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【書籍化・コミカライズ】私の魔法使い(長編版)  作者: 中村くらら


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35 美しき魔法使い②

 イザベル王妃は虚を突かれた様子で目を瞬いた。


「まあ……ずいぶんと妙なことをお尋ねになりますのね。それは、例の先読みと関係がありまして?」

「今はまだ、なんとも」


 微笑みを浮かべたまま、ジークベルトが小さく首をかしげて見せる。

 イザベル王妃はわずかな思案の後に、赤い唇で弧を描いた。


「よろしくってよ。特別に教えて差し上げましょう。……ソフィ!」


 皆がざわめきながら、壁際のソフィを振り返る。


「ソフィ・クラプトン、こちらにいらっしゃい」


 女官らしい無表情を保ちながら、ソフィは胸がひやりと冷えるのを感じた。

 それでなくてもソフィは、瑕疵のある平民のくせに分不相応にも王妃に取り入ったと、一部の令嬢や女官達から影でやっかみを受けているのだ。これ以上こんな風に注目を集めたくはない。けれど、主人である王妃の指示を拒めるはずもなかった。

 ソフィは「はい」と小さく答え、急ぎ足でイザベル王妃とジークベルトのもとに向かった。

 顔をうつむけていても、令嬢達の視線が刺さるのを痛いほどに感じる。その多くは好意的とは言えないもの。とりわけベリンダからの視線は、茨のように棘々しくソフィに絡みついてきた。


「ソフィ・クラプトンでございます。お呼びにより参りました」


 イザベル王妃とジークベルトの前で深く腰を落とす。


「本日わたくしにお化粧をしたのはこの子ですわ。ソフィ、顔をお上げなさい」


 言われたとおりに顔を上げ、小さく息をのんだ。

 ジークベルトがまっすぐにソフィを見つめていた。ツァウバル王族特有の神秘的な紫の瞳から、なぜか目を逸らすことができない。それ自体が何か魔法の力を帯びているように思えて、胸の奥がぞくりと震えた。


(さっきは、綺麗だけど冷めた目だとしか思わなかったのに……)


 そのとき、間近に立つジークベルトから、ふわりと甘い香りが漂ってきた。ソフィははっと目を見開く。


(この匂い、やっぱりこの方は昨日の……)


 ソフィの戸惑いに気づいているのかいないのか、ジークベルトはソフィを見つめたまま口元に美しい微笑みを乗せた。


「はじめまして、ソフィ嬢。クラプトンというと、クラプトン伯爵家のご令嬢なのでしょうか?」

「クラプトンの娘はわたくしですわ」


 ソフィが口を開くより早く、別のテーブルから声が上がった。ベリンダだ。

 イザベル王妃がにこりと笑みを浮かべ、ベリンダに顔を向ける。


「ベリンダ、せっかくですからあなたもこちらにいらっしゃいな」


 王妃に手招きされたベリンダは、ゆったりと胸を張って進み出てくる。ソフィの半歩前に立ち、淑女の礼を披露した。


「クラプトン伯爵家が長女、ベリンダと申します。ジークベルト殿下にお目にかかれて光栄に存じますわ」


 ジークベルトを見つめるベリンダは、頬を薔薇色に染め、青色の瞳をうっとりと潤ませている。


「はじめまして、レディ。お二人は姉妹なのかな? それにしてはずいぶん雰囲気が違いますね……」


 ジークベルトはソフィとベリンダを見比べ、小さく首をかしげた。

 明るい金髪にぱっちりと大きな瞳のベリンダに対し、ソフィは漆黒の髪に涼やかな目元。深い青の瞳だけは共通しているが、二人の印象はずいぶん異なっている。


「二人は従姉妹同士ですのよ」


 ジークベルトの疑問に答えたのはイザベル王妃だった。


「ソフィは、こちらのベリンダの父親――クラプトン伯爵の実の兄の子なのです。ソフィの父親は身分違いの女性と駆け落ちをして家を出ていたのだけど、ソフィが幼い頃に両親そろって馬車の事故で亡くなりましてね。残されたソフィを哀れに思ったクラプトン伯爵が、引き取って我が子同然に育てたのですよ」


