16.ありがとう
「あれこれ言い訳しようとしているが、俺達はお前がティオリーにゼルの魂を切り取って来いと言ったのを知ってるんだ。その方法も、その術がやりやすくなるように薬を渡したのもな。小人の彼女を大きくしたことも、ちゃーんとわかってる」
「う……」
今度こそ、ザードレは言葉を失う。
現れた鬼人の言ったことは、全て事実だ。誰も見ていなかったはずなのに、薬を渡したことまで知られている。
ティオリーがゼルアクスの魂を連れ帰ったということは、あの薬が使われたということ。薬の量はわずかなものだったし、その場で使い切っているはず。ザードレがティオリーに渡したうんぬんの証拠など、どこにもない。
それなのに、現れた鬼人はそのことをはっきりと言った。
なぜだ。どうしてそのことを知ってるんだ。あの時、周囲には誰もいなかったはず。自分とこの小娘だけで、他に誰かの気配は感じなかったのに。こいつは鬼人だし、近くにいれば気配を感じ取れないはずはないのに。
過見の術というものを、ザードレは知らなかった。その場にいなくても、過去を見ることで全てがばれる、とは思いもよらなかったのだ。
「残念だが、助かりそうにない」
ティオリーに治癒魔法を施していたドリーダだが、損傷が激しすぎた。かろうじて息があるが、このまま治療を続けても苦しみが長引いてしまうだけ。
「あ、師匠!」
別の女性の声に、ザードレがびくっとする。また新手が現れ、しかも獅子の魔獣の姿まであり、逃げるタイミングを完全に失ってしまった。
「アルルーラ……ゼルアクスを連れて来たのか」
「彼がどうしても森へ行くって言って……え、ゼルさんがふたり?」
緑の半透明なゼルアクスを見付け、アルルーラが目を丸くする。彼女は、この状態のゼルアクスを見るのは初めてなのだ。
「ああ、あれが私達の捜し物だ。ここに全てがある」
「ゼル、お前、身体は何ともないのか」
「ん……何とかね」
レイアードが、ゼルアクスが獅子から降りるのを手伝う。
そのゼルアクスの視線は、半透明の自分の姿へ向けられていた。半透明のゼルアクスも何かを感じているのか、こちらを見ている。
「ゼ……ル……アク……」
本体であるゼルアクスが来たことを、ちゃんと認識できているのか。
涙を流しながら、ティオリーが震える手を伸ばす。その手の先には誰もおらず、何もない。
ゼルアクスはそちらへ近付くと、ティオリーの横にしゃがんだ。顔をのぞき込むが、彼女にその姿は見えているだろうか。
「ごめ……なさい……」
「ありがとう」
ゼルアクスはティオリーの震える手を取りながら、静かにそう言った。
彼の言葉はしっかりとティオリーに伝わり、彼女はその言葉に目を見開く。
だが、驚いた表情はゆっくり笑みとなり……その目は閉じられた。
「え……身体が……」
まだティオリーの正体を知らないアルルーラが、思わずつぶやいた。
人間だと思っていた女性が、目を閉じると一気に小さくなってしまったのだ。
同時に、ゼルアクスの手からティオリーの手はすり抜けてしまう。視線を落とせば、彼の足下には人形のような小さいティオリーが痛々しい姿で横たわっていた。
「死んで魔法が解けたのか。あ、それじゃ」
ティオリーを見ていたレイアードは、半透明のゼルアクスに視線を移す。
思った通り、緑の身体は抜き取られた時と同じ緑のもやになり、ゼルアクス本体へと入っていった。
ここへ来る前、ドリーダがレイアードに話していたことが現実となったのだ。
術者が死ねば元に戻る、と。
「ふう……」
緑のもやが全て身体に入ると、ゼルアクスが小さく息をつく。
「おい、ゼル? 元に……戻ったんだよな」
魔法に詳しかろうがなかろうが、無事を確かめずにはいられない。
「うん、そうみたい」
しゃがんでいたゼルアクスは、そう応えながらゆっくりと立ち上がった。
今まで眠そうだった表情は、もう消えている。元々、少し眠そうな顔、と言われたりするが、ちゃんと起きている時のゼルアクスだ。
「よかった……ちゃんと戻った……」
