば、ヴァルドは永遠にルカと会えなくなる。


 ヴァルドに残された選択は、二つ。

 ルカを捨てて、生き残るか。

 ルカを選んで、戦場で死ぬか。


 そしてヴァルドは、選んだ。




「この身が滅びても構わない。君を失うくらいなら、王である意味などない」


 ヴァルドは、そう言って剣を捨てる。

 潔く、戦場で死ぬ道を選んだ。


 (ルカ)はその言葉を聞くと、自然と笑みが溢れる。

 この人は、俺を選んだ。俺を選んで、自分に残されていた幸福な未来を、捨てた。

 その現実に、(ルカ)は背筋がゾクゾクするほどの、幸福を感じる。


 愛する男が未来を捨てて、自分を選んだこと。

 それがこんなにも、幸せで仕方がない。

 たとえ、この人が死ぬと分かっていても、それでも自分が選ばれないくらいなら…――。


 ――…俺のために、死んで欲しかった。



「うれしい。僕のために、あなたは全てを捨ててくれるんだね。国も、地位も、自分の命でさえも。でもそれで本当に、後悔しない?」


 (ルカ)は笑顔を浮かべて、ヴァルドへ尋ねる。

 するとヴァルドは、どこまでも愛おしそうに(ルカ)を見つめた。

 (ルカ)を抱きしめる腕は、力強くて、そして愛情を感じる。

 ヴァルドもきっと、(ルカ)を壊してでも自分のものにしたいと思っている。


 そして(ルカ)の耳元で、蕩けてしまいそうなほど甘い声でこう囁いた。


「君を失う方が、俺はきっと後悔する」



 俺たちは、別れのキスを交わす。

 これが最後で、そして永遠の愛を誓い合うキス。


 このシーンで、俺は毎回涙が止まらなくなった。

 3回ある俺たちのキスシーンの中で、一番濃厚で、脳が痺れるほど幸福なキス。

 幸せなはずなのに、その幸福と同じくらい、胸が苦しくなる。

 そうして(ルカ)は涙を流しながら、ヴァルドを見送った。



 ヴァルドがフィンに敗れて散るシーンを、俺はいつも舞台袖から見つめていた。

 このシーンのすぐ後に、俺の最後の出番があるため、ゆっくりと見ていることは出来ない。

 それでも俺は、ヴァルドが(ルカ)のために、死ぬ瞬間をどうしても見届けたかった。


 今日も、ヴァルドはフィンに勝てない。

 決められた殺陣の動き。決められた最後の剣戟。そうしてヴァルドは、両膝をつく。


 それを見届けて、俺は自分の立ち位置へと向かった。



 ヴァルドが死んだ。

 その事実を聞いた(ルカ)は、一人舞台に上がる。


 先ほどまで戦場だったと思えないほど静かで、誰もいない、寂寞とした空間で(ルカ)は歌う。

 この舞台、唯一の(ルカ)のソロ曲。

 ヴァルドを喪った悲しみと、寂しさを歌に乗せる。


 けれど(ルカ)は、決して後悔しない。後悔だけは、しない。


 これでよかった。

 俺たちはこの世で唯一の、愛と出会えた。

 喪ってしまった温もりを思い出しながら、あの人の笑顔を思い出しながら、(ルカ)は歌う。


 これで、最後だ。


 そう思うと、途中のロングトーンで声が掠れた。

 涙で視界が、滲んでいく。

 俺はいつも、このシーンで自然と涙が溢れたけれど、それはせいぜい一筋程度だ。


 でも今日は、違う。

 理由はわからないけれど、涙が次々と溢れて止まらなかった。


 涙で声が掠れて、上手く歌えない。

 それでも俺は、観客へ感情を届けるために、泣きじゃくるように歌を続けた。

 技術とか、音程とか、それよりもこの歌を全力で歌い切ることに神経を集中させる。


 届けなくてはいけない、(ルカ)の感情を。暁さん(ヴァルド)への、愛を。

 あの人は幸せだったのだと、(ルカ)が証明しないといけない。




 歌い切れたのか、よく分からなかった。

 けれど、客席からの拍手の音があまりにも大きくて、俺はその音を聞くと一瞬で現実へ引き戻される。

 舞台の上に、俺は一人。一身でその拍手を浴び続ける。


 でも、舞台はまだ終わっていない。

 俺は暗転の後、いつも通り舞台袖へ捌ける。

 それでも観客の拍手がいっこうに鳴り止まず、次のシーンへなかなか移ることが出来ない様子だった。


 俺は涙を拭いたいけれど、まだカーテンコールがあるので化粧が崩れてはいけない。

 メイクさんを探して歩いていると、不意に後ろから誰かに抱きしめられた。


 舞台袖は、俺たちのすぐそばをスタッフさんたちも忙しそうに通り過ぎていく。

 その最中で、俺はただ無言で、抱きしめられていた。

 振り返らなくても、この腕が暁さんのものだとわかる。


 俺は、何も言わずにただそっと、自分を抱きしめる力強い腕に、手を添える。

 そして少し甘えるように、腕に頬を寄せて、俺は目を閉じた。




 その後、舞台は問題なく再開し、フィンとノアの幸せな結末によって、舞台は終わりを迎える。

 カーテンコールでは、観客全員のスタンディングオベーションの中、俺たちは全員で大喝采を浴びた。

 主演の翔さんが、最後の挨拶をして、俺たちは深く頭を下げる。





 ――こうして俺たちの舞台、『ブルー・アンド・スカーレット』は、大千穐楽の幕を下ろすのだった。

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