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第9話 悪い感情

 俺は暁さんの後を追うことが出来ず、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 霞鳥さんが後を追っていたから、きっと俺が行ったところで邪魔になるだけだろう。


 そんなことを考えて、俺は自分でも少し複雑な気持ちになった。

 暁さんと霞鳥さんは仲が良くて、共演者というより友達のような関係だと思う。

 たしか暁さんは37歳で、霞鳥さんは31歳だから、俺よりずっと歳が近くて二人は話も合うのだろう。


 だけど俺は、同じように暁さんのことが心配なときに、後を追えないことが少しだけ、悔しかった。

 自分よりずっと適任な人がいることは、当然のはずなのに、どこか複雑な気持ちになる。


 そうして俺が一人で佇んでいると、先ほどまで一緒に演技をしていた翔さんが、後ろから俺の肩を組んできた。


「ナルくん、すっごく良かったよ!」


 その弾むような声と距離の近さに、俺は驚いて踵が浮いた。

 すぐ横を振り向けば、翔さんの顔が近い。

 しかしその表情は、先ほどまでの冷たい表情ではなく、どこまでも嬉しそうな笑顔だった。


 そのギャップに、俺は少し頭が混乱しながら、しどろもどろにお礼を伝えた。


「あ、ありがとうございます……。でも俺、全然上手く出来なくて、すみません」

「何言ってるの、めちゃくちゃ良かったって!」

「でも、魔性の男なんてやっぱり俺には難しくて。全然誘惑的な演技が出来ていなかったですし」

「そんなことないよ」


 そう言ってくれる翔さんに、俺は苦笑を返した。

 全く靡いていなかった男に言われても、あまり説得力がない。

 けれど翔さんは、当たり前のようにこう言った。


「ルカ、すごく可愛かった。もし俺が『フィン』じゃなかったら、好きになっちゃってたかも知れないね」

「え……?」


 言葉の意味が上手く理解できなくて、俺は一度首を傾げる。

 とりあえず、褒められた……ということで、良いのだろうか。


 翔さんのような凄い俳優さんから、社交辞令かも知れないが褒めてもらえることは嬉しかった。

 でも俺は、無意識に客席側を見てしまう。

 自分の無意識な視線に気がつくと、俺は俺自身が本当は誰からその言葉を言われたいのか、はっきりと感じ取れてしまった。

 だから俺は自分の無意識から目を逸らしつつ、少し照れながら小さく頭を下げてもう一度しっかりとお礼を伝える。


「えっと、上手く出来ていたなら良かったです。他のシーンも頑張ります」

「うん、一緒に頑張ろうね!」


 先ほどまで、誘惑したりされていた関係なのが嘘のように、俺たちははにかみながら拳を合わせる。

 舞台上では敵同士だし、暁さんとの約束があるからあまりベタベタは出来ないけれど、翔さんとは先輩後輩として良好な関係を維持したいと思った。


 それから何度か、演出家の指導の元同じシーンの微調整を行う。

 しかし数十分稽古を続けても、暁さんと霞鳥さんは戻ってこなかった。


 次は少し休憩した後、フィンとディーンが戦場で対峙するシーンへ入るらしい。

 俺は痺れを切らすように、二人を探しに行こうと黙って稽古場を飛び出した。


 ――だから俺は、翔さんとの稽古の間、ずっとユウキさんが複雑な表情をしていることなど、全く気づいていないのだった。







 暁と宗介が稽古場を後にした、直後の話。

 二人は黙って裏口から外へ出ると、揃ってタバコに火をつける。

