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第10話 牽制

「ソウちゃんずるい! 俺もナルくんとランチ行きたい!」


 そう声を上げる翔さんに、霞鳥さんは困ったように笑っている。

 けれど俺としても、理由がわからない。

 霞鳥さんから俺を誘ってくれる理由に、心当たりが無かった。


 考えられる理由があるとしたら、暁さんだろうか。

 暁さんと喧嘩でもしたのか、それとも暁さんが俺に言い辛いことがあって、霞鳥さんに何か言わせようとしているのか。


 どちらにせよ、この誘いを断ってはいけない気がした。

 だから俺は翔さんに対して、申し訳なさそうに笑って見せる。


「ありがとうございます翔さん、また今度ランチへ誘ってください」

「ごめんね翔くん。今日はナルくんを俺に貸して」

「……しょうがないなあ。じゃあ俺たちもランチ行こう、ユウくん」


 翔さんは、少し頬を膨らませながら、ユウキさんを振り返る。

 するとユウキさんは少し呆としていたらしく、声を掛けられてハッと肩を跳ねさせた。


 そして少し考えてから、言い辛そうに目をそらす。


「すみません……俺も今日は一人が良くて。ちょっと考え事が……」

「えー! 寂しい!」


 ユウキさんにも振られてしまい、翔さんは項垂れるように肩を落とした。

 その直後、翔さんは思い出したように暁さんを振り返る。

 その視線を見て、まさか……。と俺は身体が強張った。


 すると案の定、翔さんは屈託の無い笑顔で暁さんへこう提案する。


「じゃあタッキーさん、一緒にランチ行こう!」


 なんとなく、俺も霞鳥さんもユウキさんも、全員ヒュっと息を呑んだのが伝わってくる。

 稽古場の空気が一瞬で張り詰めたのを感じた。


 俺たちは暁さんの様子を窺う。

 暁さんは暫くの間無表情で翔さんを見つめていたけれど、唐突に優しい笑顔を作った。


「もちろん。一緒にランチなんて、初めてかも知れないな?」

「確かに! タッキーさんとは共演多いのに、不思議だね」

「不思議だなー」


 二人はニコニコと笑顔で話しているはずなのに、俺は固唾を飲み込んで心配してしまう。

 暁さん、絶対に行きたくないはずなのに、ここで断るのは不自然すぎると思ったのだろうか。


 でも、暁さんが翔さんと二人でランチをするなんて、想像しただけで背筋が凍る。

 どんな空気なのか、興味があるけれど絶対に知りたく無かった。


 俺は暁さんの様子を見ながら、霞鳥さんの誘いを受けたことを若干後悔する。

 俺が了承しなければ、こんなことにはならなかったかも知れない。


 でも、ユウキさんが翔さんの誘いを断るのも、少し意外だった。

 ユウキさんは普段から、翔さんのことをとても尊敬しているし、仲が良いと思っていたのだ。


 しかし、ユウキさんの様子が昨日から少しおかしいのも確かだった。

 何かを、悩んでいるような気がする。

 でも、その悩みに踏み込めるほど、俺自身自分に余裕が無いのも事実だ。


 俺は霞鳥さんに連れられて、稽古場を出ていく。

 扉を閉める前に、最後にもう一度だけ、俺は笑顔で話している暁さんと翔さんを心配して振り返るのだった。







 霞鳥さんが連れてきてくれたのは、穴場のような和食屋だった。

 席で喫煙している人も見かけないし、喫煙所が用意されているわけでもない。

 俺に合わせて連れてきてくれたのがわかって、俺は申し訳なく感じてしまう。


 俺は正直、霞鳥さんからあまり良く思われていないと思っていた。

 それは舞台上の役としても、俺たち(ディーンとルカ)は仲が良いとは言えない。

 謂わば、同じ男を取り合うような関係性だ。


 俺が、普段の霞鳥さんのことをよく知らないから、俺の中の霞鳥さんのイメージが、ディーンに寄ってしまっているのだろうか。

 お店選びも、メニューを先に選ばせてくれるところも、全てが優しく感じる。

 きっと霞鳥さんは、気が使える良い人なんだと思った。


 他の共演者のことも、こうやってもっとよく知っていった方がきっと良いだろう。

 そのためには、翔さんともランチへ行かないと。

 そう思ったところで、今頃暁さんと翔さんは大丈夫だろうか。と、また要らない心配をしてしまう。


 暫くの間、初めてメインを演る俺を気遣ってくれるような他愛のない会話が続き、やがて霞鳥さんはとうとう本題に踏み込んだ。


「でさ、ナルくん。聞きたいことがあるんだけど……」


 俺は、「きた」っと身構える。

