10.ゼルさんのために
アルルーラには、今回必要な薬草のある場所など見当も付かない。
なので、ミクテスにまかせるしかなかった。あの高い岩場にある草がそうであることを、ひたすら願うばかりだ。
ミクテスが力をため、草の見えている場所へ向かって跳ぼうとした時。
ふたりの後ろの方で、がさっという音がした。
風で草が揺れた、というにはかなり大きな音に、ふたりは同時に振り返る。
「えー、前に来た時は、あんなのいなかったけどなぁ」
ミクテスは、困るなぁ、という程度の口調だが、アルルーラは驚きすぎて声も出ない。
現れたのは、眉間に太い角が一本生えたうさぎだった。しかも、アルルーラより身体が大きい。
体毛は白く、見た目は完全にうさぎなのだが、その大きさと普通ならあるはずのない角の存在が、魔物以外の何者でもないことを示していた。
その目はうさぎによくある赤だが、目尻がつり上がっているので完全に「かわいい」という単語からかけ離れている。
こちらを見るその目は、獲物を見付けた、というところか。
山や森にはこういう大きな魔物が存在する、ということは知っていても、現実に目の前へ現れるとアルルーラは血の気が引いた。
「さっさと逃げたいところだけど、あの薬草を採らずには行けないよね。他を探し回る時間がもったいないし、あれがモニア草ならこのまま帰れるんだ」
「え、ミクテス、何を言って……」
「オレ、あの草を採って来るから。アーちゃんは、あいつの相手をよろしくね」
「はいーっ?」
崖の上の薬草を採って来い、と言われても困るが、こんな大きな魔物の相手を任されても、それはそれで非常に困る。
ここへ来るまでに現れた魔物は、だいたい小動物レベルから街で見掛ける犬レベルの大きさだった。
今、目の前にいるのは、仔牛かそれ以上。確実にアルルーラより大きな魔物なのだ。
「ちょっとミクテス、あたしの魔力を過信しすぎよ。あんな大きい魔物の相手なんて、したことないのに。ミクテスなら、うさぎ同士で話し合えるんじゃないの」
「形がうさぎってだけで、オレとは全然違う種族だってば。それに、向こうは話し合うつもりなんて、これっぽっちもなさそうな雰囲気だよ」
それはわかっているが、うさぎという共通点で何とかならないか、と思ったのだ。正直に言えば、何とかしてほしかった。
「アーちゃん、あいつが先生をあんな目に遭わせた奴だよ」
「え?」
ミクテスの突然の言葉に、アルルーラは目を丸くする。
「……というつもりで向き合えば、やる気になるだろ」
「あのねぇ……」
ゼルアクスを眠らせたのがこのうさぎの魔物だと、どうしてミクテスが知っているのか、と思ったが……そういうことだった。
「憎い敵役だと思えば、力が出せるんじゃない? 実際、あいつに邪魔されてモニア草が手に入らなかったら、気付け薬は調合できない。そうなると、先生はずっとあのままだよ。共犯、もしくは同罪になるんじゃないかな」
「そ、そうよね。邪魔は……あんたに邪魔はさせないわっ」
言いながら、アルルーラが魔物と向き合った。
恋の力って、すごいんだなぁ。
この魔物の相手を、アルルーラにしてもらわなければならないのは事実。だが、ミクテスが予想したよりもあっさりと、アルルーラがやる気になってくれたのには少し驚いた。
単純……いや、素直な子だとは思っていたが、想像以上だ。
「頼むよ。オレはあの草を採って来る」
言った直後、ミクテスは力強く地面を蹴る。下から見えていた草のある岩陰近くまで、一気に跳んだ。
ミクテスがその場からいなくなったため、魔物のうさぎはアルルーラを集中して睨む。
うさぎは草食のはずだが、角があるという時点でもう単なるうさぎではない。だから、草食とは限らないだろう。アルルーラに飛び掛かって、喰うつもりかも知れないのだ。
少なくとも、今まさに何かしらの攻撃をしようという姿勢になっている。
「あたしは……ゼルさんのために、薬草を持って帰らなきゃいけないの。あんたの相手をしている時間なんて、一秒だってないのよ」
