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【書籍化・コミカライズ】私の魔法使い(長編版)  作者: 中村くらら


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33 邂逅

 再び目を開けると、見知らぬ若い男がソフィを見下ろしていた。

 見たことがないほどに整った顔立ちの、すらりと背の高い男だ。年の頃は二十代半ばといったところだろうか。一つに束ねた長い髪と瞳は焦げ茶色。


(あれ? さっきは確かに……)


 瞬きも忘れて見つめていると、男が形の良い唇に小さな苦笑を浮かべた。


「そろそろ離してもらってもいいだろうか」

「……え?」


 言われてようやく、ソフィは男の手を握ったままだったことに気がついた。羞恥に頬が熱くなる。


「も、申し訳ありません!」


 慌てて男の手を離し、椅子から立ち上がった。


「たいへん失礼いたしました。あの、寝ぼけていたみたいで……。どうかお許しください」


 深々と頭を下げながら、徐々に血の気が引いていく。

 見覚えのない顔。どこの誰かはわからないが、仕立ての良い外出着にマントという出で立ちからして王宮の使用人でないことは明らかだ。

 身なりの良さから察するに、貴族階級に属する人のように思われた。しかも、服装や顔立ちにどことなく異国の雰囲気が感じられるところからすると、他国からの客人ではないだろうか。

 いずれにせよ、平民であるソフィが不躾に手を握っていい相手ではない。


「ああ、気にしないで。顔を上げてもらえないかな」


 やわらかな声音にほっと胸を撫で下ろし、ソフィはおずおずと顔を上げる。目が合うと男は柔和な笑みを浮かべた。


「私の方こそ、君の夢の邪魔をしてしまったようだね」


 からかうように言われ、再び頬に熱がのぼる。仕事中に居眠りをしてしまった上に、見知らぬ男性に寝顔を見られたかと思うといたたまれない。


「どんな夢を見ていたの? 泣いていたようだったけど」


 言われて、目尻にたまった涙を慌てて拭った。寝顔だけでなく泣き顔まで見られていたかと思うとますます恥ずかしくて、つい顔をうつむけてしまう。


「あの、亡くなった母の夢を……」

「そう……。お母上のことを大切に思っているんだね」

「はい、大好きでした……」


 どこか遠くに去ろうとする母を、必死に追いかけようとする夢だった。追いかけたいのに足が思ったように動かず、母の後ろ姿がどんどん遠ざかっていく……。

 再び悲しい気持ちに囚われそうになり、ソフィは慌てて気持ちを切り替え、顔を上げた。


「あの、アルマさんにご用でしょうか? あいにくアルマさんは留守にしているのですが……」

「ああ、いや。暇つぶしに散歩をしていたら迷い込んでしまってね」


 勝手に入り込んですまない、と詫びてから、男は薬草園に目を向けた。


「いい薬草園だね。よく手入れされている。これは君が?」

「宮廷薬師のアルマさんの薬草園です。わたしはアルマさんの弟子で、お手伝いを」

「なるほど。そのアルマさんというのは、優れた薬師のようだね。この薬草園を見ればわかるよ」

「はい、そうなんです!」


 敬愛する師匠を褒められたのが嬉しくて、ソフィは顔を輝かせる。


「アルマさんはすごい方なんです! 薬草のことなら何でも知っていて、淹れてくれる薬草茶はどれも美味しくて元気になれます。王妃様からも信頼されていて――」


 ソフィははっと我に返り口を噤んだ。


「あ、申し訳ありません、つい……」


 初対面の、しかも異国の貴族と思しき男性の前でぺらぺら喋るだなんて、常にはない自分の行動に戸惑ってしまう。


「あの、お戻りになるのでしたらお送りしましょうか? また迷ってもいけませんし……」


 アルマの家と薬草園は、ただでさえ広大な白薔薇宮の中でも、木々が生い茂る道を抜けた先のはずれにある。慣れない者は迷いやすい。

 そう思って申し出たのだが、男は「いや」とにこやかに辞退した。


「君には君の仕事があるだろうし、来た道をのんびり戻るから大丈夫だよ。……では私はこれで」

「は、はい。お気をつけて」


 やわらかな微笑みを残し、男は王宮に続く道へと足を向けた。背の高いその後ろ姿が徐々に遠ざかるのを、ソフィはその場で見送る。


(不思議と話しやすい方だったな……。そういえばお名前もお聞きしなかった。もし他国からのお客様なら、近いうちにお茶会や夜会でお見かけする機会もあるかもしれない……)