 そうだ、絶対に二人で話したいことがあるから、霞鳥さんは俺を誘ったんだ。

 いったいどんな話題だろうと、俺が真剣な表情で真っ直ぐ見つめていると、霞鳥さんは暫く言葉を探しながら、ゆっくりとこう尋ねた。


「タッキーのこと、どう思ってる?」

「……どう、とは?」

「だってほら、舞台上だけじゃなくて、普段の二人もなんて言うか……恋人みたいに仲良しじゃん!? ナルくんってもしかして、タッキーのこと好きなのかなって!?」


 何故か慌てた様子の霞鳥さんから出てきた言葉に、俺は一瞬で顔の温度が上昇した。

 恋人みたいに仲良しだなんて、まさかそこまで勘違いして見られているとは思わなかった。


 暁さんは、勘違いされても構わないと言っていたけれど、やはり良くないと思う。

 俺は恥ずかしくて赤くなってしまった顔を隠すように、勢いよく頭を下げた。


「すみません違うんです! 暁さんは全然俺のこと好きとかじゃなくて、俺が無理やりそういう演技をしてもらっているんです、普段から!」

「……ん?」

「だ、だから暁さんが俺のこと好きなように見えても、それは全部演技なんです! 勘違いさせてしまってすみません、暁さんのこと誤解しないでください!」


 俺が必死にそう訴えると、霞鳥さんは眉を歪めて、「うわあ……」と言いたそうな表情をしている。

 その表情の意味はよく分からなかったけれど、きっと俺が『そういう演技』を暁さんにさせている事実に、ドン引きしたのかも知れない。


 しかし霞鳥さんは気を取り直して、もう一度俺に質問してくる。


「タッキーの気持ちはいったん置いておこう。俺は、ナルくんがタッキーのことをどう思ってるのか、知りたいな」

「俺……ですか?」


 その質問は、俺が全く予期していないものだった。

 俺が、暁さんをどう思っているのか、それはなんとなく俺が目を逸らしてきた現実だ。


 霞鳥さんに聞かれて、俺はその問いと初めて真っ向から向かい合う。



 俺にとって暁さんは、憧れの俳優だ。

 背が高くて男らしくて実力もある。まさに、俺がなりたい理想の俳優そのもので、尊敬していた。


 でも、完璧に見えて実は翔さんに嫉妬をしたり俺に対して冷たいときもあって、いい意味で完璧じゃない――人間らしさを感じると、親しみが持てた。

 甘い物が好きだったり、そういう可愛い一面を知ると、もっと暁さんのことを知りたいと思った。


 舞台上でキスをするのも、全然嫌じゃない。あんなカッコいい人とキスできるなんて、むしろラッキーだと思う。

 暁さんが俺のことを褒めてくれると、嬉しい。翔さんに褒められるよりも、何故かずっと嬉しいと感じる。


 最近態度がよそよそしいのは、少し寂しい。

 翔さんが合流して俺と暁さんのシーンの稽古が後回しになっているせいもあるけれど、もっと一緒に居たいと思う。



 それら全てを総合的に踏まえて、俺は笑顔で霞鳥さんに答えた。


「暁さんのこと、好きですよ。たまに意地悪なときもあるけど、大好きな先輩です」


 しかし俺の返事に、霞鳥さんは何故か落ち込んだように大きなため息をついた。

 好きだと、ダメだったのだろうか。


 俺は自分が間違えたかも知れないと困惑していると、霞鳥さんは真剣な表情で俺を見る。

 そして、提案ではなく懇願のように、俺に対してこう言った。


「タッキーとの『契約』? 解消してあげてくれないかな」

「え……? それって俺が暁さんに、俺のこと好きな演技をしてもらっている……その契約ですか?」

「そうだよ。もう十分でしょ」


 そう言われて、俺は首を傾げた。

 暁さんから言われるならわかるけれど、どうして霞鳥さんからその話が出てくるのだろう。


 それに俺は、まだ全然――誰かを好きになることがわかっていない。

 最近色んな人に演技を褒めてもらえるけれど、俺自身はあまり手応えがなかった。


 まだ、十分だと思えていない。

 契約を解消することを俺が惜しんでいると、霞鳥さんは続けて言った。


「……タッキーの負担に、ならないで欲しいな。あいつただでさえ翔くんのことでピリピリしてるのに、ナルくんまでストレスにならないで欲しい」

「えっ……」


 その言葉に、俺は絶句した。


 俺が、暁さんの負担になっている。

 もちろんそれは自覚していることではあるけれど、霞鳥さんの口から出てきたことで、俺の想像以上なのだと自覚する。

 第三者から見ても、暁さんは俺に迷惑をしているのだと、そう実感した。


 俺は、自分のことばかりだった。

 暁さんの負担なんて、二の次だった。

