03.劇薬
「つまり、ゼルは何かの事件に巻き込まれたかも知れないってことか」
話を聞いて、レイアードも酔いが冷めたようだ。
ミクテスが一応、いつも処方している二日酔いの薬と水を渡しておく。
「よからぬ薬で眠らされている、ということだな。シャルリアはどういった薬が使われたか、推測できるか?」
さっきミクテスが聞こうとして聞きそびれたことを、ドリーダが尋ねる。
「鬼の眠り粉ではないか、と……。私は現物を扱ったことはありませんが、あの甘い香りと先生の状態から見て、そう考えています」
異様な程に甘い香り。ゼルアクスをいくら揺すっても、こうして部屋を移動させても目覚めない、という異常。
麻酔や眠り薬の類で、あそこまで甘い香りがするものをシャルリアは知らない。
あれこれ考えていくと「鬼の眠り粉」という薬が思い浮かぶのだ。
「それ、何かやばい薬なのか? 名前だけ聞くと、睡眠薬みたいだけど」
薬に全く詳しくないレイアードは、聞いたこともない名前だ。
魔法使いの二人は、薬ではなく薬草を買いに来る常連。それを使って調合する薬も、魔法使いが用いるものだ。
なので、そういった薬の名前は知らなかった。
「鬼の眠り粉かぁ。それってさぁ、劇薬扱いの中になかったっけ」
まだまだ勉強中のミクテスは、必死に記憶の引き出しから名前を探す。その言葉に、アルルーラが息を飲んだ。
「ええ。特別な事情がない限り、調合禁止薬物よ」
特別な事情と言っても、そんな状況がそうそうあるはずもない。実質「作ってはいけない薬」である。
「おいおい、劇薬って……単なる眠り薬じゃないのかよ。鬼みたいに強い効果がある、とかって意味の」
「言ってみれば、そんな感じですね。一気に眠らせる効果があるので、非常に強力な麻酔を大量に投与するようなものなんです。それに、この薬は気付け薬がなければ、絶対に目を覚ますことはありません」
「え……じゃあ、ゼルは放っておいたら眠ったまま?」
レイアードの言葉に、シャルリアは小さくうなずいた。
「名前に鬼と付いているのは、効果がとても強いという意味の他に、鬼人に一番効果があるからです。獣人については……種族にもよるので、私も詳しくはわかりませんが。少なくとも、本来これは人間には効きません。私は人間ですが、それでも香りを嗅いでいるうちに少しくらっとしました。かなり強い効果があるもの、と考えられます」
説明を聞いていたアルルーラは、真っ青になった。
「じゃ、じゃあ、ゼルさんはずっと眠ったままなんですか」
「今、シャルリアが説明しただろう。気付け薬がいる、と」
弟子の言葉に、師匠が突っ込む。
「じゃ、じゃあ……その気付け薬は? ここにあるんですか」
「あれば、とっくに使って起こしている。だろ?」
「はい。気付け薬はありません」
シャルリアがノンシュ薬局へ来てゼルアクスを見付けてから、まだ三十分も経っていない。この状況を把握するだけで精一杯だった。
そもそも、調合禁止薬物の解毒剤なんてノンシュ薬局に限らず、どこの薬局だって常備していないはず。
禁止されている薬なのだから、解毒剤が手元にあったりしたらむしろ「どうしてあるんだ?」と変に疑われかねない。
ゼルアクスは時間を見付けてはあれこれと薬の研究をしているが、それはそれ。ここで調合するのは、基本的に一般的な薬だけだ。
ちなみに、さっきミクテスが調合室でまいた中和剤は、あくまでも部屋の中に気化した薬の効果を充満させないためのもので、ゼルアクスのオリジナル。
残念ながら、今のゼルアクスのように「身体に取り込んでしまった劇薬を無効化するもの」ではないのだ。
失敗した薬を飲むことは、まずないから。
「現時点での問題としては、誰がゼルに薬を使ったかってことと、その目的。あとは、気付け薬を調達する必要があるってことだな。薬はともかく、警衛に届けて、やらかした奴を調べさせないと。これは立派な傷害事件だ」
まずありえないが、ゼルアクスが薬の実験台に自分からなったとして。それなら、調合室の床に横たわる、なんてことはしないだろう。
