第18話『ふたりきり、雨の庭』
♰
それは七月三十日の、お昼休みのことだった。
「――お、いたいた。ペイル」
予鈴が鳴ったので教室に繋がる廊下で待ち伏せていると、狙い通りペイルと会うことができた。
ハイネ、それにクロヴィスも一緒か。
昼食か、校舎の案内をしてもらってたってところかな。
「何か用?」
「ああ。内緒話、ちょっといいか?」
「うん。いいよ」
「弟子とハイネくんは先に戻ってていいぜ。なに、すぐ済む」
私はペイルを階段の踊り場へと連れ込んだ。
内緒話にはまあ適した場所とは言えないが、予鈴も鳴ったし通りかかる生徒はいない。本当にすぐ済む話だし、ここでいいだろ。
「――で、先に確認しておきたいんだけどさ。クロヴィスから何か訊かれたか?」
「……特に大事な話は、してないと思うけど」
「まだ様子見中ってところか……。んじゃ早速本題に入るんだけどさ。あいつが自分の過去について何か訊いてきたら、できる限り話してやってくれないか」
「…………」
おっと、珍しく驚いた顔が見れた。そしてそんな顔も美人ときた。
纏う雰囲気は――輝く夜に儚き月。弟子は幸せものだねぇ。そんな子がひとりの人間として隣に立って、それで好いてくれてるってんだから。
まあそれを自覚したほうがいいのか、そしてそれを確かなモノとして掴めるかどうかは、まだ分からんが。
「ま、一応師匠なんでな。余計なお節介ってやつだ。……ていうか、クロヴィスの魔力属性についてオレが知ってるのは、その基になっただろう存在のことだけで、ぶっちゃけ大した情報って持ってなかったからさ。詳しいヤツがいるなら、そっちに話してもらったほうがいいだろ?」
「…………」
目を細めて逡巡した後、ペイルは言った。
「ねえ――師匠さんって納柩されたら、どうなるの?」
「ん? んー……やったことないから分からないけど、普通に気持ちよく眠って、それで起き上がるんじゃない?」
私は適当に笑ってそう返した。
♰
八月一日。土曜日。夏休み初日にもかかわらず、俺――クロヴィス・ヴェルターは制服を着て校舎を訪れていた。
というのもつい一時間ほど前、ペイルに用事があって女子寮に出向いたのだが。
『ペイルちゃんなら、さっき外出しましたよ。制服着てたから、校舎に行ったんじゃないかな』
と、ロビーで管理人さんに言われたので、一度男子寮に戻って着替えてから、こうして追いかけてきたわけである。
そうまでするぐらいには大事な用件だ。
なにせ俺自身の過去――出生に関わることかもしれないからな。
歳月の幻灯で過去を覗いてからこっち、ずっと機を窺うという体で二の足を踏んでいたが、いい加減向き合わないと。
「お――――ペイル」
校舎に入ってすぐ、窓の外にペイルの姿を見つけた。
場所は中庭。時々委員会の二年生がお茶会とかってのを開いてる場所に、何をするでもなく佇んでいた。
何をしているのかさっぱり見当がつかないが、ひとまず俺も中庭に出る――その直後のことだった。
ふと、イヤーカフ型デバイスから短い電子音が響いた。アラートだ。
前々回の葬儀以降きちんと持ち歩いている魔導具に搭載されているセンサーが、近くで魔術の発動を感知した。
普段ならいざ知らず、夏休みに突入したばかりの学院でこのアラートは、ちょっと珍しいかもな……と身構えたのと同じタイミング。
