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私の魔法使い(長編版)【書籍化】  作者: 中村くらら


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34 美しき魔法使い①

 翌日の昼下がり。白薔薇宮の庭園に作られた温室は、甘い柑橘の香りと華やかな空気で満ちていた。

 今日のお茶会のために用意されたテーブルセットでは、花々に負けじと美しく着飾った令嬢達がお喋りに興じている。


 ソフィは同僚の女官達と共に、色とりどりのドレスの隙間を縫うようにティーワゴンを押して回る。

 空いたティーカップがあれば紅茶のおかわりを勧め、デザートスタンドの焼き菓子が減っていれば補充する。歓談の邪魔をしないよう、静かに、目立たぬように。


 一段落ついてソフィが壁際に下がったとき、上座のテーブルで上品な笑い声が上がった。


「ほほ、ジークベルト殿は本当にお上手でいらっしゃること」


 扇子の影で上機嫌な笑みを浮かべるのは、このお茶会の主催者である王妃イザベル。

 御年三十五歳を迎えるイザベル王妃は、世継ぎとなる王子を含む三人の子を産んでなお、若々しい美貌を保ち続けている。ドレスに包まれた身体は引き締まり、肌は白く滑らかでシミ一つない。

 その妖艶な眼差しは、隣に座る客人に注がれていた。


 ジークベルトと呼ばれた見目麗しい青年は、煌めく銀の髪に深い紫色の瞳を持つ、北の魔法大国ツァウバルの王弟である。

 身にまとうのは仕立ての良いスーツ。その上に羽織ったマントには、銀の糸で美しい刺繍が施されている。

 形の良い耳を銀の耳飾りが彩り、胸元では植物をモチーフにしたと思われる三連のペンダントが神秘的な輝きを放っている。

 ジークベルトは四日後に開かれるイザベル王妃の誕生祝いの夜会に、ツァウバル王国を代表して出席するため、昨日からこの王宮に滞在しているのだった。


「おや、お世辞と取られるとは心外です。イザベル王妃殿下の前では、この薔薇の花ですら色褪せてしまう。ほら、このように……」


 言いながら、ジークベルトはテーブル上の花瓶から深紅の薔薇の蕾を一輪抜き取り、片手をかざした。

 すると蕾が微かに震え、ゆっくりと開き始めた。見る間に満開に咲いた薔薇はさらに開き、ついに限界を超えてはらはらと花弁を散らした。


「まぁ……」


 王妃や令嬢達から、ため息混じりのどよめきが起きる。

 ジークベルトは口元に微笑みをたたえたまま、形の良い眉をわずかに下げた。


「ああ、申し訳ありません。美しい花を散らしてしまうなど、無粋な真似をいたしました。どうかこれでご容赦を……」


 ジークベルトはテーブル上に散らばる深紅の花びら達を指差し、楽団で指揮を執るように宙で指を動かした。

 すると、花びら達がにわかに淡い光をまとい始めた。ふるふると震え、わずかに宙に浮く。

 イザベル王妃が身を乗り出した。ソフィも遠い壁際で、息を詰めて見入る。

 皆が固唾を飲んで見守る中、花びら達はくるくると踊るように宙を舞い、ジークベルトの持つ薔薇の茎の先端に集まる。まるで時を巻き戻すように花びらは薔薇の花を形作り、もっとも美しい瞬間にその動きを止めた。

 先ほどよりも大きなどよめきが起きる。


「これをイザベル王妃殿下に。時を止める魔法をかけてあります。殿下と同じく、永遠に色褪せないことでしょう」


 ジークベルトが恭しい仕草で満開の薔薇の花を王妃に差し出す。

 淡い光をまとう薔薇を受け取ったイザベル王妃は、少女のように目を輝かせた。


「お見事でしたわ! なんて素敵なお誕生日プレゼントなのでしょう!」


 王妃が手を叩いたのを合図に、令嬢達から一斉に拍手が湧き起こった。


「素晴らしかったですわね!」

「あれが魔法というものですのね。わたくし初めて拝見しましたわ!」

「わたくしも。息をするのも忘れて見入ってしまいましたわ!」

「ええ、ええ、本当に!」


 令嬢達が口々に賞賛の声を上げる。興奮と憧憬の眼差しがいっせいにジークベルトに注がれた。

 その中には、ソフィの従姉であるベリンダ・クラプトンの姿もあった。

 輝く金の髪を結い上げ、瞳と同じ濃い青色のデイドレスを身に纏ったベリンダは、集まった令嬢達の中でもひときわ美しい。

 その白く滑らかな横顔から、ソフィはそっと視線を逸らした。


「久しぶりにジークベルト殿の魔法を目にすることが叶いましたわ。皆もあなたに釘付けでしてよ」


 イザベル王妃が満足そうな笑みを浮かべる。


「それにしても、普段はお国に籠って滅多に他国には出ていらっしゃらないのに、今回はどういう風の吹き回しかしら?」

「もちろん、敬愛するイザベル王妃殿下のお誕生日をお祝いするためですよ。それと、実はもう一つ……」


 ジークベルトは内緒話をするようにイザベル王妃に顔を寄せた。


「先読みの魔法で、興味深い結果が出たのです。このカナル王国の王宮で、運命の出会いがある、と」

「まあ、それは本当ですの?」


 イザベル王妃の声に喜色が混じる。聞き耳を立てていた令嬢達からも歓声のようなざわめきが起きた。


「数々の浮名を流してきた稀代の色男も、ついに身を固めるときが来たというわけですのね」

「浮名だなんて、誤解ですよ」

「あら、我が国にまで噂が届いていますよ。ツァウバルでは年頃の娘は皆、一度はあなたに恋をすると」

「とんでもない。ただの噂です」

「それなのにジークベルト殿ときたら、どんな美女も袖にしてしまって、いまだに独り身で過ごしていらっしゃると。お兄様――ツァウバルの国王陛下も心配なさっているのではなくて?」


