08.犯行の一部始終
ティオリーはポケットに忍ばせていたらしい小瓶を取り出し、その中に入っていた粉をゼルアクスの横へまいた。恐らく小さじ一杯にも満たない量の白い粉は、ゼルアクスの肩辺りでふわりと舞い上がり、音もなく床に落ちる。
何かの気配に気付いたのか、ゼルアクスが振り返った。
「ティ……リー……?」
忘れてたけど、あの薬って俺も鬼人だから効くんじゃないのか。
鬼人に一番効果がある、とシャルリアが話していた。今、まさに目の前でその薬がまかれたのだ。
ゼルアクスは女の名を呼ぼうとしたがまともな言葉にならず、そのまぶたが閉じられる。まかれた粉から立ち上る香りが、ゼルアクスを強引な眠りへ引きずり込んだのだ。
その様子を見ている限り、眠りと言うより気絶に近いだろう。
ゼルアクスの身体が棚に当たり、頭を打つことなく床に倒れたのは、不幸中の幸いか。それでも、薬の効果は確実にゼルアクスを眠らせた。
それは同じ鬼人であるレイアードにも起きそうなものだが……彼には何も起きない。
甘い香りがどうのと聞いていたが、それも感じなかった。音や光などは感じても、香りまではわからないようだ。
ここは確かに過去に存在した世界だが、今のレイアードにとっては別の世界だからか。
何にしろ、ゼルアクスには悪いが、レイアードはほっとした。ここで眠ってしまったら、あの女を追うことができなくなる。
床に倒れたゼルアクスは、ぴくりとも動かない。胸がかすかに上下しているので、息をしていることだけはわかる。
だが、劇薬の眠り薬は、確かにゼルアクスの身体に入ったのだ。
くそ、こっちの精神状態に悪いな。目の前でダチに何か仕掛けられてるのに、手も足も出せないなんて、いらいらする。
「行きましょう、私と一緒に。ずっとあなたを見ていた。あなたと一緒にいたかった。これからは、ずっとそばに」
ティオリーが倒れたゼルアクスに、魔法の呪文のように語りかける。
行きましょうって、ゼルの意思を一言も聞いてないだろ。しかも、いきなり眠らせてるし。そういうことは、起きてる奴に言えよ。
もどかしい思いを抱きながらレイアードが見ていると、ティオリーは倒れたゼルアクスのそばにしゃがんだ。ドリーダが言った、魂の一部を切り取るつもりなのだろう。
レイアードは魔法にうといので、ティオリーの口から紡がれる呪文が何かはわからない。
その呪文が終わると、ゼルアクスの身体からふわりと拳大の緑色をしたもやが現れた。彼の瞳と同じ色だ。
見ているうちに、そのもやは半透明のゼルアクスになる。姿はもちろん、実体の彼が身に付けている白衣などの衣服も再現されていた。外へ現れる直前の姿になるのだろうか。
ただし、色はもやと同じ緑だ。全てが緑の濃淡でできた、ゼルアクスである。
魂を切り取ったら、そいつと同じ姿になるのか。すっげぇな。……顔はうつろな感じだ。今の状態で目を覚ましても夢現な状態ってドリーダが話してたけど、切られた魂の方でも同じ状態ってことか。
ゼルアクスの状態はともかく、レイアードは確かに現場を確認した。
ティオリーと名乗った女が劇薬を使ってゼルアクスを眠らせ、その魂の一部を切り取って抜き出したのだ。
今まさに、犯罪行為を目にしているってのに。こんな状態、めちゃくちゃストレスじゃないか。
現行犯で捕まえられないのが、レイアードにすればとにかく悔しい。
「行きましょう、私と一緒に」
こんな凶行に出たにも関わらず、ティオリーの口調はとても穏やかで……むしろ優しげだ。
その口調は、愛おしい相手に向けられるもの。その声に、悪巧みのような黒さは感じられない。
何なんだ、この女。何を考えていやがる。実際には周りに誰もいないんだから、うまくいったのならもっとほくそ笑みそうなものなのに。
ティオリーの表情に、レイアードは混乱してしまう。
ここへ入って来た時から、そうだ。ゼルアクスに中へ入るよう言われたら、とても嬉しそうにして。うきうきしているようにも思えた。悪いことをしている、という自覚がないようなのだ。
緑の半透明という以外、身長や見た目など実際のゼルアクスと全く変わらない彼を誘導し、ティオリーは調合室の外へと向かう。
その後を、レイアードも追った。ここからが肝心なのだ。
さっきも据え膳的なセリフを口にしてたが……まさか本当にそうなのか? 中へ入るための狂言とかではなく?