アルルーラの言葉が理解できたのかはともかく、うさぎは地面を蹴って飛び掛かって来る。
その距離は十歩以上あったはずだが、アルルーラより大きなうさぎは一瞬で移動したかのように目の前へ来ていた。
しかし、刃物のような前歯が、アルルーラに届くことはない。時間はない、と言った直後に、アルルーラは自分の前に強い守りの壁を出していたのだ。
魔物は自分から、その壁に全力でぶつかったようなもの。自分の勢いが強い程、当然ながら反動が強い。
壁が半透明なため、魔物には何が起きたかわからなかっただろう。獲物に襲いかかったつもりが、見えない攻撃で逆に吹っ飛ばされたのだ。
一方で、自分に被害はなかったものの、すぐ目の前まで魔物に迫られたアルルーラはぞっとした。
壁を出していなければ、あの前歯で切られていたか、あの身体の重さと勢いで押し倒されていただろう。
そのまま首を狙われるか、重みで手足の骨をやられるか。
あまりの衝撃に、魔物は起き上がって頭を振る。さすがに、すぐ反撃には出られない。
だが、アルルーラは親切に反撃を待つつもりなどなかった。
魔物が体勢を立て直そうとする前に、火の矢を向ける。さっきのような動きをされたら、どちらかと言えば動きがまったりなアルルーラに勝ち目はない。
とにかく、先手必勝だ。
何本も向けた矢のうち、一本が角の根元に当たった。特に狙ったつもりはなかったのだが、見事に刺さる。
他の矢は弾かれたので、基本的な防御力が高い、もしくはアルルーラの攻撃力が弱いのだろうが、余程うまい角度で当たったのだろう。
痛みのためか、魔物は転げ回る。
「下手な矢でも、いっぱい放てば一本くらいは当たるんだから」
角は眉間、つまり目と目の間の少し上にある。その根元となると、折れたり致命傷までにはならなくても、かなり強いダメージになったようだ。
「アーちゃん」
ミクテスの声に振り返ると、彼は地面に戻っていた。
飛び上がれるのもすごいが、あんな高さから飛び降りたのに、よく無事で立っていられるものだ、と感心する。
「やったよ。やっぱり、モニア草だった」
嬉しそうに、手に入れた緑の葉を見せるミクテス。位置こそ記憶と違ったが、やはり目的の薬草はここに生えていたのだ。
「やった。これで、気付け薬が調合できるのね」
薬草が見付かったことがこんなに嬉しいなんて、今までなかった。
「うん。と、その前に」
何とか痛みに耐えて魔物が起き上がったのを見て、ミクテスがそちらへと走る。
ダメージを受けた魔物は、ミクテスが向かって来ていることに気付いているが、そのスピードについてゆけない。
まともな防御もできないでいる魔物の角をミクテスが蹴ると、根元から完全に折れた。失神したのか死んだのか、魔物はひっくり返って動かなくなる。
「す、すごい……」
「言ったろ、うさぎは脚力があるって」
それにしたって、まさか脚で魔物の角を折る程とは思わなかった。凶器と呼んでもおかしくない。
「あんなことができるなら、あたしが魔物退治役なんかしなくてよかったんじゃないの?」
「アーちゃんが攻撃して、弱らせてくれたからだよ。最初から今みたいなことをやろうとしたって、相手も逃げようとするし。あ……」
「何? どうしたの」
「モニア草を握ったまま、蹴っちゃった。これ、ツンとした臭いが結構強いんだよね」
採った時は軽く持つ程度の力だったが、攻撃の時に片手だけ力を入れないでいる、という器用なことはできない。
袋に入れてから蹴るべきだった、と反省しているミクテス。
薬草を握っていた手をぱたぱたと振るが、そんなくらいで手に付いた臭いが取れるはずもない。まして、鼻のいい獣人にはきついだろう。
その様子に、アルルーラは申し訳ないと思いながら、ついつい笑ってしまった。
「薬局へ戻れば、その臭いを消す薬もあるんじゃない?」
「だといいけど……。じゃ、早く臭いを取りたいから、急いで帰ろう」
そこはゼルさんのために、でしょ……などと言いながら、ふたりは急いで山を後にした。





