30 自由の翼
いつもより遅めの朝食を終え、ソフィはアルマと共に薬草園にくり出していた。
春は薬草の種まきに適した季節。仕事はいくらでもある。
「今日はセージとナスタチウムの種蒔きから始めようかね。それが済んだらローズマリーとラベンダーの苗の植え付けだ。昨年の秋に植えたのもまだ元気だけど、イザベル様の化粧水に使うからね、増やしておこう」
「はい」
鍬でふかふかに耕した畑に指で穴をあけ、セージの種を三粒ずつ蒔いていく。土や薬草に触れているうちに、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
苗を植え付けるための穴を掘りながら、ぼんやりとイザベル王妃の私室でのことを思い出す。
あの後、突然の王妃の宣言を受けてすぐさま女官長が呼び出された。
駆けつけた年嵩の女官長は、話を聞くとあからさまに渋い顔になった。
なにしろソフィは平民の身分。おまけに顔には醜い火傷痕があるのだ。
イザベル王妃の侍女は、貴族階級であることは当然の前提で、選りすぐりの美女が集められている。もちろん、見た目が優れているだけでなく、所作の美しさや有能さも求められる。その地位は、王宮に勤める女官の中でも別格なのである。
女官長はあれこれと理由を並べて王妃を翻意させようとしたが、王妃は聞く耳を持たなかった。
「平民がこの白薔薇宮の侍女に取り立てられた例はございません」
「ソフィは平民と言っても、クラプトン伯爵の姪だそうよ。血筋の上では問題ないでしょう」
「それでも平民は平民です。それに、そのような特別待遇を許せば、他の貴族家から不満が出ます」
「あら、不満があるならソフィ以上に優れた娘を寄越せばいいだけのことよ」
「それに、行儀作法も知らない娘が王妃殿下のおそばに侍ったのでは、殿下のご威光に傷がつきます。この者自身も、苦労するだけでございましょう」
そんなやり取りを、ソフィはおろおろしながら見守るしかなかった。当事者であるにもかかわらず、平民であるソフィが口を挟める雰囲気ではない。
「行儀作法は女官長であるあなたが仕込めばいいじゃないの、バーネット夫人。こんなに美しくて有能な子なんですもの、ぜひともそばに置いておきたいわ。ねぇソフィ、あなたもわたくしの侍女になりたいでしょう?」
イザベル王妃に同意を求められ、ソフィは言葉に詰まった。
本音を言えばソフィは、イザベル王妃の侍女になるよりも宮廷薬師アルマの弟子でいたい。苦労して身につけた化粧の技術を評価されるのは嬉しいが、王妃の侍女など畏れ多いにもほどがある。それに、ソフィは薬草と関わる仕事にやりがいを感じているのだ。
けれど、イザベル王妃の御前でそんな本音を口に出せるはずもない。
固まっていたソフィに助け舟を出してくれたのはアルマだった。
「イザベル様、ソフィはアタシの弟子ですよ。勝手に引き抜かれたんじゃ困ります。それに、イザベル様に献上している化粧水は、ソフィでなきゃ作れないんです。残念ですがアタシじゃ同じようには作れません。あの化粧水を作る者がいなくなったんじゃ、イザベル様もお困りでしょう?」
そう言って、イザベル王妃を説得しにかかったのだ。
これにはさすがのイザベル王妃も折れざるをえなかった。
それでも王妃はソフィをそばに置きたいと食い下がり、話し合いの結果、ソフィは宮廷薬師の弟子と王妃の侍女を兼ねることになった。
兼任なので、侍女と言っても常にイザベル王妃のそばに控えている必要はない。基本的には今までどおりアルマのもとで過ごしつつ、イザベル王妃の求めに応じて、化粧係やお茶会等での給仕係を務めるということになったのだった。
「……本当に良かったのかい? イザベル様の専属侍女にならなくて」
アルマがローズマリーの苗の根元に土をかぶせながらぽつりと呟いた。
「もちろんです」
迷いなく答えると、アルマは「そうかい」と安堵したように息を吐いた。
「だけどこれから忙しくなるね。化粧の練習に、紅茶を淹れる練習、それから行儀作法の練習だっけ? 練習、練習、また練習だ」
ため息混じりのアルマの言葉に、ソフィも苦笑いで応える。
イザベル王妃の化粧係を務めるといっても、ソフィが練習して身につけたのは白粉を塗る技術とせいぜい頬紅くらいで、眉や目元、口元の化粧についてはさっぱりだ。当面ソフィは白粉だけを担当することにし、白粉以外の化粧については、王妃イザベルの化粧係筆頭である侍女のヘレナから教えを受けることになった。
また、ソフィはこれまで他人に化粧を施した経験がないため、王妃殿下に化粧をする前に練習する必要がある。これについては、ラナに練習台をお願いしてみようかと思っている。
さらに、給仕を務めるために、紅茶の淹れ方や行儀作法についても学ぶ必要がある。ソフィは薬草茶なら慣れているが、紅茶にはあまり馴染みがない。行儀作法はクラプトン伯爵家に引き取られて間もない時期に、ほんの少し習っただけだ。これらについては、イザベル王妃の指名で、女官長のバーネット夫人から直々に指導を受ける予定だ。
「まぁでも、お前さんの可能性が広がるのはいいこった」
「はい」
ソフィは素直にうなずいた。
パタパタという軽やかな羽音につられて顔を上げれば、リンデンの枝から小鳥が飛び立ったところだった。やわらかい春の日差しの中、小鳥の影は霞がかった青空の向こうに遠く消えていく。
(不安もあるけど、がんばってみよう。そうすれば、わたしも自由の翼を手に入れることができるかもしれない……)
自然と、クラプトン伯爵家で出会った小さなカラスのことが思い出された。
ベリンダに乱暴に追い払われ、きちんとお別れをする間もなく巣立たざるをえなかったカラスのことは、ずっとソフィの心に引っかかっていた。
「クーちゃん、元気でいるのかな……。もう一度会いたいな……」
思わず呟いた、その次の瞬間だった。
「カァ」という鳴き声を、ソフィの耳が拾う。続いてバサバサと羽音を響かせながら、どこからともなく一羽のカラスが姿を現した。
カラスはソフィに向かって一直線に飛んでくると、バサリと目の前に降り立った。
記憶にあるよりも大きな身体。けれど、小首をかしげてソフィを見上げる丸い目が、記憶の中のカラスとぴたりと重なった。ソフィの胸がドキドキと高鳴る。
「まさか……クーちゃんなの……?」
震える声で呼びかければ、カラスは肯定するように「クゥ」と小さく鳴いた。じわりと涙が滲む。
「クーちゃん……! 無事で良かった、本当に……」
「クゥ……」
思わず両手で抱き上げ、小さな丸い頭を撫でれば、カラスは甘えるように嘴をソフィの腕に擦りつけた。
「おやまぁ、これは……」
再会を喜び合うソフィとクーを、アルマが思案顔で見守っていた。




