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ビニース・ザ・ムーンロード -恋と列車と月に捧げる葬儀-  作者: 悠葵のんの
第二章《サザンクロスを廻る列車》
23/25

第21話『言葉よりも、記憶よりも』

     ☆


『柩在列車《トロイメライ・トレイン》――次の駅は月の海『サザンクロス』、『サザンクロス』――』


 八月三日。午前零時を過ぎた頃。いつもとは違うペイルの歌によって列車内に転移した乗客一同は、四度目となる葬儀を行うべく月の海にやってきた。


 今回葬儀を行うのは、クロヴィスとハイネ。

 通路に並び立つ二人を見て、私はそう判断する。

 前回のリベンジ……ということだろうか。いえ、それにしては二人とも、意識が別のところに向いているような。


 私が眉根を寄せると、今回はしっかり魔導具《パルマティア》を持ち込んだクロヴィスが告げた。


「相手してもらおうか、オッサン。そっちもそろそろ、葬儀に参加した目的を果たしたい頃だろ?」


 オッサン……この場で年上の男性となると、その言葉が示す相手は間違いなく。


「問おう、クロヴィス・ヴェルター」


 向けられる眼光をものともせず腕を組み、席に座ったままのゴドーが言う。


「君は一度死に抗ってみせた。二度目も同じことができるか?」


 それは紛れもない挑発だった。

 アトロポスの輪を切られれば、クロヴィスは死と向き合うことになる。

 前回ハイネにそれをされた時のように。

 そして死の誘惑とは、一度退ければ二度と訪れないモノでは断じてない。

 前回は大丈夫だったからという慢心が、むしろ致命的になってしまう可能性は十二分にある。


 ゆえにこの挑発は、クロヴィスに過去の敗北を意識させる挑発であるのと同時に、葬儀に参加することの危険性を改めて認識させる警鐘でもある。

 それを受けたクロヴィスは。


「一度も乗り越えたことないヤツから言われてもな。ご心配どうもありがとうとだけ言ってやるから、さっさと始めようぜ」


「――――――」


 返事は無かった。クロヴィスがバニーさんに目配せしても彼は席に座り続け、二人して柩(ひつぎ)の中へと落ちていく。


 ついにゴドーが……葬儀に参加する。それも相手はクロヴィス。

 柩に納められた二人はやがて月の海へと送り出されるのだが――その前に。


「バニーさん――私も」

「乗務員、オレも――」


 不意に重なる、私とハイネの声。

 そしてそのどちらもが、バニーさんへと宛てられた声であり――自分も葬儀に参加させてくれ、という訴えであった。


 共闘か。別件か。両者の意図を見抜いたのかは分からないが、バニーさんは華美な格好とは裏腹に儚げな笑みを浮かべて、落ち着いた声でこう答えた。


「どうぞ焦らず、席にお座りください」


 私とハイネは頷き、そしてお互いに一度だけ、その本意を探るように視線を交わしてから、列車に身を預けた。


『出柩(しゅっかん)いたします。葬儀の間、この列車は停車いたしません』


 暗転。響く機械音。全身を包む浮遊感。あまりにも軽やかな着水。

 柩の中を埋め尽くしていた花は首に、あるいは右腕に、あるいは左足首に、あるいは右手首に絡みついて『アトロポスの輪』を形成する。


 ――『死装束《レーテ》』を身に纏い、開かれた天板から柩の外に出る。


 彼方まで続く銀河と、深淵へと繋がる海の狭間。

 世界の果てのようなこの場所で、何かが葬られては蘇る四人の……否。


 ――――五人の葬儀が今、幕を開けた。


     ♰


 ……花が変わってるな。

 前はいわゆる南国風的な見た目だったけど、今回は紫色の……稲っていうか、まあ似たような感じ。どうだっていい。それにしてもだ。


 周囲を見渡す。俺の背後のも含めて、四方には柩が立っている。

 海に直立する柩……まさしく儀式めいた神性さ、あるいは不気味さすら感じる光景だが、そこも別に構わない。


 問題は、なぜ柩が四基あるのかということだ。

 一人はゴドー。一人はハイネだろう。だがあとのもう一人は……まさか?