 俺にとって大きな存在すぎて、あの人も俺と同じ一人の人間だと、忘れてしまっていたのだろうか。


 自分のことばかりで、恥ずかしい。

 俺は自省して少しうつむきながら、小さな声で答えるのだった。



「……わかりました」









「ナルくんの演技って凄いよね! 俺、もうファンになっちゃった!」


 暁は翔の話を、作り固めた笑顔で聞きながら、相槌を打つ。

 早くランチの時間が終わって欲しいと願うなんて、珍しい経験だった。


 翔の口から出てくる話題は、鳴海のことが八割。残り二割は、フィンとヴァルドのシーンに対する真面目な考察だった。

 暁は、翔の口から鳴海の話題が出てくる度に、腹の中にドス黒い感情が蓄積していくのを感じる。


 特に昨日の稽古シーンで、誘惑する演技をする鳴海の話をされる度に、ドスンと黒い感情の質量が増すのを感じた。


 すると、自分が一方的に話していることに気がついたのか、翔は暁にも話を振る。


「そういえば、タッキーさんとナルくんって仲良いよね。タッキーさんが共演者と仲良くしてるの……特に後輩の面倒を見ているのなんて、初めて見たかも」

「そう? まあ、あんまり得意ではないけど」

「それだけ、ナルくんのこと可愛がってるんだね。でもわかるなあ、俺も可愛がりたいもん」


 その言葉に、暁の眉がピクッと反応する。

 しかし翔は気づくことなく、スマホを取り出した。


 そして何かの連絡を確認したのか、あっと声を上げる。


「そっか、もうすぐクリスマスだね。まあ俺たちは、稽古だから関係ないけど。どうする、稽古終わりにクリスマスパーティーする?」

「……みんな予定があるんじゃないか?」


 そう言いながら、暁もスマホを取り出した。すると、一件メッセージが届いている。

 それは、例の女優からだった。

 付き合っているわけではないけれど、なんとなくお互いに寂しくなると連絡をして、一緒に過ごしていた。


 もう二年ほど、自然とクリスマスは一緒に過ごしている。

 だから当然のように、今年のクリスマスはどうするのか、そんな内容だった。あとで電話するとも書かれている。


 暁は、そのメッセージを無視するように、スマホを机に置いた。

 一方翔は、残念そうに声をあげている。


「俺は暇だけどなあ」

「彼女いないんだっけ?」

「時間が合わなすぎて、最近別れた。やっぱりみんな、クリスマスは彼女と過ごすのかなあ」


 そう悲しそうに嘆いている翔を見ながら、暁は鳴海のことを考えていた。

 鳴海は、彼女はいないと言っていた。

 宗介には、長年付き合っている彼女がいるし、ユウキのことはよく知らない。


 けれどもしかしたら、翔と鳴海が二人で稽古終わりにクリスマスを過ごすかも知れないと思うと、暁の腹の底のドス黒い感情は一気に渦を巻く。



 ――それは、絶対に嫌だ。



「タッキーさんって、恋人いるっけ?」


 翔の、悪意の無い質問が飛んでくる。

 暁はその質問を受けて、穏やかに微笑むと、その質問に答えるのだった。







 俺は気分が沈んだまま午後の稽古に臨んでいた。

 霞鳥さんに言われた言葉を、ずっと引きずっている。


 俺の様子が暗いのを見て、霞鳥さんに何度も謝られてしまった。

 虐めるつもりはなかったと言われたけれど、別に俺は虐められたとは思っていない。

 むしろ、目を背けていた現実を直視する機会をもらえて、有難いと思っている。


 俺はその日の稽古を終えると、帰ろうとしている暁さんの後をこっそりと尾けた。

 もう少し稽古場から離れて、人が少なくなった所で声をかけよう。


 ――そして、契約の解消を申し入れるのだ。


 そうだ、きっとそれが健全な関係だろう。

 俺のことを好きな演技をしてもらうのも、俺が翔さんを避けているのも、健全な状態とは言えないと思う。


 これを機に、健全な関係に戻ろう。


 暁さんは、地下の駐車場へ向かっていた。

 駐車場の中は、人の気配がしない。

 今だと、俺は暁さんが車の鍵を取り出したタイミングを見計らって飛び出した。


「あの、暁さん!」


 俺の声に、暁さんは驚いて振り返る。

 そして周りに誰もいないことを確認すると、暁さんは不思議そうに俺に尋ねた。


「どうした、鳴海?」

「あの、お話があります。俺たちの……契約の話で!」


 俺がそう言うと、暁さんの表情が強張った。

 どんな内容の話なのか、察した様子だ。

 やはりもっと早くに、解消するべきだったんだ。


 俺が自己嫌悪と共に、再び口を開こうとすると、そのタイミングで暁さんのスマホが着信を告げる。