校舎の屋上から空に向けて、何かが放たれるのを目視した。
あれか。訝しんで睨むとすぐに、ぽつり――鼻先に冷たいモノが落ちてくる。
――――雨が、降ってきた。
太陽の雨とか、狐の嫁入りとか、羊の結婚式とか、そんな風に呼ばれるような、快晴の空が突発的に降らせる雨だ。
さっさと避難するべく、俺はペイルに声をかけようとした。
だけど――。
「――――――」
ペイルは雨の中、静かに佇み続けた。
その場で天を仰いで、目蓋を閉じて、両腕を広げて、雨を浴びていた。
子供じみた好奇心から来る行動にも、何か神性な儀式のようにも思える光景だ。
……声を失う。足を止めてしまう。髪や制服が濡れていくことなんてどうでもいいぐらい、いつまでもその姿を見つめてしまう。
「…………」
すると不意に、降り注ぐ雨と戯れるようにしていたペイルと目が合って。
「――――――」
優しく、微笑まれる。
瞬間、どくんと心臓が高鳴った。……多分。
雨の音がうるさくて、ほかの音は何も聞こえなかったが、そんな気がした。
いっそう激しくなる雨が、そのまま俺の鼓動を表しているように思えたのだ。
中庭なんて見慣れた場所のはずなのに。
雨に打たれるペイルの姿は、幻想的で。
透明な雨粒は何よりも色鮮やかな絵の具のようで。
まるで額縁の中みたいに、彼女とふたりきり、閉じ込められた世界。
胸が熱くて、苦しくて、右手で心臓の辺りを抑えようとした――刹那。
「――――――」
ペイルが俺に向かって言った。
なんて言ったのかは分からない。
だって声は、雨音に攫われてしまったから。
けれど俺たちは、どちらからともなく、中庭のガゼボへと避難した。
「……災難だよな、これ。誰かの魔術っぽいけど」
「ん」
ふとペイルが、スカートのポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
差し出されたそれを、濡れた手で多少苦労しながら広げてみると。
「『気になるあの人と雨宿りをして秘密の話をしようプログラム』……そういや青春履行委員会って、こういうバカなことするところだよな……」
「私は楽しいよ。クロヴィスと雨に打たれるのも、こうしているのも」
濡れた髪を掻き上げて雨粒を振り払いながら、ささやかな笑顔を見せるペイル。
それを見て……誘い込まれたのかもと思った。
チラシは前から配られていたものだろうし。俺が話したがっていることも、その内容含めて予想できただろうし。中庭っていうかなり見つけやすい場所に居たのも……。
「…………」
ペイルを見る。白い肌を流れていく雨粒。濡れて張り付いた髪。白いシャツは透けて。下着の色も形も露わになっていて。あの夜に湖で見た裸体を連想して。ペイル・ルナール・ロッテというひとりの少女の実体を、何よりも確かに感じて。
「……あ、雨が収まったら、すぐに寮に戻って風呂入れよ?」
焼き付くような胸の痛みから逃れるように、目を伏せて言った。
「記憶見たから知ってるだろうけど、俺、服乾かせるような魔術使えないからさ。……ああいや、ペイルはできたりするのか?」
「ううん、できないよ。クロヴィスと同じように、私に許された魔的法則も、ひとつだけだから」
「俺と同じ……なんだよ、それ」
「死を、運ぶこと」
死を運ぶ……あの歌のことか?
葬儀を行うこと、列車を呼ぶことは、死を運ぶって言えなくもない……よな?