 疑問に思った次の瞬間、柩の中から白い長髪が、まるで風を招き入れたカーテンのように揺れて出てくる。


 ……やっぱりマリモさんか。

 あの人の纏う死の気配はここの空気と似ていて、なんか現れてもおかしくない、そんな不思議な感覚があるからな。自然と納得できた。けど同時に驚きもした。


 だってあの人、『絶対無血領域《ぜったいむけつりょういき》』なんてアホみたいな魔法を編み出すぐらい死に抗ってるはずなのに、何回葬儀に参加するんだよ――って。


 さっきは平然と返したがゴドーの発言はごもっともで、死の引力なんてのは乗り越える超えないではなく、相対するだけで常識を生きられなくなるモノだ。

 それなりに慣れてるつもりの俺ですら、極限の痛みや苦しみの前には、理性が無意味になりかけるとこまで打ちのめされるのに。


 そうまでしてここに来たってことは……目的はあの神父か?

 個人的な擁護か、あるいは。

 ヤツの記憶に刻まれた機関の存在から、俺たちを保護するためか。


「――――――いや」


 出方を窺うよりも早く、マリモさんは踵を返して柩の側面に回り込み。

 まるで部屋の模様替えでもするみたいに、両手を突いて柩を押し始めた。


 その進行方向たる水の上には……何もない。上にはな。だが水面下は別だ。

 マリモさんがあのまま二十メートルほど進めば、その水面下には、五基目の柩が沈んでいる。


 魔導具《パルマティア》を構える。引き金に指をかける。

 ――マリモさんの本命がそっちなら、このまま遠慮なく始めさせてもらうぜ。


「――――」


 俺は左の指先に力を入れて、ある一振りの日本刀、その鞘に外付けされた引き金を引いた。

 響く発砲音。内部で炸裂する魔力弾倉《パトローネ》。足元に展開される魔術式。同時に機械音が報せる次弾の装填。ここまでで一秒弱。


 そして今から十秒間――鞘内部に仕込まれた加速術式が、待機状態に入る。

 この状態で抜刀しなかった場合、加速術式はそのまま俺の身体に適応される。


 つまり。

 俺は常人離れした移動速度を発揮し、三秒とかからずゴドーの懐に入り込める‼


「ふぅ――はッ‼」


 姿勢を低くして全身を槍のように伸ばし、一点集中、握った左拳を叩き込む。

 まるで、眼前で花火が炸裂したような振動。

 それは俺の拳から全身に広がっていき、さらに月の海へと伝播しては、衝撃波を可視化するように水飛沫が上がる。


 手応えは…………ナシ。


「なんで素手で止めてんだよ……! このッ‼」


「………………」


 岩や壁を殴った感じとも少し違う。

 打ち込んだこちらの拳が砕けていてもおかしくない、つーか絶対ヒビぐらい入ってる、まるで山そのものを相手にしているみたいなこの存在の分厚さ。


 魔力を使った身体能力の強化は、魔術師の初歩たる技術だ。

 だからゴドーがそれをやっていても別におかしくはないが……しかし何か、もっと異質なモノの気配を感じる、気がする。


「ちッ……」


 断じて甘く見ていたつもりはない……が、認めよう。

 俺は心のどこかで、こいつの実力を低く見積もっていた。


 こいつは人殺しだ。転生直後の人間を何人も殺してきた『転生者狩り』だ。

 しかし見知らぬ世界に来たばかりの人を襲うなんてのは闇討ちのようなモノで。

 その手段を敢えて選んでいるわけではなく、それしかできないからそうしているのではないか――そんな疑念と、そこから来る油断があった。


 ゆえにこそ、この試しの一手は生み出されてしまった。


 ……念のため左拳で打ち込んだのは不幸中の幸いだったな。

 右だったら最悪、この一撃で刀を握れなくなる可能性すらあった。



 だから、ここから先は――――文字通りの真剣勝負をしよう。



 俺の拳を涼しい顔で受け止め、必要以上の戦闘は行わないとでも言うように、次の一手を待っているゴドー。

 そんな不動の男に、その右手首に絡みついた白百合の花輪に、照準を定めて。


「――ッ、――!」


 右の人差し指で鞘の引き金を引き、即座に中指で別のスイッチを押した。

 再び展開される魔術式と、その刹那、銃弾のように射出される刀。

 射線上にはアトロポスの輪。

 当然ゴドーは掴んでいた俺の拳を放すことで回避する。


 これで拘束は解かれた。

 間髪入れず再び引き金を引いて術式を展開。足をバネのように使い全力跳躍。

 空中に放り出された刀に難なく追い付き、右手でキャッチ、そして跳躍が落下へと切り替わるその瞬間、納刀し居合の構えに移行――三度引き金を引く。


