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【書籍化・コミカライズ】私の魔法使い(長編版)  作者: 中村くらら


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32 はじまりの、夢の続き

今回のエピソードから新章に入ります。

 薬師の弟子兼王妃の侍女として慌ただしく過ごすうちに、さらに二ヶ月が過ぎた。

 その後もベリンダとは、王妃主催のお茶会や夜会で何度も顔を合わせることになった。

 ベリンダだけではない。伯爵夫妻やセオドアともだ。


 お茶会や夜会で給仕をしていると、望むと望まないとにかかわらず、貴族達の様子を見聞きすることになる。

 それでわかったのは、クラプトン伯爵家の人々が社交界で一目置かれているということだった。


 カナル王国の貴族家の中でも長い歴史を誇る伯爵家。領地には大きな港を有し、交易でなした財は公爵家や侯爵家にも引けを取らない。

 当主のメレディスはやり手の経営者にして温厚な人格者。

 夫人のエイダは美しく慎ましく、慈善活動にも熱心な貴族夫人の鑑。

 嫡男のセオドアは両親ゆずりの甘い容姿と家柄の良さから、婚約者の決まっていない令嬢達から絶大な人気を誇る。

 そして長女のベリンダも、社交界デビューからわずか一年余りにもかかわらず、早くも社交界で大きな存在感を放っていた。


 類い希な美貌に気品溢れる所作。ダンスやピアノの腕前も一流。

 社交にも熱心で、たびたび伯爵邸で小さなお茶会を開いては、その都度、男女問わず信奉者を増やしている。

 婚約の申し入れは引きも切らないが、娘を溺愛する伯爵がベリンダの婚約相手を慎重に吟味しており、いまだ婚約者は決まっていない。

 イザベル王妃からも目をかけられ、「あなたはまるで青薔薇のように美しいわね」との言葉を賜ったことから、「社交界の青薔薇」と呼ばれている――。


 そんなクラプトン伯爵一家の噂を耳にするたび、そして実際に夜会等で彼らの姿を目にするたび、伯爵邸で見てきたものとのあまりの違いに、ソフィは唖然とするしかなかった。

 そんな伯爵一家は、ソフィが王妃の侍女に抜擢されたことを知るや、ソフィの扱いを一変させた。

 ソフィを王宮に送り出したときにはクラプトンを名乗らないよう厳命していたのに、それを忘れたかのようにソフィをクラプトン家の一員として周囲に喧伝するようになったのだ。


 両親を事故で失った上に顔に火傷痕を負う、不幸な身の上の娘。

 そんな哀れなソフィに手を差し延べ、実の娘同然に慈しみ育てあげた伯爵家。

 その結果ソフィの才能は花開き、平民でありながら王妃の侍女に取り立てられた――。

 ベリンダとの再会から二ヶ月が過ぎる頃には、そんな美談がまるで真実のように社交界に知れ渡っていた。


 噂を信じた人達の一部が、クラプトン伯爵家との繋がりを求めてソフィに話しかけてくることもあったが、ソフィは曖昧な表情と言葉でこれを躱すしかなかった。

 クラプトン伯爵家の人々がソフィを家族のように思ってなどいないことを、ソフィはよく知っている。

 彼らの目を見ればわかる。以前と同じように冷ややかにソフィを見下ろす伯爵夫妻の目。蔑みを秘めたベリンダの目。彼らは親しげな笑みを浮かべ猫撫で声でソフィに話しかけながら、余計なことは言うなと無言の圧力をかけてくる。

 セオドアがソフィを見る目だけは他の三人と少し違っていたが、彼にじっと見つめられるたび、ソフィは正体のわからない不安をかき立てられる。


 なるべく伯爵家の人々と関わらずにいたいと思うのに、ソフィが真面目に給仕の仕事をこなし、王妃の評価が上がれば上がるほどに給仕にかり出される機会も増え、彼らと遭遇することも増えていったのだった。

 この二ヶ月の間にソフィの十七歳の誕生日はひっそりと過ぎ、季節はまもなく夏を迎えようとしていた。



 

