17.ザードレのたくらみ
思い返せば、本体のゼルアクスは倒れてしまったのに、そのままにして薬局を出てしまった。
彼がいつ目覚めるか、わからないのに。
あの時のティオリーは、切り取ったゼルアクスだけしか見えてなくて、術がうまくいったことで舞い上がっていた。
いくら丈夫な鬼人でも、冷たい床に横たわったままで、身体にいい訳がない。
「それしても、お前さん……本当に相手がそんな状態でもよかったのかい? 当の鬼人は、そんなにぼんやりしてたのかねぇ。最初からしゃきっとしたタイプではなさそうだったが、ここまでぼんやりしたような、会話もほとんどできない男で満足なのかい。変わってるねぇ」
「まさか……まさか、あの術も何かよくないことが起きるの?」
元々色白だったティオリーの顔は、もう死人のように真っ白だ。
その横で、ゼルアクスは無表情のまま。どこまで話を理解しているのか。
「あの術? ああ、魂を切り取る奴かい。死にはしないさ。ただ、今までのような生活はできないってくらいで」
「待って! 魂は切られても回復するって、言ったじゃない」
「わし、そんなこと言ってたかい?」
白々しいとぼけ方をするザードレ。
「言ったわよっ。二度も言ってるわ。時間が経てば回復するんだから、大丈夫だって」
そう言われたから、安心して教えられた術を使ったのに。信じていたのに。
「すまん、すまん。それも何か別の術と勘違いしてたみたいだなぁ」
へっへっへっと、引きつったような笑い声を出すザードレ。
その声を聞いたティオリーは、もう生きた心地がしなかった。
「じゃあ、彼は今頃大変なことに……」
「そいつがいるのは、薬局なんだろ? 起きなきゃ、起きるようにする薬を使うんじゃないか? 眠ってるだけで、別に重病になるってんでもないんだ」
「だからって、放っておく訳にはいかないわ。早く彼を戻してあげなきゃ」
どうやって戻すのか、なんてティオリーは知らない。だが、とにかく、この半透明なゼルアクスを本体のそばへ返さなければ。
本体が近くにあれば自動的に戻る、ということもある。なければ……その時に考えるしかない。
「そんな半透明な男を連れて、薬局へ行くのかい? 今頃、大騒ぎになってるかもねぇ。眠ってる理由がわからないだろうから、医者に診せてるか。さっきも言った、自分達で薬を作り出すか。それができなきゃ、病院送りになってるかもなぁ」
青ざめるティオリーとは対照的に、ザードレは楽しそうにしゃべる。
「そんなこんなでばたばたしてるところへ、そいつを連れて行けば……気の短い鬼人仲間にぶん殴られるかもなぁ。鬼人ってのは、気の短い奴が多いと聞くし、相手が女や子どもでも容赦しないって言うじゃないか。お前さん、鬼人に殴られたら死んじまうかもだよ」
ティオリーには、鬼人の知り合いなどいない。ゼルアクスが唯一知っている鬼人だ。
とは言っても、彼はティオリーのことを知らない。当然、彼の仲間もティオリーを知らない。
ザードレが言うように、仲間を心配した鬼人がティオリーに対して怒りを向け、さらに拳を向けられたら。
女性ということもあるが、ティオリーは小人なので大きなものは怖い。今は人間のようなサイズであっても、それより大きな鬼人が目の前にいたら怖くなるだろうし、まして殴られそうになったらもっと怖いだろう。
もちろん、実際はそんな鬼人ばかりではない。ティオリーが知るゼルアクスのように、穏やかな性格の鬼人だっている。
それに、事情もわからないまま、殴りかかることはない。ケンカっ早い性格の者もいるだろうが、それは鬼人に限ったことではないだろう。
だが、ザードレの言葉に囚われたティオリーは恐怖が先に立ち、ゼルアクスを連れて薬局へ戻ることをためらってしまう。
しかし、こうしてぐずぐずしている間にも、ゼルアクスの本体はよくない方へ向かってしまうかも知れないのだ。
あんなわずかな量でも、劇薬は劇薬。もし、考えている以上に悪い効果が現れたりしたら。
