3.四人目は何も残さない
白い火は、赤い羽根をよく燃やした。
「水! ジル、水!」
テッタが床を転がっていた。左の翼へ白炎がまとわりつき、水筒の水を浴びても消えない。少し離れた通路の角で、白い人影が外套を翻した。
足音はしなかった。
「ククさん、追わない。テッタさんを」
「吸います!」
「火は吸わない!」
ジルは腰の灰色の雑巾を抜いた。翼の根元から先へ、火の流れを読む。白炎は羽毛を燃料にしているのではない。テッタへ貼りついた細い術式から供給されていた。
発生源。経路。残留先。
雑巾で術式の線だけを拭う。
白炎は音もなく消えた。
「……それ、何でできてるの」
床へ伏せたまま、テッタが聞いた。
「雑巾です」
「雑巾に消された私の立場は?」
「生きている方の被災者です。動けますか」
「動ける。あいつを追う」
「だめです。右の風切羽が三枚焦げています」
「三枚なら飛べる」
「二枚でも飛べるでしょう。でも今日は歩いてください」
テッタは不満げに立ち上がった。怪我をした者ほど大丈夫と言い、主任ほど残業していないと言う。現場の申告は、額面どおり受け取ってはいけない。
「どうしてここに?」
「勇者が私の予備レンチまで持ってったのよ。返してもらおうと思って」
「侵入者へ直接請求する整備員は初めて見ました」
「三代続く罠師をなめないで」
「三代とも、そうなんですか」
「祖母は請求書を矢につけて飛ばした」
由緒があった。
テッタが、焦げて短くなった羽根を握った。
「モロ爺よ。石蜥蜴の。毎朝、私の槍を見ては『先が曇っとる』って。自分の鱗のほうが曇ってるくせに」
白い男は、倒れていたモロを白炎で焼いた。傷は浅く、生きていたという。男は死体を作ったのではなく、そこにいた者を、血痕も鱗もまとめて消した。
「勇者は?」
「先を走ってた。金髪のやつが戻ろうとしたけど、銀髪の女が引っぱった。たぶん、戻ったら全員死ぬ顔してた」
ジルは焼け跡へしゃがんだ。
白く磨かれた石の中央に、小さな焦げがある。モロが首へ巻いていた識別輪の留め金だった。刻まれた名は熱で読めない。
ジルは黄色ではなく、赤い札を立てた。
「これは清掃しません」
「もう、きれいだけど」ククが言った。
「だからです」
テッタへ医務室へ戻るよう言い、ジルとククは白い帯を追った。
勇者一行の足跡は、第八層の中央階段を外れ、廃棄物搬送路へ向かっている。玉座への最短路とは逆だ。
「道、間違えてます?」
「三回続けば、選んでいます」
搬送路の扉は、古い図面では壁だった。横の規程箱から分厚い清掃手順書を出す。第三十七頁の次が、第四十一頁になっている。
「三枚、食べました?」
「ククさんと一緒にしないでください」
「一枚も食べてないです」
「画びょうは?」
「話を戻してください」
切り取られた跡はない。最初から頁番号だけが飛んでいる。ジルは指で紙を撫でた。紙の上に、埃とは違うざらつきがある。何かを隠している術式の継ぎ目だった。
灰色の雑巾で、その継ぎ目だけを拭う。
何もなかった頁の上に、淡い文字が浮いた。
〈第三十八頁 第零保管庫〉
〈所属を失った対象は、危険性の有無にかかわらず――〉
そこで文字は消えた。
「いま、ありました」
「ありましたね」
「ジルさん、知ってた?」
「知らないものは、知らないです」
「扉は?」
扉の横に、手のひら大の認証盤がある。ジルは雑巾を当てようとして、なぜか手を止めた。
一度。二度。布の角を内へ入れ、七つに折る。
そんな折り方を習った覚えはない。
認証盤が青く光った。
『最高管理権限を確認』
石扉が開いた。
ククはしばらく黙っていた。
「古い設備は、たまに誤作動します」
「まだ何も聞いてないです」
「そうでしたか」
扉の奥は、使われていない整備通路だった。埃の中央に、紫色の小瓶が一本置いてある。偶然落ちたのではない。足跡から半歩離れ、見つけやすい向きに寝かされていた。
ラベルが細く七つに折られ、矢印を作っている。
「同じです」とククが言った。
「ええ」
瓶の下には、焼け残った羊皮紙が挟まっていた。
王冠をかたどった透かし。読めたのは三行だけだった。
〈勇者一行による魔王討伐を命ずる〉
〈証拠品の回収を最優先とする〉
〈任務完了後、当該三名を回収不能と認定する〉
「回収不能って?」
「戻ってこなくてよい、ではありません」
勇者は魔王を倒し、魔王城で死んだことにされる。その予定だった。
天井の放送管が震えた。
『緊急連絡。第十層を浄化対象に指定。全職員は東側退避路へ移動せよ。繰り返す――』
ジルは壁の避難図を見た。
東側退避路は第十層を大きく迂回するように見える。しかし排煙弁を閉じれば、廃棄物縦坑と一本の焼却区画へつながる。勇者一行も、清掃班も、そこでまとめて焼ける。
「ククさん。高いところは平気ですか」
「液体なので、落ちるのは得意です」
「頼もしい」
ジルは羊皮紙を胸へ入れ、廃棄物縦坑の蓋を開けた。
底は見えなかった。
「主任には、何て言います?」
「急に穴があった、と」
「それはいつものことじゃないです」
「では、帰ってから一緒に考えましょう」
二人は飛び込んだ。