「……ところで、マリモさんはその……大丈夫そうか?」
昨日の葬儀を思い出したので訊いてみる。
「昨夜は落ち込んでたけど、今朝は気合いが入った感じだったから大丈夫だと思う。今日は外泊するんだって。私のことは気にしなくていいって言っておいたよ。監視は多分、レイヴンせんせーがやってるだろうし。……マリモのこと、心配?」
「そりゃまあ、吹けば飛んでいっちまいそうな人だし。昨日はあんな……必死で大声出してさ、あんなマリモさん初めて見たから」
「死は、誰だって怖いものだよ。……ルカのことはどう? 幼馴染なんだよね?」
「心配といえば、そうだけどな。あいつの言葉にきっかけを貰ったことはあるし、それなりに一緒のクラスでやってきた思い出もある。けど……俺にはどうにもできないっていうか。俺が口出しするほうが場違いっていうか。……幼馴染なんてのも結局、あっちが作った『形式』でしかないし」
「それでも手を伸ばしてくれたら嬉しいだろうけど……うん、そうだね。なら……クロヴィス。私たちは私たちの話をしよう」
「はい?」
俺は思わず、濡れたままのペイルに顔を向けた。
それからすぐにまた、目を逸らそうとしたけど……できなかった。
なぜならペイルの瞳が、真剣に、まっすぐに俺を射抜いていたから。
「師匠さんから言われたんだ。クロヴィスから何か訊かれたら、できる限りでいいから話してやってくれって。弟子想いだよね」
「師匠が……?」
「それで何が訊きたいの? 大抵のことには、答えるつもりでいるよ」
ペイルはまさしく腰を据えるように、ガゼボ内にあった椅子に座る。
「え、いや……急に言われると、こっちもわりと助走が必要なんだけど……」
事が事だからな。ペイルに先手を取られて、その他諸々の要因もあってペースを乱されていた俺は、ひとまず向かいの席に座り落ち着く。
……ペイルはもう準備万端って感じだ。仕方ない。こうなったら……。
「それじゃあまずは……好きな食べ物、できたか?」
当たり障りのない質問から初めていき、徐々に流れを作る作戦だ。
そんな俺の思惑に対し、ペイルは一瞬だけ戸惑いを見せたものの、すぐにそれを読み取って答えてくれる。
「寮や学食で出てくるものは、全部美味しくて好きだよ」
「じゃあ、手元にあると快眠できるものは?」
「うーん、マリモ」
「最近発見したことは?」
「お風呂に入ると、マリモもルカもやたらと格好良くなることかな」
「最近叱られたことは?」
「窓辺に飛んできた小鳥たちと遊んでたら先生に怒られたよ」
「普段財布にいくらぐらい入ってる?」
「持ってないから、いつもゼロ」
「密かにこれを覚えました、みたいなやつあるか?」
「ラジオ体操。第三まで覚えたよ(真顔ぴーす)」
「月乞いの歌ってあの一曲しかねえの?」
「うん。頑張ればあと三曲ぐらい作れるけど」
「…………俺の過去のこと、知ってるのか?」
「――――知ってるよ」
やっと切り出せた本題。そして即答の肯定。
俺は肺の中身を入れ替えるように、少し仰け反って深呼吸をしてから。
それからペイルに向き直る。
「やっぱり全部、繋がってるのか? あの研究所みたいな場所とルナールって人と、ペイル……それに俺も」
歳月の幻灯で見た光景を思い出しながら、俺は言った。
「うん」
「……俺は転生者じゃないけど孤児院出身で、物心ついたぐらいのときに、今の両親に引き取られてヴェルターの姓を貰った。けど名前は……あのルナールって人が付けてくれたんだな……」
「私もそうだよ。ルナール。それとロッテ。ふたりとも、家族みたいな繋がりを私に作ってくれた」
嬉しそうに話すペイル。
だが一瞬、なぜ俺にはクロヴィスという、おそらくは何の因果もない名前が付けられたのだろうかと疑問を覚えた……が、その答えはすぐに察しがついた。
きっと湖での出会いがなければ、俺に過去と向き合う機会など訪れなかったはずだ。
つまりこの名前は、もう二度と自分たちに関わることがないようにという願いを込めた、ある種の餞別だったのかもしれない。
だとしたら俺は今、その願いに逆らうことをしているんだろうな。
だからって今さら列車を降りるつもりはないが、まあそういう自覚は持っておこうと、そう思った。覚悟の問題だ。
