第14話 年末の夜
12月31日。
俺たち四人は東京駅で待ち合わせると、新幹線とローカル線を乗り継いで、道中お昼ご飯を食べたりしながら目的地へと向かう。
自然の多い温泉地で、お世辞にも豪勢とは言えないけれど趣深い温泉宿。ここが、俺たちの年越しの場所だった。
翔さんが選んだだけあって、センスが良い宿だと思う。
俺たち以外の宿泊客は少数で、どこか上品で落ち着きがあり、俺たちが舞台に出ていることをそもそも知らないか――気が付いても騒いだりしないであろう客層だと思った。
翔さんの立てた旅行プランによると、このあと旅館に併設された工房で、陶芸体験が出来るらしい。
そして夕食の後、みんなで年を越して温泉に入り、就寝だ。
ここまでは、聞かされていた話である。
しかし翔さんは現地に着くと、俺たちが聞かされていない話を口にした。
「じゃあ、部屋割りどうしよっか?」
その言葉に、当然四人で一室だと思っていた俺たちは全員無言で翔さんを見る。
その視線を浴びながら、翔さんは不思議そうに首を傾げていた。
「あれ、言ってなかったっけ? 四人部屋が取れなかったから、二人部屋を二部屋取ってあるんだけど」
「……聞いてないな」
「そっかごめんね! 適当にグーとパーで決めよっか!」
全く悪気の無い翔さんを前に、俺たち三人は内心冷や汗が止まらない。
それに、二人部屋という単語を聞いて、俺はこの短い時間で色々と想像してしまう。
もし、俺が翔さんと二人部屋になったら、暁さんは嫌がるだろうか。
もし、俺が暁さんと二人部屋になったら…――。
すると俺の想像は変な方向へ進みそうになり、俺は慌てて頭を左右に振る。
そしてこれ以上考える時間を与えないかのように、無情にも翔さんは腕を前に突き出すのだった。
「行くよ! せーの…――っ!」
◇
「荷物ここら辺にまとめて置きましょうか、ユウキさん」
「ああ、そうだな」
俺は、一緒にグーを出したユウキさんと、一度荷物を置きに部屋へ来ていた。
こじんまりとしているけれど、清潔なトイレとバスルームがある、和室の部屋だ。
畳のいい匂いがして、俺は実家を思い出しながら荷物を縁側の方へ置く。
和室の真ん中にはテーブルと座椅子が置かれているが、俺たちが夕食を食べている間に、布団を敷いてもらえるらしい。
小さな部屋なので、自然と布団の位置は近くなりそうだ。
そんなことを考えてしまい、俺は同室になったのがユウキさんで良かったと思う。
パーを出した二人の部屋が、今頃どんな雰囲気なのか少し気になってしまうけれど、暁さんには悪いがこの部屋割りが一番丸く収まった気もする。
可もなく不可もない。正に無難と言うのに相応しい。
――だから俺は、少しも残念に感じる必要なんて、無いはずだった。
ここまで長い道のりだったので、休憩も兼ねて俺たちは30分後にロビーで待ち合わせしている。
俺はお湯を沸かしつつ、お茶を準備しながらユウキさんへ話を振った。
「なんだかんだ楽しいですね、旅行」
「そうだな。みんな賑やかだし」
「カンパニーのみんなで旅行って、よくあるんですか?」
俺はそう尋ねながら、部屋の備品として用意してあった緑茶を淹れて、ユウキさんの前に出す。
ユウキさんはお礼を言ってからお茶を受け取り、考えるように天井を見上げた。
「俺が知っている限り、無いな」
「じゃあやっぱり、珍しいんですねこういうの」
「まあ、メインキャストが20〜30代だけの舞台って珍しいからな。2.5次元舞台だったら若い人が多いし、こうやって旅行へ行くとかあるかも知れないけど、俺は2.5には出たことないしよく分からん」
「ニ、テンゴ……?」
「鳴海はもう少し勉強しろよ」
俺が不思議そうにしていると、ユウキさんは呆れたようにそう言って笑う。
また俺の無知が露呈してしまい、恥ずかしい顔を隠すように、俺は黙ってお茶を啜った。
今は目の前のことで一杯一杯だけど、この舞台が終わったらもう少し業界のことに興味を持とうと思う。
――この舞台が、終わったら。