 この日、朝食を終えた後、ソフィは一人で薬草園の手入れをしていた。アルマは他の宮廷薬師から応援を頼まれて出かけている。

 少し休憩を取ろうと、リンデンの木陰の椅子に腰掛けた。ゆるやかな風が頬を撫で、心地よいと感じた途端、強い眠気に襲われた。


 五日後に、イザベル王妃の三十五歳の誕生日を祝う夜会が開かれる。それに向けて、白薔薇宮はいつも以上に活気に満ちていた。

 どの国から誰が訪れる予定になっているとか、来賓の誰それが素敵だったという話題は、侍女や女官達の間でもさかんに交わされている。


 中でも一番の話題は、魔法大国ツァウバルから、王弟ジークベルトが来訪するというものだった。

 見目麗しい未婚の王弟にして、ツァウバルで一番の魔法使い。

 女官長から下働きまで、王宮中の女性が彼の訪れを今か今かと待ちわびている。そう言っても大げさではないくらい、ジークベルトは話題の中心だった。

 同僚の侍女や女官から距離を置かれているソフィの耳にも、当然ジークベルト来訪の噂は届いていた。


(ツァウバルの魔法使い、か……)


 ソフィとて気にならないわけではないが、関わりたくないという気持ちの方がずっと強かった。

 ジークベルトといえば、ベリンダが強い関心を向けていた人物だ。おそらくその関心は今も失われてはいないだろう。


(それに、魔法使いは怖い。良い魔法使いは、わたしのところには来ないのだから……)


 周辺国からはすでに続々と来賓が入国しており、その歓迎や交流のため、王宮では連日お茶会や夜会が開かれている。 

 王宮で働く者は皆忙しく立ち働いており、王妃の侍女を兼任するソフィも例外ではなかった。

 昨日は昼間はお茶会、夜は夜会で給仕を務め、その合間にイザベル王妃に化粧も施した。最近では、毎回ではないものの、白粉だけでなく顔全体の化粧を担当させてもらえるようになった。


 夜会は深夜まで続き、ベッドに入ったのはすでに空が白み始めようかという時刻だった。

 アルマから午前中は休んで構わないと言われていたが、ソフィは薬師の弟子の仕事を疎かにしたくなくて、いつもと同じ時刻に起きて活動を始めた。

 休みなく動いている間は平気だったが、椅子に座った途端、疲労感と眠気を自覚してしまった。

 珍しくクーもおらず、あたりには風が木の葉や薬草を揺らす音だけがさやさやと流れている。


(少しだけ……)


 テーブルに突っ伏した直後にはもう、ソフィは夢の世界に落ちていた。





 一面のラベンダー畑に、ソフィはいた。生い茂る緑の合間にしゃがみ、一心にラベンダーを摘んでいる。

 隣には同じようにラベンダーを摘む母の姿。

 夢の中だというのにラベンダーの紫色は鮮やかで、その香りは芳しい。


(あ……お母さんの匂いだ……)


 懐かしさと愛おしさがこみ上げ、隣の母に微笑みかけると、母がふいに立ち上がった。


「ごめんね、ソフィ。お母さん、もう行かなくちゃ」


 母はそのまま、ソフィに背を向けて歩き出す。


(お母さん、どこに行くの?)


 慌てて呼びかけるが、母は振り返らない。

 母の向かう先に遠く、父の姿が見える。


(待って、わたしも一緒に……)


 追いかけようとしたが、ぬかるみにはまり込んだように足が重い。もがいているうちに、母の背中はゆっくりと遠ざかっていく。


(お父さん……お母さん……! お願い、わたしを置いて行かないで……!)


 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、母の後ろ姿を追って必死に足を動かす。


(お母さん……待って……お母さん……)


 必死にのばした右手の指先が、ようやく母に触れ――。





「お母さん!」


 自分自身の声で、ソフィの意識はゆるゆると浮上した。うっすら目を開けると、滲んだ涙で視界がぼやけている。

 一拍遅れて、ソフィは自分の右手が誰かの手を掴んでいることに気がついた。大きくて、温かな手。


「お母さん……?」


 ぼんやりと視線を上に移動させたソフィは、小さく息をのんだ。

 木漏れ日にきらめく長い銀の髪。

 ラベンダーのような紫の瞳が驚いたように見開かれている。


「良い魔法使い、さん……?」


 呆然と呟いた刹那、強い風が吹き付け、ソフィはぎゅっと目を閉じた。

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