13.魂が戻るには
ザードレに励まされ、ティオリーは街の方へと向かう。夜には時間がまだ早いから、薬局が見えるどこかで待つつもりか。
そして、あの凶行を実行してしまうのだ。
彼女の薬をまく動きに全くちゅうちょがなかったのは、何の問題もなく幸せになれる、と本気で信じていたからだろう。
嬉しそうなティオリーの後ろ姿をザードレは見送っていたが、のどの奥で引きつった笑い声を出す。声はやがて高笑いに。
「思ってた以上にちょろいもんだな。小人だからか。それとも恋なんてものに浮かれて、まともな判断もできないようになったか。あの女、肉体のねぇ相手と何するつもりなんだ?」
ザードレは、黄色い歯をむき出しにして嗤っている。その声を、街へ向かったティオリーが聞くことはなかった。
「無知な奴をからかうのは、本当に面白いぜ。これだからやめられねぇ。今回、バカをみるのはあの女と鬼人だけか。ちょっと少ないが、鬼人の周りにいる奴が色々騒いでくれそうだな」
こいつっ!
もう我慢できない。ザードレの言いように、かっとなったレイアードは思わず右手の拳を振り上げた。
そのままレイアードが見えていないザードレに拳を叩き付けようとしたが、ふっと身体が浮くような気がして動きが止まる。
気付けば、殴りかかろうとしている自分が鏡に映っていた。
「あれ……?」
「触れるな、と言っておいたはずだ」
横から静かな声が聞こえ、見れば腕組みをして冷めた視線を向けるドリーダがいた。
「右手を挙げたからもういいのかと思ったら、黒もじゃを殴ろうとしただろう」
「う……ああ」
ドリーダは、レイアードが右腕を挙げたのを見て「戻すための合図を送られた」と思った。
だが、握られた拳がザードレへ向かったのでその意図を悟り、急いでこちらへ引き戻したのだ。
「すまん。ついかっとなって」
自分の居場所が過去の世界だということを忘れ、ゼルアクスをあんな目に遭わせた、いや、遭わせるように仕向けた輩に激しい怒りを覚えた。
そして、手が出そうになったのだ。
たまたま鏡から出る時の合図を「右手を挙げる」にしておいたため、ドリーダがすぐに引き戻したので何もなかった。そうでなければ、間に合わなかったかも知れない。
本当にザードレを殴れるのか、殴った結果がどうなるのか。
もちろん、レイアードは知らない。だが、何かの歪みができて、戻れなくなったりすることだってある。
それを止めてくれたドリーダには、ひたすら感謝だ。
「で、詳細はどうだった」
ドリーダは何もなかったように尋ね、レイアードは聞いた会話を伝える。
「なるほど。奴がどういう存在であれ、ティオリーの感情を利用し、周囲に迷惑をまき散らしているゲスだ、ということだな」
「ティオリーのやったことは許されるものじゃないが、あの子も被害者には違いない。余計なお世話でも誰かの応援をしてあげたい、なんてふざけたことを言ってたんだぜ。あの外見からじゃとてもそうは思えない奴を、安易に信じるのもどうかとは思うが。なぁ……ゼルの魂を取り返せば、ゼルはちゃんと元に戻るのか?」
本当のことを聞けば、ティオリーはすぐにゼルアクスから切り取った魂を返してくれるだろう。
彼女は、ゼルアクスがおかしくなってしまうことを望んではいない。それは、ザードレとの会話でもわかる。
だが、ティオリーが素直に返してくれたとしても、それでゼルアクスはちゃんと元に戻るのか。
その辺りのことが、レイアードは気になった。
身体の方はシャルリア達が気付け薬で何とかしてくれるだろうが、魂の方は。
切り取られた魂が戻った時、身体に残っていた魂と一つに融合してくれるのだろうか。
「戻る。術者が死ぬか、力を失えば」
「え……」
ドリーダの言葉に、レイアードは息を飲んだ。
「死ぬって、ティオリーはゼルに悪意があってやったことじゃないんだぞ」
「あの娘が教えられたのは、黒魔術の類だ。いわば、呪いのようなもの。普通の魔法に、魂を切り取るものなどないからな。そういった術は、だいたい術者が死ねば解ける」
