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ビニース・ザ・ムーンロード -恋と列車と月に捧げる葬儀-  作者: 悠葵のんの
第二章《サザンクロスを廻る列車》
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第14話『再会を繰り返す、私とあなた』

     ☆


 七月三十日。木曜日。目が覚めた。時刻は午前五時ジャスト。

 なぜこんなにも早起きなのかというと、未だ使用人生活をしていた頃の習慣が抜けていないから――なんてことはなく。

 ならば幼い頃に背負った心の傷とか、数年単位で無茶な稼働を続けた反動により慢性的に眠りが浅いから――というのは半分正解かつ半分不正解だ。

 浅い眠りは一時期、不眠症にまで悪化していたものの、最近ではそれも少しずつ改善傾向にあるからね。


 けれど、しかしそれは、普通に起きてしまうレベルの寝苦しさにも耐えられるようになったという意味では断じてない。……よって正解は。


「…………」


 右を見る。そこにはルカの寝顔。

 左を見る。そこにはペイルの胸。

 改めて思う。なんで三人で同じ布団で寝ているのだろう……と。

 季節柄、掛け布団には薄い素材の物を選んだ。が、それでも三人分の体温を吸収して涼しさを発揮してくれるはずもない。


 全身にじっとりと滲む汗。乾いた唇と口内。何よりむわぁと籠った女子三人分の熱気。このような状況下で何とか数時間は寝て過ごせたものの、もうさすがに無意識下で限界を迎えていたのだろう私は。ついにこのようにして――微妙な覚醒を迎えてしまったのであった。


「…………」


 ひとまず右腕に絡んでいるルカの身体を慎重に剥がし、次に私の頭を抱き枕のようにしているペイルの腕から抜け出し、のそのそと起き上がる。

 そうしてシャワーを浴びに行くために諸々の準備をしながら、なにゆえこんなことになったのか、昨夜のことを想起した。


 まあ話は簡単だ。

 ペイルの監視役に立候補した私とルカは、別件で一時的にルームメイトになることを考えていたのもあり、いっそ三人で共同生活を送れないかと申請を出した。


 で、それは見事特例として許可されたわけなのだが、しかし寮の部屋は基本的に二人で使うことを想定している。要は、備え付けのベッドが二つしかないのだ。


 ゆえに部屋主としてベッドを譲る私。床でいいというペイル。代わりに自分のベッドをと言うルカ。やがて私とルカの譲り合いが発生し。ペイルが私のベッドに潜り込み。ルカがそれを自分のベッドに移動させ。なんだかんだと膠着状態になり。埒が明かず――三人して床で寝ることになった。

 誰が言い出したのかはもう覚えてない。

 とにかく全員疲れていて、いわゆる深夜テンションみたいな状態だったのだ。


 かくしてあの状況は作り出されたわけである……正しい道理など一切介さず。


 着替えの用意が整ったので、静かに部屋を出る。

 寮はお風呂もお手洗いもすべて共用なので、じっと蒸すような湿気を含んだ空気の中、私は廊下を歩いて大浴場へ向かった。

 私のような早起き者のために、浴場をもう使えるよう整えてくださっていた管理人さんとすれ違い、深い感謝を込めて朝の挨拶を済ませ、いざバスタイムへ。


 そうしてシャワーを浴びている間――考えごとをした。


 葬儀のこと。大切な記憶を流出させてしまったこと。あの男のこと。ペイルのこと。そしてルカの交際関係のこと。どれもすぐに解決できる問題ではない。

 となるともどかしいが、すべてひとまずは様子見、ということになるか。

 ……いえ、少なくともルカの件に関しては、今日あたり一度エレーナに途中経過を報告したほうがいいだろう。


 考えがまとまった……とは言い難いが一段落はついたので、脱衣所に移動する。

 魔力をドライヤー代わりにして髪を乾かし、着替えを済ませ浴場をあとにする。

 部屋に戻ると、カーテンが開かれていて、二人とも起床していた。

 というかベッドに座るペイルの喉の辺りに、ルカが治癒魔術をかけていた。


「おはよう、二人とも。何かあったの?」


「おはようございます、マリモさん。実はちょっと……」


 地味に初めて見る寝癖姿のルカが、困った様子でペイルに目をやった。

 するとペイルは私を見て、微笑みながら小さく口を開く。


「……お゛は゛よ゛う゛」


「えぇっ、めちゃくちゃ声枯れてる⁉」


 というわけなのですと頷くルカ。なるほどそれは確かに治癒魔術の出番だ。

 いやでも……それってちょっと変じゃないだろうか。

 ペイルは昨日も喉を治癒してもらっていた。クロヴィスの激辛ハンバーガーを誤って食べてしまったときだ。そして今も、おそらくは私が戻ってくる少し前から、ルカは魔術を使っていたはず。