 そして取り敢えず一服したところで、宗介は重たい口を開いた。


「舞台上の演技には、文句をつけないんじゃなかったの?」


 宗介の言葉に、暁は口を噤んだ。

 椅子を倒してしまったのは、まるで事故のように取り繕ってみたが、恐らくほとんどの人は暁がわざと倒したことに気がついただろう。

 そして、椅子をわざと倒すような人間の行動は、大抵『苛立ち』や『怒り』に他ならない。


 さらに宗介は、暁がその感情に加えて、『嫉妬』していることも理解していた。


 演技とはいえ、翔に密着して誘惑する鳴海に対する『苛立ち』。

 翔に拒絶されて、ショックを受けている鳴海に対する『怒り』。

 そして、翔に対する拗れた『嫉妬』。


 翔の演技の上手さへの嫉妬。

 鳴海に触れられて、誘惑されていることへの嫉妬。

 そんな誘惑を――暁が欲しいものを、演技だとしても冷たく拒絶する翔に対する嫉妬。


 暁は、片手で前髪をかきあげるように、頭を抱える。

 あれは、演技だ。

 そう頭では理解しているのに、暁は見ていることが出来なかった。


 その理由を突き詰めてしまえば、もう誤魔化すことが出来そうにない。

 だから話をそらそうと、暁はどうにか口を開く。


「別に俺は、文句をつけてないだろ」

「何も言ってはないけど、態度でバレバレだよ。ナルくん、気にしてるんじゃない?」

「……」

「やっぱりさ、二人で一回ちゃんと話したほうがいいよ」


 宗介の提案に、暁は僅かに胸がざわつく。

 鳴海と二人きりで話すことを想像すると、落ち着かない気持ちになる。

 あの純粋でまっすぐな瞳に見つめられると、自分の薄暗い部分まで全て見透かされてしまうようだ。


 宗介は、その恐怖を知らない。

 鳴海と二人で話すということが、暁にとってどれだけの苦痛を伴うことになるのか、わかっていない。


 すると暁は、その苛立ちごと吐き出すように、言葉にしていた。


「……鳴海と二人きりで? 俺に何を話せって?」

「タッキー……」

「お前は演技でやっていることなのに、俺はお前にまんまと誘惑されている。お前は全くその気が無いのに、俺はお前に対する独占欲が湧いてきているし、俺は…――」


 暁はそこまで一息に言い切って、一度口を閉じる。

 そして自分の感情に行き着いてしまうと、大きなため息と共に言葉の続きを吐き出した。


「――…お前のことが、『好き』だ。って……? 鳴海にそう言えばいいのか?」


 暁は、自嘲と共にタバコの煙を吐き出した。

 馬鹿馬鹿しい。一回りも歳が離れている後輩の男に、そんな感情を抱くなんて、暁は自分が変態にでもなった気分だった。

 これは、悪い感情だ。本当は抱いてはいけない、間違っている感情だ。

 暁は自分の気持ちを握り潰そうとするかのように、胸の辺りをギュッと掴む。


 でも言い訳をするなら、これは鳴海のせいでもある。

 鳴海があんな提案をしてきたから、演技でも毎日のように鳴海のことを愛していると、暁は自分に言い聞かせていた。


 それに加えて、演技中の――演技とは思えないほど生々しい誘惑に、感情が大きく揺さぶられる。

 腹が立つことに、それでいて鳴海は全てが演技なのだ。



 自分ばかりが、本気になっていく。それがどうしようもないほど腹立たしい。



 そんな暁の様子を見て、宗介はどうにか冷静に、言葉を探した。


「……タッキー、ナルくんとの契約を解消した方が良いよ。たぶん演技のしすぎで、わけ分からなくなっちゃってるんだよ。ナルくんのこと、好きだって……思い込んでるだけだって」