まだ始まってもいないのに、俺はもう終わることが寂しいと感じていた。
そうして俺がしんみりしていると、ユウキさんは言い辛そうにこう続ける。
「あのさ……あんな話をした俺が言うことじゃないけど、鳴海はあんまり俺に、気を遣わなくていいからな?」
「え……?」
「翔さんのこと、気を遣わなくて良いし鳴海は……俺とは違う。俺の言ったこと、あまり気にしすぎるなよ?」
「どういう意味でしょう……」
俺は極力、ユウキさんと翔さんのことは首を突っ込まないように、気にしないフリをしていた。
行きの新幹線の中でも、本当は二人を隣にした方がいいかも知れないと思いつつ、結局配られたチケットを適当に受け取った結果、俺と翔さんが隣になったりした。
それでも変に気を遣ってユウキさんと席を交換したりしなかったのは、ユウキさんの言う「気を遣わない」を実践しているつもりだ。
暁さんの不機嫌な視線にも、気づかないフリをした。
そもそも俺が本気で気を遣ったら、この旅行へ来なかったと思う。
しかしユウキさんは、そういう話ではないと言いた気に、ゆっくりと首を横に振る。
「鳴海は、暁さんのことどう思ってるんだ?」
「えっ!?」
「まさか、あの人がお前のこと好きなの、気づいてないわけじゃないよな?」
揶揄うように笑うユウキさんに、俺は気まずくて顔をそらす。
多分ユウキさんは、暁さんが初めは演技をしていたことを、知らない。
この人の中では、暁さんが稽古の期間中ずっと俺に片想いしていることになっているのだろう。
けれど今更、演技の話をする必要はないと思う。
結果的に、いまの暁さんは俺のことが好きなのだから、その話は過程にすぎない。
俺は少しうつむきながら、小さく頷いた。
「……はい、知ってます」
「本人に言われたのか?」
「えっと、遠回しに……」
「それで、鳴海はどうするの?」
その答えがまだ見つかっていないので、俺は静かに口を閉じる。
俺が暁さんのことをどう思っているのか。どうしたいのか。どうなりたいのか。
考えているけれど、どうしてもこの三つは違う方向を向いてしまい、うまく答えに辿り着くことが出来ない。
するとユウキさんは、お茶を飲みながら落ち着いた口調でこう続けた。
「鳴海は俺とは違う。男を好きなわけじゃないなら、冷静に考えろよ。深く考えずに付き合ってしまうと、相手を傷つけることだってある」
「……」
「それから、俺が報われないからって、気を遣うなってことが言いたかった。鳴海が幸せなら、俺は祝福するよ」
そう言って、ユウキさんは自虐めいた笑いを見せる。
俺は、苦笑を返すことしか出来ない。
ちゃんと考えていなかったけれど、俺が暁さんと恋人になるとしたら、それはユウキさんからしたら面白くないのではないかと思ってしまう。
同じ舞台で、恋人役をしている。
条件は同じなのに、方や報われない片想いで、方や恋が成就するなんて。
そんなことを考えてから、俺は慌てて首を横に振った。何を勝手に成就させているんだ。冷静になれ。
とにかく、ユウキさんの言いたい「気を遣うな」の意味はよくわかった。
俺が何度も大きく頷くので、ユウキさんは笑いながらお茶を飲み干すと、「そろそろロビーへ行こう」と言って立ち上がるのだった。
◇
「ハッピーニューイヤー!」
時計の針が0時を叩くと、翔さんは嬉しそうにそう言って飛び跳ねた。
新年と同時にジャンプする人、まだいるんだ。と、俺は珍しい物を見る目で見てしまう。
あのあと俺たちは、陶芸体験で各々作品を作った。
俺が作ったのは、少し歪なマグカップ。その歪さを揶揄いながら、暁さんも一緒にマグカップを作っていた。
ユウキさんは小さめのお皿で、すごく綺麗に出来ていた。
翔さんが作ったのは、たぶんお茶碗か何かだと思う。俺以上に歪過ぎてよく分からなかった。
焼き上がった作品は、2ヶ月後に自宅まで郵送してくれるらしい。
その後、宴会場で四人揃って夕食を食べて、雑談しながらロビーで年越しを待つ。
自然と俺たちの他の宿泊客も、何組かロビーに集まっていた。
