第2話『ノーザンクロス湖』
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形而上調和課――通称、ケイジ課。
私ことマリモジュナが『親愛なる光輝』の称号を授かるのと同時に、その権限を以て立ち上げた組織である。
……まあ、組織といっても今のところ私ひとりしか居ないのだけれど。
高等部校舎の四階に居を構えるこの課の目的は、学院内で起こる不和の調和――生徒たちの抱える問題に寄り添い、解決あるいは解消できるよう手助けをすることにある。
ざっくり言えば、お悩み相談室みたいなものだ。
相談者は今回の女生徒で五人目。
まだ決して多い人数とはいえないが――多ければ良いというわけでもないのだが――ありがたいことに、これまで課を訪れた相談者たちが良い評判を流してくれているからだろう。
女生徒はルカの友人である私を、それでも公平な立場を取ってくれる人物だとして、わりとフレンドリーな物腰で事情を話してくれた。
まずルカを襲った理由。
これについては、本人が声高に叫んでいたので既に判明している。
が、その補足情報として。彼女――エレーナは高等部の一年生で、私やルカと同級生であり、ちょうど去年の今頃、中等部三年のクラスに編入してきた転生者だ。
元々、魔的法則に関する知識を有していたのだろう。
同じ転生者かつ編入組ながらも、魔導の初心者すぎて一学年下のクラスに振り分けられた私と比べて、彼女の学年が変動することはなかったらしい。
教室に乗り込んできた彼女がスムーズに魔術を行使し、そして襲撃を最後までやり遂げることを選択できたのは、根本的な部分に、そういった慣れがあったからなのかもしれない。
……無論、自棄になっていたからというのもあるとは思うが。
エレーナには先の通り、交際関係にある同級生の男子がいる。いた、と過去形でないのは、まだ一応関係が続いているからだ。
付き合い始めたのは去年の夏休み中。編入生だからと何かと世話を焼かれているうちに、交際関係に発展したらしい。
二人の間には特に喧嘩もなく、仲は良好そのものだった。
少なくとも先月までは。
というのも彼女曰く――彼の髪型や服装、食べ物の好みなどに、上手く言えないがこれまでとは異なる一貫性が出始めたとか。エレーナ宛ではない、プレゼント用のラッピングがされたアクセサリーを買っていたとかで。
つまるところ恋人であるエレーナ以外に、彼に強い影響を与える何者かの影が見え始めたらしいのだ。
深く悩んだ末、エレーナは恋人を問い詰めることにした。
たとえその猜疑心によって、彼の心が決定的に離れてしまうとしても。
それでも覚悟を決めた。そして彼は答えた。
誤魔化すでもなく平然と、むしろエレーナがそう言い出すのを待っていたとでもいわんばかりに。
『僕は確かにルカ・フローレンスと付き合っている。
で、どうする? 別れる? 君が望むなら、このままでもいいけど』――と。
一通りの話を聞き終え、とりあえずの事実確認を行ったその日の夜。
午後十一時半を過ぎた頃、私は女子寮を抜け出して校舎へ、さらに途中で横道に逸れて北の森へと向かった。
なぜ寮長にバレたらお説教確定の結構な規則違反をやらかしているのかというと、外で待ち合わせをしているからである。
いえ、正確には呼び出しを受けたと言ったほうがいいかもしれない。
相手は渦中の人物であるルカだ。
諸々が済んだ放課後、話を聞くために寮の彼女の部屋を尋ねたところ、夜中に湖を見に行きませんかと誘われた。
北の森を超えた先にある湖――『ノーザンクロス湖』のことだ。
彼女の真意は分からなかったが、そうすることで本心を吐露しやすくなるのかもと考えた私はそれを了承。そして今に至る。
歩を進める。街灯のある石畳から月明かりだけが照らす芝生に入り、指定された場所を目指す。
そうして……森の手前。
きちんと整備されているわけではないが、それでも何となく入り口だと思われる空間の前に、可愛らしいストロベリーピンクの髪の彼女はいた。
「こんばんは、マリモさん」
「こんばんは、ルカ。待たせてしまった?」
「いえ全然! むしろ分かりにくいとこ選んじゃってすみません。けどここの道、校舎から真っすぐ行くより歩きやすいんですよね。どうぞ、こっちですっ」
柔和な笑みを浮かべて、優しくエスコートしてくれるルカ。
相変わらず、声音や所作などから細やかな気遣いが伝わってくる子だ。
相手を想った行動をさらりとやってのけて。