 暁さんはゆっくりとスマホを取り出すと、着信の相手を確認して、一度俺に目を向けた。


 俺は、どうしたら良いのか分からなくなってしまう。

 完全に話の腰を折られてしまった。さっさと契約の解消をして、この気まずい空気から解放されたかったのに。


 しかしどういうわけか、暁さんは俺の顔を見ながらゆっくりと通話ボタンを押した。


「もしもし」

『もしもし暁、急にごめんね。いま大丈夫? クリスマスの予定決めたくて』


 静かな駐車場の中なので、暁さんの通話相手の声が俺の耳にも届いてしまう。

 相手は、女性のようだ。しかも、クリスマスの予定を相談するなんて、そんな相手――恋人に決まっている。


 暁さん、恋人いたんだ。

 そう思うと俺は、気まずくて顔を背けた。

 なんで俺の目の前で通話するんだろう。早く掛け直すって言って通話を切って欲しい。

 それか、俺がこの場を逃げ出したかったけれど、それだと契約解消の話が出来ない。


 俺は、ソワソワするような、モヤモヤするような、不思議な感覚だった。

 すると暁さんは、落ち着いた声で電話越しにこう答える。


「ごめん、クリスマスは一緒に過ごせない」

『あれ、そうなんだ? 仕事?』


 暁さんは、一歩ずつ俺に近づいてくる。

 どうしたのかと俺が目を見開いていると、暁さんはまるで逃がさないと言うかのように、俺の腕を掴んだ。


 そして、俺の目を真っ直ぐに見つめながら、続けて言った。




「いま、付き合ってる人がいる」




 その言葉に、俺はドキッと心臓が跳ねる。

 付き合っている人がいる。その言葉を、俺の腕を掴んで俺の目を見て言うなんて、それだとまるで――まるでその相手が俺みたいだ。


 俺たちが恋人のふりをしているのは、契約だ。そういう演技だ。

 舞台が終わったら解消する、期間限定の恋人だ。


 それなのに、俺は胸の中のソワソワやモヤモヤが、その一言で綺麗に解消されるのを感じた。

 おかしい。なんだか俺、嬉しいと思っている……ような気がする。

 喜んでいる、自分がいる。


 でも、そんな自分が、少し怖い。


 暁さんは、さらに一言二言会話しているけれど、俺の耳には入ってこない。

 やがて暁さんは通話を切ると、俺の腕を掴んだままこう尋ねた。


「ごめん。話……なんだっけ?」



 ずるい。



 目の前であんな会話をされて、契約の解消が提案できるはずなかった。

 俺は、暁さんの目を見つめる。暁さんも、優しい瞳で俺を見返していた。


 俺を見つめてくれる、優しい目。

 俺のことを愛してくれている、愛情が伝わる目。


 俺はその目を見つめながら、不安気にこう尋ねた。


「……俺との契約が、暁さんの足を引っ張っていませんか? 俺、暁さんのストレスになってます?」


 そう尋ねると、暁さんの眉が歪む。

 俺が「やっぱり」と思った瞬間、唐突に腕を引かれた。


 そして次の瞬間、俺は暁さんの腕の中にいた。

 体格差もあってすっぽりと、暁さんの腕の中に収まってしまう。

 どうしてこうなったのか、俺が何度も瞬きをして混乱していると、俺の耳元で暁さんが囁いた。


「鳴海が翔と話してると、ちょっとストレス」

「……っ!?」

「でも、これでストレス解消されたから、もう大丈夫」


 そう言って、暁さんはそっと俺を解放した。

 暁さんの温もりが離れると、俺は少しだけ名残惜しさを感じてしまう。


 暁さんは、嬉しそうに俺を見ている。

 その瞳に見つめられると、俺はなんだか照れ臭くて、視線を彷徨わせながら両手の指を絡ませた。


「あ、えっと……ハグはストレス解消になるって言いますもんね! 俺でよければ、いつでもハグしてください!」

「言ったな?」

「えっ……はい! 男に二言はありません!」


 俺が真剣にそう言うと、暁さんは楽しそうに笑っている。

 暁さんの素の笑顔なんて久しぶりに見た気がして、俺までつられて笑顔になった。


 暁さんの手が、俺の手を握る。

 そして自分の車を示しながらこう言った。


「送るよ」

「……良いんですか?」

「ついでだよ、帰り道だから」


 俺は、その言葉に遠慮なく頷いた。

 久しぶりに、暁さんと二人きりで会話が出来たし、もう少しこの時間が続くことが嬉しい。

 俺は当初の目的も忘れて、暁さんの車の助手席へ乗り込む。



 ――こうして俺たちの関係は進むことも戻ることもなく、クリスマスへ向かっていくのだった。

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