 今回は魔力弾倉《パトローネ》の出し惜しみはナシだ。

 念には念を入れてあと二セット懐に忍ばせているので、勝敗がどちらに転ぶにしても使い切ることは絶対にあり得ない。

 さあ、もう逃げられない間合いだぞ。


 解き放たれるは神速の抜刀。

 夜の現身たるこの黒き刃に、殺人者(アンタ)は何を差し出す――――‼


「ふ――ッッッ‼」


 鯉口を切った、次の瞬間。


 ――――がぎーーーーーん‼‼


 耳をつんざく鈍い音が響いた。

 それは紛れもなく、刃と刃が交わり合う音だった。


 得物を持っていた――⁉ いや関係ないッ‼


 加速術式によって最高速へと押し上げられた居合切り。

 俺はその勢いに任せて、思いっきり刀を振り抜く――。


「チィッ……」


 手応えは、微妙と言わざるを得ない。

 神速の居合いはそれでも威力充分だったらしく、ゴドーを後退させ、さらにその反動で俺を安全な着地に導いてくれたが……すぐに顔を上げて一瞥すれば、相手に傷らしい傷は一切見当たらなかった。


「おいおい……これでもこっちは絶対に折れない刀なんだぜ……? それを防ぐ得物なんて――」


 予感するまでもなく、俺の目はそれを捉える。

 ゴドーの手に握られた一振りの――――剣(つるぎ)を。

 柄から切っ先に至るまでのすべてが黒く、脈打つ血管のような鮮紅のラインが刻み込まれた、神の位と同格の剣を。


 アレはまさか……。


「前に聞いた、こいつの元型《アーキタイプ》、とか言うんじゃねえだろうな……? 聖剣――何番目だ?」


 あの男、マリモさんと同じ『起源の剣』を引き抜いたヤツだったのかよ。

 そんな資格があるようには到底見えないが……いずれにしても、あの身体能力は聖剣の能力か? ほかにも能力はあるのだろうか?


 なんて、馬鹿正直に訊いて答えてくれるわけもない。

 こちらから動いて探るしかない――相手の力を引き出すため、常に全力で息つく間もなく、だ。

 引き金に指を掛ける。

 神速の居合い……相手を押しのけるだけの威力はある。

 俺が息切れする前にタネを明かし、どうにかして一手先を行けば!


「ッ――!」


 俺は剣戟に持ち込むべく、引き金を引いて魔力弾倉《パトローネ》を炸裂、まずは真正面から再度居合い切りを放つため、姿勢を低くして駆け出す。

 一歩、二歩、水面を踏みしめて。低空飛行を行う燕のように風を切って。

 そうして抜刀するまでのコンマ数秒。


「よせ、クロヴィス‼」


 その、僅かな間隙のこと。


「ぐッ⁉」


 突如として、真横からハイネが突っ込んできた。

 体勢を崩し本来の軌道から逸らされた俺は、慣性のまま、目標であるゴドーから少し外れた場所へと転がり込み、それでも何とか受け身を取って転身。

 片膝を突きながらも即座に、ひとまずは反撃できる状態まで立て直す。


「このバカ! 何考えてやがる! 邪魔すんじゃねえ!」


「勝手に決めて勝手に動くな! ……――――――(お前に殺しをさせ)――――(るわけには)……」


「どの口が! お前だって何も言わずにいたくせに‼」


「ハイネ・ヨハネス・ヒルデブラント。やはりお前が機関の……クロヴィス・ヴェルターの立ち位置は不透明だが、記憶に記されているのならば――!」


 互いが互いを睨み合う三者の中で、最初に動いたのはゴドーだった。

 ヤツは俺に目もくれず、力強い踏み込みでハイネに急接近する。


 それを見て、ハイネは苦虫を噛み潰したような顔でルーン魔術を発動した。

 俺との葬儀で使った、水を操るルーン魔術だ。

 奇妙な固定化をされている月の海の水を操り、手元に引き寄せたハイネは、続けて氷属性の魔術を使用。即席で氷の剣を用意し、迎え撃つ構えを取る。


 両者の接敵まで二秒弱――――問題ない。それだけあれば、余裕で追い付く。


 俺は引き金を引いてゴドーに最接近。

 右斜め後方という、死角に最も近い位置から強襲する。

 再度引き絞られる引き金。鞘の内部で炸裂する魔力。火花を散らしながら、暴れ馬の如く飛び出す神速の居合い切りに対して、ゴドーは。


「は?」


 聖剣を――投げていた。

 軽く、空き缶をゴミ箱に投げ入れるみたいに。


 なんだ――聖剣は虚数空間に格納することができる――いつかマリモさんが言っていた――だとしたら手元に再顕現して反撃するつもりか――いや、どう考えても有効な一手だとは思えない――ならばただの攪乱――動揺を誘う一手――しかしいずれにしても、俺にはもう全力で振り抜く以外の選択肢はない――ならば、なんであろうともッ‼