かといって自分を蔑ろにしているわけでもなくて。
彼女とふたりでいると、いつも以上に息がしやすいと感じる。
一緒に居て前向きになれるし、私も彼女にとってのそんな友人でありたい――そう思える存在なのだ、ルカは。
だからこそ、どうしても考えてしまう。
昼間の話が何かの間違いであってほしいと……願ってしまいそうになる。
「……どうして寮を抜け出してまで、夜中の湖に?」
なんとなく口を突いて出た疑問に、ルカは軽くこちらを振り返り、微笑みながら答えてくれる。
「月が綺麗だって委員長におすすめされたんです。ノーザンクロス湖はかなり大きくて、今日みたいな日は水面にムーンロードができて、とても幻想的な光景が見られるんですよ」
「……へえ。見るのが楽しみね。なんだかんだ私、まだ行ったことなかったから」
「それに月が綺麗な夜の湖畔なんて、普段は話せないことも話せちゃいそうな、良いシチュエーションじゃありません?」
楽しそうに言うルカ。
そんな彼女の髪型は、いつものハーフツインからシュシュでゆるくまとめたポニーテールに変わっていて。服装も制服ではなくラフに着崩したジャージで。
校舎に居るときは混じることのない、個人としての生活を纏ったその外見。
制服というある種の鎧を脱いだその姿は、多少込み入った恋バナでもできそうな雰囲気を、確かに漂わせている。
それからここは街灯のない、月明かりだけが頼りの薄暗い場所だ。
じっと覗き込むぐらいでなければお互いの顔も満足に見えない、見なくて済む……そんな状況。
間違いなく、本心を吐露しやすい要因が揃っていると言わざるを得ない。
ルカにとっても――私自身にとっても、ね。
……まったく。気を遣ったつもりが逆に遣われていた。
そしてそのことに、今さら気が付くなんて。
相も変わらず、どうも考えが一歩至らない己の未熟に、自嘲と自省を抱く。
それから私は、彼女の見事な状況設計に甘える形で、湖畔が見えてきたところで話を切り出した。
「ルカ……一応、前話として話させてもらうのだけれど」
「はい」
「昼間の女生徒から一通りの話は聞いたわ。それから彼女が名前を挙げた、ルカと交際関係にあるという生徒にも、とりあえず四人ほど話を聞いてみた。……全員、あなたと付き合っていると答えたわ」
「そうでしょうね」
「念のため、ルカに別の相手がいることは伏せたけれど……もし言っていたら、また今日みたいなことが起こったかしら」
「いいえ」
ルカは短く、穏やかに、断言した。
「昼間のことは本当にすみません。まさか彼がわたしとのことを秘密にしていたなんて。わたしにとっても寝耳に水というやつです。もちろん彼なりの事情があるのでしょうし、彼に一任したわたしの落ち度でもあります。できればあの彼女さんも含めて、一度きちんとお話したいところですね」
「話をしてどうするつもり?」
「理解を得ます。彼女が彼と別れることを望むなら背中を押しますし、付き合うことを望むなら現状維持、ということになりますね」
「……あなたが離れるという選択肢はないのね」
「彼の望みですから。きっと彼女も理解してくれます。これまでの『みんな』もそうでした」
「これまでって、始まりはいつ? 一体いつから複数の関係を持ち続けているの?」
「初等部の六年生の頃からです」
即答するルカに、言葉を失った。
そんな昔から……だとするならば、副委員長として相談を受けていたところを勘違いされたとか。嫌な想像だけれど何かを理由に脅されて交際を強要されているとか。そういったことは……ないのでしょうね、本当に。
彼女は彼女自身の意思で複数の生徒と関係を結び、保ち、増やし続けている。
もしかすれば、エレーナから聞いた人数以上の生徒と、繋がりを持っている。
「……ルカ。あなたが誰とでも打ち解けられる人であることは、知っているつもり。自分で言うのもなんだけれど、今よりずっと閉ざしていた頃の私とですら仲良くなれたのだもの。あなたはとても素敵な子だと思うし、大切な友人よ」
「ありがとうございます。わたしもマリモさんのこと、好きです」
「嬉しいわ。……けど、けどね。正直私は、あなたが構築した関係に理解も納得も追い付いていないの。ねえルカ、あなたは本当に複数の生徒と恋愛関係を結んでいるのよね?」
「ええ、きちんとカップルですよ。もっとも関係の深さは人それぞれですけどね。キスで例えるなら、おでこやほっぺまでの人から、唇まではという人もいます」
「じゃあその……少なくとも私にとっては大事なことだから訊かせてもらうけれど、相手の誰かと、キス以上のことはしているの?」
