18.元に戻して
ザードレが構えるのを見て、ティオリーが叫んだ。
「今の状態でも、ほとんど瀕死みたいなもんさ。それに、こいつは消した方が、あんたにとってもよかないかい? 証拠がなくなれば、誰も追求できんのだからな」
こんな状況に追い込んだザードレをティオリーがどれだけ睨もうと、相手はどこ吹く風。
残酷な事態に引き込まれてしまったティオリーに、逃げ道はもうない。
「ほら、どきな。お前さんには楽しませてもらったから、これ以上は何もしないでやるよ」
命だけは助けてやる。見逃してやる。
ザードレは、そういうことを言っている。だからと言って、ティオリーはこの場を去ることなんてとてもできなかった。
ゼルアクスがこうなったのは、自分のせいだ。何としても、彼は自分が守らなければならない。
「逃げないと、お前さんに当たるぞ」
ザードレは本気で攻撃するつもりだ。
ゼルアクスの方を向けば、こんな状況なのに彼は逃げようとか防御しようという仕草を全然していなかった。
そんなゼルアクスを見て、なおさらティオリーは逃げられない。
「やめてっ」
ティオリーは両手を広げ、ゼルアクスの前に立った。しかし、ザードレが攻撃の手を止めることはない。
その手に現れた火の玉を、そちらへ放つ。防御できないティオリーは、その火をもろに身体に受けた。
「きゃあっ」
悲鳴をあげて、ゼルアクスの足下に倒れる。だが、彼は「大丈夫か」とティオリーの様子を見ようとすることはない。
座っていたゼルアクスはいつの間にか立っていて、ただザードレの方を見ている。いや、顔がそちらに向いているだけで、本当に「見ている」かどうかも怪しい。
立ち上がったと言っても、逃げるためではなさそうだ。
ゼルアクスをこんなふうにしてしまったのは、ティオリー。
今ここにいるゼルアクスは身体を失い、まともな思考力を失い、感情も失っている。
そんな彼が、ティオリーを心配してくれるはずもなかった。
誰か……誰か助けて。彼を……ゼルアクスを助けて。悪いのは私。彼は何も悪くない。だから、彼を元に戻してあげて。
薄れゆく意識の中で、ティオリーは必死に願う。
倒れた瞬間にわかった。もう自分は助からない、と。
これ以上、彼を助けようとすることはできない。あとはもう、祈るだけ、願うだけ。
わずかに残った命をくれ、と言うなら差し出すから、ゼルアクスを助けてほしい。
「ゼル!」
どこかで、彼の名を呼ぶ声が聞こえた。それが死にかけた自分の幻聴でないことを、心から祈る。
今の声が空耳ではないのなら、きっと彼を助けに来てくれた誰かだ。どうやってか、捜し出してくれた。
その誰かがザードレと対等に渡り合えるかは、わからない。でも、動けないティオリーよりは、きっと何とかしてくれるはず。
よかった。これで彼は戻れる。元に……戻れる。
☆☆☆
「お前を殺す気だった? ゼル、あいつに何かしたのか」
「さぁ、どうなのかな。記憶にはないんだけれど」
自分は知らなくても、実は誰かを傷付けるようなことをしている。
何気ない行動や、ちょっとした言葉によって。
ゼルアクスに限らず、誰もが普段の生活で意識することなく、どこかでそういうことをしているかも知れない。
だが、少なくともゼルアクスは、意図的に誰かの心身を傷付けた覚えはない。そもそもゼルアクスは、ザードレの姿をこれまでに見たこともなかった。
「レイアードなら、殺したい程恨まれることはいくらでもあるだろうがな」
ドリーダが、きついことをさらっと言う。
「仕事柄、それはあるだろうが……。それにしたって、無関係の女を使うってのは、汚なすぎるぞ」
「誰かを傷付けて、それを楽しむ。あいつはそれだけのために、ティオリーを騙した。さっきまで攻撃対象はぼくだったけれど、あれはぼくを殺すことでさらにティオリーが苦しむのを見て、楽しむつもりだったんだろうね」
ザードレは、ティオリーに逃げるように言った。もし、ティオリーがその言葉通りに逃げたとして、その後でゼルアクスは攻撃されていただろう。