 速度、角度、威力、どれも充分。遮るモノは皆無。

 どう動いても確実にゴドーの右腕ないし右肩から先を両断する軌道だ。

 かくしてこちらの刃が相手の皮膚に到達する、ほんの一秒未満の間隙。


 ゴドーの姿が――消えた。


「――ッ⁉」


 より正確には間合いの外側。

 ちょうど先ほど聖剣を放り投げた位置へと、ヤツは移動を果たしていた。


 これは縮地のような技術などではない。

 文字通りの瞬間移動。空間転移。魔の法則が働いた結果だ。

 そしてこの刃の向かう先――本来ゴドーが居たはずの場所には、持ち手不在の聖剣。考えるまでもなくこれは。


 ――聖剣との位置の入れ替え⁉ クソ、誘い込まれた‼


 空振る居合い切り。そして聖剣を格納し即座に手元に再顕現させたゴドーが、俺の右腕のアトロポスの輪めがけて、下段から迫り来る。


 落ち着け、焦るな!

 一度体勢は崩れるが側転するように緊急回避、そこから加速術式を使えば、立て直しは充分可能だ!

 ルートを組み建て実行の判断を下した、その矢先。


「ッ、‼」


 ――光が、乱反射する。


 肌を撫でる冷気。ゴドーの切り上げは、一瞬だけその動きを止めた。

 というのも俺とゴドーの間にハイネの氷の剣が投擲され、そこを起点に氷柱が生成されたのだ。


 氷柱はゴドーの一刀を受け止め、砕け散りダイヤモンドダストとなる。

 多少は魔力で強化されていただろうが、相手が聖剣では、補強する時点で強度は意味を失くす。物体としての格は天と地ほどの差。


 しかしそれでも、利がないわけではない。


 ハイネは今の一瞬でゴドーに接近し、間合いに入った瞬間、足先から再び氷柱を生成。魔力を総動員してゴドーの足元へとその範囲を広げていく。


 まるで氷柱の剣山めいた光景。

 迫り来るそれらをゴドーは即座に避けては砕いてのけるが、手数は使わされる。

 取捨選択を行い必要最低限の迎撃だけしてもなお……ハイネの魔力が満タンに近い今ならば、絶対的な一を手数で上回る一瞬が、必ず訪れる――。


「ふッ、‼」


 回り込むように走っていたハイネが一歩踏み出す。来たか……ッ!

 俺もそれに合わせて動く。

 これで疑似的ながらも当初の予定通り、二対一の構図になる。

 対するゴドーは、先に対処する相手を俺に定めた。

 理由は単純だ。ハイネの狙いはアトロポスの輪でもなければおそらく他の急所でもない、やる気のない剣筋なのだ。


 せっかく生み出した隙を無駄にするその行動には腹が立つが、しかしそれを考慮し、最大限生かすのが俺の剣閃。

 ゆえにゴドーはハイネではなく俺への対処を優先した。


 聖剣で居合いを受けるゴドー。

 再び鈍い金属音が鳴り響くが、妙だ。音が先ほどと僅かに異なる。


「ッ、――⁉」


 その答えはすぐに判明した。角度だ。ゴドーはこの抜刀を受けるのではなく、受け流すことを選んだ。刀身を限りなく水平に構え、居合い切りを受けた瞬間、膝を折って身を屈め、下から掬い上げるようにしてみせたのだ。


 ――神速の一刀は、聖剣の刃をレールのように走り滑って虚空を切った。


 ゴドーの動きは止まらない。ヤツはそのままハイネを一刀をも受け流す。

 一連の軌道はまるで∞を描くよう。

 そうしてがら空きになったハイネの腹部に、ゴドーは素早く膝蹴りを叩き込み、アトロポスの輪を狙って左足首へと刃を振り下ろした――が、引き金を引いて加速した俺が強引に割り込んで止める。


