第13話『暴かれる過去とまだ見ぬ未来』
♰
柩の天板が開き、外に出る。何かが左足に引っかかり躓きそうになったが、右足で踏み込んで、強引に体勢を立て直す。
そうしてその勢いのまま、オレは――海の上に立った。
いや、海というにはその水面はただ凪いでいる以上に穏やかで、きっと舐めても塩辛くはないのだろうが、ともかく月の海と呼ばれる場所に足を付けていた。
一面の銀河と一面の海。その狭間の世界の中心に直立して佇む、二基の柩。
その間に向かい合って立つ、オレ――ハイネ・ヨハネス・ヒルデブラントと、クラスメイトであり対戦相手であるクロヴィス・ヴェルタ―。
向かい合ったあいつの姿は、納柩される前とはがらりと変わっていた。
「なんだこの服……とりあえずこれが俺の、アトロポスの輪ってやつか。で、この剣……使えってことか?」
赤を基調としたフォーマルな装いと、右腕に巻き付いたアトロポスの輪。
それらを声に出して確認していくクロヴィス。
オレも変化した服装と、左足首に巻き付いたアトロポスの輪を確認する。
絡みついている花については、せいぜい黄色で花弁が星の形をしていることしか分からないが、とにかくこの輪が切られないよう注意しなければならない。
輪が断ち切られれば『歳月の幻灯』という、今際の際の走馬灯を投影する現象が起きて、記憶が流出する。
そうなればオレの忌まわしき過去が、養父から暗殺を依頼されたという記録が、白日のもとに晒されてしまう。
……負けられない。秘密は守り抜く。
ヒルデブラント家は――オレの家族は、もう誰にも壊させやしない。
「そっちの得物はどうする?」
そんなオレの想いも事情も知らないまま、クロヴィスが尋ねてくる。おそらくは魔導具を忘れたことのフォローとして貸し出された剣を手にして。
あいつはオレのパルマもまた一振りの剣であることを知っている。それゆえの確認だろう。だが――。
「必要ない」
オレはその言葉に加えて、拳を構えてみせることで、返答とした。
思い返してみれば、クロヴィスにオレの戦いを見せるのは初めてか。
あいつがオレの戦闘能力について有している情報は、おそらく三つ。
それなりの格闘術を使えるということ。少なくとも『二重属性』以上の魔術属性を持つこと。そして最後に、人前で剣を抜いたことが一度もないということ。
……クロヴィスの遥か後方、周回している列車を見据える。
葬儀は今後も続く。手の内はできる限り伏せておきたい。
悪いが短期決戦といかせてもらおうか。
「遠慮するな。いつでも来い」
煽るように言う――それが戦闘開始の合図となった。
「言われなくても!」
大きく踏み込んで距離を詰めてくるクロヴィス。
素早い動き。低い姿勢。剣の位置は腰の隣――得意の居合いの構えだ。
しかしあくまで構えだけ。鞘がない以上、いつ抜刀するかという駆け引きすらも存在しない。ゆえにその一刀は、ただ形が良いだけの素振りでしかない。
「――――」
振り抜かれる刃を、オレはクロヴィスよりさらに身を屈めることで回避。そして即座に相手の右腕――つまりアトロポスの輪へと手刀を放った。が。
「ふっ、!」
それを読んでいたと言わんばかりにクロヴィスが左手を突き出し、手刀を掴む。
一瞬の拘束。その隙に構え直した剣を、オレの左足へと放つクロヴィス。
だがこの距離だ。オレもまた左手を動かし、剣が振り切られる直前にクロヴィスの手を覆うように掴み、勢いが付く前に動きそのものを殺し切る。
こうして……オレとクロヴィスは互いに互いを拘束し合う状況となった。
「――――ちッ」
舌打ちと共にオレを睨みつけるクロヴィス。おそらく次は足技に移行することを考えているのだろうが、その選択肢があるのはオレも同じ。ならば先に動き出すことはリスクが大きいと判断し、二の足を踏んでいる。
この状況がオレによって仕組まれたモノであると気付かずに、呑気に動きを止めて次の一手を考えてしまっている。
「――お前は直情的な一面を持っているが、その爆発力を生かすために、きちんと相手の動きを予測する」
