37 ソフィのお化粧②
「ますは化粧水とクリーム、それから保湿オイルで肌を整えていきます。ここを丁寧にすることで、白粉の仕上がりが違ってくるのです。時間があるときはさらにパックもするのですが、本日は省略させていただきます」
説明しながら、化粧水をガーゼにたっぷりと染み込ませ、肌に塗っていく。化粧水は手の平で馴染ませてもよいが、ガーゼを使った方が顔全体に行き渡らせることができる。
ラベンダーのチンキを中心にブレンドした化粧水の香りがふわりと広がり、ソフィの気持ちを落ち着かせてくれる。
「……落ち着く香りだね」
穏やかな声でそう言ったのはジークベルトだった。
「ラベンダー、ローズマリー、ミント、ローズ、それからレモンピールとオレンジピール、かな?」
「……! はい、そのとおりです」
ほんの少し香りを嗅いだだけで完璧に言い当てられたことにソフィは驚く。
(すごい。アルマさんですら、全てはわからなかったのに。ツァウバル王国の魔法使いが薬草に詳しいというのは本当なんだ……!)
心地よい高揚感を覚えながら、化粧水に続いてクリーム、保湿オイルを塗り、肌にたっぷりと潤いを与えていく。
ジークベルトはうなずきながら、ソフィの手元と顔に熱心に視線を注ぎ続けている。予想外の真剣な表情に、ソフィも自然と背筋が伸びた。
「これから白粉を塗っていくのですが、その前にこの色粉を塗ります」
ずらりと並ぶ色粉の一つを取り出して見せると、ジークベルトが「これを?」と驚いた様子で目を瞠った。
周囲で見守る令嬢達もざわざわと囁きを交わし合う。
「緑……ですわよね?」
「本当にあんな色を顔に塗るつもりですの?」
「綺麗になれるとは思えませんけれど……」
令嬢達の疑わしげな視線を受けながら、ソフィは色粉を手の甲に乗せる。粉状のままではすぐに落ちてしまうため、色粉はオイルと水を混ぜて練粉にしてある。これを薬指の先に少量つけ、優しくポンポンと赤い火傷痕の上に乗せていく。
白粉だけでは隠せない火傷痕。色粉で目立たなくできないかとあれこれ試した結果、緑の色粉が最も赤い火傷痕を隠してくれることを発見したのだ。
緑の色粉を丁寧に丁寧に火傷痕の赤みに馴染ませる。ただしこれだけで火傷痕が隠せるわけではない。さらに色味の異なる数種類の練白粉を使い、肌の色を整えるのだ。
(火傷痕がすっかり消えますように。透明感のある綺麗な肌になりますように……)
そう念じながら、海綿と指を使い分け、丁寧に時間をかけて白粉を重ねていく。
最後に仕上げ用の粉白粉を取り出した。スズランの絵のついた入れ物は、ラナから贈られたもの。毎日の練習でとっくに中身は使い切ってしまったのだが、買い足した白粉を詰め替えて使い続けているのだ。
「白粉はこれで完成です」
ブラシを置き、ソフィはまっすぐに顔を上げた。醜い火傷痕はすっかり消え去り、滑らかな白い肌は淡い輝きを帯びているかのようだ。
「……美しいな……」
背後に立つジークベルトから、吐息混じりの呟きが漏れる。ソフィの心臓がドキリと跳ねた。
一度深呼吸して、気持ちを切り替える。
「ここから仕上げに入ります」
眉、目、口紅、頬紅。この辺りの化粧についても、最近ようやく担当させてもらえるようになった。とはいえ、ヘレナ達、他の化粧係と比べるとまだまだ未熟だという自覚がある。
ソフィは、今持てる最大限の力で、残りの化粧に取り組んだ。
「……これで全て完成となります」
紅筆を置き、鏡の中のジークベルトにうかがうような視線を向けると、魅入られたようにソフィを見つめるジークベルトと、鏡越しに目が合った。
我に返ったように紫の瞳を瞬かせ、ジークベルトは真剣な表情から一転、礼儀正しい微笑みに戻った。
「ありがとう、ソフィ嬢。素晴らしいものを見せてもらったよ。本当に見事な腕前だ。できることなら我が国に引き抜きたいくらいだよ」
「ありがとうございます……」
ジークベルトが盛大に手を打ち鳴らし、令嬢達からもパラパラと拍手が送られる。
予想外の賛辞に、ソフィの頬にぽっと熱が灯った。
気恥ずかしさにうつむくソフィの横顔を、ベリンダが顔を歪めて睨みつけていた。
◇
「ソフィ」
化粧の実演を終え、部屋を片づけて女官の控室に戻る途中。廊下を歩いていたソフィは、声をかけられてびくりと肩を震わせた。
振り返ると柱の陰にベリンダが立っていて、その美しい顔に整った微笑みを貼り付け、ソフィを手招いている。
「お疲れさま、ソフィ。あなたの化粧の腕はたいしたものね。驚いたわ」
「あ、ありがとうございます……」
思いもよらないベリンダからの言葉に、ソフィは戸惑った。珍しいこともあるものだと思った次の瞬間、ソフィを見つめるベリンダの青い目が凍り付きそうなほど冷ややかなことに気がついた。
「でもね、勘違いしては駄目よ、ソフィ」
可愛らしく小首をかしげ、ベリンダが猫撫で声でソフィの顔をのぞき込む。右手に握った扇子を左の手の平に打ち付ける乾いた音が、パシ、パシ、と響く。
「ジークベルト様がお褒めになったのは、あなたの化粧の腕前。ただそれだけのことなんだから」
「……はい、もちろんです」
ベリンダの視線から逃れるように、ソフィは顔をうつむけた。扇子を打ち付ける音は途切れることなく続く。
ジークベルトの口から漏れた「美しい」という呟き。あれがベリンダを苛立たせているに違いない。
確かにソフィも一瞬ドキリとした。けれど、それで勘違いできるほどおめでたくはない。どんなに綺麗に隠しても、醜い素顔を知ってなおソフィの容姿を褒めた人は、これまで一人としていなかったのだから。
「いいこと? ジークベルト様はね、あの魔法大国ツァウバルの王弟殿下でいらっしゃるのよ。卑しい身分の女なんか、相手になさるはずがないじゃないの。本当なら、あなたなんか言葉を交わすことすら許されない尊いお方なのよ」
「わかっています……」
「わかっているのなら」
パシン、とひときわ大きな音を立てた扇子の先が、ソフィの顎の下に添えられた。ぐいっと扇子に力がこもり、強引に顔を上げさせられる。
ベリンダの青い目がソフィを射貫いた。ドクリと、心臓が嫌な音を立てて軋む。
「二度とジークベルト様に近づいては駄目よ? あの方の運命の相手になるのは、このわたくしなの。邪魔をすればどうなるか……」
紅い唇が笑みの形に歪む。ソフィの細い首筋を扇でトントンと叩き、ベリンダは身を翻した。
その姿がすっかり見えなくなってしまうまで、ソフィはその場に立ち尽くした。高揚した気持ちはすっかり消え失せていた。