すると翔さんは持ち前のコミュニケーション能力を発揮して、俺たちと他の客を巻き込んで盛り上がりながら、いつの間にか賑やかな新年を迎えていたのだった。
いつもは実家でテレビを見ながら家族と静かに迎えていた新年が、今年はなんだか特別な物に感じる。
他の宿泊客と肩を組んで乾杯している翔さんを見ていると、本当に別次元の人だと感心した。
そうして俺がぼんやり座っていると、隣から不意に膝を軽く叩かれる。
慣れないスキンシップで、俺は肩まで跳ねて隣を振り返ると、笑顔の暁さんと目が合った。
「鳴海、あけましておめでとう」
「あ、あけましておめでとうございます!」
俺は年が明けた瞬間隣にいた人が、暁さんなのだと改めて実感した。
一年前の俺には、想像も出来なかったことだ。だってその頃の俺は、暁さんを知らないのだから。
なんだか少し、照れくさい。
でも俺は、「今年もよろしくお願いします」とは言えなかった。
なんとなく、年が明けたことで、終わりへのカウントダウンが始まったような気さえしてしまう。
年が明けて散々お祭り騒ぎをした後、ロビーは解散となった。
俺たち四人も、部屋へ戻ろうと歩いていると、翔さんが当然のようにこう口にする。
「じゃあみんなで、温泉入りに行こうか」
その発言に、ユウキさんが盛大に咽せた。
可哀想に。と思いながら、俺は慌ててユウキさんの背中をさする。
その間に、暁さんが引き攣った笑顔で翔さんに言った。
「いや、一緒じゃなくても良いだろ別に。各々の好きなタイミングで……」
「え、なんで? だってみんなもう、温泉入って寝るだけでしょ? じゃあ一緒に入れば良くない? なんでダメなの?」
無邪気って怖い。
けれど翔さんの立場からすれば、当然のことを言っているのは間違いなかった。別に男同士で、何も恥ずかしがることはない。
ただ、裸で、一緒に温泉へ入るくらい――と、俺はそこで想像してしまう。
自分の裸を暁さんに見られることと、暁さんの裸を想像すると、俺は一瞬で顔が真っ赤に染まった。
なんでだろう、すごく恥ずかしい。
別にユウキさんや翔さんと一緒に温泉へ入るのは、想像しても何とも思わないのに、どうしてか暁さんと一緒に入ることだけ想像すると、恥ずかしくて堪らなかった。
――暁さんと一緒に温泉へ入るのは無理、かも知れない。
どう言えばこの事実を、翔さんを傷つけず、さらに納得して聞いてもらえるのだろうか。
俺が頭を悩ませていると、散々咽せていたユウキさんが、苦しそうな声でこう言った。
「……すみません、体調が悪いみたいなので俺は、部屋のシャワーだけにしておきます」
「えっ、ユウくん大丈夫!?」
「平気です。でも大事を取って、今日はもう安静にしますね」
この場を上手く逃げ延びたユウキさんが、俺は少し羨ましかった。
どうしよう、このままだと三人で温泉に入るしかないのか。
俺がそう思って暁さんの様子を窺うと、暁さんはどこか覚悟を決めたような表情をしている。
そうして暁さんは、勢いよく翔さんの肩を抱くと、満面の作り笑顔でこう言った。
「よし翔、俺と温泉に入ろう」
「え、嬉しい! ナルくんは?」
「鳴海は辻くんの介抱をするらしいから、後で入るってさ。なあ鳴海?」
「は、はい! お二人は、俺を気にせず入ってください!」
暁さんの身を張った助け舟が嬉しくて、俺は迷うことなく飛び乗った。
でもあの感じだと、暁さんも俺と一緒に温泉へ入るのは避けたかったのかも知れない。
それはそうだ。
俺と車の中でキスが出来ないと言っていた人なのに、他の人もいるとは言え、俺と裸で温泉なんて苦行だと思う。
翔さんは、ユウキさんと俺のことを心配している様子だったけれど、俺たちが必死に心配ないというアピールをして、翔さんは暁さんに連行されていった。
この旅行中、暁さんには翔さんを押し付けてばかりで申し訳ないと思いつつ、俺とユウキさんも部屋へ帰ってくる。
部屋の中には、既に布団が敷かれていた。
案の定、狭い部屋の中でピッタリとくっつけて二つの布団が並んでいる。