その姿を見て、アルルーラが涙を浮かべている。
「ごめんね、アルルーラ。心配かけたね。レイもドリーダも、ありがとう」
「おう、今度おごれよ」
「はいはい」
言いながら、ゼルアクスの視線はザードレへ向けられた。
「ゼルアクス、こうなるまでに何があったのだ? なぜ、ティオリーが攻撃されていた」
この急展開は、ドリーダ達がここへ来るほんの少し前だ。
「あいつが殺そうとしたのは、ぼくなんだ」
その言葉に、全員の視線がザードレに突き刺さった。
☆☆☆
まともに動こうと思わない。そう考える気力がない。
本体から切り離されたゼルアクスは、身体の脱力感はなかったが、心は完全に何かをしようとする力を奪われていた。
ただ時々、自分は何をしているんだろう、と思うことはある。
「どうして……こんなことを?」
ほんのわずか、正気に戻るような感覚が起きるタイミングで、ゼルアクスはティオリーにそんなことを尋ねた。
薬局から連れ出され、見覚えのある森の中へ来て、池のほとりにある岩に座らされている。そんな彼を、ティオリーは抱きしめて。
どうしてこんなことになったのか、考えようとするが思い出せず、すぐに考えることも放棄する。
そんなことを繰り返す中で、ゼルアクスは無意識のうちにそう尋ねていたのだ。
「一緒にいたかったから。私はずっとあなたを見ていて、ずっと一緒にいたいと望んでいた。そんなことは絶対に無理だとあきらめていたけれど、こうしてあなたを抱きしめられて幸せなの」
ゼルアクスと一緒にいたい。
ティオリーにとって、本当にそれだけが望みだった。
「……いつまで」
「時間が許す限り、ずっと」
そう言って、ティオリーはゼルアクスを抱きしめ、髪や角、頬にキスを繰り返した。
肉体ではないので、温かみはない。魔法の力で触れられているが、本当の彼ではなく、これはあくまでも彼の一部。
それでもよかった。これまでは、触れることはおろか、彼の目に映ることすらかなわないと思っていたから。こうして「触れられる」だけでいい。満足だ。
「私は魔法をかけられてるの。身体が大きくなる魔法。いつになるかわからないけれど、そのうち小人の姿に戻るはず。その時は、あなたも同じ大きさになるの」
「……」
ゼルアクスに彼女を拒否できる力はなく、説得しようとする気力もなく、そうしようという意思も生まれないままだ。
そんな状態が、どれくらい続いたのか。
はっきりした意識のないゼルアクスには、知る術もなかった。
「うまくいったようだな」
彼らの前に、ザードレが現れた。
何の感想を抱くこともなく、ゼルアクスはぼんやりした表情で黒い猿もどきを見る。
「ええ、あなたのおかげ。彼と一緒にいられるなんて、本当に夢のようだわ」
「そうかい。そりゃ、よかった」
そう言って、ザードレはにたりと嗤う。
「じゃあ、薬代をもらおうか」
「え?」
ティオリーはきょとんとして、ザードレを見返した。
「ほれ、この鬼人を眠らせるための薬を、一昨日渡しただろうが。あれは、今じゃかなり珍しい薬なんだ。聞いたところによると、劇薬扱いらしいが」
「劇薬っ?」
その言葉に、ティオリーは血の気が引いた。
ただ眠らせるだけではなかったのか。劇薬ということは、毒にも匹敵するような強い薬ということ。いや、使い方によっては、本当の毒になってしまう。
「どういうこと。単なる眠り薬じゃなかったの?」
「眠り薬さ。眠ったまま、起きないらしいがな」
「そんなっ。薬が切れたら目覚めるようなこと、言ってたじゃない」
「あー、そうだったか? じゃあ、他の薬と間違えたかな」
白々しくとぼけるザードレ。
鼓動が激しくなり、同時に呼吸も速くなった。魔法をかけられてからずっと悪かったティオリーの顔色は、さらに悪くなる。全身の血が、どこかへ流れてしまうように思えた。
何か……何か大変なことをしでかしたような気がする。これからものすごく悪いことが起きるような。
それも、自分のせいで。
薬で眠らされたゼルアクスは、今頃どうなっているのか。一体、自分は何をしてしまったのか。