 クラプトン伯爵家が社交界に流した噂を、王妃もまた信じ込んでいるらしい。

 同意を示すように、ベリンダが深くうなずいた。


「ですからソフィは、身分としては平民ということになりますわ。けれど幼い頃から一緒に育ちましたので、わたくしは実の妹のように思っておりますのよ。ね、ソフィ?」


 ベリンダが首を傾け、ソフィに優しげな微笑みを向ける。ソフィはその視線を避けるように目を伏せた。


「もったいないことでございます、ベリンダ様」

「まぁいやだわ、ソフィったら。そんな他人行儀な呼び方。いつものようにお義姉様、と呼んでちょうだい?」

「……はい、お義姉様」


 「いつも」とはいつのことだろう。祖母が亡くなって以降、ベリンダを姉と呼んだことなど一度もないというのに。そう思いつつも、ソフィは大人しく従う。

 ベリンダの意に添わないことをすれば、後でどんな仕打ちを受けるかわかったものではない。今こうやってソフィが注目を浴びているだけでも、腸が煮えくりかえるほど気に食わないに違いないというのに。


「どうかしら、ジークベルト殿。ベリンダは美しい娘でしょう? 我が国の社交界でも指折りでしてよ」


 イザベル王妃がベリンダを褒めそやす。あわよくば、との思いがあるのだろう。イザベル王妃にとってクラプトン伯爵家は建国以来の忠臣であり、ベリンダはその家の娘――それもとびきり美しい娘なのだ。

 ベリンダも自信に満ちた表情でジークベルトを見つめている。

 ジークベルトはそんなベリンダにちらりと目をやると、口元に整った微笑みを浮かべた。


「ええ、まるで薔薇のようなご令嬢ですね」

「まあ、嬉しゅうございますわ」


 ベリンダがうっとりと頬を染めた。

 先ほどから、会話はソフィを置いてきぼりにして進んでいる。

 このまま気配を消して御前を退くわけにはいかないだろうか。そう思い、そっと足を引きかけたソフィだったが、ジークベルトの視線に縫い留められて動きを止めた。


「それで、そちらのソフィ嬢なのですね、王妃殿下のお化粧を担当したのは」

「ええ。腕が良いので重宝しておりますの。彼女の手にかかればクマもシミも魔法のように消えてしまいますのよ。……あら、魔法のようにだなんて、魔法大国の王弟殿下の前で大袈裟でしたわね」

「いえ、それほど見事な腕前ということなのですね。どうでしょう、ぜひ一度、ソフィ嬢が化粧をするところを拝見したいのですが、機会を設けていただけませんか?」


 いったい何を言い出すのだろうかと、ソフィは顔には出さず訝しむ。

 それはイザベル王妃も同じだったらしく、怪訝そうに眉を寄せた。


「まあ……殿方ですのに、お化粧に興味がおありですの?」

「ああ、いえ、姪の王女が年頃でして、貴国の流行に興味津々なのです。ファッションの最先端は何と言ってもカナル王国ですから。そのカナルの社交界を牽引するイザベル王妃殿下の美の秘訣を、ぜひ我が国にもお裾分けいただけると嬉しいのですが……」


 ジークベルトの褒め言葉に、イザベル王妃は相好を崩した。


「あら、そういうことでしたら。このお茶会の後、晩餐会までの間にお時間がありますから、場を設けましょう。ソフィ、我が国の威信をかけて、しっかりと務めるのですよ」


 イザベル王妃は上機嫌でそう請け負ったが、ソフィは気が進まない。貴族でもないただの女官に、国の威信など背負えるはずがないと思う。

 それに、ジークベルトの説明にもいまいち納得できないでいた。


 ジークベルトのまとう香りで確信した。昨日、薬草園で出会った男はやはりジークベルトだったと。髪と目の色は全く違うが、姿を変えることなど、きっと魔法使いにとっては造作もないことなのだろう。

 昨日すでに会っているというのに、今日初めて会ったような顔でソフィを見つめるジークベルトは、ソフィが化粧をするところを見たいと言う。


(いったい何を考えてらっしゃるの……?)