 なのにさっきの声は……まるで。


「……うーん。実は昨日も思ったんですけど、ペイルさんって治癒が効きにくい気がするんですよね。体質でしょうか……」


 少なくともルカ側の問題ではないだろう。ルカの治癒魔術は以前、ほとんど致命傷といっても過言ではない私の傷を、傷跡も残さず治してみせたのだから。

 

「一応訊いておくけれど、昨日の激辛のやつが原因なの?」


「……それもあるけど」


 掠れた声で囁くように返してくれるペイル。


「月乞いの歌の負担もあると思う」


 ……なるほど、とひとまず納得する。

 月乞いの歌――葬儀を始める際に列車を呼ぶあの歌は、まず間違いなく一種の魔的法則だ。身体的負担が生じる理由にはなり得るからね。


「じゃあ今日の葬儀はお休みにしたほうがいいわね」


「……うん」


 申し訳なさそうに頷くペイル。その姿がまるで雨に濡れてか細くなっている子猫のように見えてしまい、私はつい彼女の頭を撫でた。するとペイルは静かに目を瞑り、そっと私に身体を預けてきた。……かわいい。


「……マリモさん」


 名前を呼ばれ、ルカに視線を向ける。なぜかルカは姿勢を低くし、頭をこちらに差し出していた。まるで自分も撫でて欲しいと言わんばかりの光景だ。

 何か青春履行委員会的なノリだろうか……いや、もしかしたら純粋に落ち込んでいるのかもしれない。

 治癒魔術は使い手が少なく学院ではルカの専売特許みたいなもの。ゆえにペイルの喉を治療しきれなかった事実に、挫けそうなプライドがあってもおかしくない。

 そう憂慮した私は、空いた左手でルカの頭を撫でた。……かわいい。


「…………」


 ルームメイト二人の頭を無言で撫で続けるという摩訶不思議な状況が、カップラーメンができあがるくらいの時間続いた――今日はそんな朝だった。


     ☆


 お昼休みを迎えた私はひとり、形而上調和課の執務室に向かっていた。

 ルカは委員会の用事で打ち合わせに出陣。ペイルはクロヴィスとハイネに連れられ、食堂で喉に優しい特注の昼食を摂っている。


 そして私は、エレーナに途中経過を報告するべく集めた情報を整理しながら、余っているお茶菓子でひとりお茶会でも開こうかという算段だった。近々セレナ先輩のお茶会に顔を出したいと考えているので、その予行練習も兼ねてのことだ。


 それに何より、キャパ的に受けられるかは分からないけれど、相談者が来る可能性もあるしね。


 そんなわけで階段を上がり校舎の四階へ。

 相変わらずここは昼休みでも人気が少なくて、落ち着く静寂で満ちていて――、


「……ん?」


 なんだろう。今、通用口に繋がる突き当たりの場所に誰かの足が見えたような。

 執務室へと向かいながら耳を澄ませる。……特に私以外の足音はない。

 となるとさっきの人影は、通用口に行こうとしたわけではない、のかしら?

 でもそれじゃあ、その誰かは今なお、あの場所に留まり続けていることになる。


 一体誰が。何の目的で――?