「ッ――――」


 ハイネを守るメリットがあるかは分からない。

 さっきフォローされた借りを返した、というのにはアレは俺には不要な一手だった。だから多分、ゴドーに対する反骨心が身体を突き動かしたのだろう。


 再びゴドーと刃を交錯させ、剣戟へと発展する――はずのコンマ数秒前。

 今度はハイネが新たな動きを見せた。

 何かを握るようにして、思いっきり腕を引いたハイネ。

 刹那――、


「が――――ッ」


 四肢ごと胴体を何かで締め付けられた。

 よく目を凝らしてみれば、ハイネが先ほどまで無作為に生成していた氷柱から、か細い糸のようなモノが伸びている。

 ……こいつか。いくつもの氷柱を支点にして、まるでクモの巣のようにワイヤーが張り巡らされている。


 属性はなんだ。火から派生した光? それとも操作のみを魔術で行い、ワイヤー自体は実物を使っている? いずれにしても俺とゴドーは身動きを封じられる。


 この程度、この刀やヤツの聖剣ならば容易く断ち切れるだろうが。

 そこはハイネも承知の上、ワイヤーは俺たちの身体そのものを拘束している。

 いくら切れ味の良い得物があれど、振るえなければ何の意味もない。


 ならば……若干の懸念はあるがやるしかない。

 底上げされているのであろう身体能力で強引にワイヤーを千切ろうとしているゴドーを横目に、俺はここで初めて魔力弾倉《パトローネ》のモノではない、クロヴィス・ヴェルター自身の魔力を励起した。


「――――――ッ」


 意識を集中し、拳を握る。感覚としては魂を握り潰し、そこから滲み出た原液を喉の奥に捻じ込んで、全身に行きわたらせるイメージ。

 すると、まるでカッターの替え刃でも飲み込んだような異物感と鋭い痛みがあらゆる血管と内臓に奔り、それは内から外へと発露していく。


 刃――あるいは断ち切るという概念。それが俺の持つ魔力属性だ。


 地水火風から外れた特殊な属性の中でも、使い手にまで影響を与える最悪の外れ値。日常生活においては一般的な魔術すら使えない欠陥属性。


 だがこういうときは、ごく稀に役に立つ……!


「ッ、ぐ……ぁ‼」


 深紅に染まる髪。裂けていく皮膚。

 現出した魔力はワイヤーを覆い、張り詰めていたそれはパチンと断ち切られて――否、それはワイヤーの切れる音ではなく、ハイネが指を鳴らした音だった。


 瞬間、ワイヤーが赤熱を始め、支点となっていた氷柱諸共に爆発した。


「がッ、……は……ッ⁉」


 視界が白く覆われる。氷が高温で溶けたがゆえの水蒸気だろうか。

 魔力が全身を覆っていたのと、多分『死装束《レーテ》』に対魔力効果があったおかげだな……ひとまず胴体はバラバラになってない、が。


 霞の向こう――光が、バチバチと閃いている。


 俺は直感する。

 危機的状況が刺激した生存本能……それによって呼び起こされた絶対的平静が、告げている。

 今、俺とゴドーは爆発によって砕け散った氷柱、それが溶けて生み出された水滴を浴びて、全身が濡れている状態だ。


「ッ――、――‼」


 全力で後退するべく引き金に指を添えるのと、ハイネが雷属性の魔力を付与したナイフを投擲したのは同時だった。

 引き金を引く。迎撃はできない。

 ナイフが到達し感電するか神速で振り切るか、答えは二つに一つで――いや待て、水は確かに電気を通す、けどそれはあくまでも不純物が多い場合に限るはず。


 なら月の海はどうだ? 少なくとも海水とは性質が違うだろう。

 ここが冥府だというのなら、塩湖とは違う文字通りの意味での死の海ということも……いや仮に月の海が純水に近い状態だったとしても、俺の肌や服に付着した水分には不純物が混じり、感電する状態になっているに違いない。

 そもそも魔力が電気を通す役目を果たすことも充分あり得る。


 だが、あのナイフの軌道は俺とゴドーの中間地点を目指している。

 俺たちのどちらかに直接当たるのではなくただ着水するだけなら、そもそも電気が到達することはないんじゃないか?