 姿を偽っていたことといい、ジークベルトに対して不信感を抱かずにはいられない。

 とはいえ、拒否するなどという選択肢はなかった。ソフィにとって、イザベル王妃の命令は絶対なのだ。


「承知いたしまし――」

「まあ、良かったわね、ソフィ!」


 ソフィの言葉に被せるように声を発したのはベリンダだった。


「顔の火傷痕のせいで辛い思いもしてきたでしょうけど、あなたの努力がこうして認められて、わたくしも義姉として誇らしいわ!」

「顔に、火傷痕が……?」


 ソフィを見つめるジークベルトの目が、すっと細められる。ソフィの胸の奥がひやりと冷えた。


(大丈夫、ちゃんと隠せてるはず。こんな視線には慣れてる……)


 目を伏せ、そう自分に言い聞かせる。


「ええ。可哀そうにソフィは幼い頃、誤って頭から熱い紅茶をかぶってしまいまして……顔の左半分に大きな火傷痕があるのです。頬から額にかけて、燃え上がる炎のような形の大きな火傷痕が。お化粧で綺麗に隠しておりますでしょう? ソフィの努力の賜物ですわ。わたくし、そんな義妹を心から誇らしく思っておりますのよ」


 ベリンダは慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。その目は熱心にジークベルトに向けられていて、ソフィのことなど見てもいない。

 にわかに体の熱が上がり、脈が速くなる。ほとんど消えていたはずの火傷痕の痛みがヒリヒリと甦る。


(可哀そう……? 誇らしいですって? あなたが……よりによってあなたがそれを言うの……!?)


 そう、口にできたらどんなにいいだろう。ベリンダがこうして「優しい義姉」の顔でソフィの火傷痕のことを触れ回るたびに、ソフィは叫び出したい気持ちにかられる。

 けれどそれは決して叶わない。言い返したいと、そう思うだけで息が苦しくなり、結局一言も発せずに終わってしまうのだ。


(怒っても無駄……。やり過ごすのよ、いつものように……)


 ソフィは乱れた脈を整えるため、密かに深呼吸を繰り返す。


「顔の火傷痕は不幸なことですけど、そのおかげでこのような栄誉に恵まれたと思えば、かえって幸運だったと言えるかもしれませんわね」


 ベリンダの言い分に、頭の芯がくらりとした。握りしめた手の平に爪が食い込む。

 確かに、平民の身分でありながら王妃の化粧係に抜擢されるほど化粧に習熟したのは、火傷痕を隠すために研究と練習を重ねたからだ。

 良い魔法使いが助けに来てくれる、そんな夢を見るのはとっくにやめた。自分自身でどうにかするしかないのだと悟ったから。

 肌を整えるための化粧品を手作りし、アルマとラナが与えてくれた何種類もの白粉や色粉を使い、何ヶ月もかけて、何百通りものやり方を工夫した。そんな努力の末、見た目にはわからないほど綺麗に火傷痕を隠すことができるようになった。


 けれどその甲斐なく、ソフィに醜い火傷痕があることは、いまや宮廷中に知れ渡っている。ベリンダをはじめとするクラプトン家の人々が、事あるごとに火傷痕のことを話題に出すからだ。

 そうしてクラプトン伯爵家の人々は「傷物の娘を引き取って慈しむ人格者」としてますます尊敬され、一方のソフィは好奇と憐憫と侮蔑の視線に晒されてきた。


「……ああ、確かに。あなたが言うのも一理あるかもしれませんね」


 ベリンダに同調するような言葉がジークベルトの口から出る。

 その目に浮かぶ色は好奇でも憐憫でも侮蔑でもなかったのだが、うつむいて拳を握りしめるソフィが気づくことはなかった。

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