07.過去の世界
軽く言われたが、ミクテスが指差す方には巨大なネズミのような魔物が数匹、こちらを威嚇している。
「え……あれを?」
いつの間に現れたのか。アルルーラは言われるまで、全く気付いていなかった。
「先生を助けたいと思ってるなら、速攻で頼むね」
告白だの番うだの、アルルーラにとって赤面ものの言葉がいくつも出て来たが、あくまでもそれはゼルアクスが助かれば、の話。
告白なんてしないにしても、今は好きだと思う相手のために動かなければならない。
「わ、わかったわよ。でも、外れたって文句言わないで」
「いや、絶対当ててね」
「もうっ」
「だって、当てないと意味ないでしょ」
その後、八つ当たりのように攻撃された魔物は「出る時を間違えた」と反省したに違いない。
☆☆☆
レイアードは、調合室へ入って来たゼルアクスを見ていた。
薬局の営業を終了し、後片付けも終わってシャルリア達が帰った後の時間。ついさっき、ドリーダと一緒に見ていた光景の中に、レイアードはいる。
同じ空間にいるのに、ゼルアクスはレイアードの存在に全く気付いていない様子だ。レイアードの身体が透けている、という訳でもないのに。
ドリーダが言ったように、本当に見えていないようだ。お互い、実体があるはずなのに、不思議な気がする。
このゼルにとっては現実でも、俺にとっては過去の映像だから、か。こんな魔法があるなんて、すげぇな。
「えーと、休み明けにドリーダへ渡す薬草の準備、しておこうかな」
んなの、ドリーダが来てからでもいいだろうに。さっさと飯食って、好きなことして休めよ。せっかくの休日前だろ。
営業時間もすぎたのに、独語しながら作業をしようとする友を見て、レイアードは心の中でつぶやく。
ゼルアクスは昨日が休みで、レイアードは今日が非番。もし、お互いの休みが重なり、一緒に食事でもしていたら。事態はどう変わっていただろう。
「あ、そろそろ二日酔いの薬が切れるんだっけ。レイが来た時のために、調合しておかないと」
さっき、ミクテスからもらったのが最後なら……すまん。
自分のために休み前の作業を増やしたとわかり、レイアードは声に出せないながら手を合わせて謝る。
こんこんと、ノックの音が小さく聞こえた。調合室から外へ続く扉だ。
その音に、レイアードは無意識のうちに身構えた。
これから、容疑者らしき女が現れる。恐らくは、その女がゼルアクスをあの劇薬で眠らせるのだ。
ここで助けられないのがもどかしいが、過去は変えられない。
それならしっかり現場を見て、女がどこへ逃げるのか突き止めねば。
ノックに気付いたゼルアクスが、そちらへ向かう。扉を開けると、女が立っていた。レイアードがドリーダと鏡を見ていた時に現れた、あの女だ。
映像で見た時も細いとは思っていたが、実際の姿はもっと細く見える。レイアードがそう力を入れなくても、簡単に骨が折れそうだ。
こうして間近で見ると、顔色がよくない。具合が悪いのか、これから起こす凶行に緊張しているのか。
頭を見たが、角はない。映像では明確に見えないだけかと思ったが、やはり鬼人ではないのだ。薬の効果を考えれば、当然とも言える。
かと言って、人間でもない。ドリーダが感じたように、レイアードもこうして近くで女を見ていると、確かに違和感があるように思えた。
人間にはない金の瞳をしている、というだけではない。雰囲気そのものが、どこか違うような。
はっきりわからなくて、もやもやする。
「今日の営業はもう終わったんですが……」
薬局の灯りは消えていたが、調合室が明るかったのでこちらへ来た客。
女を見て、ゼルアクスはそう思ったようだ。
「ゼルアクス、ようやく会えた」
「はい?」
ん? どういうことだ?
