36 ソフィのお化粧①
お茶会がお開きになって間もなく、ソフィは王宮内の応接室でジークベルトと向かい合っていた。
ジークベルトの背後には、護衛騎士と思しき紅茶色の髪の若い男が無表情で立っている。先ほどのお茶会でも同様にジークベルトの背後に立っていたが、まるで置物のように気配を消していた。
ソフィの目の前のローテーブルには、愛用の化粧箱が置かれている。イザベル王妃の命により、ジークベルトに化粧を実演して見せる場が設けられたのだ。
「それではさっそく始めてもらいましょうか。どなたか、モデルになっていただきたいのですが」
ソフィの周囲、ジークベルトが視線を向けた先には、お茶会にも参加していた令嬢達数名の姿があった。当然のようにベリンダもいる。
「わたくしもぜひ拝見したいですわ」とベリンダが言い出し、イザベル王妃が許可したのだ。そこにベリンダの取り巻き達が便乗した形だ。
ジークベルトの言葉に、集まった令嬢達は戸惑った表情で顔を見合わせた。
「モデル、ですか……?」
「ええ。皆さんはソフィ嬢の化粧技術に関心がおありなのでしょう? ソフィ嬢の化粧を体験できる絶好の機会だと思いますが」
「それはまぁ、そうなのですが……」
爽やかに微笑むジークベルトに対し、令嬢達の反応は鈍い。いつもは進んで前に出てくるベリンダも同様だ。
「もちろん関心はあるのですけど……ねぇ」
「あなた、立候補なさったら?」
「あらそんな、あなたこそ」
ひそひそ声で押し付け合う令嬢達を横目に見て、ソフィは「よろしいでしょうか」とジークベルトに発言の許可を求めた。
「差し支えなければ、わたし自身でモデルを務めさせていただきます」
「君が?」
「はい。モデルをするとなれば、一旦お化粧を落とし、殿下の御前に素顔を晒すことになります。お嬢様方には酷なことと存じます」
令嬢達があからさまにホッとした表情を浮かべる。ベリンダにしても他の令嬢にしても、本当に関心があるのはソフィの化粧技術などではなくジークベルトなのだ。
「……いいの? 顔に火傷痕があるんでしょう?」
「問題ございません」
ソフィはまっすぐにジークベルトの瞳を見つめ返した。
本当のことを言えば、他人に火傷痕を見られたくはない。だからこそ化粧の腕を磨いてきたのだ。高貴な人々の前で醜い顔を晒すのは特に勇気がいる。
(だけど、これはチャンスかもしれない……)
ソフィは十七歳にしてすでに、恋愛も結婚も諦めている。
化粧で火傷痕を隠し、王妃の侍女になって三ヵ月。初めの頃は、涼やかで整った顔立ちのソフィに好意を向けてくれた男性がいないわけではなかった。
けれどベリンダと再会した頃から、ソフィに近寄る男性はいなくなった。おそらく火傷痕の噂が広まったせいだろう。
もちろん、クラプトン伯爵家がソフィにまともな嫁ぎ先を用意するはずもない。
ソフィはクラプトン伯爵家に引き取られたが、正式な養女になったわけではない。伯爵家にとってソフィは、政略結婚の駒にできるわけでもない、価値のない娘なのだ。
それよりも、クラプトン伯爵家から離れて生きていきたいというのが、ソフィの一番の望みだった。
そのためにも、イザベル王妃からの絶対的な信頼を勝ち取りたい。クラプトン伯爵家がソフィを連れ戻そうとしても拒めるだけの後ろ盾が欲しいのだ。
賓客であるジークベルトからの評価は、イザベル王妃の評価に直結するはずだ。ジークベルトの前に火傷痕を晒し、それを綺麗に隠してみせることができたなら、これ以上ないアピールとなるに違いない。
ジークベルトの真意はいまだに不明ながら、ソフィは前向きに気持ちを切り替えていた。
「では、始めさせて頂きます」
鏡台の前に移動し、背後に立つジークベルトに鏡越しに宣言した。
まず緑色の小瓶を手に取り、中のオイルを手の平の上にたっぷり垂らす。両手で挟むようにして温めていると、「爽やかな香りだね」とジークベルトが言った。
「オリーブオイルに、ローズマリーの精油を混ぜているのです。気持ちがすっきりしますし、肌を美しくする効果も期待できます」
「君が作ったの?」
「はい。なるべく肌に良いものをと思いまして」
化粧の練習を始めるときに、これまで以上に肌の手入れに力を入れるよう、アルマから助言を受けた。白粉にしても色粉にしても、使い続ければどうしても肌に負担をかけてしまうのだという。
それでソフィは、化粧の練習に励む傍ら、化粧落としを含む新たな化粧品の製作にも取り組んだのだ。出来上がった化粧品はもちろんイザベル王妃にも献上している。
ソフィは、手の平で温めたオイルを顔全体に広げた。ごく弱い力でくるくると円を描くように肌を撫でる。十分に馴染ませてから、ぬるま湯を浸したガーゼ片でオイルを拭き取る。
続いて洗面器に張ったぬるま湯で石鹸を泡立てる。カレンデュラの花を漬け込んだオリーブオイルで作った石鹸は、はちみつ入り。しっかり泡立てたら顔に乗せ、肌の上を優しく滑らせる。そしてまたガーゼで拭き取る。そうして、鎧のようにソフィを守る化粧を、丁寧に剥がしていく。
何枚ものガーゼを使い、全ての化粧を拭い去ったとき、鏡の中にソフィの素顔が露わになった。近くで見守っていた令嬢達から、小さな悲鳴混じりのざわめきが起きた。
透き通るような白い肌、涼やかな青の瞳を縁取る長い睫、形の良い細い眉、頬はほんのりと紅色に染まり、慎ましやかな唇は艶やかに色づいている。
気品を感じさせる美しい顔立ちだった。化粧を施した顔よりもむしろ華がある。普段は化粧であえて地味な印象にしているのだ。
けれど、令嬢達の中でそのことに気付いた者はいなかった。皆、ソフィの顔の火傷痕に意識を持って行かれていたからだ。
顔の左半分、頬から額にかけて、燃え上がる炎のような赤い火傷痕が、くっきりと浮かんでいる。
その他全ての美しい部分を台無しにする、醜い火傷痕だった。
「まあ……話には聞いておりましたけど、あんなに酷いなんて」
「ええ、驚きましたわ……」
令嬢達が眉をひそめて囁き合う。その目に浮かぶのは、憐れみ、嫌悪、我が身でなくて良かったという安堵、そして優越感。
覚悟の上とはいえ、いたたまれない気持ちになる。
だが、鏡越しにソフィの顔を見つめるジークベルトの瞳の色は、そのどれとも違っていた。
真剣な、何かを見極めようとするような色。
(なんだろう、不思議な色……)
思わず見つめていると、視線に気付いたジークベルトがふわりと微笑んだ。
「ソフィ嬢、君の勇気に敬意を表するよ。……さあ、続きをお願いできるかな?」
「かしこまりました」
うなずき、ソフィは化粧水の入った青色の小瓶を手に取った。