「……んだよ。もうお喋りの時間か?」
「問題は、その読みが一手先までしか続かないということだ。相手の二手目以降、お前は思考の処理を軽くするため、パターンをいくつか想定し、その中から決め打ちしてカウンターの態勢に入る。それ自体は悪いことではない。だが――パターン外の行動をされたとき、お前は自分で思っている以上に流れを崩す」
「知った風なこと言いやがって……アドバイスでもしてるつもりか……っ?」
苛立ちを隠しきれない様子のクロヴィスに、オレは内心で頷いた。
実演しよう、と。
「格好つけてるだけだ。ペイルにいいところを見せたいからな。惚れてるんだ」
「はぁっ!? てめぇ何言って――――」
刹那――オレは左足を僅かに動かし、即座に呪文を唱えた。
「――『ᛚ』」
「あ」
やっちまった。そう言わんばかりの、間の抜けた声がした。
決着は一瞬だった。オレの足元から伸びた水の槍が、クロヴィスの右腕に絡みついたアトロポスの輪へと見事断ち切ってみせ、それで勝負がついた。
――ルーン魔術。文字そのものが魔術式の役割を果たし、魔力を込めて描くだけで効果を発揮する、『世界に刻む』感覚さえ掴めればかなり手軽な魔術だ。
クロヴィスの一手目。あの居合いモドキを避けるため身を屈めたとき、オレは文字を水面に刻み、その後の足運びによって左足で文字を隠しつつ、魔力を流して待機状態に入った。
……イメージは輪ゴムだ。
いつでも飛ばせるよう引っ張った状態にしておき、そしてクロヴィスがほんの一瞬でも気を逸らしたら瞬時に解放する構えを取っていた。
「言葉を使った精神攻撃は、お前の想定には無かっただろう。同時に、煽られるほどの嫉妬心もな」
この場が水で満たされていたのも運が良かったと言える。
本来『ᛚ』によって放たれる水は、体内魔力を変換するか、空気中から抽出して生成される。
だから既に水が用意されているということは単純に準備工程が一つ省略できることを意味するし、それにより狙いを気取られるリスクが減ることも意味する。
おかげでオレは、手の内をほぼ明かすことなく最短で決着を付けられたというわけだ。できればオレの主力がルーン魔術であると誤解してくれたなら、なお上々なのだが……観客たちはどう判断しただろうか。
「……いやしかし、後者に関しては鎌をかけたつもりだったんだがな。それほど効果があったことに驚いたぞ。まさか本気でペイルのことを――」
「うるせえ! こんの嘘つき野郎……卑怯な真似しやが、ってぇぇぇぇぇ――⁉」
途中で後方から伸びてきた蔓に四肢を掴まれ、柩の中へと引きずり込まれていくクロヴィスだった。儀式は無事、次の段階へと進んだようだ。
「ああ、オレは嘘つきで卑怯だよ。そしてお前は、素直じゃないが良いヤツだ」
虚空に呟く。この勝負、魔導具を持ち込めなかった時点で、クロヴィスが勝てる見込みはほぼゼロに近かった。
単なる実力差の話ではない。あいつが抱えている問題ゆえに、そうなのだ。
そしてそれはクロヴィス自身も承知していたはず。
それでも勝負を仕掛けてきたのは、オレを煽るためだ。
オレを煽って、元の調子を取り戻させるため。
あるいはオレの調子を崩させている要因を、探るため。
決して素直な友情とは言えないだろう。
張り合っている者としての意地、プライド、泥臭い感情が入り混じった、遠回りな行いだ。
だがそんなのでも、結構嬉しい――いや違うな。
情けないし、腹が立つし、対抗心も、勝利から来る優越感だってある。
だから嬉しいというよりはとにかく……効く、響くといった感じだ。
足元に目を向ける。話に聞いていた通り、水中で柩が燃えている。
そして無数の泡が浮かび上がってくる。泡のひとつひとつには、映像が投影されていた。クロヴィスの記憶。クロヴィスの過去が。
「――――」
ペイルとの出会い。この間の式典の一件。マリモとの会話。オレやルカが映った学院生活。師匠と呼んでいるあの人物との邂逅。キリスキリエの断片。自身の魔力属性がもたらしてきた苦悩。周囲に馬鹿にされながらも実技以外の部分で努力を重ねてきたこれまで――そして、さらなる過去へと遡っていく記憶の果てでオレは、オレたちは、それを見た。
