第8話『送葬の儀式』
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いつからか、暗闇の中に声が響いていた。
遠雷のような話し声。誰が何人いて、一体何を話しているのだろうか。
そちらに意識を傾けた途端、段々と声が大きくなっていって、ぴくりと、弛緩していた目蓋に力が入るのが分かった。
浮上する意識。知覚する部屋の香り。いつもと違う絡み方をしている髪の毛の煩わしさ……閉じていた感覚が次々と開いていき。
「――――」
ぱっと、私は目を覚ました。
今まで自分が眠っていたことを、自覚した。
目蓋を開ける。見覚えがあるような、ないような天井だ。
身体を少し捻って、やたらと寝心地のいいベッドから起き上がる。
……いえ、これ、ベッドではなく革張りのカウチソファーね。
日本円換算で五十万は下らなそうな高級家具。
それから、優しい陽射しが差し込む窓の向こう側、広がっている空だけの景色。
学院内でこの二つが揃う場所はきっと、一部屋しかない。
「――目が覚めたかい、マリモ」
現在地点の認識を終えたところでちょうど、部屋の主から声をかけられる。
私は声がした方向……かの女性が普段鎮座している正面奥の椅子、ではなく応接用のソファー付近へと目を向ける。
なぜそんなところに、とも思ったのだが。
「あ、おはようございます。マリモさん」
続いたルカの声と、さらに向けられる複数の視線。
なにやら大所帯が形成されているその光景を見て、納得した。
……どうやらあの列車の乗客全員が、このアプステラ魔術学院の学院長室に集められているみたいだ、と。
七月二十九日。水曜日。現在時刻、午前六時五十分。
今から遡ることおよそ六時間前――気を失った私とルカたちは、黒い着物を着た女性に抱きかかえられながら、神父やあのペイルパープルの髪の少女共々、この学院長室に運び込まれたのだという。
学院長であるクオンハルカさんから事の経緯を話してもらった私は、意識を失う前の記憶を手繰りながら、昨夜の出来事を説明した。
ルカと話をするために夜中に湖に行ったこと。
そこで『柩在列車』なる列車が湖面から飛び出してきたこと。
光の糸が首に巻き付いて車内に転移し、湖に飛び込んで月の海に行ったこと。
そして月の海で葬儀と呼ばれる儀式に参加したこと……と、その内容。
振り返っていて、あれは本当に現実の出来事だったのかと思う瞬間もあったけど、しかしどうしようもないほどに、疑いようのない証拠が残っている。
アトロポスの輪――の、基盤とでも言うべきなのだろうか。
光の糸によって紡がれた最初の輪が、私の首に未だ残り続けているのだ。
葬儀のときに絡みついてきた花は無いので、見た目は普通の首輪……チョーカーっぽくなってるが。
確認したところ、ルカの左手の薬指にも同じモノが付いたままだった。
……だからやっぱり、あれは間違いなく現実に起きたことなのだろう。
そうして昨夜のマリモ、ルカ視点の確認を終えると。
次に師匠を探していたというクロヴィス。
そして極秘の依頼で湖を訪れていたというハイネ、と説明が続き。
その後に口を開いたのは、まるで喪服のような黒い着物を着た女性だ。
「オレ? 別に大した理由はないよ。ただ湖を散歩してたら巻き込まれた。ほんと、それだけ」
参っちまうよな、と妖しげに笑う彼女に、呆れた視線を送る者がひとり。
「……その放浪癖のおかげで俺までこんな腕輪つけられちまいましたよ、師匠」
「師匠はよせって。同い年だし、同じ一年だろ。なんか変な感じするんだよな」
「俺からすりゃそっちのほうが変な感じなんですが……見た目とか貫禄とか」
「はっ、貫禄なんかどこにある。着物なんて見た目だけでビビってるなら、ウチのジジイなんか見た日にゃ腰抜かすんじゃないか? 会わせてやれそうにないのが残念だ」
「確実にカタギの人じゃないっすよね……そのじいさま」
繰り広げられる師弟の仲睦まじい会話。
というか……この人が話に聞いていたクロヴィスの師匠さんだったんだ。
いえ、話に聞いていたといっても、その存在を匂わせられていただけで特に情報はないのだけれど。
ただクロヴィスの師匠というからには、ぼんやりと強面の屈強な男性を想像していたから、なんだか意外な組み合わせだ。
まあでもその男性口調といい、どことなく妖艶な立ち居振る舞いといい、印象だけで言えば極道の姉御っぽさがあるし。
姉御とその子分というイメージをすれば、わりとハマってる感じもあるか。
「ま、オレを探してそれで巻き込まれたっていうなら、悪かったなクロヴィス」
「――ううん。葬儀を始めたのは私だから、謝らなきゃいけないのは私だよ」
「……へえ?」
割って入ってきた透き通る声に、やたらカッコいい流し目を送る師匠さん。
それを受けた声の主……ペイルパープルの髪の少女は、落ち着いた様子で視線を返して、それからゆっくりと私たちを見回した。
「クロヴィス、それに君たちも、巻き込んでしまって本当にごめんなさい」