恐い。でも、何とか彼を助けなければ。
考える程にどうしていいかわからなくなり、ティオリーは動けない。
「まぁ、わしは薬代さえもらえれば、誰がどうなろうと知ったこっちゃないがね」
「ひどいわ。だましたのねっ」
怒りを覚えたティオリーが叫ぶ。
「おやおや、騙したとはずいぶんな言い草だな。お前さんがその男を自分のものにしたいから、そうしたんじゃないのかい。ここへ戻って来てから今まで、お前さんはいい思いをしてたんだろう? 一昼夜と少しってところか。まぁ、男の方がそんなじゃ、いいことはできなかっただろうがな。わしはこういう方法がある、と言っただけだ。実際に行動に移したのは、お前さんだよ」
ザードレは勧めてきた。こうすればこうなる、と。
実際にどうなってしまうか、ということは隠していたが、ザードレの言うことを信じて行動したのは……確かに自分だ。
どういう方法であれ、自分が好きだと思っている相手によくわからない薬を使い、手に入れようとするべきではなかった。
どれだけ深く反省しても、遅すぎる。
「あの薬、さっきも言ったが珍しい薬でねぇ。高かったんだよ」
「あれはあなたがくれたんじゃ……」
渡された時、あげるといった言葉はなかった。しかし、後で料金を請求する、という言葉もなかったはず。
「はぁ? 寝ぼけたことを言ってもらっちゃ困るよ。誰もただで、とは言ってない。あれは裏ルートでしか手に入らない、すんごく貴重な薬なんだ」
ティオリーは知らないが、これもでたらめ。あちこち盗みに入っているうち、どこかで偶然手に入れた物だ。
持ち主がご丁寧に薬の名前を瓶に書いていたおかげで、ザードレはこれが何の薬か知ることができ、どんな悪巧みで使えるかを考えることができたのである。
劇薬であることはその時に知ったが、なぜ本来の持ち主がこんなものを持っていたかなんて、どうでもいい。
そんな薬でなくても、ティオリーにはここで劇薬だと言って脅しをかけていただろう。
「そんなこと言われても……私、お金も価値のある鉱物も何も持ってないわ」
赤や緑、透明などの石に価値を見いだして、喜ぶ種族がいる。それは人間や鬼人だけではない。
だが、ティオリーはそういった物など、一つも持っていなかった。お金という物も、使うことがないので持っていない。
そもそも、小人にとって他の種族が使うお金は大きいので扱えないのだ。
「そうだろうねぇ。大した物は持ってなさそうだし、代わりになる物で許してやるよ」
「代わりって?」
「お前さんの宝物って奴さ。そいつをもらおうかねぇ」
ザードレは、ゼルアクスを指差す。それを見たティオリーは、息を飲んだ。
「だ、駄目よ。彼は元の身体に戻してあげなきゃ。それに、彼は私の物ではないわ」
「そいつでチャラにしてやろうってんだ。鬼人の魂なんて、別にほしくもないがな。他に払える物がないなら、仕方がない。いいじゃないか、お前さんの物じゃないんだろう? お前さんの懐が痛まないで薬代が払えるんなら、むしろ問題なんて全然ないじゃないか」
ティオリーの言葉のあげ足を取り、ザードレは彼女を追い詰める。
見た目は悪くても、恋を応援してくれるいい奴だと思った。
現実は、誰かの恋愛感情を利用して、想う方も想われる方も奈落へ突き落とそうとする、とんでもない腹黒だった。
「あなた、彼に何か恨みでもあるの」
「いーや。何もされてないし、こっちとしても興味なんか欠片もないさ。ただ、こんなわしでも鬼人に何かしてやれると思ったら、楽しいじゃないか」
ザードレは遊び感覚で、鬼人を殺そうとしているだけ。汚い遊びでティオリーをもてあそび、ゼルアクスを傷付けようとしているのだ。
「今こいつに攻撃魔法を向けたら、どうなるのかねぇ。よけようって気にもならないだろうし、この距離ならまず外すことはないな。当たったら、やっぱり痛がるのかねぇ。この魂が消えたら、残った方の魂もやっぱり消えるのか。色々と興味深いじゃないか」
「やめてっ。これ以上、彼を傷付けないで」