 根拠などない。検討違いな推測かもしれない。

 だがハイネとは中等部からの付き合いだ。あいつを下すべく張り合ってきた経験が、この身体が、これは本命を仕掛けるときの呼吸とは違うと冷静に訴えている。


 ゆえに俺はその場で納刀し、居合いの構えを取った。

 ――だが、ゴドーは違った。

 光を迸らせるナイフが着水するという、まさにその瞬間ヤツは聖剣を振るった。


 それで、終わりだった。

 それで終わらせたのだ、ヤツは。

 とぷんと間の抜けた音を発して着水したナイフ。

 そこにはもう、光は無かった。

 月の海が純水だったゆえに感電を引き起こすことなく終わった、のではなく、着水する直前にはもう魔力が消えていた。


 俺は似たような現象を、ついこの間、教室で見たばかりだ。

 だから直感で理解できた。


 無効化だ――ヤツは今、魔術の無効化をやってみせたのだ。


 あの聖剣一本でどれだけの能力を持っているんだよ!

 と、文句を言いたい気持ちはあるが、しかし見てみればゴドーの額には汗が滲んでいる。表情には明確な疲労の色。なるほど……さすがに強力な能力ゆえ、一回一回の魔力消費もそれなりらしい。


 どうりでさっきの転移も今の無効化も、中々使ってこないわけだ。

 そう何度も使える手じゃない。ゴドー自身の魔力量、それに聖剣自体にも何かしらの制限があるのかもしれない。


 そんな切り札を、ヤツは今切ってしまった。

 まったく不幸な噛み合いだな。おそらくはただのブラフに過ぎなかったハイネの一手に釣られ、ゴドーは必要以上に消耗してしまったのだから。


 しかし事はそれでは終わらない。

 なぜならブラフには大抵、本命となるその次が控えているのだから。


「ふぅ―――ッ‼」


 ハイネは既に駆け出していた。浅い呼吸を繰り返し、月の海を蹴りながらゴドーに肉薄したハイネは、先ほどの意趣返しとでもいうように、全体重を乗せた蹴りをゴドーにお見舞いする。


「――ぬッ……⁉」


 相変わらず殺気のない攻撃だが、それでも今のゴドーには結構効いたらしい。

 後退し膝を突いた男の姿を見て、ハイネは活路を見出したはずだ。

 アトロポスの輪を切らずに葬儀を終える結末が脳裏に浮かんだはずだ。


 一方で俺は、この隙に励起した魔力を鎮め終える。

 下手すると『切断』の魔力にあてられてアトロポスの輪が切れちまうからな……これで自滅する最悪は避けられたし、戦線復帰も可能にもなった、ゆえに。


「殺せば、二度と以前の自分には戻れないぞ」


「……揺さぶりか」


 眉間に皺をよせ、表情を曇らせるハイネ。


「事実を語っている。覚悟さえあるなら一回も二回も変わらない、などといったことは断じてない。数を重ねるごとに決定的に、不可逆的に変質するモノがある。その苦悩に果ては無く、戻ることも逃れることも決してできない。我々に許されるのは、その場で踏み止まり、背負うことのみ」


「それは遠回しに、自分は死の引力を振り切る自信がないと言っているのか? ならば余計な抵抗はやめて、おとなしくこの場は退け‼」


 言ってハイネは再び生成した氷の剣を携え、ゴドーへの追撃に出る。

 そして俺も引き金を引いて加速術式を展開。多少開いている距離など一息で詰め、動きを合わせて抜刀。俺はハイネの剣を砕いた。


「クロヴィス⁉ 何を……⁉」


 ……ま、臨機応変ってヤツだ。

 どうせ俺がゴドーを追い詰めたら、また横槍を入れてくるに決まってる。

 だがその点、俺がハイネを狙えばそれはゴドーの狙いとも一致するわけで。


 それにこいつは、放置しておくには中途半端に危険だ。


 二重属性使い(ダブルカラー)だとは薄々察していたが、さっきので三重属性(トリプル)、下手すりゃそれ以上の可能性まで出てきやがった。

 そんなの、今の学院に数人いるかどうかってレベルの才能だぞ。


 だがしかし、使った魔術を切り分けていけば、一つ一つは詠唱破棄可能な初歩レベルのモノ。コンボ構築が巧いだけで、器用貧乏とも言ってしまえる。


 だから中途半端。だけれど危険。

 本人は牽制のつもりで敢えて力を見せたのだろうが……それで余計、今のうちに退場してもらいたくなったってわけだ。

 よって先にハイネを片付け、その記憶にゴドーが釘付けになってる間に、俺がヤツのアトロポスの輪を断ち切る。


 なに、ハイネのことだからな。

 なんだかんだ言って死の引力なんて振り払えるだろう。


「――はァ、――ふッ‼」


 かくして、この一刀を契機に俺とハイネの攻防が始まる。

 そこにすかさずゴドーも参戦し、紡がれゆく剣戟。差し込まれる体術。手番を譲る駆け引き、読み合いの数々。


 俺とゴドーでハイネを追い詰め、するとゴドーは反撃するハイネに合わせて俺の消耗を狙ってきて、かと思えば俺とハイネでゴドーを牽制したりと、一手ごとに二対一の構図が入れ替わり立ち代わる、三つ巴の戦いが繰り広げられる。


