4.亡命と言えない者たち
ジルが廃棄物集積場へ着いたとき、最初に見たのは剣だった。
次に、剣を持っている男が困っている顔を見た。
「魔王の手先め! よくも、ええと――」
金髪の青年は言葉を探しながら、折れた剣を両手で構えていた。青い目、赤い外套、磨かれた胸当て。肖像画へ描けば非の打ち所がない勇者だが、外套の裾を回収籠へ引っかけている。
「よくも、我らを穴へ落としたな!」
「それ、私たちが先に飛び込んだ穴よ」
背の高い女が訂正した。褐色の頬を、深緑の巻き毛が囲んでいる。片耳から鍵形の耳飾りが揺れ、外套の内側には紙片がびっしり縫いつけられていた。
「エッダ、いま大事なのは正確さじゃない」
「歴史上、正確さが大事でなかった瞬間はないわ。人気がない瞬間なら多いけど」
「二人とも。芝居なら手短に」
三人目は、小柄な銀髪の女だった。太い編み髪を肩から垂らし、白衣の袖を肘までまくっている。石壁へ背を預けて座り、短杖の先で自分の脈を測っていた。唇の内側に、黒い筋が見える。
容体が一番悪い者の声が、一番よく通った。
「あと四十二分」
「先ほどは五十二分でした」とジルは言った。
三人の目が、同時に彼へ向いた。
「失礼。瓶の残量から推定しました。誤差は?」
「二分以内」銀髪の女が答えた。「あなた、清掃員?」
「はい」
「医者ではなく?」
「床の専門です」
「床が私を診断したのなら、優秀ね」
勇者が折れた剣を振り上げた。天井の遠見水晶が、赤く瞬いている。
「話はあとだ! 覚悟しろ、魔王の手先!」
「こちら、収録中ですか」
「察しがよくて助かる!」
横薙ぎの一撃を、ジルはモップの柄で受けた。思ったより重い。だが刃は、ジルの首から指二本ぶん上を通っている。
「蒼天を裂く暁の――」
「長いです」
「まだ途中だ!」
「三秒前に叫ぶのは、やはりわざとですね」
勇者の眉がわずかに上がった。
ジルは足元の洗浄泡剤を蹴り上げた。ククがすかさず吸い込み、天井へ噴く。白い泡が遠見水晶を覆い、赤い光を塞いだ。
「停止中です」
勇者は剣を下ろした。
「よかった。もう腕が限界だった」
「アレン、勇者が開始十五秒で弱音を吐かない」
「相手が清掃員だからいいだろ」
「職業差別ね」
「そういう意味では――いや、すまない」
「謝るんですね」ジルは言った。
「悪いと思ったら謝る。勇者だからな」
「そこは立派です」
アレンは少し照れ、外套を回収籠から外そうとして、留め金を折った。
「いまの備品じゃないよな?」
「ご自分のです」
「よかった」
「よくはない」と銀髪の女が言った。「ノア。治療師。こちらはアレン、騒音源。そちらがエッダ、窃盗犯」
「魔術師よ。本は期限の長い貸出中」
「王室書庫の壁を爆破した貸出ね」
「返却口が小さかったの」
ジルは名乗り、ククの体から洗浄泡を少し抜いた。ククはふくらんで、天井へつかえている。
「白冠を受けていますね」
ノアの目が細くなった。
「どこまで分かっているの」
「三人のうち、あなたがもっとも深い。固形物を飲み込めない。解毒剤は三時間おき。アレンさんは右の犬歯で栓を開ける。エッダさんは口紅をつけたまま瓶を使う」
エッダが唇へ指を当てた。
「葡萄酒色。王都で流行ってるの。逃亡中でも流行は待ってくれないから」
「そういう問題?」アレンが言った。
「あなたは外套を選ぶのに二時間かけたでしょう」
「勇者らしさは民衆の安心に関わる」
「裾を引っかけて死んだら、民衆も困るわ」
「次は短くする」
「次も着る気なのね」
ノアが杖で床を一度打った。
「事情を話す時間はない。話せない事情もある」
アレンはうなずき、ジルへ向き直った。