「それは……いくら何でも、ティオリーがかわいそうだろ。やったことは悪いが、騙されてしたことなのに」
レイアードは、彼女に強い同情を覚えた。
何てことをしたんだ、とは思うが、全ては恋愛感情から起こしたことだ。被害者であるゼルアクスの気持ちにもよるが、情状酌量の余地はある。
彼女はゼルアクスを傷付けるのが目的ではなかったのだし、レイアードはティオリーの死を望んではいない。
「あの娘が戻れと命令すれば、戻る可能性はある。あの黒もじゃが、呪文の中に余計な細工をしていなければ、な」
ティオリーが教えられた呪文をレイアードは聞いたが、ちゃんと覚えていない。ドリーダが聞いていれば細かい点もわかるのだが、過見の術者であるドリーダには、鏡に入ってその呪文を聞くことができないのだ。
なので、推測しか言えない。あくまでも、一般論。
「今はゼルアクスの魂と、ティオリーの身柄確保優先だ。戻す方法は、後で検討する」
「そうだな。それについては、ドリーダに頼るしかない」
二人はドリーダが召喚した馬の魔獣に乗ると、ソティアの森へ向かう。
まだティオリーがあの場所にいることを願って。
☆☆☆
アルルーラが召喚した獅子の魔獣に乗り、薬草調達組はノンシュ薬局へ戻って来た。
「シャル、持って来たよっ」
調合室の扉を開けながら、ミクテスが叫ぶ。
シャルリアは調合する作業机に、薬辞典と調合に必要な器具を並べているところだった。
「よかった。モニア草、あったのね」
「うん。調合方法は見付かった?」
「ええ。特殊な薬だから、すぐに見付かったわ」
「他に必要な薬草は?」
「いえ、これだけ。他のものは在庫があったから、それで調合できるわ」
ミクテスから薬草を受け取ると、シャルリアはすぐに調合を始める準備をする。
「あの、シャルリア……ゼルさんは?」
「さっきのままよ。店の方に」
気付け薬ができれば、すぐに使いたい。何より女性のシャルリア一人では、長身のゼルアクスを二階にある彼の部屋へ運ぶことはできない。
なので、アルルーラ達が薬局を出た時から、ゼルアクスはそのままの状態にしてある。病気ではないので、ずっとそばについている必要はない。
と言うより、シャルリアも気付け薬について調べなければならなかったので、付き添っている余裕も部屋へ動かす時間もなかった。
まず大丈夫だろうが、風邪をひいたりしないよう、大きめのひざ掛けを胸元から掛けておいただけだ。
「じゃ、あたしは店の方へ行くね。何か手伝えることがあったら、言って」
アルルーラも薬の調合をすることはあるが、それは魔法使いが使うもの。一般的な薬の調合手順などはわからないアルルーラが横にいても、邪魔になるだろう。
調合はシャルリアとミクテスに任せ、アルルーラはゼルアクスのそばへ行った。
万が一にも目を覚ましそうな気配はないか、と思ったが、やはり彼は眠ったままだ。
こうして見てると、ゼルさんって人間とあんまり変わらないわよね。口を閉じてたら、牙も見えないし。見えたって、どちらかと言えば八重歯っぽいもん。これって、鬼人が聞いたら失礼になるのかしら。だけど、人間と鬼人の違いって、見た目だけで言えば、角と牙くらいだもんね。
その角だって、普段は調合する時のために三角巾を付けてるから、ほとんど見たことがないくらいだし。今は見えてるけど、そう気になる程ではないもんね。あ、人間ぽいから好きになった訳じゃないけど……。
普段なら、周りにいつも誰かがいる。いなかったとしても、こんな間近でしっかりと顔を見られない。ドリーダの後ろで彼の話を聞いている、という体で遠慮がちに見ている程度。
アルルーラにとって今の時間はある意味、ゼルアクスに近付き、じっくりと顔を見られるチャンスだ。
でも、望んでいるのは、こんな状況ではない。
「これって……あ、中和剤ね」
中和剤の白い粉がゼルアクスの髪や顔、服などに付着していた。シャルリアには、これを払い落とす余裕がなかったのだろう。それは仕方のないことだ。