「……」

「だってほら、タッキーは普通に女の子が好きでしょ。ね?」


 宗介の言葉に、暁はゆっくりと頷いた。

 今までの恋愛経験で言えば、当然のように女性相手しかない。

 それにいま恋人はいないけれど、ダラダラとどっちつかずな関係を続けているような、歳の近い元共演者の女優ならいる。


 そう、間違っても一回り歳下の男を好きになる要素なんて、今までの自分の人生にはなかったはずだ。

 だからこれは、何かの間違い。一時の気の迷い。

 そうだったなら、どんなに気が楽になるだろう。


 深刻な表情で思い悩む暁を見て、宗介は一つ頷いた。

 そして暁の肩へ手を置くと、決心したようにこう言い放つ。


「よしわかった! それじゃあ俺が、ナルくんと話すよ」

「は……っ!? 話すって何を!?」

「安心して、タッキーが悩んでいることは言わない。ただナルくんが……タッキーのことをどう思っているのか、俺が聞き出してくる」

「……嫌な予感しかしない」


 暁は、不安そうに首を横に振る。

 しかし宗介は、自信満々に親指を立てるのだった。


「大丈夫、俺に任せて!」







 俺は暁さんと霞鳥さんを探して廊下を歩いていた。

 喫煙所を覗いてみたけれど不在だったので、例の裏口を目指す。あの裏口から外に出たところが、暁さんのお気に入りの喫煙スポットだ。


 すると、俺の視界の先にある裏口の扉が開き、霞鳥さんが入ってくる。

 そして俺と目が合うと、嬉しそうに小走りで駆け寄ってきた。


「ナルくんちょうど良かった〜!」

「あ、えっと……暁さんは?」

「もう一本吸うってさ」


 そう言いながら、霞鳥さんは俺と肩を組んで稽古場の方へ歩き出した。

 けれど俺は何度も後ろを振り返ってしまう。暁さんを一人で置いていって、大丈夫なのだろうか。

 いや、俺が行ったところで何も出来ないとは思うけれど、心配になってしまう。


 すると霞鳥さんは、少し小さな声で俺に話しかけてくる。


「いやナイスタイミング。実はちょっとナルくんに聞きたいことがあって……」

「え、俺ですか?」

「そうそう、ぶっちゃけさあ…――」

「あ、いた! 霞鳥さん!」


 霞鳥さんが話している途中で、俺たちの前からやってきたユウキさんが、慌てた様子で手を振っている。

 そして俺たちの方へ駆け寄りながら、霞鳥さんへ向かってこう言った。


「次のシーン、霞鳥さんの出番なので、みんな探してますよ!」

「マジ!? やっべ、ありがとう!」


 そう言い残して、霞鳥さんは俺から離れると慌てて稽古場の方へ戻って行った。

 結局話とは、なんだったのだろう。

 俺が気になったまま取り残されていると、霞鳥さんを探していたらしいユウキさんも、汗を拭いながら息をついていた。


 そして、俺たちは自然と目が合う。

 ユウキさんは一瞬複雑な表情を見せてから、すぐにその表情の上へ笑顔を乗せた。

 何度か言葉に迷った後、ユウキさんは俺のことを褒めてくれる。


「鳴海はさ……すごいな」

「ええ!? なんかみんな褒めてくれて、その……嬉しいですけど、俺自身自分がまだまだだってわかってるので、あんまり褒めないでください!」

「いや、初共演で翔さんにあんなに褒められるなんて……鳴海はすごいよ」


 そう言って、ユウキさんは気まずそうに目をそらす。

 そしてまるで独り言のように、こう続けた。


「あの人、本当に認めた人のことしか褒めないから……」

「え……?」

「……俺たちも稽古場に戻ろう」


 ユウキさんはどこか困った風に笑いながら、俺にそう提案する。

 俺はなんだかその誘いを断ることが出来なくて、裏口への扉を一度振り返ってから、ユウキさんと一緒に稽古場へ戻るのだった。





 翌日。

 また昼休憩になると、俺は少しだけ緊張した。

 どうしよう。今日はどんな言い訳を使って、一人でご飯を食べに行こう。


 もういっそのこと、誰からも声を掛けられない内に逃げ出してしまおうか。

 俺がそんな悪い考えを持っていることを見透かしたかのように、逃がさないと言わんばかりに、突然腕を掴まれる。


 俺は絶対に翔さんだと確信する。

 振り切るつもりで振り返ると、そこには霞鳥さんが満面の笑顔で立っていた。


「え、霞鳥さん……?」


 この人はいつも、暁さんとランチへ行くはずだ。

 そう思いながら視線を彷徨わせると、暁さんは不安気な様子で俺たちを横目に見ている。


 そして霞鳥さんは、意外ではないはずなのに、俺にとっては心底意外なことを口にするのだった。


「ナルくん、今日は俺とランチへ行こう、二人きりで」

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