「やだなぁマリモさん。わたし、四か月前まで中等部に通っていたんですよ?」
「…………」
ひとまず、私は気を取り直して話を続ける。
「このこと、クロヴィスは?」
「クロちゃん? どうしてクロちゃんの名前が出るんです?」
「幼馴染でしょう? わりと突っ込んだ口出しもできる仲なのだし、止められたりとか、注意されたりとか」
「話題に上がったことはありますが、特には。わたしはクロちゃんに口出ししましたけど、その逆はないですねー。それがクロちゃんにとって丁度いい繋がり、距離感なんでしょう」
……まあ、問題さえ起きなければクロヴィスはその辺り、わりと無干渉か。
それに、単純な慣れもあるのだろう。時の流れがもたらす……慣れ。
実は私はある事情によって、三週間ほど前からルカの動向を気に掛けていたのだけれど、その間、変な噂や今回のようなことの片鱗すら見えなかったのは、きっとそれが理由だ。
ルカを中心とした恋愛関係は基本的に表に出ることはなく、気付いたとしても大抵、ルカか相手方の友人までという、ごく一部の範囲に限られる。
だから関係に違和感を覚えた人が居たとしても、それがどこまでの人間関係に影響が出るか計り知れない以上、むやみやたらに言いふらすことはしないと思うし。
加えてルカは、副委員長になる前から、委員会内で大勢の相談を受ける立場だったと聞く。
私が考えたように、相談を受けている様子がただ親密に見えただけだろうとか。
あるいは委員会で何らかのイベントを行っているのだろう、みたいな。
そんな自己完結によって見過ごされ、違和感そのものが風化してきたパターンも、少なからずあるはず。
だからこそ、これまでルカの人間関係が表沙汰になることはなかった。
まあそれも、問題が起きてしまった今回以降は……分からないけれど。
それでも彼女には積み重ねた信頼がある。
副委員長としての実績。他者のために身を粉にした時間。構築した絆。
もし、もしもルカがエレーナと話をして、それで彼女が理解を示したら。相談を取り下げたら。あの件はもう解決したと、周囲に笑顔を浮かべて見せれば。
今回のことはそれでおしまいで、またいつも通りの日常がやって来る。
……そんな気がする。
けれど……私は。
浮気。プラトニックな関係。セカンドパートナー。多様性。性欲の浄不浄。
恋愛経験のない小娘なりに色々と考えてみるが……やはり私には、複数の恋人を持つだなんて理解できない。
たとえ誰もが問題にしないとしても、私は――。
「らしくないんじゃありませんか、マリモさん」
顔を上げる。髪の色と同じストロベリーピンクの瞳と、視線が重なる。
ルカはしっかり私と目を合わせてから言った。
「マリモさんは他者と分かり合えるよう努力していますよね? そしてその調和の輪がもっと広がるようにと、ケイジ課を立ち上げた。わたしも同じです。同じ場所を目指しているんです。今は理解が及ばないことが多いかもしれませんが、もっとお話をすれば、繋がりを作れば……きっと手を取り合えるはずです」
私とルカが同じ、か。
ええ、そうね。私もそう思う。思っていた。私たちは似ていると。
けれど今は違う。
確かに私は、分かり合うことを諦めていない。
相互理解という祈りを。
反逆という名の流儀を。
利己的利他主義という言葉を――この胸に抱いている。
そうして伽藍の空に墜ちた過去を受け止め、虚無に必死に抗っている。
だけど私の根っこには、それらへの否定が存在しているのだ。
この世には分かり合えない人がいる。
この世には叶わない願いがある。
理想も空想も、現実を前に一瞬にして崩れ去ってしまうほど脆いと知っている。
そう、心の奥底で冷えた眼差しを浮かべている私は、確かに在って。
そして、それを自覚しているからこそ、強く在れた場面があった。
そして、それを上回る祈りがあったからこそ、成せたことがあった。
そう思っている。
でもルカは……そうじゃない。
彼女の根底には多分、無条件の肯定が存在している。
お互いがひとつのテーブルに着いて、理性的な話し合いをすれば、相互理解はいつか必ず実現するモノだと、心の底から信じているのだ。
疑うことを知らないまま、危機的なまでに、怖いくらいに。
だから彼女は言うのだろう。
「――ひとつ提案があります。マリモさんの部屋ってルームメイトいませんでしたよね。なら少しの間、わたしと一緒に暮らしませんか?」
そんなことを、とても切実に。