自分の意思に反して起きたことだから、あんな状態になっていたのだ。目に見える傷がなくても、傷害になりうる。
「ちょっと待て」
動き出そうとするレイアードを、ゼルアクスの身体に触れて調べていたドリーダが止めた。
「さっきから薬の話ばかりが出ているが、ゼルアクスから魔法の気配がかすかにしている。私が来るまでに、誰か魔法を使ったか?」
「いえ、私は使えませんし、ミクテスは魔法を使ったような動きはしていません」
「俺はちーっとだけ使えるが、ゼルに使うようなものはないな」
アルルーラは魔法使いだが、ドリーダと一緒に来たので論外。
つまり、ここにいる誰も、ゼルアクスに魔法を使ってはいない。
「探ってみる」
ドリーダが何やら呪文を唱えながら、ゼルアクスの顔の前に手のひらを向ける。その様子を、全員が見守った。
「意識を切り取られているな」
ドリーダの言葉に、誰もがきょとんとなる。
「意識? 意識って、切り取れるもんなの?」
ミクテスが、首をかしげる。先端だけ黒い耳が揺れた。
「魂の一部、と言ってもいいだろう。わかりやすく説明するなら、本来なら満月のような形の魂が、わずかに欠けたような状態だ。ゼルアクスが今の段階で目覚めても、夢現のようなものになる。邪魔さえ入らなければ、そう強い魔力がなくてもできる魔法だ」
「起きても、ぼんやりしたようになるってことか。まぁ、ゼルはいつもぼんやりしたような感じだけどな」
「ゼルさんはぼんやりしてません。性格が穏やかなんですっ」
アルルーラが強い口調で否定する。
「あ、ああ、悪かった」
アルルーラの剣幕に、レイアードは苦笑しながら謝った。
「つまり……先生の身体はここにある。けれど、何かあれば切り取った先生の魂を盾にして、脅迫まがいのことをされてしまう可能性がある。そういうことですか」
シャルリアの推測に、ドリーダがうなずいた。
「こんなことをした輩の意図はわからないが、この状況下ではそうしようと思えばできる、ということだ。時間が経てば、身代金みたいなものを要求されることは十分にある。我々が警衛に届け、多くの者がこの周辺を調べれば、何か仕掛けようとするかも知れない。もちろん、怖じ気づいてゼルアクスの意識を返そうとすることも考えられるが……劇薬を使ってまで事を起こした輩が、その程度で恐れるとも思えん。今は目に見える動きは、あまりしない方がいいだろう」
「こんなことして、何をする気なんですか。意識を切り取るなんて、まともじゃないです」
「私がそやつの動機など、知るはずなかろう。落ち着け、アルルーラ」
涙を浮かべるアルルーラの頭を、ドリーダは軽くぽんと叩いた。
「この状況で考えられるとすれば、やったのは薬の効果がない人間か獣人、もしくはガスマスクなんかを使った鬼人ってところか。強い魔力がある種族なら、薬なんて使わずに、力で眠らせることが可能だしな」
レイアードの推測通りなら、弱い魔力を持つ種族が容疑者となる。そして、その数は強い魔力を持つ種族の何倍も存在するのだ。
「ドリーダ、ゼルがこの状態で目覚めたらどうなる? ぼんやりしたっていうのは置いておくとして、生活していくのに支障は出るのか?」
「全てを持って行かれた訳ではないから、すぐに死ぬことはない。奪われた量にもよるが、決断力の低下や通常の行動に衰えが出るだろう。身体に支障はなくても、何かしようとする意識が減る。ひどい眠気がある時は、まともに考えられないし動きたくないだろう。あんな感じだ」
どういった状態になるにしろ、本来のゼルアクスではなくなるということだ。
「状態異常なんだから、何か影響があって当たり前か」
「すぐにってことは……ある程度時間が経ったら、まずいってこと?」
ミクテスが言いにくそうに尋ねた。
「切り取られた量によっては、身体が衰弱する。それに、もうろうとした状態で行動すれば、階段から落ちるといった不慮の事故にもつながるからな。いくら丈夫な鬼人でも、受け身が取れなければ危険だ。安心安全とは言えん」