「ぐ、ッ――おおおおぉぉぉぉ‼」


「――ぬッ、ぐぅぅぅ⁉」


「ハ――、ぁぁアア――ッ‼」


 退くな‼ 臆するな‼ 互いが最善手を指し続けるからこそ成り立つ通常あり得ないこの攻防、一手でもズレたらその瞬間にすべてが崩れて終わる‼ 


 最短を目指し、最速を目指し、ただひたすらに眼前に聳える壁を打ち砕かんとするだけの装置となり果て、やがて俺たちは得物を持ったままでは詰むと判断し、それらを手放し、拳を握って格闘戦へと移行する。


 本来であれば魔力を使った通常の身体強化ができない俺が不利になる局面。しかし自爆覚悟で魔力を励起すれば、俺の身体は打ち込まれた拳を逆に切りつける刃そのものとなる。あとはアトロポスの輪を狙った攻撃を避け、逸らし、受け流し、攻撃に転じることで防御とし、そしてついに。


「――――、ッ……」


 ゴドーが、格闘戦へと移行した際に投げた聖剣との、位置の入れ替えを行った。

 よほど抱えていた負債が大きかったのだろう。

 さらなる消耗を容認してでも、ゴドーは戦線からの一時離脱を優先した。


 追撃するか? いや、そうするには若干遠い、絶妙な位置だ。

 しかしヤツはもう限界に近い。ならばここで、ハイネと決着をつける……‼


「いい加減折れやがれよ、ハイネぇ‼」


「お前こそッ……‼ 目的を見失うな‼」


 ぶつかり合う拳。重い衝撃に骨が悲鳴を上げ、張り詰めた弦のように今にも断裂しそう。けどこのまま打ち合えば、俺の魔力に触れたハイネの拳が寸断されるほうがずっと早い‼


 揺らぐ視界。ブレる意識。呼吸なんてもうずっと整っていないし。食いしばりすぎて奥歯が砕けている。身体中の血管がぶちぶちと千切れていっている感覚がある。分かっている。俺とハイネが戦う意味なんて本当は無いんだってこと。正しい方法はきっと別に存在していて。傍から見れば滑稽で嘲笑われる行為でしかないってことは理解している。だけど――だけどォ‼


「お前はオレに守られていればいいんだ! 何もしなくていい! オレが……オレが全部何とかするから! 今度はきちんとやるから‼」


「意味不明なコト言ってねえで現実見ろ‼ テメーは弱いんだよ‼ それを分かれよ‼ ひとりで勝手な使命感抱いてんじゃねえぞ‼」


 こんな‼ 目の前にいる俺じゃなく別の場所(過去)を見ているコイツには‼


 意地でも負けたくねえだろうが――――ッッッ‼


「おおおおおォォォオオ――――‼‼‼」


 咆哮と共にハイネに突っ込む。しかしそれは容易く避けられて腹部に一発蹴りを叩きこまれるが、俺はその勢いのまま即座に後退、そしてその先には、邪魔だからとさっき取り外した鞘……!


 狙い通り鞘を回収し引き金を引いた俺は、体内に残留し続ける鈍痛を無視して、加速術式に身を預ける。水飛沫を上げながら駆け抜け角度を調整し、ハイネめがけて最大速度、全体重を乗せた拳を打ち込む‼ が、しかし。


「は――――――あッ⁉」


 躱された……躱された⁉ しかも今のは加速術式だ!

 元々使えたのか? いやだとしたらここまで温存する意味はなんだ?

 まさか……けど、それしか考えられない。


 模倣《コピー》したんだ。あいつは相手の術式を目で盗めるんだ……‼


 三年以上も秘されていた衝撃の事実……はっ、ははっ――――だからどうした‼


 全力の叩き込みを躱されたが、しかしこれも想定内!

 俺は月の海を転がりながら水面の上に投げ捨てた刀を回収、納刀、転身して引き金を引き、再度ハイネへと肉薄する!