薄暗い場所。病院のような建物。白衣を着た大人たち。目線の低いクロヴィスの頬を、愛おしそうに、切なげに撫でる眼鏡を掛けた女性の姿。なおも投影は続く。
『あなたの名前は……クロヴィス』、『ルナール! 何をするつもりだ⁉ 命令に従い今すぐそいつを処分しろ‼』、『計画遂行のための検体一号――オルフェウス。月の引力を断つための刃――』――そこで、泡が弾けた。
ひとつ。呼応するようにまたひとつ。ぱちぱちと弾けていく。
足元に目をやると、燃えた柩の中から、クロヴィスが這い出てきていた。
炎を受けて、水底でバーミリオンの瞳が煌めく。
その眼差しには先ほどの戦いでは見せるに至らなかった絶対的冷静が宿っており、そうすることが当然であるように、蔦の鎖に繋がれた腕を迷いなく伸ばし、やがてその指先が水面に触れる。
瞬間、歳月の幻灯が途切れ、列車が甲高い汽笛を鳴らした。
この音が――アナスタシスの福音。
一度列車を見やり、それから再び足元に目をやると、クロヴィスの姿はどこにもなかった。
話通りならあいつは今頃、ノーザンクロス湖の畔で倒れているのだろう。
そしてじきに、残った者も此岸へと帰還する。
列車が迎えに来るまでの束の間……ひとりきりになった葬儀の場で、オレは誰に言うでもなく口を開いた。
「あれが歳月の幻灯――過去の記憶の、流出。やはり避けなければならないモノか。しかし最後のあれは……検体、オルフェウス……あいつは一体……」
答えなど出るはずもない。
だがそれにしても、思いも寄らぬとはまさにこのことだ。
なぜならクロヴィスはこの世界で生まれた非転生者。
特異な体質ではあるものの、それ以外は普通のヤツだと思っていた。転生者と違って死の記憶を持ち合わせていない、特別な過去なんてない一般的な存在だと、転生者特有の傲慢すら抱いていた。
けれど彼もまた、物語を持っていた。それは考えてみれば本当に当たり前のことで、同時に叱られているようでもあった。
世界はお前を中心に動いているわけではない。
特別な事情を抱えているのは、因果が織り成す人生を歩んでいるのは、断じてお前だけではない。
だから――養父に暗殺を頼まれた程度で。
家族への情と倫理と秘めたる過去に板挟みにされた程度で、一体いつまで悲劇のヒーローぶっているのだ、と。
「――――」
月の海に灰が降っている。
水面に触れた灰は、クロヴィスの柩に納められていた花を咲かせる。
つい先ほども、似たような光景を目にした。
クラスメイトたちと入ったファストフード店。レストルームの前でオレに視線を送ってきたヒルデブラント家の使用人。それを追いかけ、すれ違いざまにぶつかった際に渡された、新たなメッセージカード。書かれた内容は。
――任務続行。
その短い言葉に、救われたような、より深い泥沼に足を踏み入れたような気分になった。
カードはその場で燃やした。さらさらと指の隙間からこぼれ落ちた灰は、水に流れて消えていった。
そして今……胸に手を当てる。懐に収めた外出証を、服の上から握る。
今夜オレはヒルデブラント家に帰り、場合によっては終わりを迎えるつもりだった。けれど、まだ終わりじゃない。終わることの許しは得られなかった。
ならばいい加減、覚悟を決めろ。
殺す覚悟じゃない。殺さない覚悟を。――守り抜くための覚悟を。
だって、灰が花を咲かせる奇跡があるのだ。だからきっと、あるはずだ。
暗殺者としての役割を背負いながら、それを果たすことのない、それでいて家族を失わずに済む道――第三の未来を、オレはこの葬儀の中に必ず見出してみせる。
☆
ノーザンクロス湖の畔で、ずぶ濡れになって倒れていたクロヴィスを発見した。
すぐにルカがバイタルサインの確認を開始する。
「も、もし蘇生措置が必要だったら言って。一応だけど……心得はあるから」
治癒魔術を使える彼女に対して差し出がましい進言だとは思うけれど、万が一ということもあるからね。
するとクロヴィスの隣に屈んでいるルカは、肩越しにこちらを振り返って。