頭を下げる少女。平淡な声音だったが、決して感情の無い謝罪ではなかった。
それは己の行動を省みる、確かな理知を宿した言葉だった。
神秘的な雰囲気を身に纏い、純粋無垢さえも感じさせる――正体不明の少女。
けれど彼女は対話可能なひとりの人間であり、たとえ今回の一件の原因だとしても、そうせざるを得なかった理由、事情が存在するのだろうと思わされた。
少なくともそこに悪意はなかったのだと、この場の全員が感じ取った。
ゆえに、誰もが言葉に迷い、黙してしまう。
怒り。好奇心。困惑。胸中に渦巻くあらゆる感情を、鎮められてしまって。
「なら、君の目的を教えてくれないかな――ペイル・ルナール・ロッテさん」
そんな状況で真っ先に口を開いたのは、部外者で大人である学院長だった。
対するペイルと呼ばれた少女は、目を伏せて小さく首を振った。
「それは言えない」
「ならば葬儀の参加権の放棄、あるいは他者への譲渡は可能なのかな?」
「いいえ。選ばれた人は列車を下りられない。けど私の最終目的は、誰かを苦しませるものじゃない。誰も死なせるつもりはないよ」
「しかし君は躊躇なくマリモの『アトロポスの輪』とやらを狙い、結果としてそれを切り落としている。彼女の生命は間違いなく脅かされたと思うが」
「彼女は聖剣を抜いた人。大丈夫だって信じることができた。それに葬儀での死は、本質的には仮死に近い。それが確定するのは葬儀が終点に辿り着いたときだから……」
だから、もしも私が月から戻ってこれなかったとしても、まだ地上に引き戻す最後のチャンスは残されていた……ということか。
「だがそれは、君が自分自身で証明したほうが良かったのではないかな?」
学院長は声音を落とし、追及する。
死が確定しないことを知っていたならば、自分のアトロポスの輪を切るという選択肢もあったはず。ならどうして、それをしなかったのか、と。
「自分の記憶を『歳月の幻灯』によって流出させたくないという打算が君にはあった。違うかね」
「……うん。確かにその通りだよ。それを先に言わなかったのは誠実さに欠けていたね。ただそれも、物事の一面でしかない」
「というと?」
「私は葬儀の進行役だから、万が一のリスクを避けなければならないというのもあるし、葬儀が中断されたら誰にとっても良くないことが起きるというのもあるよ。だから、解釈をしたいなら、好きな理由を選んで」
敢えて詰問するような言い方をした学院長に、毅然と返すペイル。
一通り言い終えた彼女は、沢山話して疲れちゃったと言って、話し合いが始まる前に学院長が用意したカップを手に取って、一口啜った。
「んっ……苦い……。毒じゃない、よね……?」
「仕込んだのか? 学院長」
「莫迦者。そんな真似するわけないだろう。ただのコーヒーだ」
真顔で問う師匠さんに、呆れた様子で否定する学院長。
その一方で渋い顔を浮かべるペイルには、隣に座っていたクロヴィスが動いた。
「なんだよペイル、もしかしてコーヒー飲んだことないのか?」
「うん……いつもお水だけ」
「そりゃあ健康的っつーか味気ないっつーか……まあいいや、これ飲めよ。さっき買ってきたやつ。まだ口付けてねえから」
そう言って、缶入りの水を差し出すクロヴィス。
多分、私が目を覚ます前に売店で買ってきたものの、すぐに話し合いが始まったことで飲む機会を逃していた物なのだろう。
「ありがとう、クロヴィス。……えっと、これ、飲む?」
「え゛」
口を付けたカップを差し出すペイルに、困惑の低音を鳴らすクロヴィス。
ペイルのそれは、受けた親切に対し、何も持たないながらに何かを返そうとしたがゆえの行動であるのは明白だ。
普段の彼であれば迷うことなくそれを受け取っただろう。
しかし……これは私の推察だが、クロヴィスはおそらくコーヒーが苦手なのだ。
見れば彼のもとにはカップは用意されていない。
それはつまり、学院長の用意するコーヒーを避けて売店で水を買ってきたということを指しているのだろうし。以前の雑談で、カフェの甘めのドリンクに造詣が深そうな一面も見え隠れしていた。
あるいはただ単に、正体不明の人物との間接キスを恐れているという線もあるが……さすがに穿った見方がすぎるか。
いずれにしても、受け取るか否かという逡巡が伝わってくる、一瞬の後だ。
そっと、カップに手が伸びた。
「甲斐性のない弟子で悪いな。代わりに師匠が受け取るよ、お嬢ちゃん」
師匠さんの手だった。言って、ぐいっと一息で飲み切る師匠さんだった。
しかも見間違いでなければ、ペイルが口を付けたところから、躊躇なく。
「――ともあれだ。葬儀の情報が知りたいなら、あのバニーさんを口説き落とすか、お嬢ちゃんのアトロポスの輪を切って記憶を覗き見るしかないわけだな」
空になったカップを置いて、さらりと総括する師匠さん。
ペイルを目の前にして記憶を覗き見るとは、なんとも堂々とした宣戦布告だったが、それゆえの潔さも感じられたからだろう。
こくりとペイルは無言で頷いて、それでこの話はここまでということになった。




