7.人を消す清掃員
作業開始から十秒で、排水制御室の扉が溶けた。
「耐火扉では?」アレンが言った。
「耐火です」とバルガが答えた。「耐聖火とは書いてない」
「規格の穴を感じる」
「次回改修へ回す。生きていたらな」
逃げ道は三つ。正面は白炎。左は排水管。上に保守用の通風口。
「上です」
ジルは梯子を蹴り出した。クク、ノア、エッダの順に登らせる。アレンが続き、バルガが巨体を無理やり押し込んだ。最後にヴェルダとジルが入った瞬間、扉が白く崩れた。
通風口の先で、城内放送が始まった。
『王国の民よ、ご覧ください』
グレイヴの声だった。
『魔王は勇者を捕らえ、古き災厄を復活させました』
「捕らえられてないぞ」とアレンが言った。
「静かに。音も拾われているかもしれない」とヴェルダが言う。
城内の遠見水晶が一斉に灯った。人間界へ向けて、白炎に包まれた魔王城の映像を流している。
通風口の前方から赤い羽根がのぞいた。
「ジル! そこの右、行っちゃだめ!」
テッタだった。焦げた翼へ包帯を巻き、くちばしに工具をくわえている。
「医務室へ戻ったのでは」
「戻ったわよ。レンチ取ってきた」
「治療は?」
「レンチより先に聞く?」
「聞きます」
「終わった! 右の千槍回廊、勝手に再装填されてる。私の槍が、私の許可なく人を刺そうとしてる!」
職人として許せないらしい。
放送管へ、ミミの声が割り込んだ。
『こちら警備室。聞こえる? 聞こえてなくても言う。第九層の罠、全部、人間だけ狙ってる。あと勇者、聞こえてたら――おれを助けたこと、まだ誰にも言うなよ!』
「言ってるな」とアレンが言った。
『あ』
放送が切れた。
「元気そうでよかったです」
「俺、あとで謝ったほうがいいか?」
「粥を食べさせてあげてください」
一行は通風口から戦争心臓の前室へ降りた。
そこは円形で、中央の穴から黒い光が脈打っている。出口は正面の一つ。グレイヴが、その前に立っていた。
白い手袋。白い礼装。ここまで炎の中を歩いてきたのに、靴の先に煤一つない。
「よい職員をお持ちです、現魔王」
「彼らは私の所有物ではない」とヴェルダが言った。
「呼び方の問題です。管理される側は、管理者を選べません」
「あなたは、そういう職場にいたんですね」とジルが言った。
グレイヴの視線が、初めてわずかに動いた。
「同情ですか」
「作業環境の確認です」
「不要です。私は満足しております」
「満足している人は、自分の仕事を他人へ説明しません」
「ジルさん、たまに厳しいですね」とククが小声で言った。
「たまに?」バルガが返した。
グレイヴは右手を上げた。
掌に、小さな黒い布片がある。金糸で、古い文字が一つ縫われていた。
「戴冠衣の残りか」とヴェルダが言った。
「王国は、廃棄物の保管が得意ですので」
白炎が布片を包んだ。
焼けた名が、城の底へ落ちていく。
――ジルヴァール。
黒い光が噴き上がった。
ジルの背後に、輪郭だけの王冠が現れる。右膝が床へつき、聞いたことのない無数の声が頭へ流れ込んだ。門を閉じろ。人間を射よ。王命を。王命を。王命を。
アレンが呻いた。
胸の赤い札が燃え、黒い紋様が首まで上がっている。折れた剣を握る腕が、意志に逆らって持ち上がった。
「ジル、逃げろ」
「逃げる方向を教えてください」
「いま、そういう冗談は――」
剣が振り下ろされた。
ジルは半歩ずれた。刃が作業着の肩を裂く。アレンは歯を食いしばり、剣を止めようとしている。
「雑巾を使え!」
「使えば、あなたの名前まで落ちます」
「それでも」
「だめです」
ジルは短く言った。
「こちらの管理物を、勝手に廃棄しないでください」
ノアがアレンの足へ短杖を打ち込み、一時的に痺れさせた。
「あとで治す」
「先に言ってくれ!」
「三秒前に?」
「それは俺のやつだ!」
グレイヴの白炎が床を囲んだ。
「お二人はよく似ています。王と勇者。人々が理解できる形へ世界を整えるための道具です」
「人を消して整えるのですか」とジルは聞いた。
「曖昧さは争いを生みます。善と悪。味方と敵。生存者と死者。境界が明瞭である限り、人は安心できる」
「安心して死ねる?」ノアが言った。
「少数の処理で、多数の秩序が保たれます」
「それ、治療師が言ったら免許を失う台詞ね」
「人は、説明のつかない汚れを恐れるのです」
ジルはグレイヴの足元を見た。
白炎は男から出ていない。床へ落ちた王命書の切れ端から、細い線を通じて供給されている。アレンの胸の呪詛も同じ線へつながっていた。
発生源。経路。残留先。
「ククさん。瓶は?」
「あります」
「回収箱は、縦坑へ落としたはずですが」
「吸いました」
「全部?」
「瓶は吸ってないです。中身だけ」
「いつ」
「吸うなって言われる前」
ククは得意そうに透明になった。
「あとで指導します」
「あとがあるんですね」
「あります」
ジルは全員を見た。
「ノアさん。解毒剤を薄められますか。治療ではなく、呪いを浮かせる試薬として」
「最後の一瓶を使う」
「あなたの分では」
「原因を残して患者だけ延命するのは、治療じゃない」
「では、お願いします」
「止めないのね」
「止めても、あなたはやるでしょう」
「診断は正確」
「エッダさん。浮いた術式と文書を照合して、記録晶へ」
「紙仕事なら、王立書庫を敵に回した専門家よ」
「自慢になります?」
「人気はないわ」
「バルガ主任、排水と換気を逆流。テッタさんへ千槍回廊の手動停止を。ミミさんには放送を残してもらってください」
「ヴェルダさんは、戦争心臓を」
呼び方に、ヴェルダが一瞬だけ目を見開いた。
「陛下ではないのか」
「勤務中ですので」
「分かった。出力を三割まで落とす」
「アレンさん」
「俺だけ、何をすればいい」
「王命書を手放さないでください。あと、私をなるべく斬らないように」
「順番が逆じゃないか?」
「王命書のほうが重要です」
「正直だな!」
ジルはモップの柄を床へ立てた。
「清掃を開始します」
グレイヴが、初めて笑った。
「何を消すおつもりで?」
「何一つ」
ジルは答えた。
「消す前に、全部残します」