「大丈夫です。ちゃんと生きてますよ。生き返ったって言うべきでしょうか?」
ルカの言葉に、全員が安堵のため息をついた。
それから今日はもうお開きにしようという流れになるまではあっという間で。
クロヴィスのことはハイネに任せ、師匠さんは趣味の夜散歩へ、私とルカとペイルは買い込んだ荷物を抱えて女子寮への帰路に着く。
ふと、その道中のこと。
「ねえ、蘇生措置って何するの?」
隣を歩いていたペイルから、何気なく尋ねられる。
「ええと……心臓マッサージと人工呼吸、よね。端的に言うと」
若干疲れていたのもあって正直説明にはなっていなかったが、元々深掘りするつもりもなかったのか、ペイルはああ……と分かったような分かってないような相槌を打って、来た道を振り返る。
男子寮へと繋がる道、クロヴィスと別れた道のほうを。
「――……」
「あの、二人は――人工呼吸ってキスに含まれると思いますか?」
どことなく楽しそうに言うルカ。私とペイルは同時に彼女を見て。
「含まれません」「含まないと思うよ」
そんな他愛ない会話をしながら女子寮に到着する。
時刻は午後七時になろうかというところ。素直に喜んでいいのか分からないが、列車に乗ったおかげで予定より早い帰還である。
寮のロビーに入る。すると昼間は管理人さんが常駐している受付の向かい。ソファーとテーブルが一組置かれている休憩スペースに、ルキア・スウィンバーン先輩――このストレリチア寮の寮長が居た。
寮長は持っていた本から僅かに目線を上げ、帰ってきたのが私たちだと認識すると、そのまま本を閉じて立ち上がった。
「マリモちゃん、ルカちゃん、お帰りなさい――ペイルちゃんも」
「戻りました」「ただいま戻りました寮長」「ただいま。ルキア」
三者三様の返事をして、素直にただいまと言えない自分が恥ずかしくなる私であった。……まあ転生者という根無し草が本当の意味での『帰る場所』を獲得するには、認められるようになるまでには、そこそこ時間がかかるものなのだ。
昨日の今日というか、今朝の今夜でこの順応ぶりを見せたペイルの手前、どうしても説得力に欠けてしまうけれども。
ともあれ寮長もそれを理解してくれているのだろう。今この場で野暮な指摘をすることはせず、本題であろう一通の封筒を取り出し、ペイルに差し出した。
「はいこれ、一応、書面にしてもらったから。特別許可証」
「……? 何の許しを貰えたの?」
「わたしとペイルさんが、マリモさんの部屋で生活しても良いという許可証ですよ」
「ありがとうございます、寮長。助かります」
「いえいえ。マリモちゃんが相談をしてくれたの、嬉しかったから。つい張り切ってしまったわ。……ああ、そうだ。さっきセレナちゃんと行き会ったのだけど、貴女に会いたがっていたわよ。落ち着いたらでいいから、そのうちまたお茶会に顔を出してあげてね」
「はい」
短く、けれども確かな意思を込めて頷く。
セレナ先輩のお茶会……あの日以来行けていなかったが、今度ルカとペイルと三人で参加してみるのもいいかもしれないと、そう思った。
ガムシロップ入りではあったけれどアイスティーは飲めていたし、ここはひとつあのアネモネをご馳走してもらい、ペイルを紅茶党に引き込むというのもアリだろう――なんて。
そんな他愛ないことが脳裏をよぎった後、寮長はさっと踵を返した。
「じゃあ私はこれで失礼するわ。あ、それと昨日の無断の夜間外出、次やったらきちんとお叱りしますからね。事情は汲むから、せめて一言ちょうだい。でないと融通することもできないから」
そう言って、返事を待たずに行ってしまう寮長。
その背中を見送りながら、私とルカは互いに顔を見合って、苦笑いをこぼした。
「さて、じゃあ行きましょうか。私たちの部屋に」
「ですね! 買った荷物、早く整理したいです!」
「……誰かと同じ部屋で暮らすのって、初めて。楽しみだなぁ」
かくしてこの日から、マリモジュナ、ルカ・フローレンス、ペイル・ルナール・ロッテの三人による、共同生活が始まったのだった。