 ジークベルトは小さく苦笑いを浮かべた。


「はは、早く身を固めろと、顔を合わせる度に小言を言われますよ。お前ももう二十七なんだぞ、とね」

「そうでしょうとも。そんなジークベルト殿の運命の女性が我がカナル王国にいるだなんて、なんて喜ばしいことでしょう。どうかしら、この中に誰か気になる娘がいて? いずれも家柄、容姿ともに申し分のない令嬢達でしてよ」

「この中に、ですか」


 ジークベルトの目が令嬢達へと向けられる。令嬢達はそわそわと期待に満ちた表情でジークベルトに注目している。


「そうですね……」


 給仕の女官達までもが浮き足立った雰囲気をまとう中、ジークベルトの視線がゆっくりと令嬢達の上を滑っていく。その動きに合わせて令嬢達の熱気が波のように広がる。

 皆と同じようにジークベルトに注目しながら、ソフィは皆とは全く別のことを考えていた。

 

(似ている……昨日の方に……)


 末席のテーブルを担当するソフィと上座のジークベルトとの間には、かなりの隔たりがある。遠目に見るジークベルトの姿が、薬草園に迷い込んできた男とよく似ているように思えてならないのだ。


(整った顔立ちも、長い髪も……。だけど、目と髪の色が全然違う。それに、雰囲気も少し……)


 うまく言えないのだが、昨日の男から感じた不思議な親しみやすさのようなものが、この美貌の王弟からは感じられないのだ。


(礼儀正しい……けれども冷めた目をしていらっしゃる……)


 運命の女性を探しに来たにしては、令嬢達を見渡す目には熱が籠もっていない。

 そう感じたのは、ソフィ自身もまた冷めているからだろう。一介の使用人の身で美貌の王族に見初められるだなんて、そんな物語のようなことを夢見たりはしない。


(……もしも火傷痕がなければ、わたしも夢くらいは見たのかしら。皆のように……)


 ソフィは小さく首を振る。


(もしもなんて、考えても仕方がないわ。それに、とっくにわかっていることじゃないの。良い魔法使いは、わたしのところには来てくれないって……)


 そんなことを考えていると、不意に紫の瞳と視線がぶつかったような気がした。アメジストのような紫の瞳。美しいが、どこか冷たい。

 咄嗟に目を逸らすこともできないでいるうちに、ジークベルトの視線はあっさりとソフィから離れていき、気のせいだったかとホッと息をついた。

 令嬢達全員を見回してから、ジークベルトは整った微笑みを浮かべた。


「皆さんお美しい方ばかりで、この中から誰か一人を選ぶことなどとてもできそうにありませんね」


 ピンときた者はいないと暗に告げる答えに、会場の令嬢達から残念そうなため息が漏れる。

 イザベル王妃もまた口惜しそうにわずかに眉を寄せたが、すぐに気を取り直した様子でジークベルトに笑みを向けた。


「まぁまぁ。運命の相手と言っても、そのように一瞬でわかるものでもないでしょう。ジークベルト殿が帰国されるまであと四日、彼女達と親交を深める時間はまだまだたっぷりありましてよ。無事に運命の相手が見つかることを願っておりますわ」


 ここに集められた令嬢達の誰かがジークベルトに見初められる。それをイザベル王妃が期待していることは明らかだった。元々このお茶会には、そういう狙いで、家柄の良い未婚の令嬢ばかりが集められているのだ。

 世界でも稀な、魔法の存在する国、ツァウバル王国。魔法の力は血筋によるところが大きいため、一流の魔法使いであるツァウバルの王族が、魔力を持たない他国の者と婚姻を結ぶことは滅多にない。

 普通であれば政略結婚が望めない国の王族と、自国の貴族が縁続きになれるまたとない機会。実現すれば、カナル王国に大きな利益をもたらす可能性が高い。イザベル王妃が期待するのも無理はない話だった。 

 イザベル王妃の言葉を受けて、令嬢達の顔に再び希望の色が浮かんだ。


「ジークベルト殿下は、王妃殿下の誕生祝賀会以外の夜会にも出席されるのかしら?」

「もしそうなら、わたくしも参加しなくては。ぜひダンスをご一緒したいわ」

「ずるいわ、わたくしも」

「昼間はどのようにお過ごしなのかしら? ご予定がお決まりでないならぜひ我が家のお茶会にご招待したいわ」

「あら、それなら先に我が家に……」


 会場のそこかしこで、そんな会話が交わされる。

 それが耳に入っているのかいないのか、ジークベルトはその美しい顔に整った微笑みを浮かべ、イザベル王妃を見た。


「ところで王妃殿下、無礼を承知でお尋ねするのですが……本日、殿下のお化粧を担当したのはどなたですか?」


 ソフィの心臓がドキリと跳ねた。

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