Page8———Feel?———
帰り道、赤信号で車を止める。
ブレーキを踏む。
前の車との距離を確認する。
ウインカーを戻す。
考えなくてもできる動作だった。
いつも通り。
問題なく、正しく動ける。
———“好き”を、自分の感情で考えたことある?
ふいに、三浦の言葉が頭をよぎる。
信号待ちの間、ぼんやりとフロントガラスの向こうを見る。
歩道を歩く人。
コンビニの明かり。
流れていく対向車のライト。
全部、現実感はある。
ただ、僕だけが少し遠かった。
青に変わる。
アクセルを踏む。
車は静かに前へ進んだ。
運転は嫌いじゃない。
やることが明確だからだ。
速度を見る。
周囲を見る。
必要なタイミングでブレーキを踏む。
正しくやれば、問題なく進める。
そこに迷いはない。
でも、
さっきから考えていることには、正解が見つからなかった。
好き。
恋。
楽しい。
意味は分かる。
言葉として理解できないわけじゃない。
ただ、それを僕の感覚として考えようとすると、急に曖昧になる。
佐伯先輩との時間を思い返す。
一緒に出かけて、食事をして、手を繋いだ。
恋人らしいことは、一通りしていると思う。
不快ではなかった。
むしろ自然だった。
会話も問題ない。
沈黙も苦じゃない。
ちゃんと成立している。
それは確かだ。
それなのに。
そこに、僕の感情がどれだけあったのかは、よく分からなかった。
赤信号。
再び車を止める。
ハンドルに指をかけたまま、小さく息を吐く。
手を繋いだ時のことを思い出す。
温かいとは思った。
柔らかいとも思った。
嫌ではなかった。
でも、それ以上が出てこない。
普通はどうなんだろう。
好きな相手と手を繋ぐ時、人は何を感じるのだろう。
嬉しいとか。
緊張するとか。
離したくない、とか。
そういうものが、本当にあるのだろうか。
考える。
けれど、実感として浮かぶものはない。
分からない。
また、その言葉に行き着く。
青信号。
アクセルを踏む。
車は一定の速度で流れていく。
問題はない。
どこにもぶつからない。
ちゃんと運転できている。
それなのに。
僕のことだけが、うまく扱えない気がした。
スマホが震える。
助手席に置いていた画面が光る。
赤信号で止まってから、視線を落とす。
『明日空いてるー?』
佐伯先輩からだった。
短い文。
いつも通りの軽い調子が、文章越しでも伝わってくる気がした。
少しだけ画面を見る。
今までなら、特に考えず返していたと思う。
断る理由はない。
予定も空いている。
会えば、普通に過ごせる。
問題はない。
なのに。
指が止まる。
僕は、会いたいのだろうか。
その考えが浮かんだ瞬間、少しだけ呼吸が浅くなる。
今まで、そんなふうに考えたことがなかった。
必要かどうか。
問題があるかどうか。
ちゃんとできるかどうか。
考えていたのは、いつもそれだった。
僕がどうしたいのかなんて、考える必要がなかった。
いや。
考えないようにしていたのかもしれない。
後ろの車のライトが、バックミラー越しに揺れる。
信号が青に変わった。
それでも、すぐにはアクセルを踏めなかった。
会いたいのか。
好きなのか。
楽しいのか。
答えは、まだ出ない。
考えても、分からない。
それでも。
『大丈夫です』
気づけば、そう返していた。
送信完了の表示を見つめる。
クラクションが短く鳴った。
小さく息を吐き、アクセルを踏む。
車はまた前へ進み始める。
行き先は決まっている。
道も、信号も、間違っていない。
それなのに。
僕がどこへ向かっているのかだけは、
まだよく分からなかった。
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