魂の一部でしかないゼルアクスに、ザードレの攻撃が通じるかはわからない。
肉体がないから、何も起きないのか。肉体がないからこそ、まともに攻撃を受けてしまうのか。
何もなければ、それまで。だが、もしダメージを受けたら。最悪の状態になっていたら。
そのことを知ったティオリーは、一生苦しむだろう。
自分がしたことで「恋い慕う相手が命を落とす」という深い後悔と傷と罪を、死ぬまで背負うことになる。
ザードレは、そんな彼女を見て笑うのだ。
「ひどすぎるわ。ひとの気持ちを……何だと思ってるの」
その場にいる全員の冷たい視線が、ザードレに向けられる。
「誰でもいいから傷付けるってんなら、通り魔だな」
「あれこれ計画しているのだから、通り魔よりも質が悪い」
「こんなひどいこと、どうしてできるの……」
アルルーラの目に、涙が浮かぶ。
「ティオリーが身体を張って守ってくれたから、ぼくは傷付かずに済んだんだ」
ザードレの実力がどれ程のものであれ、あの時の攻撃に手加減は見えなかった。ゼルアクスの魂のダメージがどうだったかはともかく、実際にティオリーは致命傷を負っている。
「ふん、やはり相当な力で攻撃をしていたのだな。何が脅し、だ」
「……許せない。何かされた訳でもないのに、殺そうとするなんて」
どんな言い訳が出ようと、アルルーラはザードレが許せなかった。
まだ詳しい話はわからない。それでも、ゼルアクスを殺そうとした事実は確実にある。
さっき小人になってしまった女性も、ゼルアクスに何をしたかはともかく、最終的に被害者なのだ。
「けっ、平和にのほほんと生きてる奴が、寄ってたかってがなりやがって」
この場にいる全員から、非難の言葉と視線を向けられてうろたえていたザードレ。だが、言い訳するどころか、ザードレは開き直ったように嗤い出す。
「騙される奴が悪いんだよ。その小人も、その小人に隙を見せたお前も」
言いながら、ザードレは少しずつ後ずさる。逃げるつもりだ。
それに気付いたレイアードが拳を握り、ドリーダやアルルーラが何か呪文を唱えようと口を開きかけた。
だが、その前にゼルアクスが一歩前へ出る。
「そうだね。ぼく達は相手の意図を、悪意を、ちゃんと見抜けずに騙された。ティオリーはお前の言葉を信じ、ぼくはティオリーの行動を予測できなかった。だけど……ぼく達よりもっと悪いのは、間違いなく騙したお前だよ」
ゼルさん……もしかして、怒ってる?
アルルーラは、ゼルアクスが怒っているところを見たことがない。いつも穏やかな表情でいる彼しか知らなかった。
今も、表情はそう変わった感じがしない。ただ、彼の周りの空気がとても張り詰めている。少し怖い、と感じてしまう程だ。
しかし、こんなことをされて怒らない方がおかしい。ゼルアクスの感情は、この状況では当然のものだ。
「騙されないように注意してりゃ、誰も傷付かなかったんだ。わしの言葉にほいほい乗って騙されたあの小娘が、一番バカで悪いのさ」
「どれだけ自分を正当化しても、お前のしたことは正しくならない」
どこかでかすかに、シュルシュルという音が聞こえた。誰の耳にもその音は入って来たが、どこからしているのか見付けられない。
「ぎゃっ」
突然、ザードレが悲鳴を上げた。
次の瞬間には、身体を縛られた状態で木に逆さ吊りされる。ザードレのほぼ全身を縛っているのは、植物のツルだ。
「な、何だ、これは。どこから生えてきた」
ザードレは宙で必死にもがくが、振り子のように身体が揺れるだけ。身体を締め付けるツルの力は、そんなことくらいでは全く弱まらない。
むしろ、動く程に締め付けが強まっていく。
「他者の存在と命を、趣味の悪すぎる遊戯でもてあそんだんだ。これくらいでも、まだまだゆるいくらいだよ」
「お、お前がやってるのか。鬼人は魔法なんて使えないんじゃ」
「バーカ。魔力が全くないのは、魔法使いじゃない人間くらいだ。俺達鬼人だって、多少の魔法は使えるんだよ」