 穏やかな昼休みから一転。妙な雰囲気を漂わせ始めた廊下。

 私はごくりと生唾を飲み込み、突き当たりにいるのが誰か確かめようと、ケイジ課の執務室を通り過ぎることにした。


 一歩。二歩。足音に動揺を載せてしまわないよう平常心を保つことを意識しながら歩みを進める。

 いつでも聖剣を抜く心構えを整え、意を決して、私は通用口に繋がる螺旋階段の前へと――踏み出した。

 そこにいたのは。階段に座り込んでこちらを見据えていたのは。


「……奇遇だな」


 生徒でも教師でもない、背の高い黒髪の男――ゴドーだった。


「ちょ⁉ なんで普通にこんなところに居るのよ……⁉」


「大きな声を出すな、マリモジュナ。他の生徒が来るかもしれない」


 軽く手を挙げ、冷静に指摘する元神父。


「いや……ここで何しているわけ……?」


 宗教特区の出張所――この校舎から見て北西にある教会。

 そこに仕えていた神父が殺人犯として逮捕されたことは、学院中が知る事実だ。

 さすがに顔までは全員が認知しているとは言わないが、それでも教会に通っていた人だっているはず。

 それを思えば、事情を知らない生徒や教師と鉢合わせる可能性のある日中に、堂々と闊歩して良い立場では到底ないだろう。


 ……つーか前から思ってたけどこの男、なんで私のこといちいちフルネームで呼ぶのだろう。前に名前呼びを断った当てつけなのかしら?


 様々な感情を胸に秘め、とりあえずジト目で睨んでおく。

 すると元神父は唸るようなため息を吐いて、事の経緯を話し始めた。


「私は昨日からこの高等部校舎内の、とある一室に滞在している。一般の教師や生徒では絶対に辿り着けない秘密の部屋だ」


「はあ……」


「昨夜、葬儀の際に列車に転移させられたことは憶えているな?」


「ええ」


「そして葬儀が終わった後、乗客は全員、ノーザンクロス湖で下車した」


「はい」


「……そして各々が帰路に着いたとき、私は気が付いた。極めて複雑だったあの部屋へのルートを、完全には記憶できていなかったことに」


「はぁ⁉ つ、つまり帰り道に迷って、今の今まで校舎の中を隠れながら彷徨っていたってわけ……⁉」


「……そうだ。そして大きな声を出すな」


「いえでも……そんな馬鹿な話が……ッ! ちょ、ちょっと待って。なら最初にその秘密の部屋とやらに行ったときはどうしたのよ」


「案内人が居た。着物の彼女だ。どうやらその部屋は以前、彼女の知り合いが使っていたらしい」


 そしてその師匠さんは昨夜、引き留める間もなく散歩に出てしまっていた……なるほど、まだ少し飲み込めていないがひとまず経緯は理解した。

 よく見たら恰好も昨日の薄着のままだし、いくら夏とはいえそれで夜を明かしたのかと思うと、なんだか同情してしまうところがあるわね……。


 しかし秘密の部屋なるモノがあること自体初耳だし、私にはちょっとどうすることもできない。となると案内人である師匠さんを探すのが最善手だろう……が、果たして私に見つけられるかなぁ……。


 葬儀のときは強制的に車内に転移させられるので合流できる。

 けど生憎、ペイルの喉の影響で今夜は休みだし。クロヴィス曰く師匠さんは普段、放浪癖があるっぽいし。

 ……最悪、元神父は次の葬儀まで部屋に戻れないかもしれない。


 い、いや、諦めるな私。考えろ。次に頼れるとしたら、そう。


「学院長は? それかレイヴン先生」


「学院長は留守だ。扉が学院長室に繋がらなかった。それにレイヴン――あの男はおそらく私を常に監視しているが、基本的に傍観主義。頼りにはならん。むしろ面白がっている気さえする」


「そ、そう……あ、ところで同行しているっていう監視役の騎士は? なんだかんだ、まだ一度も見たことがないのだけど」


「ヤツのことは忘れろ」


「え。なに。なにその、そこはかとなく穏やかじゃない言い方は……」


「ヤツは敵ではないが、味方でもなかった。それが判明したというだけだ」


 何やら私の知らないところでひと悶着あったことを匂わせる元神父だった。


「よく分からないけど、分かったわ。そういうことならダメ元でも師匠さんを……いえ、その前にクロヴィスのほうがいいのかしら……? 何にせよケイジ課(ウチ)の執務室がすぐそこだから、来て。ずっとここに居るわけにもいかないし、紅茶とお茶菓子だったら用意できるから」