レイアードがそう思ってしまう程、来た時以上にティオリーは嬉しそうに見える。まるで、恋する者のように。
半透明のゼルアクスの腕に自分の腕を絡めているのは、逃げないように、という目的ではなさそうだ。
あのゼルアクスに逃げようという素振りは全くなさそうだし、きっとそんなことは考えていないだろう。
普段よりぼんやりしているゼルアクスと、確実に覚醒しているティオリー。何をどうしようと、ゼルアクスに勝ち目はない。
後ろから見ていると、ゼルアクスの半透明さはともかくとして、どこにでもいるカップルのようだ。
それでも、見られては困るのか、ティオリーは裏通りを選んで歩いている。自分はともかく、あの状態のゼルアクスを見られるのはさすがにまずい、と思っているらしい。
鬼人や獣人、妖精などを見慣れている街の住民も、半透明の鬼人は見たことがないだろうから騒がれかねない、ということのようだ。今のゼルアクスだと、ゴーストに間違われるだろう。
昼間程に通りを歩く影はないが、夜目の利く種族がどこにいるかわからないから、それも避けたいのだと思われる。
こっちは……ソティアの森がある方向だな。そこへ連れて行く気か。
レイアードが予測した通り、ティオリーは街を離れ、ゼルアクスをソティアの森へと連れて行く。小さなカンテラを持って歩いているティオリーだが、まるで鬼火のようだ。
鬼火と言っても、鬼人とは関係ない。単に同じ字を使われているだけ。ゆらゆらする小さな火の明かりを見ていると、ひたすら不気味なだけだ。
ティオリーはとある池のほとりへ来ると、そこにある岩にゼルアクスを座らせた。これで小柄なティオリーより、ゼルアクスの頭が少し低い位置になる。
さぁ、これから何をする気だ、とレイアードは見ていたが、ティオリーは自分の胸にゼルアクスの頭を押さえ付けるようにして抱きしめた。
……それだけ。ゼルアクスはされるがまま。
レイアードは初め、そうすることでティオリーがゼルアクスの魂から生気でも吸い取っているのか、と思った。
抵抗する意思も力もないゼルアクスを自分の思いのままに、としているように見えたのだが……それ以外に大きな動きは何もない。
ゼルアクスの姿が消えるとか痩せ細っていく、といった様子もなかった。
さっき歩いていた時と同じく、半透明という以外は愛する者同士が抱き合っている、というシーンに見える。
まさか……本当にゼルがほしくてこんなことをしたって言うのか。さっきからそんな感じには見えていたが、本当に?
「嬉しい。私、ずっとあなたとこうしたかった」
あなたの時間がほしい、と言っていた。それは「一緒にいたい」ということだと聞こえたが、本当に「一緒にいたい」というだけで、ティオリーはこんなことをしでかしたのだろうか。
レイアードは、しばらくその光景をずっと見ていた。
そのうち何か始めるのでは。
第三者が来て、事態が動くのでは。
そう考えたが、何も起きない。ゼルアクスの頭を胸に抱き、その髪に頬を埋めるようにして立っているティオリーがいるだけ。
ただ、顔色は悪いままだ。好きな男と一緒にいるならもう少し赤みが差しそうなものだが、本当に具合が悪いのか。
わからない。何なんだ、この女。
レイアードが意味不明だと言うように、頭を振る。
その時、ふっと身体を引っ張られたような気がして、目の前の光景が変わった。それまで暗い森の中にいたのが、部屋の中に立っている。
「あれ?」
「進展がないようなので、引き戻した」
レイアードの横で声が聞こえ、見ればドリーダが立っていた。