それを横目に見つつ、ユウキさんは縁側の椅子に座ると、ぐったりと背をもたれて弱々しい声でこう言った。
「悪いな……付き合わせて」
「いえ、むしろありがとうございます。おかげで、暁さんと一緒に入らなくて済みました」
俺はそう言って、ふうとため息をつく。
するとユウキさんは、不思議そうにこう言った。
「やっぱり、自分のことを好きな男と一緒に温泉へ入るの、気持ち悪いのか?」
「そ、そういうわけじゃないです! そうじゃなくて、暁さんに裸を見られる……ちょっと、恥ずかしくて」
気持ち悪い。とは、違うと思う。
俺は自分の気持ちを、正直に伝えた。そう、正しいのは「恥ずかしい」だ。
暁さんに裸を見られるのが、恥ずかしい。暁さんの裸を見るのも、恥ずかしい。
また想像してしまい、俺が顔を赤くしていると、ユウキさんは呆れた風にこう言った。
「それって、暁さん限定?」
「え……っと、そうかも知れないです。別にユウキさんや翔さんには、見られても大丈夫だと思うので」
「じゃあそれって、意識してるってことじゃないか?」
ユウキさんの言葉に、俺は追い討ちをかけられた気分でうつむいた。
わかってる。そうだ、俺は暁さんのことを意識している。そんなこと、言われなくてもわかってる。
その理由だって、きっともうすぐ結論が出そうな気がする。
そう思っていると、俺のスマホにメッセージが届いた。
暁さんから、「もう出たから好きなタイミングで入りな」と言う内容だ。
俺は感謝を伝えるスタンプだけ送って、ユウキさんへ声をかけた。
「翔さんたち、出たみたいですよ。温泉行きますか?」
「……いや、なんか本当に体調悪くなってきたから、俺は部屋のシャワーでいいや。鳴海は行っておいで」
「はい。じゃあ、行ってきますね」
本当に体調が悪いのかは分からなかったけれど、ユウキさんは一人になりたいのかも知れない。
そう思うと、俺はそれ以上喰い下がらずに、大人しく温泉へ向かうことにする。
冷静に考えると、温泉なんて何年ぶりだろう。
俺は少し浮かれる気持ちで、足取り軽く温泉へ向かうのだった。
◆
暁は旅館の喫煙スペースで、ようやくありつけた久々のタバコを噛み締めていた。
元々喫煙者以外の前でタバコを吸わないようにしているので、この旅行中ほとんど吸うタイミングがなかった。
そうして考えてみると、暁は煙を吹きながらふと思う。
そういえば鳴海の前だけは、はじめから例外だった。
何故か、鳴海の前では気兼ねなく吸うことが出来る。
なんとなく、暁にとってタバコを吸うことは自己開示のような、ある種無防備な状態のつもりだった。
相手も喫煙者ならまだしも、タバコを吸わない人の前で自分が無防備になることが嫌だったのかも知れない。
けれど鳴海の前だけは、素の自分をさらけ出せた。
暁は、今頃温泉に入っているであろう鳴海のことを考える。
覗きに行ってやろうかと、邪な考えが脳裏を過るけれど、笑って誤魔化した。
やめておこう。まだ、鳴海に嫌われたくはない。
結局この旅行中も、鳴海とは大きな進展はなかった。
自分の気持ちは、もう鳴海に伝えているつもりなのだが、鳴海はこのまま知らないフリを続けるのだろうか。
それなら、このままそっとしておいた方が良いのかも知れない。
無理に関係を拗れさせるよりも、触れれば壊れるようなギリギリのバランスを保っている今の方が、よほど良い関係に思えた。
そうして暁がタバコを吸い終えて喫煙スペースの外に出ると、待ち伏せるように立っていた相手と鉢合わせる。
暁は驚いて、思わず相手の名前を呼んだ。
「辻くん……?」
「すみません暁さん、俺……お願いがあって」
そう言うと、シャワーから上がったばかりなのか、まだ少し髪が濡れているユウキは深刻な顔でうつむいた。
暁は、なんとなく話の内容に察しがついている。この男が、いつも翔のことを見ているのは、知っていた。
暁が何も言わずに黙っていると、ユウキは意を決して顔を上げる。
――そして真面目な顔で、暁にとある提案を持ちかけるのだった。