「……助かる」


 頭を下げたのか。それともただ姿勢を直しただけなのか。

 曖昧な動作で立ち上がった元神父は、緩慢に踵を返した私の後をついてこようと、すた、と控えめな足音を真後ろで響かせた。そのときだった。

 ――心臓が、前触れなく一際強い鼓動を発した。



「――――ッ、」



 私は即座に振り向きながら、全力で後方に飛び退いた。

 そこには……何もない。ただゴドーが影の中にぬぼーっと立っているだけだ。

 にもかかわらず私は、まるで悪夢を見て飛び起きたときのように、呼吸を荒くし、心臓はあてどなく早鐘を打っていた。


「…………」


 ――しまった。そう思ったときにはもう、ゴドーは眉をひそめて目を逸らし、空の両手を挙げて、一歩分身を引いていた。すべてを悟られていた――今の一瞬、私が背後に立ったゴドーに対して恐怖心を抱いたことを。


「……すまない。今のは私が迂闊だった」


「――――ぁ、それは……!」


 私のほうだと、言いたかった。

 この拒絶は、断絶は、きっと私の問題なのだと。

 被害者と加害者。殺された側と殺した側。だけど私はゴドーの殺人の理由を知り、彼は私の死への渇欲を理解していた。だからきっと今なら、事件を経て、あの記憶を知った今なら、決してこの関係性に囚われない、一意的ではない何かが築けるのではないかと思っていた。


 ゴドーの罪を赦すことはできない。してはいけない。それでも私の分ぐらいは、私が与えてしまった罪悪感だけは、どうにかできないかと、何か伝えられないかと……浅はかな考えを漠然と巡らせていた。


 ……なのに。思ってないはずなのに。気にしてないはずなのに。身体が勝手に反応してしまった。なぜ。どうして。分からない。見えない。少なくとも私がこの人に伝えたかった感情は、断じて恐怖心などではなかったはず――なのに。


「…………」


 重い、押し潰されてしまいそうな、沈黙。合わない視線。向き合えない身体。

 呼吸も鼓動もいつまでも整わないまま、遠くから生徒たちが楽しそうに笑い合う声が聴こえてきて、それが余計、この場の居た堪れない空気を浮き彫りにして。

 青春にも、陽射しの下からも、置いていかれた感じがして。


 ――かつん、かつん。


 不意に、その足音が聞こえた。誰かが階段を上がってくる。しかもこの四階に。

 私はすぐにケイジ課の扉を開けた。まずい。もう廊下に来てしまう。


「入って、適当に隠れてて!」


「うごぁっ」


 こちらに走ってきたゴドーの勢いを方向転換させるように体当たりし、無理やり部屋の中に押し込む。急ぎ扉を閉め、そして後ろを振り向いた。

 そこに居たのは困惑げな表情を浮かべた――、


「やー、どうも、マリモ」


 ――エレーナだった。


「今の人、なに? なんか呻いてたけど大丈夫そ?」


「ど、どうも、エレーナ。気にしないで、ただの、その、お客様だから。それよりあなたは何か用があってここに?」


「んー、実はルカの件でさ」


「ああ、ちょうどいいわ。放課後あたり途中経過を報告するつもりだったの」


「あー、うん。それなんだけどさ」


「うん?」


 首を傾げると、エレーナはどことなく気まずそうに頬をぽりぽりと掻いてから、ぱんと両手を重ねて頭を下げた。


「ルカとは和解したから、相談は取り消しってことにしてちょうだい!」


「――――え?」


 今度は私が困惑する番だった。それまで尾を引いていたゴドーへの思考が塗り替えられるほどの、予想外の展開だ。


「いやー、実はあれから何回か話したんだけどさ……意外と良いヤツだったっていうか、こっちにも至らない点があったっていうか……とにかく本当にもう解決したんだ! そういうことだから! 気にかけてくれてありがとね!」


 質問を挟む隙も無く自己完結して、歩いて行ってしまうエレーナ。

 遠ざかっていく背中に力無く手を伸ばしながら、私の頭の中ではエレーナが話していたことがぐるぐると空回りしていた。

 何回か話した? 至らない点があった? 解決した?

 ……それは、あの日抱いた予感がそのまま的中したということ。


 私はゆっくりと振り返って、閉ざされたケイジ課の扉を見つめた。

 分かりたいのに……分からない。

 知りたいのに……知るのが怖い。


 ――これは、きっとマリモジュナにとって、葬儀以上に大きな壁だ。


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