 さすがに俺自身の魔力も加わった神速の居合切りは、躱すことも受けることも現状では不可能だと判断したのだろう。

 ハイネは全魔力を総動員して加速術式、氷柱という盾の生成、それからまた新しい一手による反撃を試みるが――――いや、もう詰みだ。


 ハイネの足元に無数の魔術式が展開され、魔的法則が実行される、その僅かな間隙――まるで遠雷のように、視界の端でもう一振りの黒刃が閃いた。


「ッ、しま――⁉」


 瞬間、ハイネが講じたあらゆる防御や反撃の手立てはすべて無に帰した。

 ゴドーが聖剣で無効化したのだ。

 成す術を失くしたハイネはほぼ反射的に防御の構えを取ったが。


 俺は――何よりも静かに抜刀した。

 浅く息を吐いて。散らばりかけていた感覚を束ねて。研ぎ澄ませて。

 本来の間合いの一歩手前から、真上へと向けて。


 それからもう一歩分踏み込み、振り上げられるはずの一刀を振り下ろしの型へと可変させる。

 加速術式も他の魔術も使用しない、純粋なる剣の技。


「――――――、」


 落花静謐。水面すら凪いだまま――これがクロヴィス・ヴェルターとハイネ・ヨハネス・ヒルデブラントの、決着の瞬間だった。


「何も選ばなかったお前の負けだ、ハイネ」


 俺との一対一にもつれ込んだ時点で、そしてその状況を打開しようとしなかった時点で、この結果は決まっていた。

 なぜなら俺がハイネを倒すことはゴドーのメリットになるが、その逆はない。


 つまり戦線離脱したゴドーが再び介入する際にもたらされる変化は、ハイネの不利、翻って俺の有利になる可能性が極めて高い。

 そしてここ一番って状況を作ってやれば、俺がその主導権を握ることができるってわけだ。


「ふぅぅぅ――――よし」


 いつでも引き金を引けるよう構えながら、体内に籠った熱を吐き出すように深呼吸、そして納刀を済ませる。

 このまま即座に次戦へと移行するか。弾倉交換を済ませる余裕はあるだろうか。……いくつかのルートを組み立てながら、ひとまず俺は『次』を見据える。


 ゴドーは、少し離れた場所で仰向けに倒れていた。

 あまりにも無防備とも言わざるを得ないが、さっきのハイネへの干渉で魔力を使い切ったのか? 少なくとも意識はまだあるみたいだが……と、俺はゴドーの視線の先を追いかけた。


 向かう先は彼方の水底。

 そこにはルカの柩と、そして俺たちが戦っているうちに新たに沈んだのだろう、マリモさんの柩。

 魚心あれば水心……ってやつなのかね。

 ま、悪いがその隙を見逃せるほどお人好しでも、ここまで来た意味を忘れるバカでもないんでな。

 俺は居合いの構えを取って引き金を引いた。


 瞬間――――俺のアトロポスの輪が、あっけなく散り落ちた。


「あ」


 やられた⁉ ゴドーに⁉ い――いや、何かをしたようには見えない。ならハイネが置き土産でも仕込んでいたのか……⁉

 なんて……んなわけねえ、よな。ああ、ホントは分かってるよ。


 「……マジで何やってんだよ、俺……」


 自前の魔力を使いすぎた。だから、まあ、つまり。さっき危惧した通りに、体外へと現出した『切断』の魔力が花の腕輪を切っちまったんだ。

 言い訳のしようもない……自滅。

 一応即座に引き金を引いて最後の悪あがきを試みようとしたものの、すぐに柩から伸びてきた蔦に拘束され、俺はあまりにもあっさりと納棺されてしまった。


「……ったく、もう見せるモンないっつーの」


 だから、だろうか。

 月の海に沈み、末期の水とやらに身体が浸っていく中。


 ――記憶を見た。


 俺の頭の中には無い景色。

 ハイネ・ヨハネス・ヒルデブラントの走馬灯。

 消したくても消せない、かつて犯した罪の記憶を――――。


     ♰


 ――がーん、がーん、がーん。


 音が鳴っていた。何度も何度も。永遠だと思えるほどに。

 それは鐘の音の残響のようにも聞こえたし。

 同時に鈍く響く打撃音のようにも聞こえた。


 やがて、音が止む。

 目の前には変色し始めた血液と粉々になった肉片。

 それを見て、ああ、と気が付いた。

 響いていたのは、祝福の音などでは断じてなくて。


 父を――金属バットで殴り殺す音だったのだ、と。


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