「そして『ペイル』は、君がくれた。改めてありがとう。すっごく嬉しいよ。何を返したらいいのか分からないけど、何かを返したいってずっと思ってる」
「そんな大層なことかぁ? ただもじっただけだし……」
「……確かにちょっと、大げさかも。でもルナールもロッテも、直接お礼を言えないままお別れしちゃったから」
だからその分も、気持ちがこもっちゃう――と悲しげに言うペイル。
「もう、いないのか? ルナールさんと、ロッテさん」
「……うん」
「そっか……なら、その二人の分も受け取っておくよ」
俺がそう言うと、ペイルは俯いていた顔を上げて、微笑を見せた。
……ああ、そっちの顔のほうが似合ってる。なんて柄にもないことを内心思うと、ペイルはおもむろに呟いた。
「クロヴィスって……私のこと好きだよね」
「は、はぁ――ッ⁉」
「好きじゃないの?」
「ッ……き、らいじゃあ、ない……けど。いきなりなんだよ、ルカにあてられたのか……? ていうか歳月の幻灯で俺の記憶見たなら、その辺り……分かるだろ」
「明確に好きって感じじゃあなかったよね。だけど、あれから一日半ぐらい経ったし……」
「そんなにすぐ変わるか? 気持ちって」
「私は君のこと、すぐに好きになったよ。時間や経験を積み重ねればいいってものでもないんだよ、きっと」
「ふ、ぅ~ん?」
好きとか直球に言ってきやがって……反応に困るっつの……。
「……ま、どうしても今の俺の気持ちが知りたいなら、また歳月の幻灯で俺の記憶を覗いて見るこったな」
誤魔化すように軽口を叩く、と。
「…………――――――。だから――」
紫銀の瞳と視線が重なった。不意に俺を射抜くペイル。月の欠片を埋め込んだような、作り物めいた極美の双眸には――意思が滲んでいた。
誰であれ何であれ、己が目的を達するためにはまず必要とされる、揺るぎない意思というものが、その輪郭を露わにしていた。
一体どういうわけか。この一瞬で彼女は変貌を遂げた。
今、目の前に居るのは、ここ数日共に過ごしていたペイルとは違う。
あの日学院長の問いかけに毅然と答えていた、列車の進行役だという『ペイルライダー』で――そして。
「葬送機関」
「え?」
「私にはね、『葬送機関』というところから与えられた役目――使命があるの」
「葬送……機関……?」
なんだそのいかにもな名前、とツッコミを入れようとして。
「そしてその使命を果たしたとき、私は死ぬ」
「――――――――――は?」
間髪を入れず続けられたその言葉に、頭が真っ白になった。
聞き間違いだろう、それか言い間違いだろうと、すぐに否定しようとした。
けれど、誤魔化す余地などありはしなかった。
――いつの間にか、雨が降り止んでいたから。
葬儀の果てに自分は死ぬのだというあり得ない告白は、何よりも鮮明に俺の鼓膜を震わせて、脳内で残響し続けて、否が応にも記憶に刻み込まれて。
だというのにまだ、彼女の言葉には続きがあった。
濡れた髪を伝い、頬を流れそうになった雫。それを堂々と彼女は拭い去る。
まるで仮面を着けるような動作。その後に、彼女は断頭台の刃を落とすかの如く、平淡な声音で宣告した。
「――だからこれ以上私のこと、好きになっちゃダメだよ」
「…………」
声が出なかった。言葉が浮かばなかった。
彼女は嘘を言っていない。声が、眼差しが、覚悟がそう示していた。
葬儀が終点に辿り着いたとき、きっと彼女は本当に死んでしまうのだろう。
そして彼女はそんなふざけた結末を、葬送機関とかいう他者から与えられた運命を――本気でやり遂げるつもりなのだ。
理不尽だと怒るわけでもなく。悲劇だと泣いて助けを乞うでもなく。
それこそが自分の命の使い方であると、とっくの昔から決まっていたことのように、そのためだけに存在しているかのように、躊躇なく実行しようとしている。
それはなんて――虚しいことだろう。
無意識のうちに手を伸ばしていた。
だけど意識が追い付いてしまったから、指先は虚空を撫でるだけに終わった。
地面に滴った雨の雫が、失われつつある彼女の時間の破片に見えたんだ。
もしも手を伸ばして触れてしまえば、たちまちすべてが泡のように弾けて消えてしまう気がしたんだ。
だから俺は無言で、この場から走り去った。
今は一刻も早く考えたいことがあった。
ゆえに。
「あ……まだ話は終わってないのに……」
その声が俺に届くことは、なかった。




