第7話『歳月の幻灯』
♰
学院の湖から月の海へ。
ノーザンクロスからサザンクロスへ。
上空三十メートルほどの高さで周遊していたこの『柩在列車』とやらは、柩を射出した後、降下を始めた。
緩やかな角度で月の海の水面に着水した列車は、この広大な海原に儀式場を形成するかのように環状線路を生み出し、その輪の中心で向かい合っている二つの柩の周囲をぐるぐると廻っている。
なんだろうな、柩を軸としたメリーゴーランドみたいな感じだ。
そして中心に立つ――剣を抜いた片方と、対話を求めたもう片方。
二人の少女は刹那の間だけ剣戟を繰り広げ、そしてどういうわけか、白髪紫眼のほうが相手の刃を受け入れたようだった。
奇天烈な花で形作られた首輪が水面に落ちる。
首輪を失った少女の手足に柩から伸びてきた蔓が絡みつき、そのまま引き摺り込まれるように納棺される。
とぷん、と本来の性質を取り戻したように柩を飲み込む、月の海。
水底に沈んでいく柩は、どういうわけか燃えていた。
葬儀とか言ってたが……あれじゃあ本当に火葬だ。
「なあバニーさん。あのマリモって子は無事なのか? 柩が海の中で燃えてるぜ」
座席の側面に背中を預けていた私は、同じく通路に、それも真ん中に突っ立って柩の行く末を眺めている男――確かゴドー神父とかって呼ばれてたか――を挟んだ向こう側。
先頭車両へと繋がる扉の前で佇む、バニーガール姿の女に声をかけた。
……なんであいつ、バニーガールの恰好なんかしてるんだろ。
まあ私もこっちじゃあまり出回らない着物、それも黒無地の振袖姿でやってるわけだし、とやかく言える立場じゃないけどさ。
よくよく見ればゴドーだって、神父というわりには牢屋の中に入ってたのかって感じの風貌だし。車窓からの景色は中々に幻想的だが、車内はムードの欠片もないヘンテコ空間だよな、これ。寝てるやつも三人いるし。
さっきの少女と神父のような再会の演出は……今はもうできなそうな雰囲気だ。
なんてことを考えていると、バニーさんが微笑んでくれた。
煽情的な衣装であるにもかかわらず、妙な薄幸感のある笑みだ。
「今頃、柩には『末期の水』が満ちています。彼女にその意思があれば、『アナスタシスの福音』が響き渡るでしょう」
「答えになってるんだが、なってないんだか……」
分からないことを分からない言葉で説明すんなって……と呆れていると、窓の外の景色に変化が起こった。
海中に沈み、そして燃えている柩。その周囲に波打つ光が発生し、それが泡となって浮き上がってきたのだ。
次は何が起こるのやら、とすっかり観客気分になって車窓の外に目を向けていると……不意に、声が聴こえた。
『―――私の永遠を、あなたに捧げます』。
マリモの声。遠い。エコーのかかった。ノイズの混じった。映像でいう回想シーンみたいな声。それが聴こえた。海がシャボン玉を吹いている。水面を通して薄膜に投影される光景。それは次から次へと無数に浮かんで、流れて、弾けていく。
『現実……押収……――――空想、展開――――』、『愛を受け取れなかったはずの私の中に、それを見てくれた人がいるんです。だから、それに報いるためにも、諦めたくない――』、『まだ、私には見えている……』、『勝ち負けじゃないのよ! 私が望むモノは……!』、『ゴドー神父。あなたが連続殺人犯――『転生者狩り』』、『罪を背負って生きることを、贖罪を行うことを私は私に赦そう』、『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――』、『殺してくれてありがとう。殺させてしまってごめんなさい』、『私の名前は毬萌樹奈。よろしくね、桐依』、『そうよ。私は逃げたのよ……だから、次は……もう』『メサイア……コンプレックス……』、『違う。私は愛されていた。だけど私は、それを受け取ることをしなかった。それがあって当然のモノだと、信じて疑わなかった』、『ねえお父さん、アイスは……?』、『お母さん! 樹那、どーしてもアイスが食べたいなぁ!』――。
「『歳月の幻灯』――今際の際、走馬灯のようによぎる、過去の記憶です」
歳月の幻灯。まぼろしの……あかり。
つまり柩は今、幻灯機となり、揺らめく水面に、浮かんだ泡というスクリーンに、ひとりの少女のこれまでの人生を投影している、と。
ある罪とどうしようもない傲慢を宿した令嬢に仕える物語を。
時の檻の中で殺人鬼と対峙しながら自らに赦しを与える物語を。
お人好しのカササギと、冷たい抱擁を授ける神父と出会い続ける物語を。
些細なきっかけ母親を失い、懺悔のために愛を求めた少女の物語を。
断片的に流れる映像を――何よりも美しいものを見ているかのように、何よりも悲しいものを見ているかのように、バニーさんは瞬きもせず瞳に収めていた。