ゼルアクスは首をかしげたが、彼の斜め後ろに立って女の言葉を聞いていたレイアードも、同じように首をかしげた。
ああいうことをするからには、何かしらよからぬ感情を抱いて来ている、と考えていた。憎悪なのか、逆恨みなのか。
だが、現れた女の顔を見ている限り、とても「嬉しそう」なのだ。
相手を騙すための演技、とも考えられるが、金色の瞳がきらきらしていて、本当にゼルアクスと会えたことを喜んでいるように見える。
「どこかで会ったっけ?」
本当に会ってたとしても、ゼルは覚えてないんだろうなぁ。明らかに以前会った奴に「初めまして」って言う奴だから。余程何か身体的特徴があるか、会った時に忘れられない出来事でもないと。
ゼルアクスの言葉に、レイアードはついそんなことを考えてしまった。
本当にそばにいれば、きっと声に出して言っている。
「私はティオリー。ゼルアクス……私はずっと、胸を締め付けられる日々を過ごしてきました。あなたの目に、私は映らない。たとえ話すことができても、それ以上のことは何も起こらない。そう考えるだけで、苦しくなるばかり。だから声をかけられずにいたけれど、今こうして同じ視線で、あなたに会えた。いつまでこの状態でいられるか、わからない。だから……ほんのわずかで構わないから、あなたの時間がほしいの」
どこか思い詰めたような表情で、それでもティオリーと名乗った女は自分の気持ちを切々と訴える。
「はぁ……まぁ、とにかく入って」
ゼルアクスの言葉に、ティオリーの表情がぱっと明るくなる。
レイアードは、その顔にも違和感を覚えた。
騙そうとしているにしても「これからひどいことをしでかしてやろう」という女の顔には見えない。
間違っても「ほくそ笑んでいる」と表現されるような表情ではなかった。ゼルアクスが室内へ自分を招き入れてくれたことを、本気で喜んでいるような顔なのだ。
女は誰でも女優と聞くが、それなら相当な名演技である。
ティオリーは、調合室へ足を踏み入れた。両手は鼓動を押さえるかのように、胸の前で組まれている。
「それで、胸が苦しいのはいつから?」
「え?」
ティオリーがきょとんとなるが、ゼルアクスはそんな彼女の様子に気付いていない。棚の薬草を見比べていた。
「ちゃんと医者へは行った? ぼくは薬剤師であって医者ではないから、適切な診療なんてできないからね。今はもう遅い時間だから医者もやってないし、ひとまず応急処置的な薬を出してあげるけれど。明日になったら、早く医療機関へ行くんだよ。一言で胸が苦しいと言っても、原因が心臓か肺かわからないからしっかり調べてもらわないとね」
「はぁ……」
ゼルアクスの言葉に、ティオリーは完全に戸惑った表情になっている。
そばでその会話を聞いていたレイアードは、思わず頭を抱えた。
ゼルの奴、冗談……じゃなく、真面目に言ってるんだよな、あれ。何を言葉通りに受け取って、淡々と薬を選ぼうとしてんだよ。仮にその女が本気だとしたら、思いっ切り据え膳だぞ。
ゼルアクスの前にこんな積極的な女性が現れることにも驚いたが、彼の対応にはもっと驚かされる。
まぁ、あんな回りくどい表現をされたんじゃ、ゼルにその意味がわかるはずはないよな。もっとも、いきなり来た知らない女に、こいつが手を出すとも思えない。思えないが、それにしたって……。
朴念仁にも程がある。遠回しながら女が迫っているのに、ゼルアクスはそれに気付いていないのだ。
ここまで来ると、アルルーラに言った「ぼんやり」を通り越している。
彼女の顔色の悪さが、具合の悪さに信憑性を持たせたのだろうが、相手の言葉をストレートにとらえすぎだ。
ついでに言えば、最初の「胸が締め付けられる」という部分だけを聞き、あとはほぼスルーしている様子。
時間がほしい、と言ったのは、ゼルアクスが薬をみつくろってくれる時間、と解釈したのだろう。
要は、自分が理解できる部分だけでゼルアクスは行動しているのだ。
レイアードは頭を抱えながらあきれ、ゼルアクスは真面目に効果的な薬草を選ぼうとしていたが、ふいにティオリーがゼルアクスの後ろへ動いた。
レイアードははっとするが、止めることはできない。現実にその場にいたとしても、たぶん間に合わなかっただろう。