「俺たちは魔王を倒しに来たんじゃない。王に命を狙われて、ここへ亡――」
喉に黒い紋様が走った。
アレンの体が折れ、床へ血を吐く。ノアがすぐ襟を開き、胸へ短杖を押し当てた。
「話すなと言ったでしょう」
「ここまで言えば伝わるかと」
「死者の説明は採用しない」
ノアの手は正確だった。自分の指が震えていることだけを、無視している。
ジルはアレンの横へ赤い札を置いた。
「少し、質問の形式を変えます」
「形式?」
「人間として答えられないなら、遺失物として答えてください」
エッダの鍵形の耳飾りが、楽しそうに揺れた。
「それ、法的には相当おもしろいわよ」
「清掃規程です」
「もっとおもしろい」
ジルは作業票を一枚出した。
「あなた方は、所有者である王国の管理下から、意図的に排出されましたか」
三人が顔を見合わせ、うなずいた。呪いは動かない。
「魔王の殺害が、現在の主用途ですか」
首を横に振る。
「保存しなければ、第三者へ危険が及ぶ情報を含みますか」
うなずく。
「当城による一時保管を拒否しますか」
三人は首を横に振った。
黒い紋様は沈黙したままだった。
「分類できました」
ジルは赤い危険物票を三枚出し、アレンの胸、ノアの杖、エッダの耳飾りへそれぞれ結びつけた。
「王室由来。意思あり。焼却禁止。第零保管庫へ搬入します」
「俺たち、ゴミになったのか」アレンが聞いた。
「保護対象です」
「言い方だけは、もう少しなかった?」
「勇者より自由では?」
アレンは自分の胸の札を見た。
「たしかに」
エッダが笑った。ノアは笑わなかったが、アレンの脈を取る指から少しだけ力を抜いた。
白冠は、辺境の村一つを全滅させた毒だった。
魔族の瘴気による虐殺とされ、アレンたちは討伐へ派遣された。だがノアは死者の爪から、王室調合にしか使われない銀花を見つけた。エッダは王室書庫から、百年前にも同じ毒が使われた記録を盗んだ。
そこまでを、三人は短い言葉と作業票への丸印で伝えた。
エッダは外套の裏から、折り畳んだ任命状も見せた。
「『魔王領内における討伐、占領及び事後処理の全権を、勇者アレンへ委任する』。あなた、書類の上では何でもできるのね」
「何でもしろ、という意味だと思ってた」
「文書は、読まない人にいちばん強く効く呪いよ」
「返す言葉がない」
「瓶の印は、あなたが?」ジルはエッダへ聞いた。
「正確には、百年前の王太子の日誌から借りたの。『言葉を奪われた者は、管理者へ痕跡で知らせよ』。七つ折りもそこにあった」
「私が見つけると?」
「誰かが見つけると。あなた一人まで期待したら、計画じゃなくて恋でしょう」
「では、違いますね」
「即答するところ?」
「アレンの外し方も、私の食事も、暗号ではない」とノアが割って入った。「私たちは、そこまで器用ではない」
「俺はけっこう器用だぞ」
「外套」
「はい」
ジルはノアをククの上へ座らせた。ククが担架の形へ平たくなる。
「柔らかい」とノアが言った。
「褒められました」
「硬さの診断よ」
「それでもいいです」
白い帯が集積場の入口まで近づいていた。
一行は第零保管庫へ急いだ。
扉には取っ手も鍵穴もない。七つ折りの雑巾を認証盤へ当てると、城の底で、どくん、と何かが鳴った。
百年間、止まっていたものが、寝返りを打った音だった。
『創設管理者を確認』
石の表面へ、古い文字が浮かぶ。
『失効した王名を復元してください』
全員がジルを見た。
「古い設備は」とジルは言った。「たまに、誤作動します」
「二回目ね」とエッダが言った。
「二回続けば?」ククが聞いた。
「まだ偶然です」
「三回続けば、選んでるんでしょう?」
ククは研修担当者より、記憶もよかった。