ま……人に歴史ありってやつだよな。
だけど向こう側の住人だろうバニーさんはともかく、まだこっち側に留まるやつが、無遠慮に覗き見ていいモノでもないだろう。
自嘲するように舌先で牙をなぞり、私はそれを視界から外そうとした。
……の、だが。
マリモジュナ――あの少女の記憶には、ちょっと無視できない部分があった。
それは少女が私の『次』である事実だったり、探しているのに一度も会えないキリエと知り合いである事実だったり、今とは違うあの亜麻色の髪に覚えた違和感だったりするのだが、今は。
「アンタ、あいつとただならぬ関係みたいだけど」
表情を探るように首を傾げて、不吉な気配を纏う男に向けて言う。
突然列車に乗せられて月の海とやらにまで連れてこられて、わけわからなくて混乱してる中でも、そりゃあ驚くわけだよな。
――ゴドー神父。
自分が逮捕に関わった殺人犯と、こんなところで再会したんだから。
「…………」
男はこちらを見向きもせず、無言を貫き通している。
「ま、オレは部外者だし経緯はどうでもいいさ。だがこれから殺しをやるつもりなら……さすがに止めとかないと寝覚めが悪い」
牽制のために鯉口を抜く――つもりが、普通に獲物を持っていなくて、なんだか間抜けなポーズになってしまった。習慣とは怖いものだ。
それでも面倒事の気配を察知してくれたのか。
ゴドーは仕方ないとでも言うように一息吐いて、そっと首元を晒した。
そこには首をぐるっと一周するようにタトゥーが――おそらく檻の外でも鎖に繋いでおくための安全装置が――刻み込まれていた。
「……首輪はちゃんと付けられてるってわけね」
下手な真似をしようとしたらどかんって感じのヤツかな。
それを管理してるのがどこのどいつかまでは不明だが、とりあえず脱獄とか無計画に牢屋から連れ出されたとか、そういう可能性はなさそうだ。
なら、と私は次の問題に意識を切り替える。
視線は再び車両の外。泡の浮かぶ海の上に立つ、もうひとりの少女を見る。
「……あの紫髪が持ってるの……模造聖剣、だよなぁ……。まさかこっちでも見ることになるとは。よほど縁があるらしい、は、は、は」
渇いた笑いが漏れる。どうしようもなく、零れ出る。
着の身着のままでナイトウォーカーらしく散歩してたらこれかよ、まったく。これが運命ってやつなのかねぇ。
「――――ん」
目を細めて、水底を見る。
燃えていた柩の天板が外れて、中から白髪の少女が這い出てきた。
水面に、水上に向かって手を伸ばし、必死にもがき足掻いているマリモ。
けれどその手足には、深淵へと引き込む鎖のように、蔓が絡みついていて。
それを振り払おうと、引き千切ろうと、何もかもに逆らって少女は上を目指す。
まるで、飛べないことがはっきりしている濡れた翼を、それでも諦めずに上下させているみたいな……無様で醜い姿。
だけれどそこには、比類なき輝きを放つ強い意思があった。
少女は空高く飛べずとも、確かに眩しく羽ばたいていたのだ。
――――生きるために。
そしてついに、その指先が水面に届いた瞬間。
雪が、舞い上がった。否……それは灰だった。
月の海が、まるで噴火でもしたみたいに巻き上げる、灰の雪。
不意に、列車の先頭車両のほうから甲高い音が鳴り響いた。
祝福を告げる鐘の音のようなそれに、思わず肩を震わせる。
「――と、びっくりしたー……なんだよ今の音。警笛か?」
「福音です。彼女は見事、月の引力に抗ってみせました」
……ああ。さっき言ってたアナスタシスの福音ってやつね。
じゃあマリモは勝ったわけだ。生きるか死ぬか。自分との戦いに。
いや、さっきの記憶を見るに、『今回も』勝ったと、言ったほうがいいのかもしれない。
灰色が降る。
舞って、吹かれて、ゆらゆらと落ちて。
それを濡らして溶かした海に、花が咲く。
無機質な月の海に芽生える白と緑。
それを目で追ううちに再度水面に視線をやって、そこではたと気付いた。
「……あれ。どこいったんだよ。あいつ」
「湖畔にいらっしゃるかと。ほどなく当列車もノーザンクロスに戻ります。本日の運行は終了いたしました。どうぞお客様方も、今夜はお休みください」
どうやらこれで儀式は終わりみたいだ。とりあえず、今夜のところは。
「やれやれ……またジェットコースターみたいに揺られなきゃいけないのか……」
また変なことに巻き込まれちまったな、と思いつつ手近な席に座る。
さて、湖に戻ったらマリモの無事を確認して、それからほかの寝てるやつも含めて寮に送る……いや、いっそのことあそこに運ぶか。
実際に頼りになるかどうかはさておき。
困ったときは先生を頼るってのが、学生のセオリーだからな。