 自然とそんなことを考えている自分に気づき、ソフィは慌てて馬鹿げた考えを打ち消した。


(もう一度お会いしてどうしようというの? あの方はおそらく貴族階級の方……いいえ、たとえそうでないとしても、わたしには関係がない。顔に火傷痕のあるわたしには……)


 視線を落とし、思いを振り切るように身を翻したとき、ふわりと男の残り香が鼻をくすぐった。


「……お母さんの香り?」


 振り返るが、男の後ろ姿はもう見えない。ソフィはぼんやりと、男が消えた道の先を見つめ続けたのだった。 

 




 薬草園を後にした男は、迷いのない足取りで来た道を戻り、自身に割り当てられた客室の前に帰り着いた。

 扉の前では紅茶色の髪と目をした若い騎士が一人、何かを探すようにキョロキョロと周囲を見回している。

 男は騎士に歩み寄ると、その肩にぽんと片手を乗せた。それで騎士はようやく男の存在に気づいたらしい。ハッとした顔で振り向くと、眉を吊り上げた。


「あっ、やっと戻ってきた! もう、ずいぶん探したんですからね! 一人でうろうろしないでくださいと、いったい何度言えばわかってもらえるんでしょうかね。将来俺が禿げたら絶対あなたのせいですからね!」

「いやぁ、ごめんごめん。でもギードが禿げるとしても、それは私のせいではなく血筋なんじゃないかな? ほら、ギードのお父上も兄上達も……」

「言っておきますけど、母方の祖父は死ぬまでふっさふさだったし、俺は子どもの頃からじいさんにそっくりだって言われてたんですからね!」


 騎士は渋い顔でくどくどと苦情を並べ、男はそれを苦笑いで宥めながら、二人揃って客室の中へと入る。


「ともかく、心配をかけてすまなかった、ギード。このとおり、特に問題はないよ」


 男が笑顔で両手を広げて見せると、騎士はこれみよがしにため息をついた。


「そりゃそうでしょうよ。あなたの身の心配なんか、これっぽっちもしてません」

「ひどいなぁ。少しは心配してくれてもいいんじゃない? ギードは私の護衛騎士なんだから」


 男の言葉に、騎士はジトリとした目つきになった。


「俺が護衛騎士だということをお忘れでないなら、その俺を置いて勝手に動き回らないでいただきたいものですね。まるで俺がサボってるみたいに見えるじゃないですか。心配? するわけないでしょう。あなたに害をなせる人間が、この世に何人いると思ってるんですか」

「おや、ギードなら可能だろう?」

「剣だけの勝負なら、かろうじてね。魔法を使われたらお手上げですよ。なんたって、認識阻害の魔法を使われただけで姿を見失ってしまうくらい、あなたと俺とでは魔力差があるんですからね」


 ひょいと肩を竦めてから、騎士は表情を改めた。


「それで? 入国早々、認識阻害で姿を消して、どちらに行かれてたんです?」

「この王宮内で魔力の残滓らしきものを見かけたのでね、辿ってみたんだ。敷地のはずれで薬草園と……面白い少女を見つけたよ」

「面白い少女、ですか? 珍しいですね、あなたが女性に興味を持つなんて」

「ふふ、お母さんだって。この私に向かって」

「はぁ……?」

「その上、顔に正体不明の魔力を帯びていた」


 男が、すっと笑みを消した。途端に男のまとう空気が冷たさを帯びる。


「顔に魔力を……?」


 騎士が眉間に皺を寄せた。


「『奴』と何か関わりがあるんでしょうか?」

「さぁ、どうだろうね。『白き薔薇の宮殿で、求める者を得る』。先読みに従ってはるばるやって来たわけだけど、我々が追うあのはぐれ者を、今度こそ捕らえることができるといいのだけどね」

「ええ、奴が塔から姿を消して十二年になります。これ以上あの犯罪者をのさばらせておくわけにはいきませんからね」


 真面目な顔でうなずいてから、騎士は訝しげに片眉を上げた。


「ところでその色、なんか落ち着かないんですけど。いつまでそのままでいらっしゃるんです? ジークベルト殿下」

「ああ、そうだ、忘れていたよ。例の少女に気づかれてね、咄嗟に色を変えたんだった。……そう、気づかれたんだよ、眠っているようだったのに、いきなり手を掴まれた。ちゃんと認識阻害の魔法をかけていたのに」


 男がパチンと指を鳴らす。長い焦げ茶の髪が、一瞬のうちにその色を銀に変えた。


「暴かなければならないね。彼女の顔に、何が隠されているのか……」


 鮮やかな紫色の瞳を鋭く細め、男は楽しげに口の端を上げた。

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